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396. D・H・ロレンス 馬に乗って去った女

ロレンス(1885-1930) もまたメキシコとの関わりが深い作家のひとりである。長編「翼ある蛇」(1926)のように、メキシコ滞在時の経験を基に書かれた作品が幾つかある。「馬に乗って去った女」(1924)も、そうした作品のひとつである。邦訳は、『D・H・ロレンス短篇全集、第4巻』(大阪教育図書)に収録されている。

彼女は、この結婚こそ冒険になるだろうと考えた。それは相手の男が彼女にとって謎めいていたからというのではなかった。彼女より二十歳年上の相手は、小柄で針金のように頑丈で、ひねくれた男で、目は鳶色、髪は灰色だった。その昔、まだ幼いころにオランダからアメリカに不良然と渡ってきたのだった。その後、西部の金鉱からはじき出されて南のメキシコへ下り、今ではシェラマドン山脈の荒地にいくつかの銀山を所有し、かなりの金持になっていた。彼女が考えた冒険とは彼の人柄よりもその境遇にあったことは明白だった。多くの試練をくぐり抜けてきた彼は今でもエネルギーに満ちた小さな発電機(ダイナモ)だった。成し遂げた事を彼はすべて独力でやってきたのであり、いわば説明不能な質の人間だった。
(倉田雅美訳)



しかし、物語は、ここから大きく転換していくことになる。主人公のアメリカ人の女性は、ある日、突然、家を飛び出して、先住民の住む村に向かう。
・・・それはなぜか、ということについてロレンスはあまり書いていない。そうではなくて、そのあとの彼女の姿を描いていくことに集中している。異教の神や、土着の文化に直面した時の人間の姿を執拗に描いているように見える。 



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395. グレアム・グリーン 権力と栄光


メキシコに魅せられたヨーロッパの作家は何人もいる。しかしグリーンも「権力と栄光」(1940)という作品も、それにはあてはまらない。この長編は、作家が、1920~1930年代のメキシコの宗教迫害についての記事を書くためにメキシコを訪れたことを契機に書かれた作品である。

まもなく、母は夫の部屋に入っていった。彼女はいった。
「わたし、坊やにはほとほと困りましたわ」
「娘たちの方にはどうして困らないのかね?どこにだって心配事ってのはあるよ」
「女の子の方は二人とも、今のままでかわいい聖徒ですわ。でも、あの坊やときたら   あの子ったらこんなことをきくんですもの   あのウィスキー坊さんのことを。わたし、あの人にはうちに来てほしくなかったわ」
「うちへ来なかったら、もうつかまっていたろうな。そうなっていたら、あの人も、おまえのいう殉教者の一人になっていたろうよ。そして、彼について本が書かれ、おまえがその本を子供たちに読んできかせていたろうな」(中略)
「ここは小さな町だよ」と、夫はいった。「気取ってみたって何にもならない。わたしたちは、ここじゃ世間から見捨てられているんだ。わたしたちはできるだけうまくやっていかなくちゃならない。教会についていえば、(中略) わたしたちが教会がいやなら、そう、教会をすてなければならない」(中略)
「わたし死んだ方がまし」と、彼女はいった。
「ああ」と、彼はいった。「そうとも。いうまでもないさ。だが、わたしたちは生き続けなければならんのだ」
(斎藤数衛訳)



・・・物語の主たる登場人物は、逃げおくれた司祭と、それを追跡する警部、そしてメキシコ南東部のタバスコ州の村人たちである。司祭はあらゆる戒律を破りながらもなぜメキシコに残り逃げ続けなければならないのか、警部はなぜ追跡しつづけなければならないのか、村人たちはなぜ司祭を匿ったり密告したりすることになるのか。グリーンの筆致は極めて明瞭で、その分、冷酷にも見えるほどである。




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394. ル・クレジオ はじまりの時


メキシコに魅入られたヨーロッパの作家は何人もいる。ル・クレジオもその一人である。メキシコで教職につき、メキシコ文化についての知見を広げ、マヤ語やナワトル語を学び、同じようにメキシコに魅せられた作家であるアルトーについての本を書き、古代メキシコ文明に関する翻訳や研究書を著し、また長くメキシコに住んだ。ところが!  ・・・ところが、彼の小説においては、メキシコもメキシコ人もあまり登場してこないのである。
その数少ない事例が、「はじまりの時」(2003)である。

