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★横尾忠則 「東京Y字路」写真集

「東京Y字路」写真集(2009)


大阪から中国自動車道に乗って約60分、西脇市岡之山美術館。ここは実質的に横尾忠則美術館である。「Y字路」の絵を最初に見たのもここだった。初めて見てひと目で大好きになった。・・・横尾さんの出身地、西脇市の小高い丘の上、「日本へそ公園」の中に立つこの美術館はとても小さいが、横尾さんの作品と磯崎新さん設計の列車を模した建物の雰囲気が相和して、気持ちのよい空間を作り上げている。大好きな美術館の一つである。



4×3横尾忠則Y字路写真集P102



絵画としての「Y字路」には、はたして自転車が描かれている作品があったか。・・無かったように思うのだが。自転車どころか自動車も人間も動物も、動くものは何も登場しないように思う。まるで夢の中か、死後の世界のように、時間が止まってしまった街の光景を見ているかのような気持ちにさせられてしまう。
「写真集」で見るのも、基本的には同じ、時間が止まった世界である。しかし、ここには絵を描く際に切り捨てられただろうものも幾つか残っている。とすれば或いは?
・・・写真集を102ページまで繰って、とうとう見つけた。永遠を? いや自転車屋を!



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42.チャールズ・M・シュルツ ピーナッツ

なんたってわたしが好きなのはリラン。
ルーシーとライナスの弟。
唐突で申し訳ないが「ピーナッツ」(1950-2000)の話である。


「おいでリラン、ちょっと散歩に連れてってあげるわ。
そろそろ外の世界を見てもいいころよ。
さあどう思う?」

「これがそうなの?
物ごとはたしかに期待したようにはなってないね…。
‥‥‥
まだ1歳だってのにもうボクは過去に生きてる!」
(谷川俊太郎訳)


リランは、日々成長して来た。ママの自転車の後ろの座席でぶつぶつ独り言を言うキャラからはとうに脱し、今やいっぱしの理屈屋で哲学的なエピソードにも事欠かない。もちろんライナスの小型版なんかじゃない。スヌーピーの飼主になる夢も持ち続けている。

41.リック・バス 見張り

リック・バスは初読。導入部から奇妙な調子で物語が展開されていくのに驚いた。逃げ出した父親を、これも年老いた息子が懸賞金を付けて引き戻そうとする。それにひとりの自転車乗りが協力するというのだが…。「見張り」(1989)は、アンソロジー、『世界の肌触り』に収録の一篇。

バスビーがいないと寂しかった。つらかった。とにかく静かすぎる――特に夕方は。こんな静かさを聞いたのは生まれてはじめてだった。時たま、自転車乗りの連中が、ホリングズワースの、おそろしく古びた納屋兼食料雑貨店の前を通り過ぎていった。たまにそのうちの一人が自転車を止めて、汗を流し息をはあはあ言わせながらコーラを飲んでいった。ひたすらスピードに集中しているその男は、人間というより家畜みたいに見えた。ホリングズワースと世間話をしたりする暇なんかなかった。男は自分の名はジェシーだと言った。こんちは、と言ってコーラをがぶ飲みすると、ジェシーという名のその男は、仲間に追いつこうとそそくさと走り去っていった。(中略)
彼らが動物の群れのように走り去るのをホリングズワースは見守った。暑いさなか、彼らは草ぼうぼうの見捨てられた道路を上り下りして、道路や野原から浮かぶゆらめきの彼方に姿を消した。蜃気楼のなかに一直線に消えていった自転車乗りたちが、夕方になってまた蜃気楼から出てくるのを、軒先に座って待ち構えていたホリングズワースは見るのだった。(柴田元幸 訳)


長々と引用したのはこの文章にちょっとこころが揺らいだからである。なんと美しい情景だろう。特に後半部、…朝、蜃気楼のなかに一直線に消えていった自転車乗りたちが、夕方になってまた蜃気楼から出てくるという。設定もプロットもめちゃくちゃで乱暴でわけわかんない小説ではあるのだけれど、妙にリリックな文章と奇妙な物語の展開に、こころ惹かれるのでありました。

