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325. マーク・ワインガードナー メジャーリーグ、メキシコへ行く


「メジャーリーグ、メキシコへ行く」(1996)は、すぱらしいエンタテイメントの小説である。なんたって野球小説である。もうそれだけで小説のネタとしては第一級であるのに加えて、描かれているのは実名付きのメキシカンリーグの引き抜き事件であるという。さらにおまけにベーブ・ルースやヘミングウェイまで登場するときては!いやはやどんなふうに楽しめばいいのやら、もう困惑するほどである。面白すぎるだろうという予感がいっぱいで、ページをめくるのがもどかしいくらいである。

これは1946年にメキシカンリーグが行った、選手引き抜きの話だ。当時の関係者たちは、「メジャーリーグに対する殴りこみ」と呼んでいる。そしてわたし、フランク・ブリンガー・Jr.もその関係者のひとりだ。われわれは、ほかの何千という人間たちとともに、故ホルヘ・パスケルによって買い集められたコレクションの一部だった。(中略)
わたしたちはメキシコの1946年の出来事を、思いつくままに語り合った。選手組合が結成され、新聞で笑いのたねになったこと。ブルックリン・ドジャースがメジャーリーグで初めてジャッキー・ロビンソンと契約したが、新たに二グロリーグを創るのだといって、事実を隠していたこと。タンピコの外野に敷かれていた線路、ピストルを持ったメキシコの審判、ベーブ・ルースの最後の打席。話はつきない。ようやく電話を切ると、わたしは屋根裏へいき、箱の山をかき分けて目当ての箱を見つけ出した。そこには、1946年のシーズンに書いた記事の切り抜き、記者時代のノートの山、スコアカード、メキシコでの結婚証明書、ベーブ・ルースとホルヘ・パスケルとアーネスト・ヘミングウェイの三人のサインが入ったボールがあった。そして次の日から、メキシコ人がいまでも「黄金のシーズン」と呼んでいる、1946年のシーズンの目撃者さがしが始まった。
(金原瑞人訳)


ワインガードナー(1961~)は、アメリカの作家。オハイオ州生まれ、フロリダ州在住。とある作家名鑑で彼の名前がアップダイクとイェイツのあいだに記されていたという挿話以外には、情報が乏しい。新作は「ゴッドファーザー・リターンズ」(2006)である。



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☆ VOCHO

Matchbox-Volkswagen-Beetle-Taxi-Mexico-03.jpg


メキシコでは、VWビートルはVOCHO(ボーチョ)と呼ばれ、いわば国民車のようなものであった。しかし彼の地でも2008年に旧型ビートルは生産を終え、タクシーもたしか日本車に変わってしまったはずだ。緑と白のビートルのタクシー車がずらーと並ぶ光景、見たかったなあと思っても後の祭りである。仕方がないから、マッチボックスのVOCHO-TAXIを100台ほど並べて楽しもう。と思ったらこちらも絶版だと!



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324. マーティン&ドゾワ&エイブラハム ハンターズラン


「ハンターズラン」(2007)は、ジョージ・R・R・マーティン、ガードナー・ドゾワ、ダニエル・エイブラハム、三者の共作である。
このSF長編のいちばんの特徴は、(わたしが思うには、)主人公のラモンがメキシコ系の男だという点である。つまり、この作品は、”SFの主人公は、どうしていつも中産階級の白人ばかりなのか?”という、きわめてまっとうなテーゼについて考えることからスタートしたのだという。そこが、いちばん素晴らしいところだと思うのだがどうか。

いちばん最初にやってきて、この惑星にサン・パウロと名づけた第一次入植者は、みなブラジルからの移民だが、ポルトガル語を話すせいで、一般に”ポルトガル人”と呼ばれている。ポルトガルを訪ねたことがある者など、たとえいたとしても、ほんのひとにぎりだというのにだ。第一次入植者をそう呼ぶのは、大半がメキシコからの移民で、もっぱらスペイン語を話す第二次・第三次入植者たちだった。先に入植した”ポルトガル人”は、いまもこの惑星の政府と役所で高い地位についており、実入りのいい仕事を独占しているため、スペイン語を話す多数派は怒りをくすぶらせ、総督に代表される”ポルトガル人”を毛ぎらいしている。せっかく新天地にきたのに、二級市民あつかいされているのだから、彼らが怒るのもむりはない。総督像を載せた大きな浮揚山車が進んでいくにつれ、道路ぎわからつぎつぎに野次と嘲罵のコーラスが湧きあがるのは、そんな民衆のうっぷんがたまっているからだ。
(酒井昭伸訳)



