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126. チャイナ・ミエヴィル 鏡

「鏡」(2002)は、ミエヴィルの唯一の短編集『ジェイクを探して』に収録の一篇。物語の舞台は、変貌してしまった近未来のロンドン。そこでは、跳梁跋扈する「イマーゴ=ヴァンパイア」たちとの市街戦が、今も続けられている。

いま、彼はこうしてイマーゴ軍のリーダーと対決する時が来た。ショールは深呼吸し、作戦に意識を集中した。図書閲覧室は、目のまえだ。何度か深く息を吸って、ショールはなかへ入った。
大英博物館図書閲覧室。かつては大英図書館の中心であった円形の大広間で、その後、改築を経て博物館の無意味な集客スポットとなった。ドーム状の天井ははるか上にある。書架はほとんどすべてとっくのむかしに中身を抜き取られていて、いまは姿なき本の幽霊がならんでいるだけだ。巨大な部屋は天窓からさしこむ月の光に照らされていたが、だからといってそれでなにもかも隅ずみまで見えるというわけではない。曲線でできた室内の細部までは。それは、影の上に重なった影にすっかり刻まれて、ショールにはそれがすべて見えた。室内中央にぶらさがっている物体からこぼれる黒い日ざしで、闇のなかの星にも似たもの。目には見えなくても、完全な存在感をもって、議論の余地なく、独自の指針があるかのように円筒状の空間をしなやかな動きで魚のように易やすとパトロールしている。虎だ。鏡の魚だ。(中略)
息ができない。
おまえは、おれに触れるのか?ショールは心の内で問いかけた。(田中一江訳)


ミエヴィルの作品は多彩である。本人は怪奇小説であると説明するのを好んでいるらしいが、SFからジュヴナイル/ファンタジー、ミステリまで巾が広い。ただし、いずれも長編が中心である。・・・本書は、数少ない短篇を集めた作品集である。テイストは、「なにか気味が悪い」である。ラヴクラフトのファンでもあるミエヴィルらしい作品群が集まっている。
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125. ウィルマー・H・シラス かえりみれば

彼女が70年代に書いたというSF的ホラ話の「ミセス・トッキン」シリーズ(全4作)、「かえりみれば」(1970)は、その第一作である。創元文庫の時間SF傑作選『時の娘』(中村融編)に収録の一篇。・・・物語の冒頭、「結局、若いときって、一度きりですものね」、とつぶやいたわたしに、ミセストッキンは「そうかしらね?」と答えて、自分の十代の頃へのタイムトラベルの経験を話しだした。

「図書館に行って、本を借りてくる」わたしは言った。今の境遇はウェルズの『ランポール島のブレッツワーシー氏』にそっくりじゃないかと思いついて、読み返してみたかったの。
誰も何も言わなかった。
それで借りている図書館の本か、図書館カードがないかと探しはじめた。大捜索よ。今、自分が本を借りているのかいないのかもわからなかったんだから。
「図書館カードはサイドボードの上だよ、それが探しものだったら」しばらくして、祖母が言った。
「ありがと」とわたしは言って、カードを手に出かけた。
十一月の冷たい空気は気持ちがよかった。おかげで、さっき思いついた本はまだ出版されていなかったことまで思い出したわ。(中村融、井上知 訳)


文庫版で30ページほどの短編である。だからすぐに読み終わる。読み終わったときに、くくっと笑うことができる。それ以上の愉しみってあるだろうか。アイデアも展開も、とても気が利いているのである。・・・シラスには、ミュータントもので「アトムの子ら」という傑作長編があるらしい。次はそれも読んでみたいと思わせるだけの魅力があった。

124. オーガスト・ダーレス 図書館の殺人鬼

《小説の中の自転車》、そして《小説の中の図書館》について書いていくと、ひとつ気が付くことがある。自転車が極めて文学的な主題として登場することが多いのに対し、図書館(図書室)の方は、SFやファンタジーや怪奇小説の中で描かれることが多いのである。・・・「図書館の殺人鬼」(1949)は、短編集『淋しい場所』(原著=1962、アーカム・ハウス版)に収録の一篇。ダーレスは、ラヴクラフト派の中では、心理的・幻想的傾向の強い作品を得意とした。これもそういうタイプの作品である。

