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900. ユイスマンス さかしま (画家小説百選)

ユイスマンス


「さかしま」(1884)の主人公のデ・ゼッサントは、パリを遁れ郊外に隠棲の居を構える。俗人や喧騒のみだりに侵入しない土地で、心の安らぎに浸ろうと目論んだのである。そして、買い取った家に徹底的に手を入れ、そこに人工の理想郷を作り上げようとする。

書斎は、青とオレンジ色を基調としたものである。壁は、膚理モロッコ革や山羊皮などをもって、書物のように装われた。天井には、濃い青色の絹張りの丸い天空が切りひらかれていて、その円い天空の真んなかに、昔、ケルンの織工たちが聖職者の祭服に縫い取った銀糸の熾天使が、幾つとなく羽ばたきながら舞いのぼっている。

当然ながらこの書斎は、ドン・キホーテが作り上げた騎士物語の殿堂とも、ネモ船長が有する壮大で実際的な図書室ともかけ離れた、神秘的象徴主義の所産である。書斎に並ぶのは、彼が愛する頽唐期のラテン文学であり、ボオドレエルでありマラルメであり、珍奇な宝石や香料や花々である。この書斎のなかで、デ・ゼッサントは、ひたすら感覚と趣味とを洗練させて人工的な夢幻の境に逃避しようとする。


そして、絵画である。
この部屋に必要な画家は二人だけであった。
デ・ゼッサントにとっては、ギュスターヴ・モロオとオディロン・ルドンの作品があれば十分だったのである。


GustaveMoreau.jpg

Gustave Moreau (1826-1898) 「L'Apparition」1876
(© RMN-Grand Palais (Musée d'Orsay) / Jean-Gilles Berizzi)


Redon.jpg

Odilon Redon(1840-1916) 「In the dream/Vision」1879
(©This artwork is in the public domain.)
*クリックすると、大きな画像が開きます


ユイスマンス(1848-1907)は、フランスの小説家。
内務省に勤める傍ら、小説を書いた。
初期は、エミール・ゾラに近い場所で自然主義小説を書いたが、1884年の「さかしま」では、一転して、その後"デカダンスの聖書"と称されるような神秘的で、痙攣的で、それでいて神聖で衒学的な作品を発表した。この小説は、当時、"隕石のように文芸市場に落ち、茫然自失と激怒を捲き起した"のだという。もちろん、21世紀の読者の頭上にも隕石のように落ちるのだと思う。


(画家小説百選、完)



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899.トルーマン・カポーティ 無頭の鷹 (画家小説百選)

夜の樹



「無頭の鷹」(1946)は、カポーティが二十代で書いた作品のひとつ。
邦訳は、新潮文庫版の短編集「夜の樹」や、文春文庫「誕生日の子どもたち」などに所収。

  彼女の唇は、ひびわれてかさかさになっている。何と切り出したらいいのかわからずに震えていて、まるで言語障害にかかっているようだ。目は、ゆるくはめこんだおはじきのように眼窩のなかでくるくる動いている。その、おどおどして内気な様子は子どもを思わせる。「絵を持ってきたんです」彼女はいった。「ここは、絵を買って下さるんでしょう?」
  それを聞いてヴィンセントの微笑はこわばった。「うちは絵を展示するところです」
  「自分で描いたんです」彼女はいった。その耳ざわりな、不明瞭な発音の仕方は、南部の人間に特有のものだった。「わたしの絵です    わたしが描いたんです。ある女性に、このあたりに絵を買ってくれるところがあると聞いて来たんです」
(川本三郎訳)


登場するのは画廊に勤める青年(ヴィンセント)と、そこに訪ねてきた少女(DJ)の二人。
作品のテーマは、いつものカポーティと同じ、イノセンス。
そしてわたしが説明できるのは、ここまでである。あとは物語の雰囲気を感じ取ればいいだけ。

100人が読めば、99人までが読み違えるだろうというこの短篇、なるほど名作というのはそういう幻想に支えられているのかもしれないが、わたしにしたってそんな作品についていったいどんな説明ができるだろう。ただ、ひとことだけ書けるとしたら、無垢なる少女はいつも不穏の兆候として現れてくるということくらいか。バルテュスの少女は、今まさに天使から少女になるゆっくりとした瞬間に存在しているのだが、カポーティの少女はもっと不気味な存在であり、もしかすると存在すらしていない可能性がある。そんなふうに思えるのである。おっと読み違えたかな。




