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106. ダニロ・キシュ 死者の百科事典

「死者の百科事典」 (1981) は、ストックホルムの王立図書館が舞台になっている。・・・主人公の「わたし」は、ユーゴ人の女性である。父を亡くしたばかりである。旅先のスウェーデンで、友人が勧めてくれた「王立図書館」へ行く。夜の図書館は、既に閉館時間を過ぎているが、友人の口利きで入ることができる。そこで見つけたのが「死者の百科事典」である。

もう十一時ごろで、図書館は閉まっていました。でも、ヨハンソン夫人が通行証のようなものを見せると、守衛はぶつぶつ言いながらも、私たちを入れてくれました。鍵のたくさんついた大きな鉄の輪を手にしていて、ちょうど一日前、私たちを中央刑務所の『ゴドー』の上演に通してくれた、あの看守そっくりでした。接待役の夫人はこのケルベロスに私を引き渡すと、言いました。明日の朝、ホテルにお迎えにうかがいますからね、心ゆくまで図書館を見物なさったらいいわ、・・・・・・。(山崎佳代子 訳)


その事典には、世界中のあらゆる無名の死者の生涯が記載されている。ひとりひとりについて、膨大な記録を連ねている。とても精巧に、とても雄弁に記述されている。そして、アルファベット順に人名の項目を追っていくと、・・・「わたしの父」の項目もあった。・・・わずか30ページほどの短編である。ファンタジーなのかリアルな世界の小説なのか、いつのまにかわからなくなってしまうような不思議な調子の作品である。キシュは、旧ユーゴで生まれ、第二次世界大戦に翻弄されるようなかたちで生き抜いてきたという経験を持つ。小説のテーマは愛と死である。虚無を見つめながら混沌性こそ世界であると考えている。蚤の市と、廃棄物について本を書きたいと言う。この本も低く暗いトーンの小説である。それでも「わたし」は、物語の最後の部分で、前方にかすかな明かりを見つけているのだと思う。そんなことを思わせながら小説は閉じる。
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☆円形の書架 (ストックホルム市立図書館)

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ストックホルム市立図書館(1928)、美しい建物である。
スウェーデンの建築家、アスプルンドの作品である。
中央部が円形になっているのには、もちろん、意味がある。
次の写真を見てほしい。



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つまり、円形の書架と閲覧室が得られるのである。
ただ円形をしているというだけで、そこに別の空間、別の世界、別の宇宙が広がっているように思えてくる。本の神様が降臨してくるとすれば、それは円形の図書室にであると、そう思えてくるのである。
大英博物館の旧・図書閲覧室、パリの国立図書館旧館、そしてこのストックホルム市立図書館、・・・円形の図書室のなかで、それぞれ一ヶ月間くらいずつ、暮らしてみたいものだ。
当面は、(それが叶わないとすれば・・・)、上野の国際子ども図書館の絵本ギャラリーで我慢しておこうと思う。ここにも、ささやかな円形の閲覧室はあるのである。




105. ジョージ・マクドナルド リリス

ジョージ・マクドナルドの「リリス」(1895)、幻想小説の先達である。しかし、わたしにとっては、岩波少年文庫の「かるいお姫さま」や、「お姫さまとゴブリンの物語」を書いたマクドナルドである。そんなイメージから、「リリス」も易しいジュヴナイルだろうと軽くみていたら、なんとこれは、こころゆさぶられる大長編ファンタジーでありました。
・・・物語の舞台は、古いイギリスのお屋敷、その中の図書室、そこから全ての物語が始まる。

午後になって、もういちど図書室で読書をはじめた。やがて深い考えをめぐらせなければいけない個所にきて、わたしは本を置き、両方の目をあちこちに走らせた。その瞬間、使いこんでテカテカに光った長くて黒い外套をはおった、痩せて背の高い老人の後ろ姿が見えた。あの隠し扉をくぐって、その向こうにある書庫のなかへ、いまにも消えようとしている。駆け足で部屋を横ぎったのに、扉はもう締まっていた。それを押しあけて書庫のなかを覗いた。怪しいものの気配はなかった。だれも見えなかった。だからわたしは、不安な気分も少しは残ったけれど、またあのまぼろしがよみがえったのだなと自分に言いきかせて、席にもどり読書をはじめた。
(荒俣宏 訳)


