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400. カルロス・フェンテス アウラ

「アウラ」(1962)は、フェンテスの初期の中篇。
生と死、光と闇、鏡と時間の中の世界、そんな迷宮に迷い込んだ男の姿を、みごとに描いていて、こころが惑わされる。この幻想譚は、17世紀のスペインの詩人ケベードの作品と、上田秋成/溝口健二の雨月物語に影響されて書かれたものだという。

君は広告に目を止める。こんないい話はめったにあるもんじゃない。君は何度も広告に目を通す。他の誰でもない、君自 身のためにあるような広告だ。薄汚れ、しけたカフェテリーアに腰をおろし、ぼんやり物思いに耽りながら、今まで飲んでいた紅茶のカップにタバコの灰を落と す。君はもう一度読み返すだろう。「若い歴史家求む。細心周到で几帳面、フランス語の知識要。会話が堪能で秘書の仕事がこなせる人。若くてフランス語の知 識があり、フランスで暮らした経験のある人。月三千ペソ、食事付。日当たりがよく勉学に適した快適な寝室有」あとはここに君の名前を書き込むだけだ。・・・
(木村榮一訳)



・・・男は、この求人に応じて、ある館を訪ねる。そこから「アウラ」の物語は始まるのである。
なんど読んでもこころを揺さぶられる作品。粒ぞろいのフェンテスの作品の中でも、大好きな作品だ。「メキシコ篇」の掉尾を飾るにふさわしい名作だと思う。


(小説の中のメキシコ、完)



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399. ボルヘス 砂の本

メキシコに住みそこで幾つもの傑作を書いたガルシア=マルケスと比較すると、ボルヘスとメキシコの関わりは希薄のように見える。

一枚の葉をかくすに最上の場所は森であると、どこかで読んだのを、わたしは思いだした。退職するまえ、わたしはメキシコ通りの国立図書館に勤めていて、そこには九十万冊の本があった。玄関ホールの右手に螺旋階段が地下に通じていて、地下には、定期刊行物と地図があった。館員の不注意につけこんで、「砂の本」を、湿った棚のひとつにかくした。戸口からどれだけの高さで、どれだけの距離か、わたしは注意しないように努めた。
これで少しは気が楽になった。しかし、いま、わたしはメキシコ通りを通るのもいやだ。
(『砂の本』、1975、篠田一士訳)



ボルヘスとメキシコの関わりは、
①アルフォンソ・レイエスとは深い友人であった、②ボルヘスが勤めていたブエノスアイレスの図書館はメキシコ通りにあった、③ある詩の中で、”メキシコ風の甘ったるいココアの滋味”を讃えている、・・・・・・思いつくのはこの三点くらいで、他は寡聞にしてしらない。(笑)



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398. ジョン・スラデック メキシコの万里の長城


「メキシコの万里の長城」(1977)は、スラデックの第二短篇集『Keep the Giraffe Burning, 1977』に所収の一篇。邦訳は『スラデック言語遊戯短篇集』(サンリオ文庫、1985)に収録されている。

大統領にはゆたかな夢の人生がある。それは中身の濃いスープのように彼の皮膚からしみこみ、"謹厳な"執務着のしわをのばしてくれる。大統領の執務用ズボンの尻をよく調べてみれば、当人の秘めたる欲望がちゃんと見てとれると、心理学者たちがいっている。そこにはおそらくインドシナの地図が浮き彫りにされていることだろう。
彼の夢はさまざまな計画、作戦、諮問委の企画などのなかで、ふつふつとわきたつ。彼の夢見る目はドーナツに向けられます、と側近がいう。たとえばビッグ・サンディ作戦。メキシコ国境に万里の長城を築く(作戦の第一段階)など、およそ気違い沙汰かもしれない。しかしそれでいいのだ。「あまりにも気違いじみてる」ヘア将軍がいう。「だからこそうまくいくかもしれません。いかないかもしれないけど」
(越智道雄訳)



ナンセンスの極致のような作品が並ぶ短篇集である。「メキシコの万里の長城」も、その掉尾を飾るにふさわしい一篇である。・・・つまり、わけわかんなくて、くだんなくて、とびっきり面白い作品であると。

いまだ未訳本が多いスラデックであるが、特にSF長編は、待っても待っても出てこない!
出版社にとってはいまさら訳出するなんて「あまりにも気違いじみてる」?、でもしかし「だからこそうまくいくかもしれません。いかないかもしれないけど」、とわたしは言いたい。



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397. ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた

