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600. ジョナサン・キャロル Glass Soup (Today's Soup)


glass soup


キャロルの長篇第13作の「Glass Soup」、
前作の「White Apples」に登場したヴィンセントとイザベルを再び描く。
すなわち、 ” Vincent Ettrich” シリーズの完結作という位置付けになる。

   物語は、要約すると ”キャロル版オルフェウス” である。
亡くなった夫を取り戻すために、妻は死者の国へ乗り込んでいく。オルフェウスとは男女の役割が逆転しているところが、キャロルらしさなのだろうか。ともかく、この長篇は、オルフェウスの "冥府くだり" の話や、キャロルの代表作ともいうべき ”Answered Prayers” シリーズ (Bones of the Moon, 等) の作品に匹敵するくらいの魅力にみちた物語だと思うのである。

Vincent Ettrich was thinking about food when the telephone rang. While he crossed the living room to answer it,a bowl of soup was in the middle of his thoughts. A large white bowl full of thick goulash soup and several pieces of fresh bread. Brown bread,brown soup,white bowl …
He picked up the phone and absentmindedly said “Hello?”
“Glass soup”
The wording was so close to what he’d been thinking that Ettrich had to pause a moment to separate the two. Then another moment to remember and realize the import of what he had just heard.
Glass soup.
“Who is this?”


ベルが鳴ったとき、ヴィンセントはスープについて考えていた。電話に出るためにリヴィングを横切っているときも、頭のなかはスープのことでいっぱいだった。濃厚なグラーシュが一杯にはいった大きな白いボウル、そして焼きたてのパン。
茶色のパン、茶色のスープ、白いボウル・・・
   彼がようやく電話に出ると、
   「Glass Soup」 という言葉が聞こえてきた。
   ヴィンセントは驚いた。今、自分が考えていたことを言いあてられたような気がしたからだ。
   「誰だ、なんのことだ?」

(ジョナサン・キャロル「Glass Soup」,第13章、抄訳)


偏愛するキャロル、翻訳長篇は2009年の「木でできた海」(原書,The Wodden Sea,2001) が最後だ。未訳の長篇が、「White Apples」 , 2002、「Glass Soup」 , 2005、「The Ghost in Love」 , 2008、「Bathing the Lion」 ,2014、と4冊にもなるが、邦訳版はちっとも出てくる気配がない。キャロルの人気がないのか、海外小説自体が売れないからなのか、どんな理由にしろ、見通しが立たないまま待ちつづけるのはとっても疲れる行為なのである。頼りの浅羽莢子さんが逝ってしまったことも哀しい。

おまけに未訳リストのなかに 「Glass Soup」 という作品が入っている。
わたしの ”Today’s Soup” というエントリ・シリーズは、この作品で掉尾を飾りたいというのが、最初からの願いであったにもかかわらず、である。
仕方がないので、貧しい語学力には目を瞑り、英語版を読むことにした。幸い、とあるWebサイトの洋書バーゲンで、ペーパーバック版を送料込み924円という破格の値段で買うことができたのだから幸先が良い。わくわくしながら読み進めたのでありました。



(Today's Soup、完)




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599. 柔かい月/原初の海 (Today’s Soup)


Primordial Soup


"原初の海" は、スープに例えられてきた。
地球上の生命の起源を、この原初の海=有機物のスープにもとめる説 (「化学進化説」、または「スープ説」) は、現在も自然科学ではもっとも広く受け入れられている学説だそうだ。

幸いなことに、このブログでは、この説の真偽についても、さらに遡って生命の定義を論じることも、あるいは最新の非・スープ説を紹介することも必要ではない。ただ、小説の中で描かれている ”原初のスープ (primordial soup)” を探り出し、これを紹介するために、せいぜい数十行のエントリをまとめればいいのだからお気楽なものである。
しかし・・・、