40.マンディアルグ オートバイ

オートバイ(1963)、ここでは自転車は嘲りの対象である。冴えない薄給の高校教師と同じように。また路上では邪魔者である。自転車乗りとはバイクの進路に向こうみずにとび出してくる田舎者の集団である。さらに、オートバイ乗りは、サイクリストと比較すると階級的な優越者であり、共通部類のなかでのいっそう完成されたものであるという。あーあ、こんな小説読まなきゃよかったか。

物置の中には、レーモンが高等学校(リセ)の出勤に使う自転車のわきに(彼女は何度も見て知っていたが、錆びた車体に折りカバンをひっかけて、ハンドルの高いポロ車にまたがって彼が出かけるとき、生徒たちは彼をあざけるのだった)レベッカのオートバイが置かれていた。最新型の、最高速度の大型ハーレー・ダヴィドソンで、まだ真新しく、クロムの部分をのぞいては黒く塗られ、なかでもひときわ光沢のある部分は、すんなりしたパイプをそなえた、排気管だった。(生田耕作訳)


この長編の主人公は19才の女性=レベッカ。既婚、フランス北部の街に住む。彼女が、ドイツ南部に住む愛人の元に、国境を越えて、大型バイクを駆けて行く。それだけの話である。
それだけの話なのであるが、それはそれマンディアルグの数少ない長編小説である。高踏で饒舌で融通自在でそしてなによりもダンディである。読み進むにつれてその文章に幻惑されて魅了されて、これが自転車サイドにとって無残な小説であることを忘れさせてくれる。ただし!楽しむためにはオートバイが何かのメタファーであるとか言い出さないことが必要だと思う。


39.石川淳 明月珠

明治・大正~昭和の作家たちは、自転車練習についての散文を幾つも残している。漱石も、朔太郎のも、自転車日記はどれも面白い。しかし、小説としてならば、なんといっても石川淳のこの短編が一番だと思うのだがどうだろうか。
「明月珠」(1946)、物語の舞台は空襲下の東京、月の夜の自転車練習、少女に教えを乞う。


その晩、わたしは裏の空地に出て、きよう一日のほこりにまみれた自転車の掃除をして、磨きをかけた。まだ宵のうちなのに、あたりはいつもの晩よりもなおひっそりしている。家家はとくに内を暗くして、堅く閉ざしているけしきで、自転車屋の少女も出て来そうもない。焼けなかったこのあたりの町にも、猛火のほとぼりがまだ残っているようであった。しかし今夜は月の出がはやく、空地は明るく冴えわたって、狂った風は吹いて来ない。陽気もすこしあたたかになった。常ならば、そろそろ花の咲くまでの日数がかぞえ出されるころだろう。わたしはゆっくり自転車を磨きながら、いい気なもので、ひそかに寄自転車恋と題するへたな狂歌を作りかけた。


冷めた眼で戦時下の街を見つめながら、一方で、月と雪の夜、自転車屋の少女、狂歌などの話が加わって、身の回りの情景を描いた随筆か私小説のようなものとして始まった筈が、いつのまにか石川風の幻想譚のようなものとして美しくまとめられていく。街でふと見かけた老作家の姿とその住居(荷風がモデルであるそうだ)のエピソードが織り交ぜられるところにもこころが揺さぶられた。巧みである。冷めた視点が怖くもある。

38.ジェローム・K・ジェローム 自転車の修繕

ジェローム・k・ジェロームといえば「ボートの三人男」であるが、なんと「自転車の三人男」という続編があるのだという。
探してみると邦訳は無し。落胆していたら、持つべきものは友人だ、一部が訳出されており、SFマガジンの浅倉久志追悼号(2010/8)に載っているという。おっとその号なら持っていた筈。
見つけてきたのが、この短篇 =「自転車の修繕」(1900)、である。期待通り面白い!浅倉さんに感謝(合掌)。