『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』(1986)は、連作短編集である。収録されているのは、SFではなく、ファンタジーが三篇。すべて、メキシコのキンタナ・ローを舞台にしている。とても不思議で魅力的な作品集である。・・・作者自身によるまえがきのような文章が冒頭に添えられているので引用してみる。

キンタナ・ロー   発音はキーンターナ・ロウ   は、実在の、とてもふしぎな場所である。そこはユカタン半島の長くのびた波の荒い東海岸に位置し、公式にはメキシコの一部だが、心理的にはちがう。密林におおわれたその海岸での生活日誌は、ときとして、未知の惑星での生活記録とも思えるほどだ。
ここに居住するマヤ族は、メキシコからホンジュラスやグアテマラを越えてさらに南へ広がり、その人口は数百万二のぼるが、部族間の差異が、しばしば"国家"の境界よりも重視される。(中略)
マヤ族はほとんど"征服されて"おらず、たいていの場合、自分たちをそんな目で見てはいない。部族が混合し、隷属状態を何度も経験したメキシコ本土のインディオと彼らを比べると、腰が低くて階級意識の強いロンドン市民と、いつまでも古い風習を捨てない高地スコットランド人ぐらいの差がある。(中略)
現在のキンタナ・ローの特異性は、いうまでもなく、また嘆かわしいことに、西欧的、アメリカ(グリンゴ)的な生活様式の洪水の前に埋もれようとしている。だが、ここかしこに見られるのは、マヤの一千年の文化を復興させたいという関心だ。そして、表面下には、巨大な力を持つ潮流と、古い海流が流れている。ここに記された物語の材料は、その大部分がかけ値なしの真実である。残りの架空の部分については、それが四千年を経た声、キンタナ・ローで夜ごとのささやきとつぶやきをくりかえす声によって運ばれてきたものではないと、だれが断言できよう?(「キンタナ・ローのマヤ族に関するノート」、越川芳明訳)



そして、いよいよ物語が開始する。最初の「リリオスの浜に流れついたもの」という作品は、こんなふうに始まる。   『その男を先に見つけたのは、年とったココ椰子農園の監督だった。・・・』

主人公は、マヤ族の生きてきた世界と海である。三篇、どれもが味わい深い。
『なんでもこちらの必要なものを、海は送り届けてくれる』という視線が、三篇の物語を貫いているように思う。



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396. D・H・ロレンス 馬に乗って去った女

ロレンス(1885-1930) もまたメキシコとの関わりが深い作家のひとりである。長編「翼ある蛇」(1926)のように、メキシコ滞在時の経験を基に書かれた作品が幾つかある。「馬に乗って去った女」(1924)も、そうした作品のひとつである。邦訳は、『D・H・ロレンス短篇全集、第4巻』(大阪教育図書)に収録されている。

彼女は、この結婚こそ冒険になるだろうと考えた。それは相手の男が彼女にとって謎めいていたからというのではなかった。彼女より二十歳年上の相手は、小柄で針金のように頑丈で、ひねくれた男で、目は鳶色、髪は灰色だった。その昔、まだ幼いころにオランダからアメリカに不良然と渡ってきたのだった。その後、西部の金鉱からはじき出されて南のメキシコへ下り、今ではシェラマドン山脈の荒地にいくつかの銀山を所有し、かなりの金持になっていた。彼女が考えた冒険とは彼の人柄よりもその境遇にあったことは明白だった。多くの試練をくぐり抜けてきた彼は今でもエネルギーに満ちた小さな発電機(ダイナモ)だった。成し遂げた事を彼はすべて独力でやってきたのであり、いわば説明不能な質の人間だった。
(倉田雅美訳)



しかし、物語は、ここから大きく転換していくことになる。主人公のアメリカ人の女性は、ある日、突然、家を飛び出して、先住民の住む村に向かう。
・・・それはなぜか、ということについてロレンスはあまり書いていない。そうではなくて、そのあとの彼女の姿を描いていくことに集中している。異教の神や、土着の文化に直面した時の人間の姿を執拗に描いているように見える。 



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395. グレアム・グリーン 権力と栄光


メキシコに魅せられたヨーロッパの作家は何人もいる。しかしグリーンも「権力と栄光」(1940)という作品も、それにはあてはまらない。この長編は、作家が、1920~1930年代のメキシコの宗教迫害についての記事を書くためにメキシコを訪れたことを契機に書かれた作品である。

