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117. 中島敦 文字禍

「文字禍」(1942)は、古代アッシリヤの図書館を舞台に、「文字の霊」について書かれた短編である。この端正な文体で綴られた怪しい物語がわたしは大好きである。昔、昔、少年の頃、これを初めて読んだときに、やはり教科書でお飾りにされるような作家ではないなと、初めて中島敦の凄みがわかったような気がしたものである。

その頃  というのは、アシュル・バニ・アパル大王の治世第二十年目の頃だが  ニネヴェの宮廷に妙な噂があった。毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそと怪しい話し声がするという。王兄シャマシュ・シュム・ウキンの謀反がバビロンの落城でようやく鎮まったばかりのこととて、何かまた、不逞の徒の陰謀ではないかと探ってみたが、それらしい様子もない。どうしても何かの精霊どもの話し声に違いない。(中略)星占や羊肝卜で空しく探索した後、これはどうしても書物共あるいは文字共の話し声と考えるより外はなくなった。ただ、文字の霊(というものが在るとして)とはいかなる性質をもつものか、それが皆目判らない。アシュル・バニ・アパル大王は巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバを召して、この未知の精霊についての研究を命じたもうた。


老博士の研究成果は驚くべきものであった。まず、鮮やかに文字の霊の存在を認めた。「魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有つことが出来ようか」というわけである。なんと明瞭な分析!さらに、文字を覚えることが人間にさまざまな害をもたらすことも発見する。なんたる狼藉!文字がこんなに悪者であったとは!そして、いよいよ最終的な真理に近づいて行くのであるが・・・、結果的に文字の霊の害毒を暴き、讒謗者となった老博士を待ち構えていたのは、精霊による復讐なのでありました。

116. サキ 聖ヴェスパルース伝

「聖ヴェスパルース伝」(1911)は、サンリオ版『ザ・ベスト・オブ・サキ』に収録の一篇。彼が書いた135の短編のなかでも、ひときわ魅力的なこの作品は、こんな一節で始まる。・・・『「何か話をしてよ」と、雨が降るのをがっかりして見つめながら男爵夫人がいった。・・・』

・・・王室の図書館といってもその頃は大したもんじゃないので、司書はたっぷり暇があります。よく頼まれては他人のもめ事の仲裁をしていたんです。こじれて尋常一様では片付かない場合ですね。
「『ヴェスパール王子によく道理を説いてきかせろ』と王さまはご下命になりました、『そんな事はまちがいだとよくのみこませろ。王位を継承する者がそんな悪例を示すとはけしからん』
「『でもそれに必要な反論がどこにございましょうか』と司書はたずねました。
「『必要な反論なら王家の森林でなんでも勝手に取ってくる許可をあたえる。しかるべき痛烈な意見と辛辣な反駁を集めてこられなければ、その方はきわめて知恵のない奴だぞ』
「そこで司書は森の中へ入って、太い枝を切ったり細い枝を切ったり、大いに議論の種に使えそうなのをしこたま集めて、さてヴェスパルース王子を相手に、王子の行動がいかに愚かであり不法であるか、特にいかにみっともないか説き伏せにかかりました。・・・」
(中西秀男訳)


サキのこの短編集、収録されている作品は、なんと50篇、大盤振る舞いである、満漢全席である、「ザ・ベスト・オブ」の冠詞にふさわしい魅力的な一冊である。しかも、中味がまったく古びていないことに驚く。着想も手法も表現もきわめて独創的で、いまなお傑出し屹立しているのである。・・・と、こんなありふれた称賛の言葉を並べるのがはずかしくなるくらいの傑作集であると思うのであります。

115. ラヴクラフト ダニッチの怪

「ダニッチの怪」(1928)、ラヴクラフトの代表作のひとつである。文庫本で80ページほどの中篇であるが、例によって息詰まるような恐怖がじりじりと押し寄せてくるような構成になっているので、この80ページが長い長い!いい加減、終わってくれよ!とか、最初から逃げていればよかったじゃないか!と言いたくなるのは、もちろん最初の10ページ目くらいからずうっと怖くて震え上がっているからである。