彼は前輪とフォークをつかんで、手荒に揺さぶった。
「おい、よせよ。乱暴するな」ぼくはびっくりして止めた。
なぜいきなり揺さぶったりするのか、よくわからなかった。べつに自転車が彼にかみついたわけでもなんでもない。それに、もし自転車のほうで揺さぶってもらいたがっているのなら、揺さぶるのは主人のぼくにまかせてもらいたい。これじゃまるで飼犬をひっぱたかれたような気持ちになる。
彼。「この前輪、よろけてるな」
「きみがよろめかせなきゃ、なんともないさ」とぼく。事実、よろけてなんかいない----あれがよろけているなら、世の中よいよいだらけだ。
彼。「こりゃ危険だぜ。ネジまわし、あるかい?」
そこできっぱりと断わればよかったのだ。・・・
(浅倉久志 訳)


英国流ユーモア小説の古典である。ああこの自転車の運命ときたら!
100年余を経過した今では、抱腹絶倒とまではいかないものの、依然クスリと笑わせるだけの力を残している。ジーヴスには笑えないという方も、きっとこちらでは笑えると思うのでお薦めしたいとも思う。

37.アリス・マンロー 浮橋 

「浮橋」(2001)は、短編集『イラクサ』に収録の一篇。
読み終えて、その鮮やかさにため息が出た。

それは少年で、いや青年と言うべきか、自転車に乗っていた。ヴァンのほうへと向きを変えてきたので、ジニーもそちらへ回り、冷えたとはいってもまだ暖かい車体に片手をついて体を支えた。自分が作った水溜りをはさんで話をするのは嫌だった。それに、そんなもののある地面を見られまいとする思いもあったのかもしれない。ジニーは先に口を開いた。こんなふうに言ったのだ。「あら---配達かなにか?」
相手は笑って地面に飛び降り、自転車を倒した。すべてひとつながりの動きで。
「ここに住んでんだよ。仕事から帰ってきただけだ」


このあと、少年はジニーを家まで送ってくれる。その途中にある美しい「浮橋」を見せてくれる。病気で塞ぎこんでいた彼女は、それですっかり気が晴れてしまう。

「じゃあ、浮橋の上に乗ったのはこれが初めて?」
ジニーはそうだと答えた。
「こんどはこれから、そこを車で越えるんだ」
リッキーはジニーと手をつなぐと、投げ上げるような勢いで振った。
「それからね、おれ、結婚してる女の人とキスしたのはこれが初めてなんだ」
「きっとこれからもっと何人もとするわよ」
(小竹由美子 訳)


あまりにあざやかな小説術である。人間のこころの描き方があまりにあざやかなので、悔し紛れに老練だなんて言ってしまいそうになる。ほんとうはそんなことではないとわかっている。こんなふうに見つめる眼がほしいなんて大それたことは思わないようにしようと思う。

36.ジェイムズ・サーバー 自転車に乗った提督

「自転車に乗った提督」(1937)、ジェイムズ・サーバー傑作選Ⅱ(創土社、1978)に収録。
サーバーは短編の名手である。物語というよりスケッチのようなものが多い。なのに、読むたびに、ユーモア小説ってのは奥が深いなと思わせられる。トウェインとチェーホフの作品を思い出す。サーバー自身が描いた挿絵にグフフと笑う。


わたしは夜ときどき、眼鏡をかけていてすら、奇妙な、信じられないようなものを見る、とくに、だれかほかの人間の運転する自動車に乗っているときは。(中略)
その運転していた男には見えなくてわたしには見えたものというのは、盛装の制服を着たひとりの老提督が自転車に乗って、わたしの乗っている自動車に向かって直角に走ってくる姿であった。(中略)顎鬚はそよ風にそよぎ、帽子は、ビーティ提督みたいに、ハイカラな角度であみだにかぶっていた。いかにも楽しげな様子であった。
(鈴木武樹 訳)


この短編にも、サーバー自身が描いた挿画が付いている。
もちろん、この「老提督」の絵である。
こんなに楽しそうに自転車に乗る姿を描いた絵というのもなかなか無い。
なんたって回る車輪から無数の星がとびだしているのである。そして提督の満足げな横顔ときたら!