まもなく、母は夫の部屋に入っていった。彼女はいった。
「わたし、坊やにはほとほと困りましたわ」
「娘たちの方にはどうして困らないのかね?どこにだって心配事ってのはあるよ」
「女の子の方は二人とも、今のままでかわいい聖徒ですわ。でも、あの坊やときたら   あの子ったらこんなことをきくんですもの   あのウィスキー坊さんのことを。わたし、あの人にはうちに来てほしくなかったわ」
「うちへ来なかったら、もうつかまっていたろうな。そうなっていたら、あの人も、おまえのいう殉教者の一人になっていたろうよ。そして、彼について本が書かれ、おまえがその本を子供たちに読んできかせていたろうな」(中略)
「ここは小さな町だよ」と、夫はいった。「気取ってみたって何にもならない。わたしたちは、ここじゃ世間から見捨てられているんだ。わたしたちはできるだけうまくやっていかなくちゃならない。教会についていえば、(中略) わたしたちが教会がいやなら、そう、教会をすてなければならない」(中略)
「わたし死んだ方がまし」と、彼女はいった。
「ああ」と、彼はいった。「そうとも。いうまでもないさ。だが、わたしたちは生き続けなければならんのだ」
(斎藤数衛訳)



・・・物語の主たる登場人物は、逃げおくれた司祭と、それを追跡する警部、そしてメキシコ南東部のタバスコ州の村人たちである。司祭はあらゆる戒律を破りながらもなぜメキシコに残り逃げ続けなければならないのか、警部はなぜ追跡しつづけなければならないのか、村人たちはなぜ司祭を匿ったり密告したりすることになるのか。グリーンの筆致は極めて明瞭で、その分、冷酷にも見えるほどである。




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394. ル・クレジオ はじまりの時


メキシコに魅入られたヨーロッパの作家は何人もいる。ル・クレジオもその一人である。メキシコで教職につき、メキシコ文化についての知見を広げ、マヤ語やナワトル語を学び、同じようにメキシコに魅せられた作家であるアルトーについての本を書き、古代メキシコ文明に関する翻訳や研究書を著し、また長くメキシコに住んだ。ところが!  ・・・ところが、彼の小説においては、メキシコもメキシコ人もあまり登場してこないのである。
その数少ない事例が、「はじまりの時」(2003)である。

ぼくがきみに手紙を書くのは、今が出発の時だとわかったからだ。季節が終わる。もうじきフランスにいるだろう。それとも、どこかの医者になるために、サザンプトン病院の研修を終わらせに行くかもしれない。きみがここに来ることを夢見た、でも、それが無理なことはわかっている。
いちばん名残り惜しいもの、それはメキシコの憂愁だ。きっときみも気に入ったと思うな。この灰色の景色、いつまでもつづく黄昏、何もかも消してしまうもや。あたりの山々、マリンチェ、アフスコ、ティサパン、サン・ベルナーベ、サン・エステバン・ウィツィラカス。南のあちこちの火山、その名前をきみのために記してみました。メキシコを囲む山脈のかたちに沿って、ぼくがきみに贈ろうと思う首飾りのように   。
(第6章 ある国境、村野美優訳)



「はじまりの時」(2003)は、ル・クレジオの自伝的作品のひとつ。主人公のジャンと、その六代前まで溯る祖先の物語。ジャンは1950年代前半から60年代後半にかけて、作家自身の青春時代を生きる。そこに、およそ2世紀前のフランス革命フランス革命時に青春時代を過ごした祖父の物語が重ねられていく。引用したのは、ジャンがメキシコで恋人に書いた手紙の一節である。彼は、アルジェリア戦争への徴兵から逃れるためにイギリスやメキシコを転々としている。


はじまりの時2


ちなみに、ここで書かれている”メキシコを囲む山脈のかたち”の挿画は、こんなものである。
この画像から、メキシコの憂愁を想像してみるためには、eのつくアンくらいのとびきりの想像力が要る。しかし、そんなものがなくてもこの小説は読めるのであるし、充分に楽しむことができるので、念の為。




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393. イタロ・カルヴィーノ パロマー

『パロマー』(1983)は、作家が生前みずからの手で完成した最後の作品集である。
引用は、Ⅲ・1・2 「蛇と頭蓋骨」という節の冒頭、パロマー氏がメキシコの旅について語る部分である。・・・今、パロマー氏は、メキシコの友人による古代遺跡の解説や神話の解読にうっとりと耳を傾けている。

