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226. 紫式部 源氏物語、澪標

「澪標」は、源氏物語第十四帖。・・・源氏は御息所との約束を守り前斎宮を自らの養女に迎える。引用部は、御息所の死後、源氏と前斎宮が文をかわすところ。(与謝野晶子訳)

源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾を下ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母などから、「もったいないことでございますから」と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙となり、また白く雪になるような荒日和に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
降り乱れひまなき空に亡き人の天がけるらん宿ぞ悲しき
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。
宮は返事を書きにくく思召したのであるが、「われわれから御挨拶をいたしますのは失礼でございますから」と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香のにおいを染ませた艶なのへ、目だたぬような書き方にして、
消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。


先に、ジルベルトの便箋について書いた。そのことが頭にあったのである。源氏と斎宮がかわした美しい手紙のことを思い出した。   源氏は「曇った空色の」紙をつかい、前斎宮は「灰色の紙の薫香のにおいを染ませた艶なの」を使っている。なんとみやびやかであることか。紙には、そして色には、それぞれの思いが秘められている。



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225. プルースト 失われた時を求めて

引用は、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」から、”ジルベルトの便箋”にまつわるエピソードの部分。・・・ジルベルトは、スワンとオデットの娘。”私”の初恋の相手である。

そればかりか、ジルベルトが女友だちを招くお茶それ自体も、これまで長いこと彼女と私のあいだに積み上げられた最も越えがたい障壁と思われていたのに、今ではそれが二人を結びつける機会になり、彼女はそれを(私はまだかなり新しいつきあいだったから)いつも違った便箋に書かれた短い手紙で知らせてくれるのだった。あるときは、浮彫り模様の青いむく犬が、感嘆符のついたユーモラスな英語の文句の上にちょこんとのっている便箋だったり、別なときには錨が一つ上についているものだったり、G・Sという頭文字の組合せがむやみに横長に伸びて用紙の上部をすっかり占めていたり、あるいはまた「ジルベルト」という名前が私の女友だちの署名を真似た金色の文字で紙の一角を横切っており、その末尾の線が、黒く印刷されている開いた傘の下にはいりこんでいたり、またはその名がシナの帽子の形をした組合せ文字のなかに閉じこめられていて、すべての綴りが大文字でそこに含まれているけれども、そのどれ一つも判読できないものだったりする。
(鈴木道彦訳)



青いむく犬の便箋! 微笑ましいエピソードである。
そりゃまあ、なんたって初恋のエピソードなんだから。

しかし、今ならサンリオショップかロフトででも売ってそうな便箋という気がしないでもない。これに比べると、もっと大人のチョイスがなされた事例を思い出した。それは次回。




☆藍色瑠璃双六子(あいいろるりのすごろくし)

「藍色瑠璃双六子」(8世紀、奈良時代の遺品)は、正倉院宝物のひとつ。
双六に用いる駒(双六子)。国家珍宝帳所載の品で、サイコロ(双六頭)とともに漆皮箱に入れて赤漆文欟木御厨子に納められていた。双六子は、藍色瑠璃、黄、浅緑等の各色を合わせ、もと169枚あったらしい。現在、保管されているのは画像の85枚か。ただし、藍色瑠璃のものは、たった一枚しかない様子。画像の右端、上から二枚目である。


藍色瑠璃双六子2


最近の公開は、1998年、第50回正倉院展に遡る。
たかがガラス玉とは言わない。ヴェネチアンビーズにも江戸のトンボ玉にもないこのみやびな「青」に、こころが震えないか?それはただ今日が寒いからというだけではないと思う。



224. ジャック・フィニイ 悪の魔力 (青の小説百選)

「悪の魔力」は、フィニイの第二短編集『ゲイルズバーグの春を愛す』(1960)に収録の一篇である。
素晴らしい作品が揃ったこの短篇集のなかで、これは短く軽いロマンス譚ながら、フィニイらしい機智とウィットに富んでいて愉しい。
・・・折りしも主人公は手に入れた"透視メガネ"をかけてみたところ。

ぼくはそうしてまわりをながめ、楽しげににやにや笑いながら  抑えようとしても、抑えきれなかったのだ  街を歩いていた。とうとう通りの人が  とくに若い女の子たちが、ぼくをけげんな顔つきで見つめはじめた。一度など、横断歩道で、交通巡査が渡れの合図をするのを待っていたとき、ぼくのすぐそばに、高慢ちきな顔をした別嬪さんが  あまりじろじろながめたりすると、ものすごい目つきで相手を縮みあがらせるというタイプの美人だ  立っていた。彼女は、輝く青色のブラジャーをし、はでなオレンジ色のパンティーをはいていた  なぜそんな色のをしているのか理由はわからないが本当なのだ  おまけに、彼女は、わずかにガニ股だった。ぼくは彼女のほうによりかかるようにして、「オレンジとブルーは色の取り合わせがわるいな」と、囁いてしまった。
(福島正美訳)


