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343. ヴィクター・マルティネス オーブンの中のオウム


ヴィクター・マルティネス(1954-2011)は、メキシコ系アメリカ人の詩人、作家。 「オーブンの中のオウム」(1996)は、彼が書いた初めての小説である。
物語の舞台は90年代のカリフォルニア州、フレズノあたりの町。主人公は、マニー、十四歳の少年。メキシコからの移民の家族を描く。チカーノの少年と家族の物語といえば、ルドルフォ・アナヤの『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』(1972)という名作があるが、時代が20年、経過するとチカーノの少年をとりまく環境も大きく変わる。爽やかに閉じるような物語が書けるわけもない。

その夏、兄のベルナルド(ぼくたちはナルドと呼んでいた)は目まぐるしく職をかえた。最初は皿洗いで、つぎはウェイター助手、それから駐車場の係員で、最後が屋台でハンバーガーを焼く係だった。(中略)ナルドは、きまった時間に顔を出さなかったためにひとつの職を失い、きまった時間に顔を出しすぎてもうひとつの職を失った。マジなところが、ボスの気にいらなかったのだ。(中略)
でもじつは、父さんだって働いてはいなかった。父さんは市に雇われてスペイン語の通訳をしていたのだが、昼休みにビールを飲んでろれつがまわらなくなってしまい、そのせいでクビになったのだ。
職を失って以来、というよりほんとうはその前からだって、父さんは楊枝の先ほどの忍耐力ももちあわせちゃいなかった。いつも失望のタネをさがしていて、そのタネが見つかりしだい、間髪をいれず呪いのことばをあびせかけた。(中略)
ぼくはナルドとはちがっていた。アメリカに移住してきたメキシコ人が仕事以外なにをしたらいいのか長いことわからなくて、生きているあいだはうんと働かなくちゃいけないものだと思いこんでいたからだ。ナルドだっておなじようにわからなかったからこそ、ぼくとはべつのやり方で時間をむだにしないようにしていたのかもしれない。
(さくまゆみこ訳)



それでも後味が悪くないというところが、作家の手腕だろうか。詩人らしいていねいなことばと文章が、訳文をつうじて伝わってくるせいか。・・・失業中の父、トラブルメーカーの兄姉、貧しさに諦めたのか掃除ばかりしている母、町にたむろするチカーノ・ギャングの予備軍のような少年たち・・・、そんな場所で、マニーはけなげにも健闘し、生きているのでありました。



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342. E・L・カニグズバーグ 800番への旅


カニグズバーグの本は、岩波少年文庫にたくさん揃っているのでまだまだ大丈夫、と思ってたら、いつのまにか全部読んでしまっていた。それなら、未読の作品を、同じ岩波からハードカバーで出ている『カニグズバーグ作品集』で読もうかというところだが、こちらは、ちょっと高価だ。おまけにいわくつきの旧訳がそのまま残っているようだ。だから、改訳版が出るまで待った方がいいかなと思ったりしている今日この頃である。

会場内に車を入れ、アーメッドをトラックからおろして綱を杭にひっかけたとたん、おおぜいの子どもたちがお父さんをめがけて走ってきて、叫んだ。「ウッディー、ウッディー!」いちばん小さな子は、お父さんの腕のなかに走ってとびこんできた。のこりの三人はアーメッドのところに歩いてきて、アーメッドをさすりながら話しかけている。あれじゃあまるで、世界一の動物かなんかみたいだ。
自分にむかってとびこんできた子を、お父さんが空中に抱きあげた。「元気かい、エミー?お父さんはそうきいた。なるほど、女の子なんだな。四人の子どもたちは、みんなそっくりだった。同じセットだというしるしに、同じ色のマークがついている。サイズはほんのちょっとずつちがうけれど。いちばん小さな子以外は、みんな男の名前がついていた。マヌエーロ、イアーゴ、それにさあ、信じられる?イエス・キリストのイエスと同じつづりを、ヘスースと発音して呼ぶ子。この子も、メキシコのインディオの大昔のならわしにしたがって、例の目隠しで名前をつけてもらったんだろうか。
(小島希里訳)



このメキシコ系の少年少女の四兄弟、とくに一番上のマヌエーロが、いいやつなんだよな。この物語の、そこが読みどころである。それ以外は、ちょっと凡庸である。傑作『クローディアの秘密』とは比べようもない。そして訳文は、やっぱり辛い。