カルヴィーノ


しかし、これが意外に難問だったのである。
幾つかSF小説をたどれば、”原初のスープ”というような大きなテーマのこと、SFの題材にぴったりで、これについてふれた作品などすぐに見つかるさ、とそんな気持ちでいたのであるが、これが大間違いだった。    ようく考えてみれば、それは当たり前のこと。”原初の海”なんて言葉のロマンチックな響きに惑わされていることに気がつけさえすればすぐにわかる。
そもそも、人間がまだ存在しない時代を背景にした小説なんてありえないのである。だって小説とは人間の物語なのであるから。そりゃあヴェルヌもウェルズもハインラインも手が出なくてもしかたがない。
となると・・・、

生命ガマダ大洋カラ発生シテイナカッタ頃ノ状態トイウモノハ、イマモ動脈の中ヲ流レ続ケル原始ノ波ニ浸サレテイル人体ノ細胞ニトッテハ、アマリ変化ハシテイナイ。事実ワレワレノ血ノ化学組成ハソノ起源タル海ノ化学組成ト類似シテイル。ソシテ最初ノ単細胞ヤ最初ノ多細胞生物ハ海カラ生命ニ不可欠ナ酸素ヤ他ノ元素ヲ得テイタノデアル。イロンナヨリ複雑ナ器官ノ進化ニトモナイ、大多数ノ細胞ガマワリノ液体トノ接触ヲ維持スルトイウ問題ハ単ニ外面ノ膨張ノミデハ解決不可能トナッタ。ソコデ中ニ海水ガ流レ込メルヨウナ凹状構造ノ器官ガ有利ニナッテイッタノデアル。シカシ酸素ノ供給ガ細胞ノ複合体全体ニ保証サレルノハコウシタ凹状構造ガ血液ノ循環しすてむヘト進展スルコトニヨッテハジメテ可能ニナッタノデアリ、ソコデハジメテ地上デノ生命ノ維持ガ出来ルヨウニナッタノデアル。カツテ生物ガソノ中ニ浸ッテイタ海ハ、今デハ彼ラノ体内ニ取リコマレテイルワケデアル。

  結局は大して変ってはいない、私は泳いでいる、同じ熱い海の中を泳ぎ続けている  クフクフクは言った  言いかえれば、内部は、つまりかつて私が陽光の下を泳いでいた、そして暗闇の中を現在泳いでいる、以前外部であったもの、そして今なお内部にあるものは、変ってはいないのだ。変ったのは外部、すなわち以前内部であったところの現在の外部だ、これはたしかに変った。

(イタロ・カルヴィーノ「柔かい月」,1967、脇功訳)


となると、頼みの綱はカルヴィーノかラファティくらいしかいない、
というのがわたしの意見である。
原始地球の原始海洋を小説の中で描ける作家なんてこの二人くらいではないか、というのは偏狭にすぎるだろうか?




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598. ヴィーナスとヴァルカンとマルス (Today's Soup)


Moïse Kisling Le bouillabaisse(ブイヤベース)1932、村内美術館
(モイズ・キスリング「ブイヤベース」1932、村内美術館)


ブイヤベースの起源は、紀元前600年頃に古代ギリシアのポカイア人が開いたマルセイユの街まで遡る。元来、ギリシアで「カカビア」と呼ばれていたシンプルな魚のシチューのことである。
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533-92)によれば、ローマ神話には、ヴィーナスが夫のヴァルカンにこのスープを飲ませ眠らせておいて、恋人マルスとの逢瀬を楽しんだというエピソードが残されているという。本当ならば、なんと罪作りなスープであることか!


Botticelli,Venus and Mars,1483
(Sandro Botticelli, Mars and Venus,1483、National Gallery, London)


このヴィーナスとヴァルカン、マルスについては多くの画家が作品を残している。
古いものから挙げてみると、ボッティチェリ、ティントレット、ヴェロネーゼ、プッサン、ジョルダーノ、ブーシェ等々、どれも愉しませてくれるのである。



giordano,ウルカヌスに捕らえられたマルスとヴィーナス,1670-1675年頃
(Luca Giordano, Mars und Venus von Vulkan gefangen,1670-75、the Vienna Academy of Fine Arts)