わたしの乏しい交友歴をひもといてみても、青色のブラジャーをつけた女性なんて思い浮かばない。気になるので、ヴィクトリア・シークレットのカタログでも調べてみようかな、もちろん友人が置いていったやつ。

やあ、大事なことを忘れていました。この短篇は、フィニイお得意の"時間もの"ではありません。読んでもがっかりしないでね、みんな。



223. ケストナー エーミールと三人のふたご


「エーミールと三人のふたご」(1935)、もちろんあの作品の続編だ。おもしろいに決まってる。
表紙を開くと、登場人物の紹介ページから始まる。絵も付いている。あの作品とおなじだ。エーミールのページを見てみると・・・。



またまたエーミールの登場だ!ぼくたちがエーミールに最後に会ってから、二年以上たった。そのあいだに、エーミールは背がのびた。そして、やっぱり青いよそいきの上着を着ている。
(池田香代子訳)



「やっぱり青い上着を着ている」???
・・・前作では「紺色の服」と、はっきり書いてあったのに!



222. カポーティ カメレオンのための音楽

「カメレオンのための音楽」(1980)は、同名の作品集に収録。晩年に書かれたこの短編集を読むと、少しこころが痛む。繊細で美しい文章とは、うつろいやすく傷つきやすいこころが書かせたものであるからこそ美しく、鮮やかで機知に富んでいてクールな視点を取らざるを得ないのは、書こうとしているものが、ダークで卑劣で邪悪なものであるということがわかっているからだ。・・・カポーティは、8才で作家を志向し、17才で「ニューヨーカー」誌のスタッフになり、19才のデビュー作「ミリアム」でオー・ヘンリー賞を受賞し、その後も美しい小説を書き続けた。しかし、66年の「冷血」の後は、80年の「カメレオンのための音楽」まで14年間、新たな作品が出せなかった。

「その黒鏡はゴーギャンのものだったんですの。そんなふうな鏡、十九世紀の画家の間ではごくありきたりのものでしてね、(中略)長いこと仕事し続けますと眼が疲れますでしょ、で、画家の皆さんは、こんな風な暗い鏡を見つめて眼を休ませたんですのね。(中略)眩しい日光で痛めた眼をいやすのに、私、ちょくちょく使います。落ち着きましてよ」
落ち着く、と同時にまた不安にもなる。鏡の暗闇は、長く覗き込むにつれ、一風変わった銀青色を呈し、秘めやかな幻想世界へ導こうとする。アリスと同じく、姿見を通り抜けて辿る旅路の入口の印象、手に取ることを少しためらわせる。(野坂昭如訳)


重要なのは、カポーティが最後まで美しい小説を書いたということだと思う。「冷血」から14年ぶりに出されたこの短編集は、みごとなほど冷徹で美しく完成度の高い作品ばかりで、乱れるところがない。23才で書いた「遠い声、遠い部屋」、26才で書いた「草の竪琴」・・・、それまでに書いてきたた作品と同様にみずみずしい小説を書いた。たぶん、最初の文章を書いた8才の時のままのイノセンスを晩年まで持ち続けてきたのだろう。読んで心が痛むのは、さすが強靭な作家の精神も、やはりうつろったりさまよったり戦ったりして、傷だらけになったように感じてしまうからだ。



221. ノディエ トリルビー

「トリルビー」(1822)、邦訳は、岩波文庫版『ノディエ幻想短編集』に収録。この作品集には、"青のブログ"にうってつけの「青靴下のジャン=フランソワ」という短編があるが、わたしの好きなのは、この「トリルビー」、小妖精が美しい人妻に恋をする物語の方なのである。

「ぼくは藁ぶき小屋のいたずら小鬼さ。あんたの羊の毛を絹にも銀にも負けないくらいつやつやにしているのはぼくなのさ。櫂をこぐときに腕に重みがかからないように軽くしているのも、櫂がさわると水かひとりでにむこうへ行くようにしているのもぼくなんだ。あんたの舟が風に吹かれて傾くのを支えているのも、海からの潮を緩い斜面のように乗りきらせているのもぼくなんだ。ロング湖やボー湖の青い魚、あの潮の引いた浅瀬で、サファイア色の背中を日の光にまぶしいくらいにきらきら光らせている魚を遠い日本の海から持ってきたのもぼくなんだ。あんたが生むはずの最初の女の子に見せてよろこばせようと思ったのさ。」
(篠田知和基訳)


ノディエ(1780-1844)はフランスの幻想小説の先達のひとり、後のゴーティエやネルヴァルらに影響を与えたという位置付けができるらしい。七月革命を挟んでおよそ10年に渡って図書館(シャルル10世の私設図書館、革命後、国立アルスナル図書館に変更)に職を得、死ぬまで住みつづけたという挿話が残っている。それなら”library at night”の記事に入れたかったなぁ。