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☆ 真珠かもしれない歌


真珠かもしれない歌


まだメキシコ湾で真珠が採れた時代のこと。海に潜ると、その歌が聞こえることがある。といっても、ダイバーの心臓の鼓動がビートになり、海や魚がさっと通りすぎるときの音がメロディとなってきこえてくるというだけのことなのであるが。かごに投げこまれたすべての貝が真珠を宿しているかもしれない。その歌は、そんなふうに聞こえてくるらしい。

キーノは巧みに貝のふちからナイフをさっと入れた。ナイフをとおして筋肉がかたく引き締まるのが感じられた。彼がナイフの刃をてこのように動かすと、締まっていた筋肉が離れ、殻が二つに割れた。唇のような筋肉はのたうちまわったが、やがておさまった。キーノが肉をあげると、そこには、月のように完全な大きな真珠が横たわっていた。その真珠は光をとらえると、それを純化して、銀色の白熱光にして投げ返してきた。それはカモメの卵と同じほど大きかった。世界でいちばん大きな真珠だった。
ファナは息をのんで、すこしうなり声をあげた。キーノには、「真珠かもしれない歌」のひそかなメロディが急に、はっきりと美しく、豊かに、興奮してすばらしく、情熱的に、満足そうに誇らしげに聞こえてきた。彼は大きな真珠の表面に夢が結ばれるのを見た。
(中山喜代市訳)



“真珠かもしれない歌(Song of the Pearl That Might Be.)”は、ボブ・ディランの曲ではない。
メキシコの民話をもとにスタインベックが書いた中篇小説「真珠」(1945)に登場する歌である。



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341. ソル・ファナ カスタリアの氾濫92番

ソル・ファナ(1651-1695)は、メキシコの詩人。スペイン・ハプスブルク帝国の末期、植民地(メキシコ)で生まれた。学問を続けたいがために修道女となり、詩や散文を書いた。”詩こそが最高の文学だった17世紀末という時代に、世界で最も愛された詩人”なのだという。・・・引用したのは、詩集『カスタリアの氾濫』(1689)、邦訳は、『知への賛歌―修道女ファナの手紙』(光文社文庫)がある。


 頑迷なる男たちよ、故もなく
女を非難するのは、自らが
原因であることを見ぬがゆえ。
自ら非難しているまさにそのことの。
 比類なき熱意を傾けて
女を蔑むよう呼びかけるのなら
女たちによきふるまいを望むのはなぜ?
悪へと自らそそのかしておきながら。
 彼女らの抵抗を打ち破った
その後で、重々しく
あなたたちは尻軽のせいと言う。
懸命の努力によって得たものなのに。
 あなたのおかしな見解の
空元気はまるでお子さま、
お化けを呼び出しておいて
自らそれに怯えてしまうような。
 世にもおかしな自惚れから、
あなたは求める女にこう願う―
言い寄っているときにはタイスであってくれ、
手に入れてからはルクレシアであってくれ。
こんなおかしな気性があるだろうか?
分別がないにもほどがある、
自らの息で鏡を曇らせておきながら
映らないといって嘆くとは。
(第一行~二十四行、旦敬介訳)



まず、十七世紀末のメキシコで、宗教的な抑圧社会のただ中で、こんなふうに明快に自らの思いを表現したということの凄さを思い浮かべなくてはならない。それにその書き手が美貌の修道女であるときては。
次いで、これがフェミニズム文学のさきがけだとかいう指摘よりも、こうした自由な表現や生き生きとした人間の存在が、十七世紀末のメキシコで許されていたということと共に、社会的にも歓迎されたということに心を揺さぶられなければならない。
三番目に、この率直で直接的な言葉と表現が、まさに知と生の賛歌として今もなお迫ってくるということに驚嘆しなくてはならないと思うのでありました。

注)引用文中、「タイス」は古代ギリシアの宮廷娼婦、「ルクレシア」は古代ローマの伝説で貞淑の模範とされた女性。



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340. アマード・ネルボ 落ちた天使

アマード・ネルボ(1870-1919) は、メキシコの詩人。詩人ならではの美しい文体で、小説も書いた。短編「落ちた天使」、邦訳は彩流社版『ラテンアメリカ短篇集』に収録されている。
・・・はしゃぎすぎた天使が、地上に落ちてきたところから物語は始まる。翼を折り、足を痛めた天使を、通りがかった子どもたちが家に連れて帰り、手当てしてくれる。

