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☆622. E.T.A.ホフマン・ハウス (美術館の階段)

ドイツのバンベルクは、大学都市であり、大司教の都市であり、ビールの都であり、旧市街は1000年にわたる建築文化財がほぼ無傷のまま保存されている世界遺産の街である。しかし、小説ファンとしては、ドイツ・ロマン派の発展に重要な役割を演じた街であることを思い浮かべなくてはならない。と、そんなことがバンベルク駅のインフォメーションでもらったパンフには書いてあった筈。ということで”ホフマン”が暮らした街を見学に出かけたのである。


ホフマンハウス3

画像はバンベルク劇場(ホフマン・シアター)前のホフマン像である。この向い側にはホフマン・ハウス(当時の住居)があり、さらにはレストラン・ホフマンに至るまで、周りには彼の記念碑やミュージアムや足跡が一杯である。でも、かなしいことに、”階段”ということになると、あまり見どころが無い。


ホフマンハウス2

仕方がないので、ホフマン・ハウスの玄関の小さな階段に立つ少女の画像を、ちょっと加工してみた。 "少女がベルを押すと、家がすこし傾いてしまったの図" というわけではない。ご笑納のほど。


(E.T.A.ホフマン・ハウス、ドイツ,バンベルク)



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☆621.秋野不矩美術館 (美術館の階段)

■秋野08年11月浜松 044

秋野不矩美術館は、浜松市にある。天竜川のそばの小高い丘の上に、すくっと建っている。その建物を見た瞬間、何か不思議な空間に来てしまったなぁという感じがする。建物を見ただけで、ここに来て良かったなあという気持ちがする。
この美術館は、秋野不矩(あきのふく 1908-2001)の作品の展示の為に作られた。木と土と石でできた小さな建物である。設計は、藤森照信、「建築探偵」でおなじみの藤森氏である。秋野さんの希望によって藤森氏が起用されたという経緯もあるらしい。というような先入観抜きにしてみても、作品と建物がぴったしの調子である。何処か別の美術館の特別展かなにかで見るのではなくて、ここで秋野さんの絵を見て良かったと思う。


■秋野157

高台に立地するのだから、”階段”がもっと目立ってもよさそうなものだが。実は、ここは、階段が似合わない建物なのかもしれない。 実際に、美術館の入口までは(階段ではなくて)ひたすら坂道を登って行くのであるし、建物の中にはいると靴を脱いで、板張りの床に座り込んで、できるだけ低い視線で絵を眺めるのが良いとそんなふうに感じてしまう。もちろん二階にも展示室があって、そこに繋がる階段も階段周りのスペースも落ちついた雰囲気を発揮しているのだが、なにかこの建物では、二階も階段も添え物でしかないような気持になる。木と土と石でできた小さな建物には、そもそも大ぶりな階段は似合わない。広い二階のスペースは似合わない。昔の日本家屋にあった”厨子二階”のようなもっと狭い空間なら良かったのに。なぜかそんなふうに感じてしまうのである。


CIMG4002.jpg
 (秋野不矩 「砂漠の街」、1982)

所蔵品展で見た秋野不矩の作品は、インドをテーマにしたものが多く、晩年、70~90才にかけて書かれたものが中心になっていた。どれもが力強く、イメージが明晰で、ひとめで魅せられる。美術館の床にすわりこんでじっくり見ればみるほど、何か絵の持つ不思議な調子に酔わされてしまう。これらの寺院や家が青空の下にすくっと立っているさまが、明瞭なイメージとしてとらえられるような気がする。しかし、この空の青いこと!土の色の懐かしいこと!この絵にも階段は描きこまれているが、もちろんそれは添え物でしかない。

(秋野不矩美術館、浜松市)



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425. ジェフリー・フォード 白い果実 (フルーツ小説百選)

「白い果実」(1997)、 ”腰巻”には『世界幻想文学大賞受賞作』という惹句が見える。だが、それだけではどうも気が進まない。腰巻にはさらに『山尾悠子の翻訳でおくる!!』という文言が加えられている。   いやはやこれで決まりかな。(自転車で図書館へ来たのであまり大きな本は借りたくなかったのだが) 結局、”山尾悠子訳”というところに惹かれて読んでしまったのである。