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898. オルハン・パムク わたしの名は紅 (画家小説百選)

オルハン・パムク


パムクの「わたしの名は紅」(1998)は、16世紀末のオスマン・トルコ帝国下のイスタンブルを舞台に、細密画師たちの世界をミステリ仕立てで描いた長編小説である。在トルコのトルコ人の作家がトルコを舞台にトルコ語で書いた物語でありながら、読後はこれが"世界文学"というものなのかと、そう思わせられてしまうほどの魅力とパワーに満ちている。そんな小説である。    邦訳で600頁を超えるこの長篇を読み切るためには相応のエネルギーが要る。わたしの場合だと、屋台で買ってきたケバブでなんとか乗り切った。食後は 読後は誰もがすぐに彼の作品のファンになってしまうだろう。そんな小説である。

  「最後の審判の日に偶像を作った者に、作ったものを生かせてみよとアラーの神は言われる」と俺は気をつけて言った。「しかしそれができないから。地獄の苦悶を舐めることになる。(中略)誰もアラーと競おうなどと思うべきではない。絵描きがアラーのしたことをしようとしたり、アラーのように創造できるなどと言うことは最も罪深いことである」
  あたかも俺も彼を非難するかのように、きつく言ってしまった。俺をじっと見た。
  「わしらがそのようなことをしていたというのか?」
  「決して」と言って微笑んだ。「でも亡き"優美さん"は最後の絵の全体を見るとそう思い始めたそうです。遠近法の知識で絵を描くこと、ヨーロッパの様式で絵を描くことは悪魔の誘惑に外ならないと言ったそうです。(中略)遠近法はアラーの視点を、道にいる犬の視点に下げただけではなく、自分たちの知っている自分たちの技に異教徒の技や手法を混ぜたこともわたしたちの純粋性を壊し、彼らの僕にさせる悪魔の仕業なのだと言うのです。」
  「何ものも純粋ではありえない」とエニシテは言った。「細密画や絵の世界では、傑作が造られた時、あるいはすばらしい絵に歓喜の涙を流したり、総毛立つような美しさを見た時、今まで一緒に用いられなかった二つの異なるものが一緒になって何か新しいすばらしい物を作り出すと確信している。ベフザトやペルシアの絵のすばらしさは、アラビアの絵が蒙古や中国の絵と混じりあったことのおかげである。シャー・タフマスプの一番美しい絵はペルシアの様式とトルクメンの繊細さが一緒になったものだ。(中略)神よ、わしらを純粋でまじりけないようにと言う者たちからお守りくだされ。」
  蝋燭の灯でその顔は温厚で明るく見えたが、壁に映る影はそれと同じくらい、暗く恐ろしげだった。
(和久井路子訳)


この作品を、歴史小説、社会小説として読むのではなく、現代の"画家小説"の代表格であると捉えても、決して間違いではないだろう。主人公が画家(宮廷の細密画絵師たち)であり、絵画にまつわる物語が中心に据えられていて、西洋文明の外に生きる芸術家の苦悩が綴られており、物語のなかでは絶えずヨーロッパとイスラム世界の芸術観や文化が対比され語られていること、などを挙げておけば理由として充分だろうとも思う。

若い頃パムクは画家を志望していたのだという。22歳のときに、突然画家になることを止めて小説を書き始めた。だから、この小説のなかで、イスラムの画家たちの苦悩を描くだけではなく、 "子供のように色や絵について思うままに語れたこと" を幸せな経験だったと感じているのだそうだ。




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897. ウラジーミル・ナボコフ ラ・ヴェネツィアーナ (画家小説百選)

Dorotea_berlino.jpg
(Sebastiano del Piombo、「Dorothea」、1512)


「ラ・ヴェネツィアーナ」(1924)は、ナボコフの初期短編の一つ。
物語の舞台は、イギリスのとある赤い色の館。登場するのは館の主人の大佐、その息子のフランクと友人のシンプソン(二人は学生である)、そして年老いた絵の修復士であるマゴアとその妻のモーリーン。最後に、屋敷の玄関ホールに掛けられている16世紀のイタリア人画家による”ヴェネツィア美人”の絵。