35.F・ターナー ハイ・フォースの地主屋敷

三人の少年が主人公になるターナーの冒険小説シリーズ。物語の舞台はイングランド北東部の小さな街。これぞ正統の少年冒険小説という気がするがどうか。・・ここにはヴェルヌのような奇想もダールのような機知も無いが、もちろんターナーの作品にしかないものも多い。それは何か。はは、読んでみてくださいな。すぐにみつかると思うから。邦訳は三冊、「ハイ・フォースの地主屋敷」(1965) は第二作である。

ピーターの自転車は黄禍号という名がついているのだが、ピーター以外にそれをのりこなせる人間がはたしているかどうか、疑問だった。マッキントッシュ巡査部長は、毎朝黄禍号の通過を見ていて、その安全性について、ひじょうな不安をいだいていたが、確実に危険な個所を指摘できないのがこまりものだった。ハンドルがひっくりかえしについていたから、ブレーキは上から力をくわえなくてははたらかないのだが、それを禁止する法律はなかった。サドルにスプリングがついていても文句のいいようはない。しかし、ピーターのスプリングときたら、まるでトランポリンでもやるみたいにのり手がぽんぽんとはずむのだった。とりつけた計器類の複雑さときたら、旅客機につけてもはずかしくないようなものだった。こんなものを自転車にとりつけてもよいかどうかなんてことは、法令文集にだって書いてない。(中略)その上、ギヤが六段ギヤだった。これは、こしきによる三段変速とチェーンによる三段変速からできあがっていた。トップギヤにすると、ペダルをふむことができないくらいだった。ローギヤにすると、後輪がこわれてぜんぜん進まないような感じになった。このすばらしい機械は黄色にぬってあった。それが名前の由来だった。(神宮輝夫 訳)


ピーターの創ったこのすばらしい機械は、もちろんすぐに壊れる運命にあった。しかし、シリーズの中で黄禍号はしぶとく生き残る。二号機は三輪車、三号機はなんと海禍号と名前を変え、船舶 (自転車駆動のようなものだけど) になって大海原へ進んでいくのでありました。

34.稲垣足穂 タルホ拾遺

タルホ拾遺・第八話 泣き上戸(1958)


タルホの宇宙文学、特に土星譚!、大好物だ。眩暈がするような掌編。
「泣き上戸」(タルホ拾遺・第八話、1958)もそんな一篇である。短編集 『彗星問答』 に収録。
Barに来た土星。邪魔になった輪っかを表にたてかけておくと、これを盗まれた。自転車の車輪にされてしまったというわけである。


ある晩、土星がルールブリタニアを歌いながら街角を曲がってきて、其処にあるバーへはいろうとしたが、入口に環が閊えたので、環を外して表へ立てかけておいてから、彼は入って行った。
そのあとへ自動車がやってきて、ちょうどバーの内部から投げ飛ばされた酒壜を轢いて、パンクして、止った。運転手は、彼の眼の前に立てかけてある手頃な環をタイヤの代りに車輪にはめて、元のように行ってしまった。


わああ! 再読してみて驚いた。
土星の環を持っていったのは、自転車ではなくて自動車ではないか!
思い違いだったのか。あるいは異なるバージョンがあるのかと。『第三半球物語』やらなにやらを探してみたのだが。「自動車」が「オートモービル」に表記が変わっている例はあっても自転車はない。ああせめて「モーターサイクル」とでも書いてくれてればなあ。

PS. いやしかしでも、これは単純な記憶違いではなかった筈と探してみれば、Youtubeにちゃあんと自転車バージョンを見つけました。わたしが覚えていたのは、昔々のTVCMだったのである。おまけに『彗星問答』の挿画を描いた まりの・るうにいさん がTVCMの方の原画も手掛けていたらしい。んもうお騒がせなこと。
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