ヴィーナスの絵といえば、わたしにとってはなんといってもクラナハである。
彼のヴィーナス(とキューピッド)を描いた作品群は、なにものにも代えがたい宝物だと思う。
しかししかし、残念なことに、そこにはマルスもヴァルカンも登場しないのである。





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597. ウォーホルと記念写真  (Today's Soup)


トーマス・シュトゥルート403
(Thomas Struth、Art Institute of Chicago II, Chicago, 1990)


最近は、写真撮影OKの美術館が多いそうだ。
では、美術館で何を撮るのか?
美術館で写真を撮る意味は何か?
それに対するひとつの答えが、トーマス・シュトゥルートの作品だと思う。



○566+403


MOMAの 『キャンベル・スープ缶』 の前では、いつもたくさんの人が記念写真を撮っている。
その光景がなかなか面白い。



566+403.jpg


わたしにしても、ここで 「Today's Soup」 などというテーマを掲げている以上、いちどは ”ウォーホルのキャンベル缶” に触れざるを得ない。でも、これが難しいんだよね。
いくら頑張っても、シュトゥルートのようにはいかないのである。
もちろん、ウォーホルのようにも。




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596. ウミガメモドキのウミガメスープの唄 (Today's Soup)


Alice in Wonderland by Arthur Rackham,1907
(Alice in Wonderland by Arthur Rackham,1907)


引用するのは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865)から、
ウミガメモドキがうたう「ウミガメスープ」の唄 (抄訳)である。


すてきなスープ たっぷり綠
あついおなべでまってるよ
だれがのまずにいられるかい
夕げのスープ すてきなスープ
夕げのスープ すてきなスープ

   す・す・すてきな ス・ス・スープ
   す・す・すてきな ス・ス・スープ
ゆ・ゆ・ゆうげの ス・ス・スープ
   すてきなすてきなスープだよ

(矢川澄子訳)



おーいしいスープ、 こってり綠、
熱いなべに たっぷり。
これはニュースだ、 大スクープ!
今夜のスープは、 おーいしいスープ!
今夜のスープは、 おーいしいスープ!
 
   おぉーいしい ス---ゥプ、
   おぉーいしい ス---ゥプ、
こぉーんやぁのー スープは、
   おいしい、 おいしい、 スーゥプ。

(河合祥一郎訳)



すてきなスープ とろりとみどり
熱いお鍋で待っている
こいつはどうにもこたえられない
ゆうべのスープ すてきなスープ!
ゆうべのスープ すてきなスープ!

すーてきなスープ!
すーてきなスープ!
ゆうべのスープ
すてきすてきすてきな スープ!

(高橋康也・高橋迪訳)


三者三様、どの訳文もすてきな工夫と遊びと原作へのオマージュが感じられてすばらしい。
すてきなすてきなスープを食べてみたいと思わずにはいられない。
ちなみに、原文はこんな調子。

`Beautiful Soup, so rich and green,
   Waiting in a hot tureen!
   Who for such dainties would not stoop?
   Soup of the evening, beautiful Soup!
   Soup of the evening, beautiful Soup!
     Beau--ootiful Soo--oop!
     Beau--ootiful Soo--oop!
   Soo--oop of the e--e--evening,
     Beautiful, beautiful Soup!





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595. ブイヨンを運ぶ食堂車の給仕 (Today’s Soup)


Vladimir Nabokov, in Tyrants Destroyed and Other Stories, 1975.


「偶然」(1924)は、ナボコフが20代で書いたもっとも初期の短篇の一つ。
リガ(ラトビア)の亡命ロシア新聞に掲載されたあと、長いあいだ埋もれていた作品だという。
物語の舞台は、1924年のヨーロッパ、ベルリンからパリへ向かう国際列車である。
そこにまず登場するのは、食堂車の三人の給仕たち (ドイツ人が二人、ロシア人が一人) である。