大きな図書館を収めた巨大な建物のそばを通る人で、その壁の内部に何があるのかを考える者は、おそらくあるまい。中に入って、閲覧室や書庫の中も狭い仕切り部屋や地下の階層で仕事をする人でさえ、図書館の中に、「人間(ヒト)」と呼ばれる哺乳動物の累積する進化の歴史、および人間がその目で見、解釈し、人間の手をもって書き留めた、その同類たちに関する種々の補助的データ以外の何かが潜んでいると考えることはまずあるまい。知恵の光と人間性の微々たる進化のみが一筋の光明を与えうる、愚行と傲慢の、強欲と肉欲の、無知と搾取の記録、それらがみな数百万もの書籍、雑誌、新聞、パンフレット、写真の中に取り消しがたく記されている  来るべき世代のために、おそらくは永遠に、壮大にして痛ましいこれら全ての記録が、活字の内にミイラと化して留められている。
そして、そこには、何かそれ以上のものもある。・・・
(森広雅子訳)


そして、その、『何かそれ以上のもの』を、われわれは、この物語のなかで見ることになる。そこになにが書かれていたのかは、もちろん記すことはできないけれど、わたしはそれ以来、このことについては口にしないようにしているし、夜の図書館、特に新聞用の書庫には近寄らないようにしているのである。

123. トルーマン・カポーティ ティファニーで朝食を

「ティファニーで朝食を」(1958)は、カポーティが30代で書いた中篇。
もちろん、オードリー・ヘプバーンと映画のシーンがまず思い浮かぶのは仕方がないのだろうし、特にホリーとフレッドがニューヨーク市立図書館へ行く場面は、図書館が登場するさまざまな映画の中でもベストではないかと思ったりするのだが、どうだろうか。

ある日の夕方近く、五番街を通っていくバスを待っていると、通りの向かい側でタクシーが止まり、一人の若い女がそこから降りて、四十二丁目通りの市立図書館の階段を駆け上がっていくのが見えた。彼女がドアの中に入ってしまってから、それが誰であるか思い当った。これはいたしかたのないことだ。というのは、ホリーと図書館というのはなにしろ思いも寄らぬとり合わせだったから。僕は好奇心に駆られて、入口の二頭のライオンのあいだを抜けながら、君を見かけたんであとをついてきたんだと言うべきか、それともあくまで偶然の出会いを装うべきかと、頭の中で討議をかさねた。でも結局どちらもやめて、一般閲覧室の彼女の席から少し離れたところに身を隠した。
彼女はサングラスをかけたまま、机の上に書籍を砦のように積み上げていた。そしてそれを片っ端からとばし読みしていた。
(村上春樹訳)


映画では、図書館でホリーが「僕」の本を司書相手に大宣伝する。しかし、原作では、彼女は、一人でただ本を熱心に読んで帰るだけである。「僕」は、それを離れた場所からそっと見ていただけ。・・・彼女がいったいどんな本を読んでいたのか、「僕」と同様、知りたい方のために書いておくと、こんなものである。・・・『雷神鳥は南に』、『知られざるブラジル』、『ラテン・アメリカの政治精神』その他あれこれ。

122. 天沢退二郎 光車よ、まわれ!

「光車よ、まわれ!」(1972)は、天沢の小説としては、初めての長編。ジュヴナイル向けのファンタジーでは、今や新たな「古典」のようなもの、というと大袈裟だろうか。賢治が生きていたら、果たしてこんな物語を書いただろうかと、ちょっと思ったりした。

「でもさ、いったい《光車》ってなんなのさ。ちっともわからない。」
すると龍子が、ふしぎなわらい方をして、すっと立ちあがった。黒っぽいスカートがひらいて、うすぐらい部屋の中にまるで黒い鳥が立ちあがったように見えた。
「そうね、”百聞は一見にしかず”って、むかしの人もいってるわ。今夜、みんなで見に行きましょう。」
「見に行くって、あるとこ知ってるの?これからさがすっていってたじゃない?」
「実物じゃないのよ。絵があるの。実物そっくりのがよ。そしてそれは実物をさがすのにぜったい必要なのよ。こないだ国立図書館で、あたしとトミーが見とどけていたの。もういちど行かなくちゃいけないから、ちょうどいいわ。まだ見てない人もついといでよ。」(中略)
「みんな、いったんうちへ帰って、夕飯がすんでから、七時に地下鉄の『国立図書館前』の出口にあつまるのよ。おくれた人は、『夜間閲覧室』へまっすぐ行くこと。」
そしてみんなは工場を出た。空はすみわたって、けさのあらしのあともなく、もう日は西にかたむいて、町にはうすぐらいもやがかかり、ふりむくと、鳥のかたちのやぐらだけが、夕日をうけてあかく色づいていた。


唐十郎をして「思春期の黙示録的行脚がここにある」、と言わしめた傑作は、今も古びていない。
でも、そんな大仰な表現よりも、じぶんが住んでいる町がなにかしっくりとこないと感じる少年たちのきもちを鮮やかに描いた、とそんなふうに言っておきたい気がするのである。

