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144. ケリー・リンク マジック・フォー・ビギナーズ

「マジック・フォー・ビギナーズ」(2005)は、リンクの第二短篇集に収められた表題作である。・・・主人公は、アメリカ東海岸に住む十五歳の少年、ジェレミー・マーズ。彼は、テレビ番組「図書館」の大ファンだった。

フォックスはテレビの登場人物であり、まだ死んでいない。でもまもなく死ぬだろう。彼女はテレビ番組『図書館』の登場人物である。あなたは『図書館』を観たことがないが、観てみたかったなあと思うだろう。
(柴田元幸訳)


物語は、こんな不思議な調子で始まる。
そしてもっと不思議な調子で展開して行き、もっともっと不思議な調子で閉じる。幻想的で荒唐無稽で変幻自在の書き手であるケリー・リンクの本領発揮の一篇である。感想は・・・、無気味だが笑える。
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143. レイモン・ジャン 読書する女

「読書する女」(1986)、やはり原作の小説よりも映画を思い起こす人が多いのだろうか。青い服を着たミュウ・ミュウの魅力的な姿を思い出す人間の方が多いのだろうか。

エリックの家で朗読。(中略)
いったいどうして猫を好きになったの、と尋ねてみた。そこでエリックはしかめ面をやめ、目つき、顔つき、声の調子まで変えて答えた。「ボードレールです、マダム」。驚きを隠すのが難しかった。母親はふぬけのようになった。エリックは穏やかに説明した。週に三回連れていってもらう施設の図書館で『悪の華』を見つけたのです。それを読み、全部がよくわかったわけではないけれど、とても気に入った詩がいくつかあったんです、例えば『猫』という詩。エリックはその冒頭の二行をそらで引用した。

《力強く優しき、高慢なる、我が家の猫、
僕たちに似て寒がりで、出不精の猫・・・・・・》

(鷲見和佳子訳)


久しぶりに読み返してみると、この小説がすこぶる面白い。ミュウ・ミュウ抜きでも、とても楽しめるのである。・・・わたしのお気に入りは、なんといってもマリーとローラン・ソラ先生の会話。各章のあいまあいまに挿入される二人のシーンが、可笑しくて可笑しくて、それはもう大好きなのである。この小説は、まちがいなく一級のコメディなのだなぁと思い知らされたのでありました。

142. ドロシー・L・セイヤーズ 学寮祭の夜

「学寮祭の夜」(1935)は、ピーター卿ものの長編第十作。
次作の「忙しい蜜月旅行」でこのシリーズは完結する。それに対し本作は、まさに爛熟を極め、シリーズの頂点に立つものであると、わたしは確信するのであるが、どうだろうか。

著名な探偵作家ハリエット・ヴェイン女史が、ボドリアン図書館でシェリダン・レファニュの生涯と作品に関する調べものをするため、シュローズベリ・カレッジに二週間ばかり滞在するという事実は、学内に穏やかな関心を呼んだ。口実としては充分で、ハリエットは実際、急いでこそいないものの、レファニュ研究のための材料を集めていたのだ。(中略)
オクスフォードでは、ボドリアンを学者の宇宙の中心と考えたがる嫌いがある。研究の進展を気遣う質問に対し、楽観的に答えられる程度の材料は、大学の紀要から充分見つかっており、実際には夜中に廊下を嗅ぎ回って過ごす時間の埋め合わせに、昼間<ハンフリー公>の腕の中で舟を漕いでいることが多かったとしても、古びた革と中央暖房の醸し出す空気が熟睡に適していることを発見した人間は、オクスフォードには他にもいたに違いない。
(浅羽莢子訳)