「リリス」には、虹色のイメージが満載で、読み終わってもしばらくは頭がくらくらとしている。だからこれが彷徨の物語なのか冒険の書なのか、そして結末が救済なのか終わりのない夢のようなものなのか、よくわからない。ただ、とてつもない作品を読んだなぁということだけがわかっている。・・・文庫版の末尾には、矢川澄子さんによる、『(「リリス」を読んだ後では)、「アリス」や「大鴉」が貧血症的な色合いをおびて映りだすのもやむをえない』なんてものすごい解説が付せられているのだが、なんだかほんとうにそんな気がしてくるのだからわたしの打撃も相当なものだったのかもしれない。読後には、しばらく安静が必要な本なのである。

104. エドワード・D・ホック 図書館の本を盗め

傑作<泥棒バーニイ・シリーズ>の次ではやや荷が重いかもしれないが、やはりここは<怪盗ニック>に登場してもらおうと思う。「図書館の本を盗め」(1985)は、短編集『怪盗ニック対 女怪盗サンドラ』(ハヤカワ文庫)に収録の一篇である。・・・怪盗ニックのシリーズは、短編が中心で、たぶん邦訳されたものだけでも100篇以上はあるという人気シリーズである。なにより「価値のないものだけを高額報酬と引き替えに盗む」というニックのコンセプトが愉しい!

「おまえに頼みたい仕事があるかもしれないと、きのうの晩話しただろ。図書館の本を盗んでくれないか?」
「そんなことで二万五千ドルも支払うことなんかないぞ、トニー。ただその本をコートの下にすべり込ませて、図書館から出てくればいいだけだ。もっとも、本の中に磁気ストリップをはめ込んだ新しい盗難防止装置があるのなら別だがな」
「おれの問題は、その本が図書館にないことなんだ。返却期限が過ぎているのに、誰が持っているのか突き止められない」
(木村二郎 訳)


もとより、怪盗ものは大好きなジャンルである。わざわざルパンや二十面相を持ち出さずとも、同時代にバーニイ、ニック、そしてドートマンダー(ウェストレイク)の活躍が楽しめるという喜びを改めて噛みしめておこうと思う。

103. ローレンス・ブロック 泥棒は図書室で推理する

偏愛するブロック、<泥棒バーニイ>は大好きなシリーズ作品である。その軽妙洒脱な語り口と展開!それはもう愉しさの極致。・・・「泥棒は図書室で推理する」(1997)は、その第八弾。本を読む喜びを間違いなく与え続けてくれる作家と作品に感謝するばかりである。おまけに本作は<図書室>もの! 原題は「THE BURGLAR IN THE LIBRARY」、 <Library>という新しい記事のテーマの劈頭を飾るにふさわしい一篇であると信じる。

私はそこに佇み、眼をみはった。洒落た個人の図書室を含め、堂々たる部屋にはこれまで何度もはいっている。ときにはちゃんとした招待を受け、ときには持ち主の許可を得ることなく、むしろ持ち主を無念がらせる、ただこっちの都合で。そんな中には、立ち去りがたく、可能なかぎり長居をした部屋もいくつかあった。が、ここはとてもその程度ではすまなかった。
私は部屋ごと盗みたくなった。魔法の絨毯  まさにここに敷かれているようなやつ。魔法の財産を所有する能力を充分秘めているように見えた  に全部を包みこんで、ニューヨークに持ち帰り、また広げられるところで  たとえば、セントラル・パーク・サウスのアールデコ風のアパートメント・ハウスの最上階で  指をぱちんと鳴らすのだ。そこの窓からは息を吞むようなセントラル・パークの景観が眺められ、射し込む明かりはやさしい北明かりなので、絨毯も本の背も色褪せることがない・・・  
(田口俊樹 訳)


今回のバーニイは、ある稀覯本を求めて片田舎の古い屋敷を改造したホテルの図書室へと出かけていく。その本というのは、チャンドラーがハメットに贈ったという献辞入りの「大いなる眠り」である。まさにこれは、探偵小説ファンなら垂涎ものの本、いや垂涎もののプロットではないだろうか!