立ち去ろうとする亭主を私は呼び止めた。「盗まれた果実について、お前が知っていることを話してくれ。この世の楽園で実ったものだと言われているそうだな?」
「もうずいぶん昔に鉱夫連中がそれを見つけた時、兄貴もそのなかにおったです」マンタキスは血の巡りの悪そうな間延びした喋りかたで言った。「その果実(くだもの)は一点の染みもなく真っ白で、食べ頃の熟れた梨みたいに、誰もがかぶりつきたくなるほど美味そうだったそうで」喋る度に黄色い乱杭歯がのぞいた。「ガーランド司祭さまが、これは食べてはならぬものだと申されたですよ。食べれば不死身になる、それは神のご意思に反することだ、と」
「ほう。で、お前もその戯言に賛同するのか?」私は尋ねた。
   
「それを信じているのか?」
「儂は何でも、閣下の信じなさることを信じますで」マンタキスは後退りしてこそこそと部屋から出ていった」
(山尾悠子、金原瑞人、谷垣 暁美・訳)


先に読んだ「放浪者メルモス」がゴシック小説の源だとすれば、こちらは同じゴシックロマンスだとしてもずいぶん遠くまで来たものだ。神秘、幻想、怪奇、宿命と中心となるモチーフは同じなのに、なぜにここまで調子も味わいも異なるのか。今やゴシックも、極北の地を外れ、世界の中心で語られる物語に成り上がったのか。そりゃまあ200年も経つんだもの当り前?
いやでもしかし、「白い果実」、物語は楽しく、山尾さんの手が入った訳文もなかなかのものである。ただ、これが三部作の第一部だとして、残る二冊をすぐにでも読み継ぎたくなったかというとそうでもない、というのが肝心。以上、報告します。 



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424. C・R・マチューリン 放浪者メルモス (フルーツ小説百選)

「放浪者メルモス」(1820)は、ゴシック小説の巨編である。奇書である。その後の幻想小説や恐怖小説の源となった作品のひとつでもある。ポーやバルザックやワイルドの賛美の一方で、この作品を読むと不幸になるとか、いやそうではなくて読了してしまうことが(もうそれ以上読めないという意味で)不幸なんだとか、十回読んでもプロットさえわからんとか、一回読み切る前に目が回ったとか眩んだとか気絶したとかしないとか、いやはやわけがわからないほどの伝説に彩られた大著である。
邦訳は、国書刊行会版の世界幻想文学大系の一巻として含まれていたが絶版。代わって、最近、新装版が出た。

この島の唯一の美しき住人は、彼女を神と崇める人々との遭遇で心乱されたものの、やかで平静を取り戻したのだった。凡そ恐怖と云うものを絶えて知らなかったが、彼女の住むこの世界には敵愾心を持って向って来る何ものも存在しなかったからである。太陽の光と翳   花々と葉叢   彼女の糧となるタマリンドや無花果   渇をいやそうとして身を屈める毎に向うから今一人の美女が水を掬おうとするので吃驚りしてしまう水   姿を見ると豪奢な羽根を広げて見せる孔雀たち   肩や手に止まって散歩の伴侶ともなり、甘い呼びかけには囀って答える鶍(いすか)   これら一切の友達であって、彼女が知っているものと言えばこれらに限られていたのである。(中略)

この時異邦人が空腹を訴えたのをイマリーはすぐに理解し、自分について来るように言った。タマリンドや無花果が実をつけている所へ   底に在る紫色の貝を数え得る程に澄んだせせらぎへ   カカオの殻で冷たい水を掬うことの出来るマンゴオの緑陰へと案内しようというのであった。道すがら彼女は自分の事を知る限り喋った。自分は或る棕櫚の木の子供であって、その樹下で自分は呱々の声を挙げたのであったが、可哀想に父なる木は枯死してもう久しい   自分は随分年取っている。沢山の薔薇がその茎の先で死ぬのを見て来たからで、新しい薔薇が花をつけても、自分としてはもっと華やかに大輪を咲かせた最初の薔薇の方が好きなのだ   この頃では何もかも小さくなってしまった。何故なら今では自分が手を伸ばせば届く果実だが、この間までは向うの方から地に落ちて来るのを手を拱いて待っている他はなかったからだ   逆に水は丈高くなった。嘗ては飲もうとすると自分は四つん這いになる必要があったのに、今ではカカオの殻で掬える程であるからだ。イマリーはこうした事どもを話し続け、最後に自分は月よりも遙かに年老いているのだと加えるのだった。 
(富山太佳夫訳)