おまけに登場するのが『ボドリアン図書館』ときては!
セイヤーズ/ピーター卿ファンならずとも、図書館好きにはたまらない一冊となった。ハリエットの活躍もうれしい。

141. ラブレー パンタグリュエル

パンタグリュエル物語(1532)の第七章は、「サン=ヴィクトール図書館のみごとな書物の数々について」と題され、奇妙な『架空の書物目録』が提示されている。・・・これが遙かな時空を越えて、500年後のボルヘスやレムの『存在しない本』につながっていくのだと思うとたのしい。

さて、オルレアンでたっぷりと勉強したパンタグリュエルは、かの名門パリ大学を訪ねてみることに決めた。
(中略)
パンタグリュエルは、サン=ヴィクトール図書館はとてもすばらしいと思ったのだ。なによりも、そこに所蔵されている書物の数々に感嘆したのであるからして、その目録を以下に掲げておきたい。まず第一は、

『救いの二頭立て馬車』
『硬直法のブラゲット』
『教会法のスリッパ』
『悪徳ザクロ集』
『神学たまきん』 ・・・・・・

(宮下志朗訳)


この架空の書物目録のタイトル数は、139に渡る。
あからさまな卑語や道化等が混じる書名は、もちろん旧弊で反動的な神学者に対する揶揄と侮蔑の表現であるが、細かな注釈を睨みながら読んでも、学究の徒でもなんでもない身としては、ひとつひとつの笑いどころがわからないのが辛いところである。
とすれば、そんな読者の努めは何か?『ガルガンチュアとパンタグリュエル』=文庫版で四巻に渡るこの大長編を、珍無類で荒唐無稽の大冒険小説として読み尽し笑いつくすことだけが務めであると思ったりするものである。

140. ロアルド・ダール マチルダは小さな大天才

「マチルダは小さな大天才」(1988)、四才で図書館の本をほとんど読んでしまった少女の話。イギリスではロングセラーで、映画にもなった。
マチルダが図書館から借りて読んだ本の中には、ナルニアも、指輪物語もあった。彼女の感想は、『子どもむけとしては良い本だが 面白さに欠けている』。クェンティン・ブレイクの挿絵もたのしい。

マチルダの小さな寝室は、いまや読書室になった。そこで、ほとんどの日の午後、彼女は本を読んだ。かたわらに熱いチョコレートのマグがおいてあることが多かった。小さなマチルダは、キッチンのなかのいろいろなものに手がとどかなかったが、納屋にある小さな箱をもちこみ、それを踏み台にして自分のほしいものをとった。たいていは、ホット・チョコレートをつくった。ストーブでシチュー鍋のなかの牛乳をあたため、それからかきまぜるのだ。ときおりは、ボブリルやオバルティンをつくった。あたたかい飲み物を自分の部屋にもっていき、わきにおいて、午後の、だれもいない家の、しーんとした部屋で本を読む。とてもたのしいことだった。本は、彼女を新しい世界に運んでくれた。彼女に、わくわくするような生活を送っているおどろくべき人たちを紹介してくれた。
(宮下嶺夫訳)


・・・あたたかい飲み物を自分の部屋にもっていき、わきにおいて、だれもいない家の、しーんとした部屋で本を読む。このたのしみを知ったからには、マチルダならずとも、もうそこから抜けだせないのは必然。気がつけばわたしの生活も、そんなふうに、ン十年が経過しつつあるのである。

139. 危険書庫

ジョルジュ・バタイユは、長くパリ国立図書館に勤めていた図書館員だったという。だから、なに?と言われそうであるが、後はなにもない。ただそれだけである。そういえばボルヘスも図書館に勤めていたな、ということくらい付け足しておいてもよさそうであるがそれもしない。すでに気持は『危険書庫』の方に向かっているのである。