ぼくがきみに手紙を書くのは、今が出発の時だとわかったからだ。季節が終わる。もうじきフランスにいるだろう。それとも、どこかの医者になるために、サザンプトン病院の研修を終わらせに行くかもしれない。きみがここに来ることを夢見た、でも、それが無理なことはわかっている。
いちばん名残り惜しいもの、それはメキシコの憂愁だ。きっときみも気に入ったと思うな。この灰色の景色、いつまでもつづく黄昏、何もかも消してしまうもや。あたりの山々、マリンチェ、アフスコ、ティサパン、サン・ベルナーベ、サン・エステバン・ウィツィラカス。南のあちこちの火山、その名前をきみのために記してみました。メキシコを囲む山脈のかたちに沿って、ぼくがきみに贈ろうと思う首飾りのように   。
(第6章 ある国境、村野美優訳)



「はじまりの時」(2003)は、ル・クレジオの自伝的作品のひとつ。主人公のジャンと、その六代前まで溯る祖先の物語。ジャンは1950年代前半から60年代後半にかけて、作家自身の青春時代を生きる。そこに、およそ2世紀前のフランス革命フランス革命時に青春時代を過ごした祖父の物語が重ねられていく。引用したのは、ジャンがメキシコで恋人に書いた手紙の一節である。彼は、アルジェリア戦争への徴兵から逃れるためにイギリスやメキシコを転々としている。


はじまりの時2


ちなみに、ここで書かれている”メキシコを囲む山脈のかたち”の挿画は、こんなものである。
この画像から、メキシコの憂愁を想像してみるためには、eのつくアンくらいのとびきりの想像力が要る。しかし、そんなものがなくてもこの小説は読めるのであるし、充分に楽しむことができるので、念の為。




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393. イタロ・カルヴィーノ パロマー

『パロマー』(1983)は、作家が生前みずからの手で完成した最後の作品集である。
引用は、Ⅲ・1・2 「蛇と頭蓋骨」という節の冒頭、パロマー氏がメキシコの旅について語る部分である。・・・今、パロマー氏は、メキシコの友人による古代遺跡の解説や神話の解読にうっとりと耳を傾けている。

パロマー氏はメキシコにある、トルテカ族のかつての首都トゥーラの遺跡を見学している。かれを案内してくれたメキシコ人の友人は、この国がスペインの植民地になる以前の文明に精通していて、ケツァルコアトルにまつわる実に美しい伝説を熱心に滔々と物語ってくれる。ケツァルコアトルは神になる前、このトゥーラに宮殿を構える王であった。その宮殿の円柱の残骸が、どこか古代ローマの宮殿を思わせる雨水だめを囲むようにして残っている。
(和田忠彦訳)


遺跡のなかを教師に引率された子どもたちがやってくる。教師は、その円柱がどの時代のもので何の石に彫ったのかを告げ、そしてこう言葉を結ぶ。”なにを意味しているかはわからない”    この言葉が、パロマー氏の耳にはっきりと残って行く。



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☆ グアダルーペの聖母

our-lady-of-guadalupe.jpg


イーストL.A.のグラフィティ・アートをもうひとつ。
トルティーヤ工場の壁に描かれているのは”グアダルーペの聖母”である。
”グアダルーペの聖母”は、カトリック信者が90%を占めるといわれるメキシコで、最も敬愛されている宗教的シンボルである。しかし、メキシコ系アメリカ人にとっては、重要なイコンというだけではなく、グラフィティ・アートやフォーク・アートの最大のモチーフでもある。イーストL.A.の街角には、グアダルーペの聖母があふれているらしい。



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☆ East Los Angeles Library /José Antonio Aguirre

José Antonio Aguirre

East Los Angeles Library


イーストL.A.は、メキシコ系アメリカ人の街である。いやロサンゼルス自体が、『メキシコ国の最北端の都市である』と言われることもあるらしい。そこには、チカーノの文化があふれている。
・・・このイースト・ロサンゼルス図書館に描かれた壁画も、チカーノの重要なアイコンのひとつである。メキシコ出身のJosé Antonio Aguirre(ホセ・アントニオ・アギーレ)の2004年の作品。・・・図書館にこんな壁画があったんじゃ本を読んでるひまがないね。



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392. ジミー・サンティアゴ・バカ 母の遺灰 

ジミー・サンティアゴ・バカ(1952~)は、メキシコ系アメリカ人の作家、詩人。
ニューメキシコ州サンタフェ生まれ、二歳の時、メキシコ系の母と、アパッチ族の父が離婚。アルバカーキの”パリオ”でストリートギャングとして少年期を過ごす。二十代に麻薬所持で服役し、服役中に読み書きを覚え、出所後詩人として出発した。