とうとうサンダルを履いた天使は、受けた傷も完全に治り、家の中をあちこち動けるようになりました。
天使と子どもたちが戯れているのはとてもほほえましい光景でした。天使は、いくらか女性的で、ハトに似た大きな青い鳥のように見えました。ヨチヨチした不器用な歩き方でさえ、しとやかさと優雅さを兼ね備えていました。(中略)
そして、ほほえみの美しい天使が、物思いに沈んだり、郷愁にかられたりしているときに見せる表情は、言うに言われぬ美しさでした。ほかの天使がこれまで決して見せたことのない新しい表情を帯び、イエス・キリストに似てきました。言い伝えによると、”笑っているキリストを見た人はいないが、泣いているキリストを見た人は多い”ということです。
愁いを含んだ天使の顔つきは、たぶん、この世を通ったという唯一のあかしなのです・・・・・・
(豊泉博幸訳)



ここで描かれている”天使像”は、とても美しい。しかし、理解不能でもある。美しいということだけがかろうじてわかるだけだ。そんな読者は、とてもみごとに物語が閉じていくのをぼんやりと見ているくらいしかできないのである。
訳者によれば、このメキシコの詩人は、その文章と同様に、気取らず単純、率直、慎重で礼儀正しい人柄だったという。それならこちらも率直に身構えることなくこの天使像を眺めておけばいいのだろうか。邪心にあふれた読者(もちろん、わたしのことだ)には、きっとこの短篇のほんとうの意味はわからないだろうな、と居直ったりして。



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339. アルフォンソ・レイエス アランダ司令官の手

アルフォンソ・レイエス(1889-1959)は、メキシコの詩人、作家。ボルヘスが親しく教えを請うた博識の人だという。作品も、学者らしい博識と豊かな想像力がこめられたもの、さらには幻想的なものと多彩である。フエンテスなど、後のメキシコの作家に多大な影響を与えたという。 
    「アランダ司令官の手」(1920頃)は、短編集『十五の現在』(1955)に、所収。邦訳は、アンソロジー『美しい水死人』(福武書店)に収録されている。

ベンハミン・アランダ司令官は戦闘で片方の手を失った。運悪くそれは右手だった。世の中には手の収集家というのがいて、その人たちはブロンズや象牙、水晶、木製の手を集めているが、そういう手の中には彫像、あるいは聖像から失敬してきたものや古いノッカーも含まれている。それが外科医となると、アルコール漬けにしたもっと薄気味の悪いものを大切に保存している。だとすれば、自分の武勲を物語るこの手を剥製にして、しまっておいてもおかしくはないだろう。脳や心臓のほうが手よりも大切だとは言えないのだから、とアランダ司令官は考えた。
(井尻香代子訳)



なるほどこれは、メキシコ的、ラテンアメリカ的幻想小説の先達にふさわしい豊かな想像力の賜物であると唸ってみたり、フェンテスや、ガルシア=マルケスの向こう側には、こんな巨人が控えていたのかと感嘆したり、すっかりメキシコの作家の奥の深さに魅せられていくのでありました。



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☆ ローラ&マヌエル・アルバレス=ブラボ


フリーダ・カーロの写真を撮ったことで有名なローラ・アルバレス=ブラボ(1905-1993)と、彼女の結婚相手のマヌエル・アルバレス=ブラボ(1902-2002)の写真集を眺めてみる。
画像は、フリーダを撮ったマヌエル(左) と ローラ(右)の作品である。
フリーダ自身が描いた彼女の自画像と比べてみると面白い。

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○マヌエルの写真集

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○ローラの写真集

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マヌエル・アルバレス=ブラボは、メキシコの写真家としては代表格である。乱暴なとらえ方をすると、メキシコ革命とアンドレ・ブルトンとエ ドワード・ウェストンの影響を受け、同時代に生きたディエゴ・リベラやフリーダ・カーロと交流する中で、独自の写真を撮った。リベラやフリーダが独特の感性でヨーロッパの影響を乗り越えて行ったように、マヌエルの撮ったメキシコの街や人間を見ると同じような調子を感じたりする。

ローラは、マヌエルの影響で写真を始めた。メキシコ初の女性写真家である。ヨーロッパからメキシコに来た女性写真家、モドッティやオルナの影響もあったのかもしれない。ローラは、同時代を生きたメキシコの女性アーティスト・シュルレアリストたちの写真を主に撮った。中でも、友人でもあったフリーダを撮った作品がなんといっても有名であるが、それはフリータ゛の自画像と同じような迫力でこちらを見つめている。



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☆ ティナ・モドッティ


ティナ・モドッティ(1896-1942)は、イタリア生まれの写真家。1906年にアメリカに移住。1920年代には女優・モデルのかたわら、エドワード・ウェストン(アメリカの写真家、1886-1958)と出会い、自らも写真家としての活動をスタートする。ウェストンと共に、メキシコを頻繁に訪れ”ストレート・フォトグラフィ”を基調にした写真を数多く撮った。 アルヴェルト・マングェルに、彼女について書いた『目撃者としての写真』というエッセイがある。 ウェストンと別れてからのモドッティは、革命後の激動期にあったメキシコの姿を、ドキュメンタリー色の強いタッチで捉えた作品が多いのだという。