物語は要約すれば、とある植民惑星で繰り広げられる主人公のラモンと異種族(異星人)やらなにやらを巻き込んだチェイス譚なのである。ずいぶん乱暴な設定と展開でこのぶんだと物語はいつかどこかで破綻するだろうと思って読んで行くと、これがみごとに面白さにはまってしまうことになる。だいたいSFってのはこれくらい乱暴でスピードとエネルギーにまかせてどんどん書きすすめていくような作品の方がきっと面白いんだな。そんなことを思わせる快作。



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323. レイ・ブラッドベリ つぎの番


「つぎの番」、短篇集『10月はたそがれの国』(1955)に所収。
登場するのは、一組の夫婦。アメリカからの観光客である。メキシコの小さな町に着き、古い彫像や建物やそして墓地のミイラを見に行こうとしているところ。

広場は町の小さなカリカチュアだった。それは、つぎにならべるような新鮮な要素からなりたっている。   キャンディの箱を連想させる演奏台、そこでは木曜日と日曜日の夜、音楽が爆発する。緑青の浮いた渦型模様の青銅ベンチ。青とピンクのタイルを敷いた遊歩道、   青は新しくいろどった女の目、ピンクは女の秘密、帽子箱そっくりに、フランスふうの刈り込みをほどこした並木の列。これらすべてを、ホテルの窓からながめていると、九十年代のフランス別荘を見るようで、新鮮なよろこびと、信じられないほどのファンタジーが湧きあがってくる。しかし、ここはフランスではない。メキシコなのだ!そして、このメキシコの小さな町の広場には、国立オペラ劇場までそなわっている。
(宇野利康訳)



『10月はたそがれの国』は、ブラッドベリの初期の短編である。中期以降のSFを中心とした作品集ではなく、ここに収録されているのは、怪異譚とでもいうような不気味な作品群である。「つぎの番」も、充分に気味が悪く不穏で怪しい小説である。救われるのは、これが文庫版で60ページ程度の短い話であり、また少しだけウイットのようなものが感じられるからである。これで100ページも書き続けられた日には、途中でもう怖くなって本を投げだしたかもしれない、そんな作品。



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322. イアン・ワトスン ヨナ・キット


物語の舞台は、サハリン(樺太)とメキシコ。ロシアでは生物学者(脳科学者)がメキシコでは天文学者(宇宙物理学者)たちが、それぞれ驚くべき研究を進めている。念の為に書き添えておくと、サンリオ文庫版の表紙カバーには『メキシコのアンデスにある天体観測所』という説明があるが、メキシコにアンデス山脈は無い。正確には、観測所の拠点はメキシコのメザピコ村にあり、別途、アンテナをアンデス山中にも設置している。

その電波受信装置は、特別な型に作られた巨大な耳にも、また人を呼ぶ折に丸める手にも似ていた。ポールの一行が出かけるさい、原住民のメザピコ・インディアンの一群はアンテナに向けて口笛を鳴らし、反響音が返ってくると満足そうにうなずいた。インディアンの表情ではアンテナの使い方を心得ているようだ。アメリカ人にはあのバカでっかいマシーンを生かすことができないというわけだ。事実それは紐につながれた山羊よろしく弧を描くだけで、音を発しなかった。
口笛はコクジラの移住が始まっていると告げているのを、リチャードは知っている。昨日から原住民はこのニュースを山の上に向けて伝えていたのだ。(中略)
「その気になれば、メザピコの原住民は口笛でクジラに向かっても自分らの意思を伝えられます」リチャードはぎこちない笑いを浮かべた。
(飯田隆昭訳)



イアン・ワトスン(1945~)には、『スロー・バード』(1985)というSF短編集があって、例えば ”地球上のあらゆる距離が増大してしまった!”・・・というようなとんでもない奇想で笑わせてくれる。
一方、初期長編の「ヨナ・キット」(1975)を読むと、なんて観念的で難解な作家なんだと誤解しそうになる!しかし、この二つの作品が対極にあるといってしまうとつまらないのであって、むしろこの二つの作品をつなぐものを感じようとする方が面白い。ところが、せっかくこの作家の面白さを突き止めたとしても、イアン・ワトスン自身が長い休筆状況にあるんだものなぁ。