サド侯爵の作品やエロティック文学の研究をしているうちに、パリ国立図書館の「危険書庫」というものに興味をもつようになった。パリの国立図書館は、さかのぼれば十六世紀フランソワ一世の黄金時代に端を発しているが、十九世紀の初頭から、その一郭に、とくに風俗壊乱の懼れのあるエロティックな書物を集めた、公開禁止の部屋が設けられて、それが「危険書庫」と呼ばれてきたわけである。フランス語でenfer (地獄)と名づけられているので、わたしは「地獄」室という邦訳語をつくって、これに当てている。その方が、いかにも危険な有害な書物がひっそりと眠っているような、秘密めいた暗い感じがして、印象的だと思うのである。
(澁澤龍彦 エロティック図書館めぐり)


ここで紹介されているのは、パリ国立図書館の他に、大英博物館の秘密室(アルカナ)、インディアナ大学性科学研究所図書館(キンゼイ・コレクション)、バチカン図書館、ワシントン国会図書館など多数に渡る。しかし、蔵書の量よりも「質」というものを考えれば、パリ国立図書館が突出しているのだという。選り抜きの珍籍奇書を揃えているのだという。
・・・ここまで聞かされれば、もちろんめぐってみたくなること必然。何処かでツアーを組んでもらえないだろうか、そんな気持ちでいっぱいなのである。

138. 宮沢賢治 図書館幻想

「図書館幻想」(1921)は、賢治の初期短編小説。わずか20行程度の散文で、賢治の東京時代を映したスケッチのような作品。詩や童話とは違った魅力にあふれている。

おれはやっとのことで十階の床をふんで汗を拭った。

そこの天井は途方もなく高かった。全体その天井や壁が灰色の陰 影だけで出来てゐるのかつめたい漆喰で固めあげられてゐるのかわからなかった。

(さうだ。この巨きな室にダルゲが居るんだ。今度こそは会へるんだ。)とおれは考へて一寸胸のどこかが熱くなったか熔けたかのやうな気がした。

高さ二丈ばかりの大きな扉が半分開いてゐた。おれはするりとは いって行った。

室の中はガランとしてつめたく、せいの低いダルゲが手を額にかざしてそこの巨きな窓から西のそらをじっと眺めてゐた。

(以下、略)


ここに出てくる図書館は、当時の帝国図書館、現在の国際子ども図書館(上野公園)である。賢治は、本郷の下宿からこの図書館に通っていた。
「図書館幻想」は、ここで友人と会い、そして訣別するという話である。実話が基になっているという。このあと、賢治は東京を引上げ花巻に戻って行く。わずか八カ月の東京生活だったらしい。


137. ゴア・ヴィダル 書斎のご婦人たち

ゴア・ヴィダルといえば、60~70年代に書いた「マイラ」と「マイロン」の連作(=ジェンダーを主題にした風刺と嘲笑の小説)が思い浮かぶ。というか、それっきり知らないのである。・・・「書斎のご婦人たち」(1956)、邦訳は白水社版のアンソロジー『現代アメリカ幻想小説』(1973)に収録されている。

次の日は昼食が正餐となり、暑い日の食事としてはあまりに手のかかった重いものだったが、ウォールターは貪欲に食べた。幼年時代のベッドで落ちつかぬ夜を送り、寝不足から疲労を感じる。その上にパーカー姉妹だ。理由もなくいらだたしい。中年になっても彼女らは断固としてはしゃぎ、すさまじいほどの自信だ。食後も相変わらず早口でしゃべりながら姉妹は書斎のソーファに並んですわっている  裁判官のようだな、と気分の悪いのを感じてベルトをゆるめながらウォールターは思った。薬を取りに部屋に戻ったものだろうか(彼はいろいろな薬を飲む。心臓音に低い雑音がまじるのだ)と考えているとミス・モーチマーがこちらを向き、二人は親しげに、こまごまと夢一般を語り、また彼が前夜見た、ある夢(黒い海に溺れている)を語る。(志村正雄訳)


・・・この書斎に集ったご婦人たちが、怖い!のである。物語は、淡々と、しかし着実に恐怖を積み上げるように展開されていく。途中でトイレに立つのが難しい。いや、怖いのと同時に、短い話で中座しにくいのである。いやいや、こんなに短い話で、これだけゾットさせるのだから並の手腕ではないなということが言いたいのである。