そしてシンプソンは、深く息をつくと、彼女のほうへ身体を動かして、苦もなく絵の中へ入り込んだ。すぐに激しい冷気で頭がくらくらし始めた。ギンバイカと蠟と、かすかなレモンの香りがした。(中略)
ヴェネツィアの女は流し目に微笑んで、そっと毛皮をなおしてから手を籠に落とし、小さめのレモンを差し出した。輝き始めた彼女の目から目をそらさずに、シンプソンは彼女の手から黄色い果実を取った。そしてそのざらざらした固い冷たさと彼女の長い指の乾いた熱を感じるやいなや、信じられないような至福が内側に沸き立ち、甘く煮えたぎり始めた。
(毛利公美訳)



作中の絵のモデルは、ヴェネツィア派の画家、セバスティアーノ・デル・ピオンボの描いた「ドロテア」という作品だということらしい。上の画像がそれである。
この絵をめぐり、いつもながらの流麗な文章とみごとな物語が綴られる。読み終わると、誰もがむふふと会心の含み笑いをもらさずにいられないだろう、そんな作品であると思う。もちろん、笑劇の要素が強いのでがははと笑ってもいいのであるが、そういえぱナボコフの短篇を読んでがははと笑う人など聞いたことがない。含み笑いが似合うのである。
なお、蛇足ながら付け加えると、この物語に登場する画家は前述の”イタリア人画家”だけではない。では誰かということになるが、それを書くわけにはいかないのである。



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896. イーヴリン・ウォー ブライヅヘッド ふたたび (画家小説百選)

ブライヅヘッド


とびきりの小説というのが、たまにある。たまにはあってくれないと困ってしまうが、実際にはほんのたまにしかないのである。だからたまに出会うと率直によろこぶ。たのしくなって歌ったり踊ったり、はしないが祝杯をあげるくらいはやるかもしれない。いや確実にやる。 
    イーヴリン・ウォーの 「ブライヅヘッド ふたたび」(1945) というとびきりの作品の第一部は、「曾てアルカディアに」 と題されていて、主人公が果樹園のある屋敷ですごした或る年の美しい夏を回想する文章が綴られている。

若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか。又、何と瞬く間に失われて、二度と戻って来ないものだろうか。(中略)兎に角、その夏ブライヅヘッドで過ごした無為の日々は、わたしには天国に近いものに思われた。(中略)

私はその夏を一緒に過したようなセバスチアンとして彼を覚えていたい。私達は連れ立って魅せられた宮殿の中をさ迷って行き、刈り込んだ黄楊の生垣で区切られた果樹園を セバスチアンは車付きの椅子を進めながら冷たい苺や温かい無花果を探して廻り、或は温室から温室へ、一つの匂いから又別な匂いへ、一つの季節から違った季節へと、麝香葡萄の房を切ったり、私たちの上衣の襟に挿す蘭の花を選んだりして移って行き、又、わざとひどくまだ歩き難そうな振りをして階段を登って行って、昔の子供部屋の、擦り切れた花模様の絨毯の上に私と腰を降して、私たちの廻りには空になった玩具箱が並び、部屋の隅ではホーキンスばあやが縫いものを していて、「貴方達ってのは何てまあ、しようがない人達なんでしょう。子供と同じじゃありませんか。大学で一体、何をしているんです、」と言ったりするのだった。今は、セバスチアンは露台に向った列柱の間の安楽椅子に日光を浴びて嵌り込んでいて、わたしは彼の脇に固い椅子を引っ張って来て噴水を写生しようとしていた。
(吉田健一訳)


引用したのは、第一部・第四章、     ”若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか” というみごとな訳文で始まるこの章には、美しくてありきたりで儚くてとびきりの、チャールスとセバスチアンという二人の青年の物語の全てが詰まっているように思える。もちろん、ただのアルカディア(楽園)ではなくて、そこにはかなしみもはかなさも一杯につまっているのである。・・・あまりにみごとな物語であるので、その後、主人公のチャールスが画家になることなどふれないでもよいくらいである。

イギリスでは、2008年にマシュー・グッド(チャールズ)と、ベン・ウィショー(セバスチャン)の主演で映画化された。
日本では、未公開なのが残念。



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895. ジョナサン・キャロル 細部の悲しさ (画家小説百選)