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321. アヴラム・デイヴィッドスン どんがらがん


デイヴィッドスンは不思議な作家である。ミステリ(MWA賞)、SF(ヒューゴー賞)、ファンタジー(世界幻想文学大賞)の3ジャンルで、それぞれ傑作短編を書き、賞を得ている。作品も不思議なものばかりである。というか、わけわかんないものばかりである。というか、ミステリでもSFでもファンタジーでもないものを書いた。
「すべての根っこに宿る力」(1967)は、デイヴィッドスンのメキシコ体験が生かされた作品だそうだ。邦訳は、短篇集 『どんがらがん』(殊能将之編) に収録。河出の奇想コレクションの一冊である。

サント・トーマス郡の警察官カルロス・ロドリーゲス・ヌーニェイスは、ドクター・オリベーラの診療所の個人待合室にすわり、いまの自分の立場について思案していた。ひょっとすると、ここへきたのはまちがいだったかも。(中略)
   それで結果として面倒事を背負いこんだとしても、それを医者のところへ持ちこんだりはしない。祈祷師(クランデーロ)のもとへ持ちこむ。いまカルロスが思案しているのも、もしや自分もそうすべきではなかったか、と考えるからなのだ。
(深町眞理子訳)



メキシコを舞台にした小説らしく、ここにはひとりのクランデーロ(男性の呪術師、祈祷師)が登場して、われらが主人公の田舎警官カルロス・ロドリーゲス・ヌーニェイスを惑わせる。   主人公が警官だからって、警察小説じゃないよと書こうとしたのだが、編者によれば、この作品は、『呪術の実在さえ前提すれば、ミステリとしても筋が通っている』そうである。でも、そりゃあ詭弁である。こんなミステリがあるものか。これは、この作品は、ミステリよりももっといいものだと思うのである。




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☆ ポポカテペトル山

マースデン#183;ハートリー
(マースデン・ハートリー、「ポポカテペトル山」、1932)



宮沢賢治の「冬のスケッチ」(1921)に、次のような一節がある。

(メキシコの 
さぼてんの砂っ原から 
向ふを見るとなにが見えますか。)
(ポポカテペトル噴火山が見えます。)

(さうです。そんならポポカテペトル噴火山から下の方 
を見ると何が見えますか。)
(ポポカテペトル山の上から下を見ますと 
主にさぼてんなどが見えます。)



初めて読んで以来、いったいポポカテペトルってどんな山なんだろうと、いつも思っていたわけであるが、なんと!
こんな山だったとは!
マースデン・ハートリーの描いた山の姿が美しい。
(ちょっと片岡球子と似てると思ったり)
ポポカテペトル、こんな山だったとは!



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☆ マリソル (アメリカン・ガール)

「アメリカン・ガール」は、1986年にプレザント社が発売を開始した18インチサイズの人形シリーズである。現在は、マテル社が販売し、同じ会社で扱う「バービー」よりも人気があるというような記事も見られる。様々な民族、様々な時代の女の子の人形がラインアップされていることが大きな特徴で、その中にメキシコ系の少女「マリソル」もいる。ただ、残念なことに、マリソルは、2005年のイヤーズモデルで、既に販売されていないのだが。


Marisolwholeworld.jpg



面白いのは、メキシコ系の作家ギャリー・ソトが、この企画の一環として「マリソル」という少女向けの物語を書いていること。そして、この本は、”人形のおまけ”として配布されたらしい。現在は、一般の書店でも販売されているようだ。わたしも一冊、amazonで古本を購入してみました。


soto、マリソル


こんな本である。
内容は・・・、ええっとこれから読むところでありました。



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320. アルトゥーロ・イスラス 雨に踊る人


イスラス(1938-1991) は、メキシコ系アメリカ人の作家。テキサス州、エルパソの出身。スタンフォード大学に進み、のちにチカーノとしては初めて博士号を取り、チカーノとしては初めてスタンフォード大の教師となった。訳者によれば、彼は、”その文化的ヴィジョンにより、チカーノの学生をはじめマイノリティ民族系学生たちに多大な精神的影響を与えた”、という。
イスラスは教職を務めるかたわら、小説を書いた。自伝的要素が投影された、メキシコ系アメリカ人のママ・チョーナを女家長とするアンヘル一族の物語を書き続けた。「雨に踊る人」は、第一作品集『雨の神』(1984)の抄訳である。岩波書店版のアンソロジー『私の謎(世界文学のフロンティア5)』に所収。