その男はドイツの急行列車の食堂車で給仕をしていた。名前をアレクセイ・リヴォヴィチ・ルージンという。
ロシアを出たのは五年前、1919年のことだ。それ以来、町から町へ転々としながら、少なからぬ職や仕事についてきた。トルコでは日雇い農夫、ウィーンではブローカー、それからペンキ屋、商店の売り子、等々。いまは長い食堂車の両側を野原や、ヒースのおい茂った丘や、松の木立などがとうとうと流れていた。そして、厚手のカップの中でブイヨンが湯気を立て、時折ぴしゃぴしゃ音を立てていた。彼はそのブイヨンを盆に載せ、両脇に並んだテーブルの合間の狭い通路を運んでいくのだ。その給仕ぶりは、鮮やかな早業だった。牛肉の厚切りを巧みにつまみ上げては、さっさっと皿に取り分けていく。その際、髪を短く切り込んだ頭が、張り詰めた額や、ひっくり返った口ひげにも似た黒く濃い眉といっしょに、すばやく屈められるのだった。
(沼野允義訳)


次に登場するのは、二等の喫煙者用コンパートメントで偶然同室となった五人の乗客たちである。老公爵夫人、同じ亡命ロシア人だがまだ若い婦人、オリーブ色の背広の紳士、そしてドイツ人のカップルの合計五人。

朝、列車が動き始めて、その日の夜、ドイツのどこかの町で食堂車が切り離されるまでの十数時間のあいだの出来事が描かれていく。給仕たちの話、そして乗客たちの話。同じ列車の中のはなしであるにも関わらず、両者は重なることがない。    それがとてつもない悲劇であるにもかかわらず、作家の筆致は軽快で悠然としていて、そして見事に完結している。
初期からナボコフはナボコフであった、そんなふうに感じさせられる一篇でありました。




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594. スープ皿のような髪形 (Today’s Soup)


Avram Davidson
(画像、http://www.avramdavidson.org/ )


アヴラム・デイヴィッドスン (1923-93) の中篇、「ナイルの水源」(1961)、
主な登場人物は、主人公のボブ(売れない作家)、元・広告マンのマーテンス老人、老人に当代随一の卑劣漢と呼ばれたシャドウェル(マーケット・リサーチャー)、大物広告業者のアンハルト、 出版エージェントのステューアート・・・、彼らは広告業者にとっては”ナイルの水源”ともいうべき何よりも重要なトレンドのみなもとを探っている。

翌朝、ボブはエージェントのステューアートに電話した。 「いまからフィリップス・アンハルト氏へのささやかな商品見本を提供しようか」 と彼はもったいぶった口調でいった。 「書きとってほしい。男性はスープの深皿形のヘアカット。そう、そのとおり。理髪店で、うなじに太陽灯の照射を受けるわけさ。聞いてくれ。女性はマニキュア液で足の指の爪に星形を刷りこむ。ケイト・グリナーウェイ風のドレスも復活する。 はあ? 賭けてもいいが、アンハルトなら ” ケイト・グリナーウェイ風” の意味を知ってると思うよ。それと、あかぬけした女性が頭にかぶるのは、西インド諸島風に結んだマドラス模様のネッカチーフ。結び方がとても複雑なので、あらかじめ折りたたみ、あらかじめ縫っておく必要があるかもしれない。絹とか、木綿とか・・・・・。いまのを書きとってくれたよね? よし。
ティーン・エイジャーの夏のファッションは、膝から下を裁ち落としたブルー・ジーンズ。それに、スニーカーを切りとったサンダル。シャツも、アンダーシャツも着ない    上半身裸で    え? まさか、とんでもない。男の子だけだよ!」
(浅倉久志訳)


デイヴィッドスンは不思議な作家である。「誰が定義しても異色作家」というのが彼の称号だという。ミステリ(MWA賞)、SF(ヒューゴー賞)、ファンタジー(世界幻想文学大賞)の3ジャンルで、それぞれ傑作短編を書き、賞を得ている。作品も不思議なものばかりである。というか、わけわかんないものばかりである。というか、ミステリでもSFでもファンタジーでもないものを書いた。
「ナイルの水源」、もまたそんな作品のひとつである。ばかばかしいくらいの奇想とすばらしいプロットに驚かされる。邦訳は、河出書房の奇想コレクションの一冊として、作品集『どんがらがん』(殊能将之編)に所収されている。