The Panic Hand Jonathan Carroll


ジョナサン・キャロルの「細部の悲しさ」(1989)、
邦訳は創元社版の短編集『パニックの手』に所収。
原著の『The Panic Hand 』(1996)は、キャロル初の短編集であった。
だからどうだというわけではないし、あらためて言うまでもないのだが・・・、
キャロルは短編もいいのである。

<木曜日>は写真の山を、トランプを切るようにとりまとめた。「うちへ帰って、あの絵を探すんだね」

  昔は結構、上手だった。れっきとした奨学金をもらって美術学校に進学し、何人かの先生に、本物の画家になる素質があると言われた。でも、それを聞いてどう反応したかわかる? 怯えてしまった。あたしが絵を描いたのは好きだったから。人があたしの作品を、頬骨に手を当ててじっくり見るようになると、逃げ出して結婚した。(中略)
  ほんとについ最近、子供たちが自分でおやつを用意できる歳になったので、値段の張るイギリス製の油絵具とキャンバスを二枚、買いこんできた。けどそれすら持ち出すのが恥ずかしいくらいなもので、この何年か、あたしの描いてきた絵といったら、子供のためのふざけたスケッチか、親しい友達への手紙の末尾に殴り描きしたようなものだけ。(中略)

  欲しいという絵は見つからなかった。どこもかしこも捜してみた。屑籠、抽斗、子供たちの昔の宿題。必要なものが見つからない時、パニックというのはなんて無慈悲に募っていくことか!
(浅羽莢子訳)


キャロルは長編の作家だと思う。しかしこの短編集は読んでいて飽きない。飽きないどころか、何度も驚いたり打ちのめされたり頭をひねらされたりする。では、長編と同じじゃないかということになるが、それは違うのだ。短編独自の趣があり、短編独自の愉しみ方ができる。(短い作品を1分で読み終えて、そこからあふれてくる世界に60分も翻弄される) 例えば、この「細部の悲しさ (The Sadness of Detail) 」という短編だ。わけがわからないタイトルだが、読み終わるともっと頭をひねることになる。わけがわからない方がよい世界もあるのである。


PS. しかし、この原著のジャケットのデザインはひどいね。
これではスティーヴン・キングの本と間違われないか。



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894. マルセル・エイメ よい絵 (画家小説百選)

Ayme.jpg


エイメ (1902-67)は、モンマルトルに長く住み、モンマルトルを舞台に作品を描いた。
だから、作品のなかにはいつも売れない画家や貧乏な作家が登場してくる。
それが愉しみである。

早川書房版の作品集『壁抜け男』を読んでいると、ちょっと困ってしまう。
こちらにもあちらにも画家が登場してきて、どの作品を選べばいいのか迷ってしまうからである。
表題作の「壁抜け男」、そして「カード」、「パリ横断」、「サビーヌたち」、さらに下記に引用した「よい絵」(1947)、どれも味わい深い、というか不思議な味わいの作品ばかりで、登場する画家たちもみな奇妙な存在感を示してくれる。

  モンマルトルのサン・ヴァンサン街のあるアトリエに、ラフルールという名前の画家が住んでいた。彼は自分の仕事に愛情と熱意と誠実さを抱いていた。三十五歳の年齢に達したとき、彼の絵は極めて豊かで、敏感で、新鮮で、実質的なものになったので、文字どおり栄養物にふさわしくなった。それも単に精神にとってばかりでなく、肉体の栄養物になったのである。
(「よい絵」冒頭、中村真一郎訳)


「よい絵」に登場する画家も、モンマルトルに住んでいる。
いつもと同じような設定である。
いつもと違うのは、彼が描く作品は後に"栄養絵画"と呼ばれるようになる代物であり、さらにパリで一世を風靡することになる"有効芸術"運動の先駆けとして位置付けられていくという点を指摘しておけばいいだろうか。



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893. J.G.バラード コーラルDの雲の彫刻師/ヴァーミリオン・サンズ (画家小説百選)

Vermilion Sands


J・G・バラードの短篇「コーラルDの雲の彫刻師」(1967)は、架空のリゾート地である"ヴァーミリオン・サンズ"を舞台にしたシリーズの一篇である。連作小説のひとつだが、独立した作品としても読める。或は、独自の短篇として読むことで得られる味わいもある。とても完成度の高い小説だと思う。
訳者の浅倉久志は、 "バラードは、風景を人間の心理の表出と考える、きわめて視覚的な作家である" としたうえで、作家の次のような発言を紹介している。      『わたしは昔から画家になりたかった。絵画に対するわたしの趣味は、小説に対する趣味よりもずっと幅が広くて、ほとんどあらゆる時代の絵画に興味があるんだよ。 (中略) どこかで前にいったことがあるが、わたしの小説はみんな何枚かの絵でできている。ヴァーミリオン・サンズの物語も、一種の視覚的な経験だ」