121. ウィリアム・サロイヤン 人間喜劇

「人間喜劇」(1943)は、サロイヤンの代表的長編である。・・・物語の舞台は、1940年代のアメリカ、『イサカ』という架空の町、そこで暮らすマコーレイ一家と町の人々を描く。50年以上も前に書かれた作品であるにもかかわらず、今もみずみずしさとあふれるような魅力を湛えている。

自分のしていることに、ちょっとばかりおどろきながら、ライオネルはその本を棚からぬき取った。ちょっとの間、手に持っていたが、それから開いてみた。「ほら、ユリシーズ!」と彼はいった。「本だ。ほら、これが本だよ!ね?ここになにか書いてあるんだよ」彼は本の活字の中のあるものを指さした。「そこにAの字がある」と彼はいった。「あれがAだ、ほらあそこに。それから、いっぷう変わった別の字もある。あの字はなんだか知らないけど。どの字もみんなちがうんだよ、ユリシーズ、そしてどの単語もみんな違うんだ」彼はため息をつき、全部の本をぐるっとながめた。「ぼく字が読めるようになろうとは思わないけど」と彼はいった。「でも、本になんて書いてあるか。ほんとに知りたいなあ。ほら、ここに絵がある」と彼はいった。「女の子の絵がある。この子を見てごらん、きれいだ、ね?」彼は本のページをもっとたくさんめくって、いった。「ね、ごらん。たくさんの文字や単語が、本の終わりまで、ずっと、つづいてる。ここが図書館だよ、ユリシーズ」(中略)
彼はゆっくり本を閉じ、もとの場所にもどし、そして二人そろって、この友だちどうしは、足音をさせないようにして、図書館を出た。おもてに出ると、ユリシーズは踵をけあげた。好い気持ちがし、なにか新しいことを学んだような気がしたからだった。(小島信夫訳)


この『図書館で』という章が、わたしは大好きである。・・・というか、この話を読んだからますます図書館が好きになったのである。踵をけあげたくなるくらい。

120. J・ウィンターソン オレンジだけが・・・

「オレンジだけが果物じゃない」(1985)は、ウィンターソンのデビュー長編である。熱心なキリスト教原理主義者の両親の基で長い年月を過ごしたという、彼女自身の生い立ちを下敷きにした物語であるらしい。しかし、もちろん、ただの自伝小説というわけではない。

その日の夕方、わたしは図書館に行った。(中略)わたしはおとぎ話の本を見つけ、その中の『美女と野獣』という話を読みはじめた。(中略)わたしはゆっくりと本を閉じた。どうやらわたしは恐ろしい秘密に気づいてしまったらしい。世の中には、女がいる。世の中には男がいる。(中略)
「でもお前はそんなことを心配しなくていいんだよ、主に仕える身なんだから。お前がうちに来たその日に、あたしは宣教師学校に入学の申し込みをしておいたんだからね。忘れたのかい、ジェイン・エアとセント・ジョン牧師のことを」母はそう言ってうっとりとした目つきになった。
もちろん忘れてはいなかった。でもわたしは知っていた。母は『ジェイン・エア』の結末を、勝手に作り変えていたのだ。
(岸本佐知子訳)


物語の舞台は、イギリス北西部の小さな工場地帯の町、主人公の少女はブルーカラーの両親に養女として育てられる。母親は、カルト的なキリスト教の一派の熱狂的な信者である。少女を「神の子」に仕立てるべく徹底的に宗教的な英才教育をほどこしていく。この「教会と家」だけの世界に閉じ込められた少女は、当然、この世界から飛び出して行こうと苦闘することになるのだが・・・。そこは、マジック・リアリズムの新たな担い手たるウィンターソンのこと、通り一辺倒の自伝小説では終わらない。リアルと幻想とを力強く混じえながら独特の調子で物語を展開していくのである。あまりに力強くてなにやら軋む音がきこえるよう。

119. ウィリアム・トレヴァー グレイリスの遺産

短篇集『密会』に収録されているのは、どれも静かで淡々と語られる物語であるが、それでいて深みと力強さに溢れている。マキューアンの視点が「辛辣」であるとすれば、トレヴァーは「冷静」である。冷酷にならないぎりぎりのところで人間の物語を描いている。暗くてもの悲しい物語が多いのに読後感が悪くないのは、それをそのまま閉じずに、どこかに開いた出口を置いているからだと思う。