ママ・チョーナの長男フェリックス・アンヘルが、南部からやってきた十八歳の兵士によって殺されたのは、二月のある寒く乾いた日のことだった。二人は、山の東側に広がる砂漠地帯の峡谷に出掛け、フェリックスの車のなかでしばらくなにごとか話したあと、若者がフェリックスを蹴り殺した。山が地面に投げかける影によって、峡谷のあたりはもう黄昏のほの暗い陰に沈もうとしていたが、フェリックスの家のある西側では、いまだ日没前の最後の光が透明に輝く時間帯だった。この最期のときに、彼は家族のことを思い、とりわけ彼の一番末の最愛の息子ジョエルのことを思った。
(今福龍太訳)



もちろん抄訳ではなく、不思議な調子で続くアンヘル一族の物語をまるごと読みたくなる。「雨の神」というタイトルの持つ意味を、きちんと捉えてみたくなる。この物語の独特の味わいの源が、そこに作家の自伝的要素が投影されていることにあるのだとしたら、いっそうこの一族の行く末を最後まで見届けたくなる。いやしかし、この極めて重い家族の物語を読み切ることができるエネルギーが、果たしてわたしにあるかどうか、まず心配してみることが必要かもしれない。



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319. ジム・セイゲル 話し合い 


ジム・セイゲル(1947-98)は、メキシコ系アメリカ人の作家、詩人。コロラド州生まれ。69年からニューメキシコ州に居を移し、教員、ジャーナリストのかたわら、ニューメキシコ大学で創作修士号を得、また詩人としてデビューした。

コラル・デ・ピエドラ地区から、プラサ・ラルガから、ロマやグアチェから、皆がみんなこぞって顔を出していた。コルコタウンからも、こちらは男だけが何人か立ち寄っていた。ホワイトがいた。大きなお腹がベルトの上にたっぷりと張り出して、まるで彼の飼っている孕んだ雌馬の腹とそっくりだった。(中略)
ベニーの顔もあった。椅子の背にどっかりともたれかかり、例によって気合いだけは入っていて声を張り上げていた。かれこれ二十年ばかりフードウェイで食糧雑貨の運搬をやり、いまはそれを卒業してフリートレーのトラックでリオアリバ郡をすみずみまで走り回る仕事についていた。ポテトチップの袋をスーパーの棚にぽんぽん手際よく並べることにかけては、ベニーの右に出るものはいなかった。(中略)
ベニーの母親、ラ・ヘレンは腰をかけて編み物にせいをだしていた。ついうっかり彼女の隣に坐ってしまうと、持病の話をえんえん聞かされるはめになった。(中略)
もちろんペラディートもやってきた。このグループのなかではただ一人の白人(アングロ)だったが、いつものように遅刻してきた。彼が自分の時計を<チカーノ時間>に合わせるようになって久しい。白人みたいに時間ぴったりに着きたくないばかりに、いつも三十分ちょうど遅れて着くようにしていた。(中略)
「おい、ベニー。よう。ゴッドファーザーはどこにいるんだよ?」(中略)
雑貨屋と酒場を経営し、このあたりの長老的存在だったのがゴッドファーザーだ。モーセよりも立派な髭をはやし、体つきは小柄だった。こういう話し合いに欠席したことはなく、いつもレジの向こうで、菓子やブルダラム、新聞エル・イスパノのコピーを売っていた。(中略)
「でもよ、どこほっつき歩いてんだろうな、ゴッドファーザー」ペラディートは話を戻した。
(久野量一訳)



「話し合い」は、短編集『君だけ、ハニー』(1981)に収録の掌編である。訳者によれば、この作品集は、ニューメキシコ北部のローカルなスペイン語で書かれていることが、大きな特徴なのだという。同時に、白人文化によるチカーノ文化への迫害に対する意識を、直截的な表現ではなく、独特のユーモラスな筆致で表現していることが大きな魅力だという。
・・・たしかに、ユーモラスである。スラプスティックですらある。引用した作品の冒頭の部分で、話し合いの場に、誰が来た、誰の顔があった、あいつも来た、こいつも来ていたと繰り返されていくところでは、もしかしてこの作品は、その繰り返しだけで終わってしまう前衛小説のようなものかと邪推してしまうほど。もちろんそれは杞憂で、ちゃあんと起承転結とオチのある立派な短編小説なのでありました。しかしチカーノの作家のユーモアも侮れないなぁ。




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