  見物中の一台の車から嘆声が上がった。ノーランはまるで自分の作品の除幕をするように、翼を横滑りさせて雲から離れた。午後の太陽に照らし出されたのは、あどけない三歳の幼児の顔だった。まるまるとした頬が、穏やかな唇とぽっちゃりしたあごを縁どっている。一人ふたりが拍手するのといっしょに、ノーランは雲の上へと舞いあがり、その頂をさざ波立たせて、リボンと巻き毛を作りあげた。
  けれども、ほんとうのクライマックスがまだこの先にあるのを、わたしは知っていた。なにか悪性のウィルスのたたりなのか、ノーランは自分の作品を認めることができないらしく、いつもおなじ冷ややかなユーモアでそれを破壊するならわしなのだ。(中略)
  ノーランは、闘牛士が獲物にとどめを刺す瞬間をまちうけるに、幼児の顔のあとを追ってその上を飛びつづけた。彼が雲を刻みはじめるとしばらく静寂がおりたが、やがてだれかがうんざりしたように車のドアをばたんと閉めた。
  わたしの真上にうかんでいるのは、白い髑髏のイメージだった。
(浅倉久志訳)


ここには、雲の彫刻師たち(Cloud-Sculptors)が登場してきて、グライダーで空を飛び、ヨウ化銀で雲を刻み風景や肖像を描く。彫刻師のグループは、男ばかり四人。そして、美しい富豪の女性が一人。   ここまで設定を書いておけば、物語の行く末がわかるような気がするかい??
仮にそれが当たっていたとしても、全く問題ではない。問題にもなりゃしない。これは、ヴァーミリオン・サンズという場所の雰囲気を味あわなくてはならない小説であるし、バラードが描いた物語を視覚的に経験しなくてはならないからである。ぼくらのちっぽけな想像力なんてなんの役にも立ちゃしないというわけなのである。



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892. マルセル・シュオブ リリス (画家小説百選)

ロセッティ、レディ・リリス、1867,MET
(Dante Gabriel Rossetti, 「Lady Lilith」, 1867:The Metropolitan Museum of Art)


シュオブの短篇 「リリス」、作家が二十四歳で書いた最初の作品集 『二重の心』 (1891) に所収。
幻想小説というよりは、美しい散文詩のような作品である。
ただし、作品には "恐怖と憐憫" が重要だとした作家のこと、美しいだけで終わるはずもないということは書いておくべきか。さらに、作中のエピソードをして"ネクロフィリア"を思わせると評した文学者がいたことも書き添えておいたほうがよいだろうか。

  ・・彼はリリスを愛した。これはアダムの最初の妻で、男から造られた女ではなかった。エヴァのように赤い土ではなく、非人間的な物質でこしらえられていた。蛇に似ていて、他のものたちを誘惑するようにと蛇を誘惑したのは実はこの女なのである。彼には、彼女こそ何者にもまさる真の女、最初の女であると思われた。そこでこの世で最後に愛し、結婚したこの北国の娘に、リリスという名を与えた。
  とはいえこれは芸術家の純粋な気紛れにすぎなかった。彼女は彼がカンバスに甦らせたラファエル前派のあの画像に似ていたのである。空いろの眼をして、長い金髪は、神々に捧げて以来天空に広がったペレニケの髪のように輝いていた。その声は今にもこわれそうな物の立てるやさしい響きを帯び、そのしぐさは嘴で羽を整える鳥のようにものやわらかであった。この現し世とは異る世界に属しているという雰囲気がしばしば感じられたので、彼はこの女を幻とみなしていた。
(多田智満子訳)


この作品は、詩人であり画家でもあったロセッティと彼の早世した妻のエリザベスをモデルにしたと言われている。しかし、物語のなかの女性は、実在のエリザベスというよりも、ロセッティの描いた"レディ・リリス"をそのままモデルにしたかのような雰囲気で描かれている。
    この絵を見ると、思わず、"物語の主人公は画家ではなくこちらか" と、呟きたくなるような魅力を秘めている。『宿命の女』がここにもいると、恐る恐るつぶやいてみたりする。


