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1207. 街/ブロードウェイの天使 (NYC百景)


ブロードウェイCIMG0311 (2)


何処か郊外から遊びに出てきた三十歳前後の男が数人、それぞれ手にビクトリア・シークレットの紙袋を下げて歩いている。    これが現在のブロードウェイのイメージだと書けば叱られるだろうか。そういえばわたしだって、クラス会の夜、みんなでドンキの袋を下げて心斎橋を歩いたっけ。

正月休みのこと、なにげにテレビをつけると 『野郎どもと女たち』 (1955,ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ)が放映されていた。これぞ我が愛するデイモン・ラニアンの原作を映画化したものである。
元になったのは、「血圧」と、「ミス・サラ・ブラウンのロマンス」の二つの短篇。いずれも、邦訳は、新潮文庫版の短編集『ブロードウェイの天使』に収録されている。

さて、ある日曜日の夕方のことだ。ブロードウェイを歩いてたザ・スカイは、四十九丁目の角で伝道師たちの集会にぶつかる。この連中は好んで日曜の夕方に集会を開き、幾人か罪人(つみびと)をつかまえて魂を救おうというわけなんだ。ただしおれに言わせれば、ブロードウェイのこのあたりで罪人をつかまえるにしちゃあ、ちっと時間が早過ぎると思うね。なぜかというと、その時間には罪人たちは前の晩の罪の疲れでまだベッドでゆっくり休養しているからさ。それにだよ、その晩また新しい罪を重ねるためにも、この休養は絶対に必要というわけだ。
(「ミス・サラ・ブラウンのロマンス」、加島祥造訳)


なんたって、古き良き時代のブロードウェイという街を知るのに、ラニアンの小説は持ってこいなのである。
加島祥造さんの訳文も、ぴたりと決まっている。
この短編集を一冊読めば、1930-40年代のこの街に、きっと来たかったと思うことだろう。ビクトリア・シークレットのカタログを見ながら、わたしもそう思ったのである。


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1206. 駅/グランド・セントラル駅 (NYC百景)


グランドセントラルCIMG9426 (2)


空港からのバスを下りると、そこはグランド・セントラル駅だった。
ニューヨークを舞台にした三文小説は、よくそんな始まり方をする。
(山形浩生「ニューヨーク物見遊山」)


ということで、今日の記事は「グランド・セントラル駅」である。
最近の東京駅構内の様変わりの状況を見ていると、今更、駅ナカの賑わいについて書いても仕方がないような気はするが、グランド・セントラルの駅ナカも、なかなかのものなのである。といっても、ニューヨークばななを売っているというわけではない。見るべきは、歴史のある地下のダイニング・コンコース、プラネタリウムを思わせる天井画、そして24時間営業のAppleストア、といったところだろうか。ジャック・フィニイの小説に登場する秘密の地下フロアは、残念ながら発見できなかった。


applestore.jpg


はじめは、誰の注意もひかずにすりぬけてゆく。しかし、グランド・セントラルに近づくにつれて、小売店の集まった地域で、突然みんながこちらに気づく。どっちを向いても、疑わしげな厳しい目がこちらをねめつけて、こちらの後を追い、背後をふさぎ、ブツブツ言いながら行く手にも立ち現れる   地獄の業火のような憎悪をうかべた顔が全方向から包囲をせばめてくる。ほかの連中もその後ろに群がる・・・・・・(中略)
ビリーは青酸とガラスの破片ピストルを抜いて、群衆に血路をぶちぬく。ブレードランナーたちはそこを駆けぬける。
(バロウズ「ブレードランナー」、山形浩生訳)


ウィリアムズ・S・バロウズの小説「プレードランナー」(1979,1986)にも、グランド・セントラルが登場する。
物語のクライマックス、ブレードランナーと暴徒たちが集う舞台がこの駅なのである。
念の為、書き添えると、この小説とリドリー・スコットの映画「ブレードランナー」とはまったく関係が無い。ただし、両方とも名作であることは同じである。