泥棒バーニイシリーズは、第二作の「泥棒はクロゼットのなか」(1978)が、『バーグラー/危機一髪』(1987)というタイトルで映画化されている。
主人公役が、ウーピー・ゴールドバーグというのだから、なんと"女泥棒"に変更しての映画化ということになる。バーニイファンとしては、なんだかなあという気がしないでもないが、それでもまあ見たくなるというのは、バーニイの人徳であり、原作の魅力である。
サスペンスとユーモア、ミステリとジョーク、A級のプロットとB級のアクションを備えたこのシリーズは、考えてみれば映像化にはぴったりの作品が揃っている。「泥棒は図書室で推理する」も、いつか映画館でみたいものである。


☆池波正太郎記念文庫 (台東区立中央図書館)

某月某日、雨、
出張で来た今日の東京は、雨と風が強く、
2時間ほど時間が空いたからといって、
大井競馬場まで出かける気にもならない。
でも、心配は無用。
こういう時に行ってみようと思ってた場所があったのを思い出した。

日比谷線で入谷まで出て、言問通りを5分ほど歩く。
台東区立中央図書館、
この中に、「池波正太郎記念文庫」がある。


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図書館の中にある小さな記念館だが、
気持ちのいい空間だ。
池波の著作本、蔵書の他に、復元された「書斎」や万年筆、パイプなどの遺愛品が展示されている。その他に、池波作品以外の時代小説も約3,000冊を収蔵し公開している。
平日とあって人もいない、
しばしスペースを独占し、大江戸シティの時代を夢想した。
贅沢な時間!

なんと、「鬼平犯科帳」の自筆原稿が有った。
しかも、何度も文庫本で読んでいた「大川の隠居」だ!
原稿用紙の升目からはみでるような大き目の字は、
池波さんというよりは、鬼平の自筆原稿のような気がした。


せっかくだから、時代小説を一冊、読んで帰ろう。
少し迷ったが、単行本版の『鬼平犯科帳第七巻、密告』(1974年)を選んで、
大きな書架から出してもらった。
大好きな「密偵たちの宴」の篇を読んで帰ろうという魂胆なのである。
そして入谷駅への帰り道には、まだお楽しみが残っている。竹隆庵岡埜のこごめ大福を買って帰ろうと思うのである。


〈鬼平犯科帳ブログトーナメント、参加記事〉


102. ブローティガン 愛のゆくえ

「図書館」について書かれた小説、ボルヘスの「バベルの図書館」を別格とすれば、そして、田中啓文の「本を隠す」を番外とすれば、ここでイチバンに挙げなくてはならない本は、決まっている。図書館について書かれた小説で、わたしがいちぱん好きなのは、ブローティガンの「愛のゆくえ」(1971)である。・・・この物語に登場するのは、<人々が一番大切な思いを綴った本だけを保管する珍しい図書館>、である。自分で書いた本を持ちこむ人ばかりで、閲覧したり貸し出したりする人はいない。

これは完全に調和した、みずみずしくも、アメリカそのものの、美しい図書館である。今は、真夜中で、図書館は夢見る子供のようにこのページの暗黒のなかにたっぷりと引きこまれている。図書館は「閉館」してはいるが、ここがわたしの住処で、それも何年も前からのことだった。ここに住めば家に帰るまでもなかったし、それにここは二十四時間つめていなければならなかった。それがわたしの勤めの一部なのである。小役人のようないい方はしたくないが、だれかが来て、わたしがいなかったらどうなるかと考えると怖くなるのだ。
(青木日出夫 訳)


奇妙な設定、不思議な展開、風変わりで、でも魅力的な登場人物、詩のようなリズム感と夢の中のように歪んで流れる時間、恋物語という説明からは程遠い、孤独なこころを描いた小説、世界から孤立した作家の姿が透けて見えるような物語は、バカバカしくて、珍妙で、当然ながら少し哀しい。


100.ジョナサン・キャロル 炎の眠り

偏愛するキャロル、「炎の眠り」(1988)は彼の長編第四作である。
第二作の「月の骨」と主題や登場人物が共通する部分があることから、〈〈月の骨シリーズ〉〉の一作として位置付けられることもあるようだが、それが適切かどうか?
そんなことよりも、キャロルの長編はどれも独特の味わいと趣があってそれぞれの作品が比類のない傑作であると、そう書いておきたいのである。

…ふいに通りの行く手に人影がぬっと姿を現わした。自転車に乗った男とわかるまでちょっとかかった。車体が吹き流しやミラー、サドルバッグ、バンパー・ステッカー、アンテナその他あらゆる物のごた混ぜで、ぴかぴかに飾り立てられていたのだ。男はがたがたの竹馬小僧(グリム童話の一つの主人公)のような長い顎髭を生やしている。頭と耳の大部分を隠し、アラスカの木こりを思わせる例の丸い毛皮帽を被って。車体が左右に振れるほど猛烈にペダルを漕ぎながら、死、もしくは正気が真後ろに迫っているみたいに突進してくる。自転車の風を切る音と男の大きな息遣いを除けば、通りはしんとしている。ぼくは左右のどっちへ行けば避けられるか、それもわからないほど疲れていた。近づくにつれて顔立ちがはっきりする。皺や筋が何本も刻まれている。(中略)
「レドナクセラ!よく戻ってきた!」男はどなった。
(浅羽莢子訳)