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593. 聖人たちのスープ (Today's Soup)


七人の使者


スープを食べるということが暖かさや優しさの象徴であるとしたら、そのありふれた表現をつかった最高の小説がここにあると、そんな大げさなことを思ったりするのである。
(以下の引用は物語の結末部である。未読の方の興をそぐ虞があることを断っておきます)

「なあ」 マルコリーノはなおも言った。 「私はこんなくだらぬ男だが、それでもみんなが朝から晩までいろいろとしつこくせがんでくる。私にくらべればあんたの方がずっと聖者なのに、それなのにみんなはあんたをなおざりにしている。でも下界のくだらぬ連中に対しては、なあ兄弟よ、辛抱が第一ですよ」 そう言ってガンチッロの背中を情愛をこめて叩いた。
「まあどうぞお入りなさい。間もなく暗くなるし、冷え込んでくるでしょうから、火でも焚きましょう、そして夕食でもご一緒にいかがですか」
「よろこんで、大いによろこんでそうさせてもらいましょう」 マルコリーノは答えた。
二人は中に入り、薪を切って、火をつけた。薪はまだ湿っていたので、なかなか火がまわらなかった。だがふうふう吹いているうちに、やっとすてきな焔が燃え上がった。

(ディーノ・ブッツァーティ 「聖者たち」 ,1958、脇功訳)


小説は、このあと三行ほどの文章が続き、物語が閉じられる。
読後は、たぶん、三ヶ月ほど、その余韻が味わえると思う。
この邦訳は短編集「七人の使者 神を見た犬 他十三篇」(岩波文庫)に所収されている。
粒揃いの作品が並ぶこの短編集のなかでも、「聖者たち」 はとびきりの作品だと思うのである。




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592. 燃やせ、猛毒、ぐつぐつぐつ  (Today's Soup)

Macbeth.jpg


マクベス、第四幕、
第一場、「暗い洞窟 中央に煮えたつ大釜」、 
雷鳴。三人の魔女登場。魔法の釜で魔法のスープを煮込みはじめる。
毒を入れた臓物、ひき蛙、沼地の蛇の肉、いもりの眼玉、蛙の爪先、こうもりの毛、犬のべろ・・・
そして有名なシーン、
魔女たちの呪文のような 『Double, double toil and trouble/Fire burn, and cauldron bubble.』 という歌が始まる。

倍のまた倍、苦しめもがけ、
燃えたて、大釜、煮えたぎれ。
(木下順二訳)



シェイクスピアの 「マクベス」(1606年頃) には、多くの翻訳があるなかで、この木下順二訳 (岩波文庫) は、なかなかリズムがよく、訳文も美しいと思う。
しかし、この 『Double, double ・・・』 の場面にかぎっていえば、こちらの台詞のほうが、わたしは大好きなのである。

増やせ、不幸を、ぶつぶつぶつ。
燃やせ、猛毒、ぐつぐつぐつ。
(河合祥一郎訳、角川文庫)



以上、報告します。



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591. フクロウの絵皿  (Today's Soup)


Picaso,1957,paris  picaso,1957


ピカソなら何でもある!
なんのことかというと、    これまで自転車、図書室、青、メキシコ、フルーツ・・などというテーマで記事を書いてきた拙ブログにとって、該当する作品を探そうとするとき、ピカソに頼ればどんなテーマにでも対応した作品が見つかる、ということを言いたかったのである。
もちろん、スープについても、である。
なんて優しい作家なんだ、ピカソは! と、わたしは今日も感謝を捧げるのだった。


フクロウを描いた画像の作品(陶器のスープ皿)は、二つとも1957年の作品。
左=深さ6.5cm/直径47cm、右=7.5 cm/47 cm、パリのピカソ美術館に所蔵されている。
ピカソは、60代になって陶芸を始め、約10年のあいだに3000点超の作品を制作したという。




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