パロマー氏はメキシコにある、トルテカ族のかつての首都トゥーラの遺跡を見学している。かれを案内してくれたメキシコ人の友人は、この国がスペインの植民地になる以前の文明に精通していて、ケツァルコアトルにまつわる実に美しい伝説を熱心に滔々と物語ってくれる。ケツァルコアトルは神になる前、このトゥーラに宮殿を構える王であった。その宮殿の円柱の残骸が、どこか古代ローマの宮殿を思わせる雨水だめを囲むようにして残っている。
(和田忠彦訳)


遺跡のなかを教師に引率された子どもたちがやってくる。教師は、その円柱がどの時代のもので何の石に彫ったのかを告げ、そしてこう言葉を結ぶ。”なにを意味しているかはわからない”    この言葉が、パロマー氏の耳にはっきりと残って行く。



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392. ジミー・サンティアゴ・バカ 母の遺灰 

ジミー・サンティアゴ・バカ(1952~)は、メキシコ系アメリカ人の作家、詩人。
ニューメキシコ州サンタフェ生まれ、二歳の時、メキシコ系の母と、アパッチ族の父が離婚。アルバカーキの”パリオ”でストリートギャングとして少年期を過ごす。二十代に麻薬所持で服役し、服役中に読み書きを覚え、出所後詩人として出発した。

「自分の遺灰は山の頂上から撒いてほしい。これがマイケルとあたしに母さんが残した本当の遺言だったの。だからこれだけは果たしてあげたい。そして母さんを自由にしてあげたいの。娘がこんなにも堕落するなんて、思いも寄らなかったでしょうね。だからこの約束だけはどうしても守りたいの。わかるでしょう?…」(中略)
なぜ関わってしまったのか、自分でもよくわからない。哀れみを覚えたのか、それとも意外と世話好きな性格だったのだろうか。ともあれ、暖かく晴れた土曜日の朝、せっせと昼食をつめ、二人を車に押し込む自分がいた。むろん、山のてっぺんから灰を撒くためだ。
(斎藤修三訳)



「母の遺灰」は、スペイン系移民街”バリオ”に住む人間たちを描いている。語り手は、チカーノの弁護士である。いわば、パリオの同胞を踏み台にして生きている”中流”のチカーノである。 
   バカは「パリオの使者」を自認しているという。貧困と犯罪とか、移民の町の持つエキゾチックな魅力だとかいったステレオタイプの視点ではなく、バリオの若者についてまっとうな視点で書かれた小説は、バカが初めてだというような評価があるのだという。



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391. パコ・イグナシオ・タイボⅡ世 三つの迷宮

メキシコの探偵小説である。みごとに”ハードボイルド”している。
登場人物がみんな魅力的であるし、1970年代のメキシコシティを舞台にした物語の設定も展開も結末も気が利いている。この作家の別の作品を読みたくなる。この探偵シリーズの続きが読みたくなる。メキシコの探偵小説ももっと読みたくなる。
・・・ただし叶えられるのはひとつだけだ。タイボⅡ世の作品は、幾つか邦訳されているのだが、このシリーズは訳出されていないし、タイボⅡ世以外にはハードボイルド探偵小説の書き手はどうもいないようなのである。

冗談みたいなものだった。それもきわめて質の悪いやつだ。メキシコの探偵だなんて、冗談にもほどがある。こんな仕事がほかにあるだろうか。なにしろ探偵になってから、じつにいろんなことがあった。たとえば、この六カ月という短い期間に六回も命を狙われた。(中略)
そうしてこの半年を無事に生き延びるあいだ、探偵であることを深刻に受け止めたり軽く受け流したりしてきたが、とりわけ深刻なのは、この質の悪いジョークが、自分だけのものであるのをやめてしまったことだった。つまりこの質の悪いジョークが、メキシコシティ全体の重要部分、いやこのメキシコというどうしようもない国全体の重要な部分となっていることにいまさらながら気づいたのだ。
そしてこの国で許されないことがひとつあるとすれば、それは自分の人生を深刻に考えすぎて、このジョークを理解できずにいることだ。
それはなんと孤独なことか。
(佐藤耕士訳)



タイボⅡ世は、1949年、スペインに生まれ、後にメキシコに移住し、1980年に帰化した。「三つの迷宮」(1977)、は「私立探偵エクトル・ベアスコアラン・シェイン」シリーズの第二作である。第一作の「闘いの日々」(1976)を含めて、その他は邦訳されていない。
ミステリマガジンの記事(佐藤勘治『メキシコ・ミステリ事情』)によると、99年の時点で、このシリーズは第9作まで出版されているのだという。でも今さら訳出されないんだろうなぁ。残念ったらないのである。




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