136. セルバンテス ドン・キホーテ

「ドン・キホーテ」(1605)、何も説明の必要がない傑作中の傑作、四百年を経てなお愉しさにあふれる希有の書、岩波文庫版では全六冊に渡るので保存にも持ち運びにも不便な大長編、
・・・そんなふうに幾つでもとびきりの形容詞がつく作品であるが、本当のことを言うと、これがただの時代錯誤の騎士物語ではなくて、読書狂の男を主人公としたメタフィクションであり大ファンタジーであったとは、(とほほ、)長いあいだ知らなかったのである。

ドン・キホーテはまだ眠っていた。司祭が郷士の姪に、このたびの災いの元凶となった書物の保管されている部屋の鍵を乞うと、彼女は喜んでそれを手渡した。そこへ家政婦もやってきて、床屋と四人でいっしょに中に入ってみると、そこには立派な装丁の、どっしりと部厚い本が百冊以上も並んでおり、ほかに小型の本も何冊かあった。そうした本を目にするやいなや、家政婦はあわてふためいて書斎を出ていったが、すぐまた、聖水の入った大きな容器と灌水器を手にして戻ってくると、こう言った。   
「さあ、学士様、どうか聖水を撒いてこの部屋を清めてくださいまし。本のなかにうようよしている魔法使いどものなかには、あたしたちによってこの世から追放されようしていることを知って、その腹いせにあたしたちに妖術をかけようなんて奴がいるかも知れませんから。」
(牛島信明訳)


引用は、第一部第六章、有名な「ドン・キホーテの書斎」の場面。
ドン・キホーテは一度目の旅立ちで災難に会い故郷に戻っている。彼を心配したものたちは、災いの元はすべて彼の蔵書にあるとして、これを焼き払うことにする。なんと、焚書である!
でも仕方がないとも思うのである。たしかに本のなかには魔人や妖怪がうようよしている。

135. J.R.ヒメネス ボール紙のプラテーロ

『プラテーロとわたし』(1916)は、ヒメネスが故郷のアンダルシアの地で書いた散文集である。散文詩集といったほうがいいのかもしれない。138篇のスケッチが収められているが、ひとつひとつがとても短いので読みやすい。季節の流れに沿って、作品の情景や背景が移り変わって行く、それに連れてどんどん面白くなっていく。少々叙情的で感傷的すぎると思わなくもないが、いつのまにかヒメネスの綴る世界に捕らえられて、魅せられてしまっている。・・・「ボール紙のプラテーロ」(1915)も、この散文詩集に収録されている。

プラテーロよ、一年前、おまえの追憶として私が書いたこの本の一部が世に出たとき、おまえと私の女の友だちが、ボール紙のこのプラテーロを私にくれた。おまえのところから見えるかい?ごらん、それは半分灰色で、半分白い。口は黒と赤に塗ってあり、二つの目はとほうもなく大きく、とほうもなく黒い。土で作った荷鞍には、六つの鉢がのっていて、バラ色白や黄色の絹紙の造花がさしてある。頭は動く。そして、青く塗った台には、ぶ細工な車が四つついていて、ロバはその台に乗って歩くのだ。
プラテーロ、私はおまえを思い出しているうちに、この玩具の小さなロバに、愛情をもつようになった。私の書斎にはいってくる人は、だれでも、ほほえみながら、「プラテーロ」と言葉をかける。・・・
(伊藤武好、伊藤百合子 訳)


プラテーロとは、読書と瞑想と詩作に没頭した故郷での日々を一緒に過ごした相棒である。月のように銀色の,やわらかい毛並みをした驢馬である。138の散文詩は、どれも、このプラテーロに優しく語りかけるような調子で綴られていて、こころに響く。長新太さんの挿絵も絶品。

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