その年の冬は、ウィルバーがはじめてダニッチの外に出たことほど、異様きまわりない出来事はほかになかった。ハーヴァード大学のワイドナー図書館、パリの国立図書館、大英博物館、ブエノス・アイレス大学、そしてアーカムのミスカトニック大学付属図書館と手紙のやりとりをしていたウィルバーだったが、ぜひとも手にいれたい書物の借覧が許されず、しかたなく地理的に一番近いミスカトニック大学で閲覧させてもらうため、みすぼらしくも薄汚い恰好で、髭を伸ばし放題にしたまま、野暮な方言もまるだしで、直接でむくことにしたのだった。(大滝啓裕訳)


このあと、惨劇の舞台になるミスカトニック大学は、文学史上の「架空の大学」として最も有名なもののひとつになった。現在、ネットでは熱烈なファンサイトと共に、様々な二次創作やギミックが数多く展開されている。一見の価値ありと思うものである。・・・もちろんわたしもしばし「ミスカトニック大学」の辺りをクリック散歩してきた。でもそんな時間があるのなら、ほんとうはこの全集の残りを読めばよかったのである。わかっていながらそうしなかったのは、・・・それはもちろん、読み続けていくといつかは、このラヴクラフトのおどろおどろしい物語の世界に取りこまれてしまわないかと怖れているからである。ちょっと口直しに、ラファティでも読もうと思う。

114. クリスティ 書斎の死体

「書斎の死体」(1942)は、ミス・マープルものの長編第二作。
作家自身によるまえがきには、探偵小説では使い古された主題である『書斎の死体』について書くとすれば、『ごくありふれた書斎で、まったく奇想天外な死体を描かねばならない』、と記されている。

バントリー夫人は彼をゆすぶった。
「ねえ、聞いてちょうだい。メアリが入ってきて、書斎に死体があるっていったのよ」(中略)
バントリー大佐はすっかり目が覚めてしまって、この事態に冷静に対処する気構えになった。彼がおだやかな口調でいった。「やはり、おまえは夢を見ていたのだよ、ドリー。そうだとも。おまえが読んでいた例の探偵小説のせいだ  『折れたマッチ棒』さ。エジバストン卿が書斎の暖炉の前の敷物の上に横たわっている美しい金髪女の死体を発見する話さ。書斎で死体が発見される話は、本にはしょっちゅう書かれているけれども、実際にそんな事件が起きたという話はただの一度も聞いたことがないよ」
「そりゃそうかもしれないけど」と、バントリー夫人はいった。「とにかく起きて、見てきてちょうだいよ、アーサー」
(高橋豊 訳)


「まえがき」でそんなふうに自信を示されたからには、少々のことでは驚かないし、通り一辺倒の謎ときでは納得しないぞと、いつになく斜に構えて読んでみたのだが。・・・物語は、いつものクリスティ/ミス・マープルものと同様に、みごとな驚きの結末でもって閉じる。
読後は、すっかり充足して、とっておきのモルトウヰスキーを引っ張り出してすっかり飲みつくしてしまったりする。マープルはもちろん安楽椅子タイプの探偵ではないが、読者のほうをすっかり寛がせゆったりとした安楽椅子に座った気分にさせてくれる。・・・ここに、あらたな、安楽椅子ものの定義を提案するものであります。

113. ルーディ・ラッカー 虚空の芽 (図書館小説百選)

「虚空の芽」(1983)は、短編集『ラッカー奇想博覧会』に収録の一篇。『カリブ海のグランドターク・アイランドを、妻といっしょにたずねたときの体験をもとにしている』という、作家自身の説明が付されている。・・・主人公のモリスはコンピュータ関係の研究者、妻のジェインは医学研究所で働いている。二人は、ハネムーンで来たカリブ海で、海の底から奇妙な「円錐」を拾い上げる。モリスは、この円錐が発信する信号をなんとか解析しようとするのだが。

ジェインは義務的に円錐を耳にあてた。(中略)
「ジェイン、わからないのかい?(中略)こいつの中には、はてしなくつづく数列が暗号化されてるんだ。エイリアンの落し物にちがいないと思う。このワイアをはやく信号分析機につないでみたいな」(中略)

