500. デュマ=フィス 椿姫 (フルーツ小説百選)

Camélias


「椿姫」(1848)、
引用するのは、”私”が始めてマルグリットに紹介されて顔を合わす場面である。

友人は劇場の入り口のほうへ行きます。
「おい、そっちじゃないぜ。」
「ボンボンを買いに行くんだ。頼まれたんだよ。」
私たちはオペラ座の廊下にある菓子屋に入りました。
私はできるものならその店全部を買い切ってしまいたいと思いました。そして、袋に何を詰めさせたものかと思案していると、友人が注文しました。
「砂糖漬けの乾葡萄(ほしぶどう)を一斤。」
「それがお気に召すのかい。」
「ほかのボンボンは決して食べやしない。有名なものだよ。」
(中略)
桟敷へ入って行きますと、マルグリットは大声で笑っていました。
私は彼女に沈んでいてもらいたかったのです。
友人は私を紹介しました。マルグリットは私に軽く頭を下げると、
「ボンボンは?」
「ここにあるよ。」
ボンボンを受け取りながら彼女はじっと私の顔を見ました。私は眼を伏せてまっかになりました。
(吉村正一郎訳)


しかしどうしてこうもまあ恋した男っていうのは気弱なんだろうか。
ボンボンを齧りながらそんなことを考えた。


(heureux verger、完)



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499. シュトルム 広間にて (フルーツ小説百選)

theodor storm im saal


「広間にて」(1848)は、シュトルムの最も初期に書かれた短篇の一つ。
ドイツの田舎町の、ある家族の一日を描いたもの。
邦訳は、岩波文庫版の短編集『みずうみ』に所収。

女の子をのせたぶらんこは、きらきら陽に光りながら、あがったりさがったりする。明るい捲き毛がこめかみから離れてそよぐ。でも、その子には、どこまであがっても、もうこれでいいということがない! とうとうぶらんこが音を立てて、菩提樹の梢のなかへ飛びこんだものだから、小鳥が両側の果樹棚からぱっと飛び立って、そのはずみに、熟れきった杏が地面へころげ落ちたっけ。
『何だろう、あれは?』
と青年は言って、ぶらんこをとめた。
その問いがおかしくて、女の子は笑った。
『鳥のイリッチよ。いつもはあんなに臆病じゃないんだけど』
青年は女の子をぶらんこからおろし、それから二人は果樹棚の方へ歩いていった。そこの藪のなかに、暗黄色の実が落ちていた。
『君とお友だちのイリッチが、君にご馳走したんだよ!』と青年が言った。女の子はかぶりを振って、美しい杏の実を青年の手にのせ、低い声で言った。
『あなたにご馳走したのよ!』
(関泰祐訳)


シュトルムの短篇を読んだ後は、いつも言葉を失ってしまう。
こんなふうに美しい作品を読んだあとに、何か言うべきことがあるだろうか? という感じ。
美味しいフルーツを食べ終わったあとと同じである。小説の方は、口を拭う必要もない。



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498. エイミー・ベンダー 私の名前を呼んで (フルーツ小説百選)

Aimee Bender


「私の名前を呼んで」は、彼女のデビュー短編集『燃えるスカートの少女』(1998)に所収。
どの作品も、エイミー独特の直截的な言葉と感情が飛び交い、奇怪で奇妙に熱を帯びた風変わりな物語が展開されるのであるが、それでいてちゃあんと自分を見つめている「私」の姿が見えているので、読み手のほうも物語の中で迷子になる心配はない。安心して読もう。

彼の胸は日焼けしていてちょっとぷよぷよしている。女みたいにやわらかい乳首をしている。なぜか私は、その乳首を見るだけで苦しくなる。すごく脆く見える、これからごろごろと切られてエグゾティックなキウィ・サラダに入れられるのを待っている果肉みたい。それは私に彼の上にのっかり彼のやわらかい果物みたいな両方の乳首に私の両方の親指を押しあててエレベーターのボタンみたいにぎゅっと押したいという気分にさせる。
(管啓次郎訳)


安心して読もう、と書いた途端にこれだ! この乳首にまつわる表現には驚いた。ちょっと、ぎゅっとされるかと思ってびくついた。ほんとうにキミもそんな気分になったりするのかい?