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1204. 食堂/Tic Toc Diner (NYC百景)


Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942.jpg
(Edward Hopper 「Nighthawks」 ,1942)


今日の記事は、食堂について。
・・・エドワード・ホッパーの 『ナイトホークス』 (1942) に描かれた食堂 (Diner) は、いったいどの程度の大きさのレストランなのだろうか。見たところあまり大きくはない。といっても、両国の下総屋食堂ほどではなく、また大箱のファミレスほどでもない。
実際の雰囲気はどうなのか。下総屋食堂のように静かで暖かいのか、大箱のファミレスのようにいつも騒めいているのか。興味は尽きない。ぜひ、探訪してみたいものである。



Diner,CIMG0328 (2)

ということで、二枚目、三枚目の写真は、ニューヨークを代表する超大型ダイナーの「Tic Toc」。
280席のだだっ広いスペースに80年代調のインテリア。


Diner,CIMG0325

客は入っているが、意外に静かである。
みんな、パンケーキだとかワッフルだとかを食べている。
いったいベジタリアンは何処へ行ったのか、と思わなくもない。


Diner,IMG_1416 (3)

さて、次は、上の写真、
街の食堂ではなく、バーンズ&ノーブル書店内のフードコート。
この古めかしいようなポップのような壁の絵がなんとも魅力的である、
これが、ホッパーの絵だったら、文句が無かったのに。と思わなくもない。


遅かれ早かれ、すべての不眠症患者がいずれは行きつく、終夜営業の食堂がある。冬のあいだ、道端に雪が吹き積もると、不眠症患者たちはさんざ踏みならされた交差点を渡り、やがて自分の靴にぴったり合う足跡に出会って、それに導かれるまま、食堂にたどり着く。夏のあいだの、今夜のような夜には、食堂の一角にともる明かりが、そこ以外は真っ暗なこの街角に、彼らを蛾のように引き寄せる。
(スチュアート・ダイベック 「夜鷹」、柴田元幸訳)


ホッパーの「Nighthawks」という作品を素材として、ダイベックは同じタイトルの小説を書いている。これを読むと、ダイベックはこの絵からひとつの都市論を思い起こしたのだと思う。自分が生きてきた街の光景としてこの絵をとらえたうえで、都市の人間たちが蠢く街の姿を小説として描いてみせようとしたのだと思ってみたりする。




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1203. 橋/ブルックリンブリッジ (NYC百景)


Castle2.jpg


小説のなかの「橋」、
最近のものなら、キジ・ジョンスンの短篇集 『霧に橋を架ける』
古い小説なら、三島由紀夫の短篇 『橋づくし』、はいかがだろうか。

古へからわれらの橋は、現世の橋ではなくて、彼岸へ渡す橋であつた。その限りにおいては、いかに無細工なコンクリートの橋であつても、今日なほ寸分も変らぬ詩句を近松は書いてゐる。「短かき物はわれわれが此の世の住居秋の日よ」
(三島由紀夫、 「橋づくし」について(自解))


そして、映像作品でも、
ヴィヴィアン・リーの『哀愁』で、空襲警報が鳴り響いていたウォータールー橋、
シュワルツネッガーの『トゥルーライズ』で爆破される長い長いセブンマイルズブリッジ、
印象深い橋がたくさんある。


ブルックリンブリッジ


しかし、今日の記事は、ブルックリンブリッジについてである。
トップの画像で、TVドラマ「キャッスル」の面々が勢ぞろいしているこの橋は、ニューヨークのシンボルのひとつであり、映像や小説にも数多く登場する。

およそこの巨大なマルチプレックス宇宙には、ブルックリン橋のように、リスと呼ばれる世界が数多く存在する。それが始まりだ。それが終わりだ。あなたがたが知覚したものをどう整理するか、ある時点から別の時点へどのように旅をするのか、その問題はあなたがたに残しておくことにする。
(S・R・ディレイニー「エンパイア・スター」、米村秀雄訳)