その日、モリスを拾いに寄ったジェインは、コンピュータ室で人だかりに囲まれている夫を発見した。大学院生や教授たち、そしてボストン・グローヴ紙の記者がひとり。「地球外生命が書いた図書館いっぱいの本をお持ちだというんですか?」と記者がたずねた。
「その本を見せていただけませんかね?」
モリスと大学院生たちがほがらかに笑った。
「その図書館なら」とモリスが指さす。「そこにありますよ」
縞模様の円錐は、プレクシガラスの中のクッションつきの台座にのせてあった。・・・
(大森望 訳)


この物語の結末で主人公のモリスとジェインの二人は、<しあわせとさびしさのいりまじった気持ちでたたずんでいる>。読み終えたわたしも、なんだかそんな感じ。しあわせとさびしさがいりまじった気分。ラッカーを読んでさびしい気分になるなんて・・・、思いもしなかった。



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112. A・E・ヴァン・ヴォクト 宇宙船ビーグル号

「宇宙船ビーグル号」(1939-1950)は、20世紀央のSF黄金期を代表する一冊。・・・千人乗りの巨大宇宙船、スペース・ビーグル号、しかし内部にはネモ船長のノーチラス号のような大図書室はない。小さな部屋があるのみである。しかし、その代わりに?、この物語では、いれかわり立ちかわり現れるベムたちととの戦いの描写が圧巻である。最初から最後まで怪物たちとの戦いの描写に終始するといってもいい。でもそれって・・、SFなのかなんなのか???

約一時間、グローヴナーは図書室にがんばって、クァールを観察した。そのあいだずっと、怪物は厚い絨毯の上に寝そべったまま、身じろぎ一つしなかった。一時間が終わろうとするころ、入り口の一つがあいて、大きな鉢をかかえたふたりの男が入ってきた。そのすぐうしろについてくるのはケントだった。熱病やみのような目をしている。部屋の真中で足をとめると、大儀そうな、しかし荒々しい声でいった。
「さあ、みんな、これをよく見ていてくれ!」(中略)
ケントのやろうという実験は、底意をぬきにすれば、いちおううなずけるものだった。怪物がとつぜんの刺激に烈しい反応を示すことは、すでにわかっている。(中略)
一声唸ると、クァールは体を起こした。曲げた触手のさきの吸盤で鉢をとらえると、中身をさっとケントの顔へ浴びせかける。相手はわっと叫んで後ずさった。
(浅倉久志訳)


では、ダーウィンの「ビーグル号」には、図書室があったのか?というと、どうもなかったようである。複数の本棚はあったが、なにぶんスペースに制約のある帆船のこと、ダーウィンにしても、船長室に専用シートをもらうのが精一杯であったのだろうか。読書室のひとつも無いなんて、SFではなくてノンフィクションの登場人物は辛いのである。

☆司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館には、肖像画も銅像も無い。
建物もとても小さい。
でも、本の存在を改めて教えてくれる素敵な場所だ。


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画像は、記念館の中、1階~2階吹き抜けの部屋に作られた大書架である。
見た途端、その瞬間に、魅せられてしまうようなスペースである。
記念館は、安藤忠雄さんの設計。
ガラスの回廊が有名だが、私が好きなのは建物の稜線だ。
ゆっくりとした曲線は、地平線をイメージしたものらしい。
夕日が、建物の向こうに消えていく瞬間を見てみたい。




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111. G・A・エフィンジャー 時の鳥

「時の鳥」(1985)は、〈 時間SF 〉ものである。あの「重力が衰えるとき」=電脳ハードボイルドSFイスラミック探偵小説の名作! を書いたエフィンジャーらしく、とても奇妙な時間SFである。・・・主人公の青年は、時間旅行管理局に大金を支払って、古代アレクサンドリア図書館に出かけていく。ハヤカワ文庫/大森望 編のアンソロジー『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』に収録の一篇。

「さて、だまってこちらに当てさせてくれ。きみの希望は、アレクサンドリアの図書館か、エカテリーナ女帝のどちらかだろう?」
ハートスタインは虚をつかれた。「図書館です。どうしてわかりました?」
「きみたち大学生の考えることはきまってるんだよ。(中略)」
ハートスタインは恐ろしい考えにとらえられた。これだけ大勢の人びと、大学生や、大学教授や、逃亡犯人や、考古学者や、観光客や、それに人格異常の悩みをかかえた人たちが時間の中を往復していれば、そして、アレクサンドリア図書館がそれほど人気のある名所なら、何千何万もの現代人がその建物の中で身動きもとれないほどぎゅうぎゅう詰めになり、もとから過去に住んでいる人たちの物笑いの種になっているのでは?・・・」
(浅倉久志 訳)