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497. ヴァーノン・リー 聖エウダイモンとオレンジの樹 (フルーツ小説百選)

vernonlee-pope.jpg


ヴァーノン・リー(1856-1935)は、多くのエッセイや批評文の他に、少数の小説を遺した。邦訳で読めるものは数少ないが、実際に手にすることが出来たとすれば、読み始めた途端に、何という幸運に恵まれた日なんだろうと思うに違いない。そんな、とびきりの作品であると思うのである。
・・・「聖エウダイモンとオレンジの樹」(1907)、邦訳は、ちくま文庫版のアンソロジー『短篇小説日和 英国異色傑作選』に所収。

これは聖エウダイモンのオレンジの樹の物語である。ヴィコ・ピサノの修道士ドミニク・カヴァルカが著した『聖徒伝』に載っている話ではないし、ましてヤコブス・デ・ヴォラギネが編纂した『聖人伝集』にあるはずもない。そして恐らくは他のどのような聖人伝にも載っているということもないだろう。私はこの話を、あの奇跡の地で、常に花の絶えることのない立会人であるオレンジの樹の前で知った。
カエリウスの丘とアヴェンティヌスの丘の果樹園が四方に広がり、葦材の格子が若い葡萄の蔓を支えていた。さらに遠方を見渡せば、大きな迫持(アーチ)や廃墟らしきものが見えるはずだ。コロセウム、大円形競技場、ネロの宮殿といったものが、聖ペテロ大聖堂や青いサビニ山脈と一緒に遙か彼方に見える。その地に小さな教会があった。(中略)
オレンジの樹はここにある。葡萄酒や野菜に花弁を落としながら立つ姿は、思いもよらないほどの歳を重ねた威厳を具えている。と云っても、幹を見ていると思っているものは実は生き残った枝の一本に過ぎず、本当の幹は庭の地面よりも下に隠れてしまっているのだ。ここで、私はその伝説を聞いた。
(西崎憲訳)


展開されるのは、時代を越えて繰り返されてきた”ヴィーナス像と指輪”の物語である。メリメや、アンソニー・バージェスや、ティム・バートンの例を思い出すのはもちろん勝手であるが、驚くのはそんな物語の原型があるにもかかわらず、ヴァーノン・リーの物語がとんでもなく独特なことである。いやいやそこには独特なだけではなく、とびきりの美しさと可笑しさまである。



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496. G・ガルシア=マルケス 落葉 (フルーツ小説百選)

García Márquez


「落葉」(1955)は、ガルシア=マルケスの第一長編。
”マコンドもの”の記念すべき出発点に位置する作品でもある。

突然、バナナ会社が落葉の屑に付き纏われてやって来たのだ。まるで、旋風が街の真中に根を下したようだった。それはよその町の屑同然の人や物、次第に遠い過去へと押し流されて嘘であったことのように思われてくる内乱の爪痕を巻き込んで、渦巻いている落葉の疾風だった。旋風は冷酷無情だった。大衆の猥雑な臭い、皮膚の表面に滲み出た分泌物の臭い、ひそかな死の臭いで、あらゆるものを汚しつくしていた。一年も経たないうちに、それは、以前、頻繁に発生した大災害の時の瓦礫を町じゅうにぶちまけ、街路に雑多な積荷のがらくたを撒き散らしてしまった。がらくたは気紛れで突飛な嵐のリズムに乗せられ、慌しく仕分けされた末に、一端は川、一端は死者の囲い場に通じる一筋の狭い通りにすぎなかったものを、よその町の残り屑からなる異質で錯綜した町にと変えてしまったのである。
(高見英一訳)


アメリカ資本を中心としたバナナ会社の進出によって繁栄と享楽の時代を迎えたマコンドは、そのバナナ会社の撤退とともに衰退の道を歩み始める。「落葉」は、1903年から1928年にかけてのマコンドの歴史を描いた作品である。
20代の作家によって書かれたこの作品は、しかしまったく若書きというようなものではなく、やがて「百年の孤独」という作品に結実して行くことになる恐ろしいほど孤独な想像力がいっぱいに詰まっている。