この町に図書館の分館をつくれと州の図書館部門にしつこく要求したのは、ハヴァーティ氏だった。それどころか、みずからその分館の初代館長となった。ハヴァーティ氏はロワー・ノース・ストリートで食料品店を営んでいたが失敗し、生涯独身を通した人で、アメリカの西部冒険小説を好み、とりわけゼイン・グレーの熱狂的ファンだった。当時はまだ本を借りる側だったグレイリスは、分館ができてまもない頃から、質素なこの建物に安らぎを感じた。壁という壁が棚で埋め尽くされ。ドアのそばには小さなカウンターがあった。彼は最も頻繁に分館を訪れる利用者だったが、しばらくして、急速に進む関節炎で任に耐えられなくなったハヴァーティ氏が、彼を後継者に指名した。はるかに将来性のある銀行から引き抜こうとしたのである。そしてグレイリスは、不利な点を考えてみることもなく、即座に了承した。「でも、いったいなぜ?」と、彼の結婚した女は途方に暮れ、落胆して叫んだ。(中野恵津子訳)


「グレイリスの遺産」(2004)は、短篇集『密会』に収録の一篇。図書館員の男をめぐる物語である。これを深津絵里さん主演で女性司書の話に置きなおして映画化してほしいというのがわたしの希望である。以前に、深津さんの司書姿を映画「阿修羅のごとく」で見たことがあって、ぜひあれをもういちど見たいと・・・、すみませんただの妄想でありました。

☆ろばのとしょかん

ろばのとしょかん  ジャネット・ウィンター(絵と文)


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Deep in the jungles of Columbia, there lives a man who loves books. His name is Luis.
As soon as he reads one book, he brings home another. Soon the house is filled with books. His wife, Diana, grumbles.

コロンビアのジャングルの奥に住んでいる男のはなしです。
かれの名前はルイス。本がすきです。
一冊よむと、また一冊。一冊よむと、また一冊。
だから奥さんはぶつぶつもんくを言っています。
本のなかで家がいっぱい (あっ、まちがえた!)
家のなかが本でいっぱいになってしまったからです。


訳文が変なのは、もちろん自分で訳したから。
そんなことはともかく、ここからこの物語は始まります。
あふれてきそうな本をどうしよう? 困ったルイスは、名案を思いつく。
本をロバに載せて、ジャングルの奥の、図書館も本屋もない村を回って歩こう。
これはそんな話なのです。

この本は、コロンビアでほんとうにあった話を基に書かれたらしい。
絵も文も、ふんわりとしていて、ゆったりとこころを包んでくれるような感じ。

でもなによりも、この本の題名がわたしは大好きである。
「BIBLIOBURRO」
スペイン語の「本」と「ろば」を合わせた造語。

この「B」が幾つも重なる感じ!
ちょっとたまりませぬ。



(洋書絵本ブログトーナメント、参加記事)

118. ターハル・ベン=ジェルーン 聖なる夜

「聖なる夜」(1987)は、ベン=ジェルーンの長編第二作。先の「砂の子ども」(1985)の続編である。二作に共通の主人公アフマドは、父親に男として育てられた少女である。60年代のモロッコを舞台に、アフマドの奇妙な物語がアラビアンナイトのように美しく不思議な調子で語られる。
・・・ベン=ジェルーンは、モロッコ生まれのフランスの作家である。訳者によれば、彼が書いているのは『砂漠の書物』である。流浪の民が伝承してゆく声のなかにかろうじて保たれる風の書物のようなものである、としている。

地下の広大な場所は、町の図書館だった。すばらしい美人に近づいていくと、その女性はこう言った。「私は二十二歳で、ゲッティンゲン大学を卒業し、選挙候の大臣だった父の意向で、(沈黙)ヨーロッパのもっともすばらしい国々を旅することになった・・・」しばらく間があって・・・「私は、『アドルフ』です・・・。どうぞ、お読みください。私は恋愛小説です。悲しい結末ですが、それが人生というものです・・・。」(中略)
ここでは、きれいな娘たちが雇われて、小説や、物語、戯曲などを暗記し、料金を払えば、彼女たちは自宅に来て朗読する、より正確には暗記した書物を語るのだ。
(菊地有子訳)


この『人間図書館』というイメージには少し、驚いた。ブランコを揺らしながら「ユリシーズ」を語る少女であるとか、シェラザードの衣裳を着て「千夜一夜物語」を語り歩く十人の女性たちであるとか。
なんと猥雑で華やかな夢!
しかし、冷静になって考えるとそれがなにやら恐ろしい悪夢の世界であるような気もしてくるのである。
被災地の学生を応援しよう!
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