 
この「自転車の男」が、最初から最後まで、物語の要所要所で現れてくる (現れてほしくなんかないのに)。現れては、不気味で奇妙な声を投げかけてくる。
その謎を解かねばならない!自転車の男を追い払わねばならない!乱暴な要約だが、これはそんな話である。


( bicycles in fiction、完)





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99.クレア・キーガン 降伏

アイルランドというと一番に「スティーヴ・キャレラ」を思い浮かべてきた我が読書人生を、少し反省気味の今日この頃である。それくらい素晴らしい小説を読み過ごしてきたという感じ。ジョイスやブロンテ姉妹やオコナーやオブライエンまで遡らずとも、アリステア・マクラウドやジョン・バンヴィルやトレヴァーやマクガハンやマコート等々、強力な書き手が揃う。そしてクレア・キーガンのような若い作家を含めて、今や書店の海外文学の棚はアイルランド系作家の作品が席捲している。
・・・というのはちょっと大袈裟かもしれないが、わたしのように遅れてきた読者の中ではそんな感じなのである。

部屋は暖かかった、そろそろチェーンも乾いているだろう。暖炉の火が、自転車のリムを、ハンドルを、スポークを照らした。巡査部長は自転車を上下逆さまに置き、片手でゆっくりペダルを回しながら、オイル缶のノズルをチェーンに当てた。オイルを差しながらチェーンが回るのを眺めていると、鎖の輪が歯車にきちっとおさまり、歯車の歯がチェーンに合うように作られていることに、彼は感心した。(中略)
今、巡査部長は、自分の自転車があることが子どものように誇らしかった。元の向きに戻し、タイヤに空気を入れると、体がほてって満ち足りた気分になった。遠乗りの体重を支えられるかどうか確かめると、自転車を机にもたせかけた。(岩本正恵 訳)


「降伏」(2007) は、大好きなクレア・キーガンの短篇集 『青い野を歩く』 の中の一篇である。・・・主人公は、とある田舎町の巡査部長。いつも自転車で町の中を走る。とりわけ大きな出来事や事件が起こるわけではない。自転車がなにか特別な主題になっているわけでもない。でもなぜか読み終わって何年も経つのに、この巡査部長が自転車で走る姿が強く記憶に残っている。そんな話しなのである。

★マルセル・デュシャン 自転車の車輪

自転車を描いた小説はたくさんある。詩もあるし、映画もある。
絵も、音楽もたくさんある。題材として取り上げ易いのだろうかとか、何かのメタファーだろうかとか考えてみたりみなかったりする。
それから日記もある。朔太郎 の自転車日記の面白さったらない。歴史的仮名遣も読み辛いのではなくて独特の リズム感に繋がってここちよかったりする。『既ニ全ク熟練シ、市中ヲ縦横ニ乗走シ得。歩行シテ数時間ヲ要スル遠路ヲ、ワズカ一時間ニシテ走リ、シカモホト ンド疲労ヲ知ラズ。天下アニカクノゴトキ爽快事アランヤ。』とまあこんな調子である。

これと比べると、漱石 の自転車日記も面白いものの、同時にいつものしかめっつらが目に浮かぶ分楽しめきれ ないかもしれない。でも、『余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむ き、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり…』 なんてところでは笑った。思い出しても可笑しい、ははは、ははは。いや自転車の小説のはなしだったか。


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自転車を描いた小説はたくさんある。詩もあるし、映画もある。
絵もたくさんある。題材として取り上げ易いのだろうかとか、何かのメタファーだろうかとか考えてみたりみなかったりする。
それから音楽もある。Queen の Bicycle race なんかはお薦めだ。もちろん清志郎のサイクリングブルースはいつも唄ってる。♪愛しているよ、愛が必要だ~♪
いや、自転車の小説のはなしだった。

自転車を描いた小説はたくさんある。詩もあるし、映画もある。
絵もたくさんある。レジェの美しい自転車乗りもいいし、ブラックの自転車のシリーズも楽しい。松本俊介が描いた自転車も美しかった。そう言えばデュシャンの「自転車の車輪」(1913)は、シュルレアリスム展に来てなかったなぁ。いや自転車の小説のはなしだったか。




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