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495. フランツ・カフカ 変身 (フルーツ小説百選)

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いきなりの余談で申し訳ないが、「変身」(1912)を書いた頃のカフカはのちに婚約を交わすことになるフェリーツェ・バウアーとの文通を始めていて、その手紙のなかで「変身」の執筆状況を逐一知らせていたのだという。ところで、この彼女の名前、フェリーツェ・バウアーを英語読みすると”フルーツ・パーラー”になる。

父親は彼を爆撃する決心をしたのだった。食器台の上の果物皿から リンゴを取ってポケットにいっぱいつめ、今のところはそうきちんと狙いをつけずにリンゴをつぎつぎに投げてくる。これらの小さな赤いリンゴは、まるで電気にかけられたように床の上をころげ廻り、ぶつかり合った。やわらかに投げられた一つのリンゴがグレゴールの背中をかすめたが、別に彼の身体を傷つけもしないで滑り落ちた。ところが、すぐそのあとから飛んできたのがまさにグレゴールの背中にめりこんだ。突然の信じられない痛みは場所を変えることで消えるだろうとでもいうように、グレゴールは身体を前へひきずっていこうとしたが、まるで釘づけにされたように感じられ、五感が完全に混乱してのびてしまった。
(原田義人訳)


そんな戯言はともかく、このリンゴのシーンはとてつもなく強烈である。
このシーンをもって、「変身」には、隠れたフルーツ小説の名作という称号を預けてもよさそうだと思ったりするのだがどうだろうか。



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494. ウラジーミル・ナボコフ ラ・ヴェネツィアーナ (フルーツ小説百選)

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(Sebastiano del Piombo、「Dorothea」、1512)


「ラ・ヴェネツィアーナ」(1924)は、ナボコフの初期短編の一つ。
物語の舞台は、イギリスのとある赤い色の館。登場するのは館の主人の大佐、その息子のフランクと友人のシンプソン(二人は学生である)、そして年老いた絵の修復士であるマゴアとその妻のモーリーン。最後に、(重要なものを忘れてました、)屋敷の玄関ホールに掛けられている16世紀のイタリア人画家による”ヴェネツィア美人”の絵。

そしてシンプソンは、深く息をつくと、彼女のほうへ身体を動かして、苦もなく絵の中へ入り込んだ。すぐに激しい冷気で頭がくらくらし始めた。ギンバイカと蠟と、かすかなレモンの香りがした。(中略)
ヴェネツィアの女は流し目に微笑んで、そっと毛皮をなおしてから手を籠に落とし、小さめのレモンを差し出した。輝き始めた彼女の目から目をそらさずに、シンプソンは彼女の手から黄色い果実を取った。そしてそのざらざらした固い冷たさと彼女の長い指の乾いた熱を感じるやいなや、信じられないような至福が内側に沸き立ち、甘く煮えたぎり始めた。
(毛利公美訳)


作中の絵のモデルは、ヴェネツィア派の画家、セバスティアーノ・デル・ピオンボの描いた「ドロテア」という作品だということらしい。上の画像がそれである。
この絵をめぐり、いつもながらの流麗な文章とみごとな物語が綴られる。読み終わると、誰もがむふふと会心の含み笑いをもらさずにいられないだろう、そんな作品であると思う。
もちろん、笑劇の要素が強いのでがははと笑ってもいいのであるが、そういえぱナボコフの短篇を読んでがははと笑う人は見たことがないなぁ。含み笑いが似合うのである。



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493. フェルディナント・フォン・シーラッハ 棘 (フルーツ小説百選)

Pomme.jpg


「棘」を含む連作短篇集『犯罪』(2009)は、面白い構成になっている。
所収の11篇の全ての作品のどこかに、”リンゴ”という言葉が、ドレスの襟元の小さなアクセサリーのように、さりげなく添えられているのである。そしてそのあげく、本の最終ページにはこんな言葉が付せられている。・・『これはリンゴではない』