「自分の遺灰は山の頂上から撒いてほしい。これがマイケルとあたしに母さんが残した本当の遺言だったの。だからこれだけは果たしてあげたい。そして母さんを自由にしてあげたいの。娘がこんなにも堕落するなんて、思いも寄らなかったでしょうね。だからこの約束だけはどうしても守りたいの。わかるでしょう?…」(中略)
なぜ関わってしまったのか、自分でもよくわからない。哀れみを覚えたのか、それとも意外と世話好きな性格だったのだろうか。ともあれ、暖かく晴れた土曜日の朝、せっせと昼食をつめ、二人を車に押し込む自分がいた。むろん、山のてっぺんから灰を撒くためだ。
(斎藤修三訳)



「母の遺灰」は、スペイン系移民街”バリオ”に住む人間たちを描いている。語り手は、チカーノの弁護士である。いわば、パリオの同胞を踏み台にして生きている”中流”のチカーノである。 
   バカは「パリオの使者」を自認しているという。貧困と犯罪とか、移民の町の持つエキゾチックな魅力だとかいったステレオタイプの視点ではなく、バリオの若者についてまっとうな視点で書かれた小説は、バカが初めてだというような評価があるのだという。



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391. パコ・イグナシオ・タイボⅡ世 三つの迷宮

メキシコの探偵小説である。みごとに”ハードボイルド”している。
登場人物がみんな魅力的であるし、1970年代のメキシコシティを舞台にした物語の設定も展開も結末も気が利いている。この作家の別の作品を読みたくなる。この探偵シリーズの続きが読みたくなる。メキシコの探偵小説ももっと読みたくなる。
・・・ただし叶えられるのはひとつだけだ。タイボⅡ世の作品は、幾つか邦訳されているのだが、このシリーズは訳出されていないし、タイボⅡ世以外にはハードボイルド探偵小説の書き手はどうもいないようなのである。

冗談みたいなものだった。それもきわめて質の悪いやつだ。メキシコの探偵だなんて、冗談にもほどがある。こんな仕事がほかにあるだろうか。なにしろ探偵になってから、じつにいろんなことがあった。たとえば、この六カ月という短い期間に六回も命を狙われた。(中略)
そうしてこの半年を無事に生き延びるあいだ、探偵であることを深刻に受け止めたり軽く受け流したりしてきたが、とりわけ深刻なのは、この質の悪いジョークが、自分だけのものであるのをやめてしまったことだった。つまりこの質の悪いジョークが、メキシコシティ全体の重要部分、いやこのメキシコというどうしようもない国全体の重要な部分となっていることにいまさらながら気づいたのだ。
そしてこの国で許されないことがひとつあるとすれば、それは自分の人生を深刻に考えすぎて、このジョークを理解できずにいることだ。
それはなんと孤独なことか。
(佐藤耕士訳)



タイボⅡ世は、1949年、スペインに生まれ、後にメキシコに移住し、1980年に帰化した。「三つの迷宮」(1977)、は「私立探偵エクトル・ベアスコアラン・シェイン」シリーズの第二作である。第一作の「闘いの日々」(1976)を含めて、その他は邦訳されていない。
ミステリマガジンの記事(佐藤勘治『メキシコ・ミステリ事情』)によると、99年の時点で、このシリーズは第9作まで出版されているのだという。でも今さら訳出されないんだろうなぁ。残念ったらないのである。




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☆ レメディオス・ヴァロ

レメディオス・ヴァロ(Remedios Varo 1908ー1963は、スペイン生まれの画家。戦下のパリを逃れ、1941年、メキシコに移住。彼の地で活躍したシュルレアリズムの代表的な作家である。
ところで、わたしは彼女の絵については充分なコレクションを持っている。次の二冊である。


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ガルシア=マルケスとピンチョンという大作家の代表作を買うと、そこにヴァロの絵が付いてくるという。これを僥倖と言わずしてなんと言えよう。天佑とも言うか。
・・・表紙絵は、左、「螺旋の運行」(1962)、 右、「大地のマントを織りつぐむ」(1961)、である。



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☆ アリス・ラオン

Alice Rahon, Scene de chasse (1942)


アリス・ラオン(Alice Rahon 1904ー1987)は、レメディオス・ヴァロと同じように、ヨーロッパからメキシコへ移住してきたシュルレアリストの画家のひとりである。このミロを思わせるような、奇妙な色彩の抽象画が、わたしは大好きである。(「Scene de chasse」 (1942))



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