時間旅行が一般化したこの未来世界では、行き先にアレクサンドリア図書館を希望する人間がとても多いらしい! ・・・そんなことがあるのか?とまずソッチに驚いてみる。アメリカには、そんなに図書館好きが多いのだろうか?いやこれはむしろ歴史好きが多いということなのか?
・・・そんなことはともかく、小品ながら愉しめる一篇である。ただし傑作が綺羅星のように煌めくこの短編集の中では、特別目立つこともない。なんて書くと誤解されそうだが、それだけこのアンソロジーが素晴らしいと言っておきたいのである。。

110. カニグズバーグ 魔女ジェニファとわたし

あの表紙カバーが色とりどり!の『カニグズバーグ作品集』 (全10巻、岩波書店)、・・・ひと揃い、ちょっとほしいなと思うのはもちろんなのだが、やっぱり『岩波少年文庫』で我慢しておくことにした。こちらなら40冊ほど買えるからである。
「魔女ジェニファとわたし」(1967)は、カニグズバーグの最も初期の作品で、「クローディアの秘密」と同時期に書かれた作品である。こんな作品を二冊、ほぼ同時期に書いてしまうなんて!と、そこにまず驚いたりした。

図書館の読書室にいってみると、ジェニファはもうきていました。(中略)
ジェニファは地図帳をとじると、わたしをじっとみつめました。ずいぶん長いあいだのような気がしました。それから低くかがみこんで、ほとんどきこえないくらいの声でこういいました。
『あんたを魔女見習いにすることに決めたわ』
(松永ふみ子 訳)


カニグズバーグは、物語の展開がとても上手い。起承転結の「起」と「承」のところが、とても巧みで、思わず物語に惹き込まれてしまう。この作品でも、ジェニファとわたしが出会って、上記の図書室の場面に至るまで、この部分がいちばん魅力的である。
比べると、後半はやや物足りない。結末部がちょっと教訓的になってしまうのも、いつもどおりである。でもそんなのは些細なことである。そんなところでブツブツいう読者がいるなんて、気が知れない。わたしなんか、ジェニファとクローディアの二冊があれば、孤島で一年くらいは、いや10日間くらいは生きていけるのである。

109. フィリップ・ロス さようならコロンバス

「さようならコロンバス」(1959)は、ロスが20代で書いたデビュー作。見事な中篇である。あたりまえの青春小説であり恋愛小説であるが、とても鮮やかな作品で、今も印象が深い。・・・主人公の「ぼく」(ニール、23才)は、公共図書館に勤めている。無感覚で空虚な日々をおくっている。そんなときに、ブレンダと出会う。

図書館の同僚には、奇妙なのがいて、ぼく自身どうしてこんな所に入り、なぜやめずにいるのか判然としなくなることも多かった。が、とにかく勤めつづけて、やがてこんな日がやってくるのを辛抱づよく待っているのだ  一階のトイレットへ煙草をのみに行き、鏡に煙草の煙を吹きかけながら、しげしげと鏡の中の自分を眺め、朝のうちからすっかり血の気が失せていること、マッキーやスカペロやミス・ウィニーと同じに、ぼくの皮膚の下に、血と肉をわかつ薄い空気の層ができていることに気づくような日の訪れを。本に貸出しのスタンプを押しているうちに、だれかに空気をいれられたに違いないのだが、かくなるうえは、ぼくの人生は、グラディス叔母さんのように不要品の処分でもなければ、ブレンダのように、せっせと取りこむのでもなくて、無感覚と退場あるのみとなるだろう。
(佐伯彰一 訳)


それはまあ印象が深いのは、映画化されたのを見て、アリ・マッグローのみごとな肢体に見とれてしまったという、そんな視覚的記憶のおかげかもしれないが。たぶん、それだけではないと思う。
鮮烈でも抒情的でもないのに、こんなにあざやかにセイシュンとレンアイの情景が描かれている小説はない! たぶん、そのことに気がついて、驚いたのだったと思うのである。



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