博物館の仕事はフェルトマイヤーを変えた。やがて、夜中になると、テレビの音が耐えられなくなった。半年間は消音モードでテレビを見た。それからスイッチを入れなくなった。そして、同じ階の向かいの部屋に入居した学生カップルにテレビを進呈した。次は絵の番だ。家には数枚の複製絵画があった。『リンゴとナプキン』(セザンヌ)、『ひまわり』(ゴッホ)、『ヴァッツマン山』(フリードリヒ)。いつしか色にも耐えられなくなり、絵を壁からはずし、ゴミ箱に捨てた。
(酒寄進一訳)


『犯罪』は、刑事弁護士である作家が、現実の事件に着想を得て、異様な罪を犯した人間たちを描きあげた作品集である。
「棘」は、ミュージアムの警備員の男が単調な仕事の繰り返しの中で追い込まれていく姿を描く。物音、サイズ、数、そして時間、色と、耐えられない対象が広がって行き、最後に突き当たったのが彫刻の『棘を抜く少年』であった。



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492. ケストナー エーミールと探偵たち (フルーツ小説百選)

アップルケーキ


さて物語は既に大団円を迎えるところ。
お客さんはみんな到着し、ココアが沸き、アップルケーキも焼き上がって・・

ハイムポルトさんの家は、ほんとうにたいへんなさわぎだった。みんな来ていた。グスタフ、教授、クルムビーゲル、ミッテンツヴァイ兄弟、ゲーロルト、フリードリヒ一世、トラウゴット、ちびのディーンスターク、それからそれから・・・・・・椅子が足りないほどだった。
ポニー・ヒュートヒェンは、大きなポットをもって、あちこちホットココアをついでまわった。マルタおばさんのアップルケーキは最高だった!
(池田香代子訳)


このティー・パーティの愉しさったら!
そう、あの帽子屋のパーティに匹敵するくらい!




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491. アリス・マンロー 林檎の木の下で (フルーツ小説百選)

林檎の木の下で


アリス・マンロー(1931-)は、カナダの作家。
図書館勤務や書店経営の経験があるらしい。
なんて無用の説明はともかく、「林檎の木の下で」(2002)は、これぞフルーツ小説の鑑のような作品である。読んだら誰もが必ず林檎の木を見上げたくなるかもしれない。
連作短篇集『The View from Castle Rock』(邦題、林檎の木の下で)に所収。

サクラの花を見て、わたしはミリアム・マカルピンのところの木を思い出した。花をつけているところを見たくなった。見るだけではなく  道路からでも見える  木の下へ行って仰向けになって頭を幹にくっつけ、自分の頭のてっぺんから生えているように見える木がずっと上へ、逆さまになった花の海へと消えてゆくのを見上げたいと思ったのだ。(中略)
わたしは仰向けに寝た。木の根が体の下で硬い隆起になっていたので、ごそごそ位置を変えなければならなかった。それに乾燥肉の塊のように黒ずんだ去年のリンゴも落ちていて、体の位置を決めるまえに取り除かねばならなかった。なんとか落ち着いてからでさえ、自分の体が奇妙で不自然な状態にあるという感じだった。そして、かすかにばら色のにじんだおびただしい真珠のような花弁が下がっているのを、あらかじめ飾られているたくさんの花束を見上げても、望んでいた心持、崇敬の念がこみ上げてくるということはさほどなかった。空にはまばらに雲が浮かび、目に映ったそれは薄汚れた陶器のかけらを思わせた。
(小竹由美子訳)


恋占い、浮橋、家に伝わる家具、なぐさめ、イラクサ、ポスト・アンド・ビーム、記憶に残っていること、クィーニー、クマが山を越えてきた、良いことは何もない、キャッスル・ロックからの眺め、イリノイ、モリス郡区の原野、生活のために働く、父親たち、林檎の木の下で、雇われさん、チケット、家、なんのために知りたいのか?、メッセンジャー、次元、小説のように、ウェンロック・エッジ、深い穴、遊離基、顔、女たち、子供の遊び、木、あまりに幸せ

・・・ちょっと試しにこれまでの彼女の作品の邦訳のタイトルを並べてみた。
さすがは短編の名手である。これだけで深い物語がそこにあるのをを感じる。これを見るだけで、あまりに幸せ。



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