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☆ カーティス・ボタニカルマガジン(Curtis's Botanical Magazine)

「カーティス・ボタニカルマガジン」は、1787年にウィリアム・カーティス(1746-1799)が創刊した由緒ある雑誌で、現在も刊行が続いている。雑誌というより、貴重な植物図譜として位置付けられてきた。比較的最近の号が一冊、手許にあるが、ページを繰るだけで楽しい。


African Agapanthus, Blue Lily


画像は、アフリカ原産の「アガパンサス」(ブルー・リリー)の図譜である。画家は、シデナム・エドワーズ(1769?-1819)、1800年刊行のボタニカルマガジンに掲載されたもの。当時、アフリカの花は、ヨーロッパで大人気だったらしい。
  それにしても、この“青”である。豪奢で耽美的で幻想的で、とても夏の花だとは思えない、これで涼をとるなんて無理だ。



220. S・ミルハウザー 青いカーテンの向こうで

「青いカーテンの向こうで」は、ミルハウザーの第二短篇集『バーナム博物館』(1990)に収録の一篇。リアリズムの小説であると同時に幻想的で、記憶と夢が交叉しているようなところで描かれた物語がいっぱいに詰まっているというのは、先に記事を書いたダイベックの作品集と同じであるが、ミルハウザーの方がうんと幻想寄りではある。耽美的で、重層的で、幻影に満ちた博物館のなかに彷徨い込んだ気分にしてくれる。

夏のあいだ、父さんは土曜の午後にいつも僕を映画館に連れていってくれた。(中略)
僕は一つひとつの段階を存分に味わった。切符売り場の外の、暑い夏の太陽。次回上映作のポスターがガラスケースに収まり、ビロードのロープが張られた入口にさし込む陽ざし。赤いロビーの人工の光。場内の神秘的な薄暗がり、それがすうっと、取り返しようもなく暗くなっていく・・・・・・ そして、カーテンの青いひだがゆっくりと左右に分かれて、スクリーンが突如輝き出す。父さんはむずかしい顔をして僕に説明してくれた。スクリーンに映っている人たちは、動かない写真が目の前を次々に通り過ぎているだけなんだよと。(中略)
父さんの言うことはいつも正しい。でも今回は、父さんが僕を暗い知識に近づけまいとしているように思えてならなかった。カーテンの向こうにいる人々は、子供だましの動く絵本や、銀色のクリップで台所に吊るされた細長いグレーのネガなんかとは、全然別のものだった。彼らは僕の人生の届かないところで、高められた生を生きていた。どこかまったく違った、輝かしい、魅惑的な、測り知れぬ領域で。
(柴田元幸訳)


・・・或る日、少年は、いつもと異なり、独りで映画館に出かけることになった。この物語は、その日の映画館のなかでの出来事について描いている。いつもとはどこかまったく違った、輝かしい、魅惑的な、測り知れぬ領域に迷い込んだ一日について。



219. スチュアート・ダイベック ブルー・ボーイ

ダイベックの第二短篇集『僕はマゼランと旅した』は、第一作の『シカゴ育ち』と同様に、シカゴの下町を舞台にした連作集で、そこで生きる少年と少女たちを描いている。「ブルー・ボーイ」(2003)も、そんな一篇である。特異な病で幼くして死んで行った少年とその兄の話を軸に、語り手のペリーとその弟、祖父と父、同級生の少女などのエピソードが加わり、豊かな物語に仕上がっている。

チェスター・ポスコジムの弟ラルフィーは青い赤ん坊として生まれ、とうてい生き延びるまいと思われながら奇跡的にも青い男の子に育った。青緑色の目の下に、青い色がはっきりと見える。影というよりもっと濃い、しみのような、殴りあいの喧嘩をしたか母親のマスカラがべったりくっついたかしたみたいな青。夏でも唇は寒そうに見えた。初めてラルフィーを見たとき、僕はまだ彼の病気のことを知らなくて、ボールペンでもしゃぶっていたのかと思った。指にも同じ青いインクのしみがついていた。(柴田元幸訳)


この連作集には、リアルであると同時に幻想的で、記憶と夢が交叉するようなところで描かれた物語が詰まっている。物語の表現の手法が多彩で、でもそんなものにふりまわされることなく、技術的なたくらみが気になることもない。落ち着いたきもちで楽しむことができる小説ばかりである。しかし読み終わったあとできっと自分自身の時間を過去に遡るような羽目になってしまうだろうから気をつけねばならない小説集でもある。
11篇の中で、大好きな短編は「ブルー・ボーイ」、「蘭」、「ケ・キエレス」、挙げ出すときりがない。特に、後半に並べられた作品はどれもみな見事なのである。


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