P.S. ロセッティの「レディ・リリス」には、同名の作品が幾つかある。
ここでは、メトロポリタン美術館所蔵の作品を引用した。
この絵は助手の Henry Treffry Dunnが描き、ロセッティが仕上げをしたと伝えられているようだ。METの展示にも、それらしき表示がなされていた。WIKIPEDIAで引用されているデラウェア美術館蔵の絵と比べると、リリスの表情が大きく異なるのが面白い。




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891. ロベルト・ボラーニョ 2666 (画家小説百選)

Neither Day or Night, 2011, Oil on panel,
(Jules de Balincourt 「Neither Day or Night」, 2011, Oil on panel, 96x132x2.5in
: julesdebalincourt.com)



だから、いつものように問題は、傑作か否かだとか分厚すぎないかなどの議論ではなく、これを"画家小説"というジャンルに含めてしまってよいかどうかである。
重厚さと複雑さにかけては指折りの作品だけに、この判断は極めて悩ましい。どうだ旨いかと訊かれても柔らかいとか食べやすいだとかしか答えられないグルメ・レポーターのように、この作品を読み解く力があなたにはあるのかと訊かれてただ面白いです読みやすいですと答えてしまっては愉しくない。せめて、みごとな芸術家小説として読みましたくらいは言ってみたいものだなぁ。
あるいはこの小説を読み解くキーファクターとして、物語の主人公のひとりである作家のアルチンボルディ(本名、ハンス・ライター)という名前が実在する画家のアルチンボルドを模していること、同じく登場人物のひとりであるエドウィン・ジョーンズという画家の存在が物語の展開においてきわめて重要なメタファーになっているということを強調しておくことで、この作品を画家小説に分類することの正当性を主張しておくのがよいかもしれない。いったい誰に何のためにそんなことを主張するのかという疑問はさておくとして。

アンスキーのノートに、1527年に生まれ、1593年に死んだイタリアの画家、アルチンボルドの名前があった。(中略)ライターが初めて目にする名前で、その画家の絵を見たのはかなりあとになってからのことだった。寂しくなったり退屈したりすると、ジュゼッペ・アルチンボルドのことを考える、とアンスキーはノートに書いている。(中略)
アンスキーはミラノの画家の技法を、幸福の擬人化だと感じた。うわべの終焉。人間以前の桃源郷。(中略)悲しみに暮れたり打ちのめされたりしたとき、目を閉じてアルチンボルドの絵を思い浮かべる、とアンスキーは書いている。すると悲しみも失意も消え失せて、より強い風、ハッカの香りのする風が、突然モスクワの街路を吹き抜けていくような気がするのだ。(中略)
そのころ、ライターは最初の小説を書き上げた。彼は『リューディケ』というタイトルをつけ、タイプライターを貸してくれる人を探してケルンの路地をあてどなくさまよった。(中略)彼はようやく、フランス製の古いタイプライターを持っている一人の老人を見つけた。(中略)老人のところに戻って金を見せると、老人は書き物机から帳面を取り出して名前を尋ねた。ライターはとっさに浮かんだ名前を告げた。
「ベンノ・フォン・アルチンボルディといいます」
老人は彼の目を見て、からかわないでくれ、本名は何だね、と言った。
(野谷文昭、内田兆史、久野量一、共訳)


ボラーニョの「2666」は、彼の最後の作品。作家の死後、2004年に出版された。
物語は、五つの章で構成される。邦訳版では約900頁の大作である。本来は、五冊の本として出版したいという構想があったらしいが、最終的には一巻本として刊行された。わたしの本棚では、「ラナーク」よりも、「ナボコフ全短篇」よりも分厚く広いスペースを占めているが、中身のほうも (心配無用!) それに見合うだけの重厚さはあるのである。

ところで、上の画像は、この小説の邦訳版の表紙カバーに使われたジュール・ド・バランクールの『Neither Day or Night』という作品である。前作の「野生の探偵たち」の表紙にも、バランクールの同じ調子の絵が使われていたが、この再度の選択はどうだったか。    別の本なのである。あらかじめ、続編のような印象を与えるのはどうか。別の調子の装丁にしてほしかったと思う。もちろん、バランクールの作品のすばらしさについては全く別のはなしである。



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