サミュエル・ディレイニーの名作 「エンパイア・スター」(1966)、にもブルックリンブリッジは登場する。
この近未来小説で橋は、ニューヨークのランドマークであるどころか、言わば地球のシンボルとして位置づけられているのである。


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1202. 外階段/セントマークス書店 (NYC百景)


外階段03,セントマークス書店
(セントマークス書店、NYC)


階段について、
ということであれば、随分たくさんの記事を書いてきた。
まずは、ヘッセの「階段」(1943)という詩から始まり、

生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛にはいるように、
別れと再開の覚悟をしなければならない。
(ヘッセ 「階段」、高橋健二訳、第5行~8行)



「クローディアの秘密」に登場するメトロポリタン美術館の階段まで。

MET,クローディアの秘密


そして、今回の記事は、セントマークス書店のビルに付いていた"外階段"についてである。
この外階段は、ニューヨークの歴史的建築物の代表的な様式だそうだ。
ソーホーからイーストヴィレッジ地区にかけて、この外階段の付いたビルが群立しているさまは、なかなか壮観である。そういえば、昔の映画で、この階段にベッドマットレスを持ち込んで暮らしている男を見たような気がする、何の映画だったか。


外階段01



そしてそれから、セントマークス書店である。

(YouTube『セントマークス書店新装開店』 (音量注意))

この書店については、雑誌 『コヨーテ』 のNo.54 (2014/12/15)の紹介記事が詳しい。
言わば、本の分野の、とびきり洗練されたセレクトショップであり、新しいカルチャー発信基地でもある
実際に行ってみると、そのスペースの小ささに驚くのだが、中身はなるほどわくわくするものがある。
問題は、雑誌にしろ、本にしろ、図録にしろ、フリーペーパーにしろ、紙ってやつは持ち帰るには重すぎる!のである。



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1201. 植物園/ブルックリン植物園 (NYC百景)


Isamu Noguchi at Brooklyn Botanic Garden 02
(Isamu Noguchi at Brooklyn Botanic Garden,01)


小説のなかの植物園、
ということであれば、たくさんの例がある。
拙ブログにも、
ユイスマンス「大伽藍」、ヴァージニア・ウルフ「キュー植物園」、
中井英夫 「火星植物園」、梨木香歩「f植物園の巣穴」
などの記事があるので、ぜひ、のぞいてみてほしい。
なぜか「植物園」の物語には、面白い小説が揃っているのである。

他にも、マイケル・オンダーチェの「名もなき人たちのテーブル」やアンディ ウィアーの「火星の人」、に登場する植物学者、
レオ・レオーニの「平行植物」や、Bozkaの「New Botany」、に登場する『幻想植物』たち、
澁澤龍彦 の「フローラ逍遥」や、荒俣宏の「花空庭園、のような博物学的エッセイ、
なぜこんなにも植物譚は、ぼくらを魅了するのだろうか。などとつい大袈裟なため息をついてしまうことになる。


Isamu Noguchi at Brooklyn Botanic Garden 01
(Isamu Noguchi at Brooklyn Botanic Garden,02)


小説/フィクションの中の植物園、については枚挙に遑がない
では、植物園の中にもフィクションはあるのだろうか?

ここに挙げた2枚の画像は、ブルックリン植物園で開かれた「イサム・ノグチ展」(2015)の作品である。
植物園とノグチの彫刻が、うまく溶け込んでいる、ぴったりの関係であると思う。
単なる野外彫刻というだけでなく、植物園と彫刻という新たな関係性が創り上げられていると感じさせるのである。


京都府立植物園、「フローラ(花の女神)」(左)と「風神」
(京都府立植物園、植物園 de RIMPA「PANTHEON ― 神々の饗宴 ―」,2015)


ほぼ同じ時期に、京都府立植物園でも、琳派400年記念イベントの一環として『植物園 de RIMPA「PANTHEON ― 神々の饗宴 ―」』という展覧会が開かれた。これもまた、新たな「植物園の意味」を提示した愉しい催しであったと思うのである。



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