モドッティ1 モドッティ2


Amazonの洋書分野を検索してみると、ティナ・モドッティについては、彼女自身の写真・作品集よりも、彼女の激動の一生をウェストンやディエゴ・リベラとの恋愛関係を交えながら描いた伝記本の方が目立つ。しかし、実際には、女性写真家のパイオニア的存在として、エドワード・ウェストンと共に実験的な作品を生み出し、マヌエル&ローラ・アルバース・ブラボやイトゥルビデといったメキシコの写真家たちに大きな影響を与えたという高い評価があるらしい。先に記事にしたカティ・オルナも、内戦下のスペインで共に活動した写真家のひとりであった。



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☆ カティ・オルナ


カティ・オルナ(1912-2000)は、ハンガリー生まれの写真家。同郷のロバート・キャパと行動を共にするようにドイツ、フランス、スペインと移りながら写真家としての活動をスタートさせた。その後、内戦下のスペインから、フランス、アメリカと居を移し、最終的にメキシコに住むようになる。ここで、レオノーラ・キャリントン、レメディオス・ヴァロ等の女性シュルレアリストたちと出会ったことが、彼女にとっての大きな転機となったのだという。


レオノーラPortrait of Leonora Carrington by Kati Horna, 1987 Remedios Varo at her easel, 1963 Kati Horna


スペイン内戦下で、彼女は、キャパのように前線で戦う男たちを撮るのではなく、女性や子どもたちの姿を撮った。メキシコに於いても、そのスタンスは変わらず、独自の視点で人間を撮り続けた。また、メキシコでは、友人でもある女性の芸術家たちの写真を撮るようにもなった。同じ女性写真家のローラ・アルバレ ス・ブラボ(1903-1993)が、フリーダ・カーロのポートレートを撮ったように、オルナもまたキャリントンやヴァロのポートレートを何枚も撮影した のだという。ただ、彼女自身の作品は、シュルレアリズムに影響されることなく、リアルに芸術家たちの肖像を捉えている。
画像左はキャリントン、右はヴァロを撮ったものである。




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338. A・A・フェア 草は緑ではない


E・S・ガードナーは、弁護士のかたわらパルプ・マガジンに書きまくった時代(1923~1933頃)を経て、本格的な探偵小説を書き始める。A・A・フェア名義で書いた『クール&ラム』のシリーズもその一つで、これは何と29作も続く人気シリーズとなった。「草は緑ではない」(1970)は、その最終作である。・・・ロサンゼルスの探偵は、ある人物を探すことを依頼される。その人物を捜してみると、どうやらメキシコに逃げたらしい!そうそう、そうでなくちゃ。探偵小説ではお尋ね者はメキシコへ逃げ込まなくてはならない。国境を越えて、探偵は追っかけなくてはならない。

バーサ・クールが、その重さ165ポンドの体躯を回転椅子の中で動かすと、回転椅子は坐り主の怒りに共鳴するようにキーキーと軋んだ。
「どういう意味なんです、あたしたちに、その仕事ができないっていうんですかね?」バーサがきいた。両手の掌でバタンとデスクの上を叩くと、両手の指にはめたダイヤモンドがギラギラと光の弧を描いた。(中略)
「わたしは第一級の仕事をやってくれる、本当に信頼できる探偵社を求めているんですよ。そういったことについて、たいがいのことをよく知っているといった友人にたずねたところ、クール・アンド・ラム社が役に立ってくれるだろうといったんです。やってきてみると、社名のクールというほうの人物は女性で・・・ラムっていうほうはといえば・・・」カーヒューンはぼくをじっと見て、ためらった。
「いってごらんなさい」と、ぼくはいった。
(三田村裕訳)



このシリーズ、どれもテンポが良く、ストーリーも面白い。クール&ラムのコンビも、脇役も、魅力的なキャラクターが揃っている。しかし、あえていえば深みは無い。なんだかこれも量販雑誌の連載小説を読んでいるような気分にならなくもない。でもそんなことを言うのは、八百屋で魚を求めるようなものか、ってのは例えが古いかな。
ちなみに、引用部の中で、依頼者がためらったのは、ラムが探偵にしては小柄で腕力も乏しそうに見えたからである。ほんとうは、頭がきれて有能な探偵なのだっちゃ!



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