主人公の放浪者メルモスは、誘惑者でもある。ただし、”決して成功しない誘惑者”であるという設定が面白い。悪魔に魂を売った代わりに、百五十年続く青春と、時空を超えた神通力と、現世的快楽の全てを得る力を授けられた。しかし、百五十年後には堕地獄の劫罰が待っている。逃れるためには、誰か別の人間を誘惑しその魂を悪魔に売り渡すよう仕向けねばならない。
かくして、メルモスの放浪と誘惑の旅が始まる。永遠に閉じることかなく、劫罰から逃れることのできない旅が始まるのである。

引用文は作中に語られる”印度魔島綺譚”の一節。
島を訪れたメルモスは、ここで無垢の少女イマリーと出会う。そして彼女を誘惑しようとする。この印度洋上の孤島は、もちろん人間の歴史から隔離された自然の”楽園”である。楽園であるから、そこには花が咲きほこり果物がたわわに実っていることはいうまでもない。”印度魔島綺譚”は、この楽園喪失の物語であり、(たぶん)美しくも哀しい悪魔と乙女の恋物語でもある。



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423. クリスティーナ・ロセッティ 妖魔の市 (フルーツ小説百選)

クリスティーナ


クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)は、イギリス、ヴィクトリア朝の詩人。ダンテ・ゲィブリエル・ロセッティの妹。「妖魔の市」(原題「Goblin Market」、1862)は、妖魔におびやかされる少女たちの夢の世界を描いた寓話。(画像は、ローレンス・ハウスマンの挿画)

朝ごとに夕ごとに
むすめらは小鬼の呼ぶ声をきいた
「おいで おれたちの果物を
買いにおいで おいで
りんごに まるめろ
レモンに オレンジ
つぶらなさくらんぼ
メロンに 木いちご
ほんのりうぶ毛の桃に
黒く熟れた桑の実
野育ちのつるこけもも
野りんごに 藪いちご
パイナップルに 黒いちご
あんずに 草いちご   
さわやかな夏の日の
好天にめぐまれて
日を重ね 夜を重ね
みんないまが食べごろ
おいで 買いにおいで・・・」
(矢川澄子訳)


もちろんここには色とりどりの果物が用意されていて、少女たちを誘う。それがゴブリンの罠であるとわかっていながら魅かれてしまう。「おいで 買いにおいで・・・」という声が耳について離れない。フルーツ好きならまさにいちころ。買いにいきたくなる。食べずにいられなくなる。この物語の主人公である姉妹も、ひとりが果物を口にしてしまう。もうひとりが助けようとする。結末はお楽しみ。



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422. ダンテ・ゲィブリエル・ロセッティ 林檎の谷 (フルーツ小説百選)

Monna Pomona 1864

rossettiウェヌス・ウェルティコルディア(心変わりを誘うヴィーナス)1864-68
(画像上「Monna Pomona(林檎の夫人)」1864、
下「Venus Verticordia(心変わりを誘うヴィーナス)」1864-68)


ロセッティ(1828-1882)の小説を読む。
「林檎の谷」、邦訳はちくま文庫版のアンソロジー『イギリス恐怖小説傑作選』(南條竹則編・訳)に所収。編者によれば、小説といっても、これは、後に物語詩に仕上げるために書いた散文というようなものらしい。

眠ればいろいろな夢を見る、と人は言うが、生まれてからこのかた、自分はただひとつの夢しか見ない。
谷間が見える。干上がった涸れ河の深い河床からつづく両側の斜面は、どちらも自生する林檎の樹に覆われている。その樹のなかでもいちばんの大樹の、大枝が分かれる叉のあたりに、黄金なす髪の美しい女が立って歌をうたっている。白い腕を片方枝に寄せかけ、もう片方の手は、つややかに光る紅い林檎を前に差し出している。その姿はちょうど、誰か斜面を降りて来る者に林檎を手渡そうとしているかのようだ。女の足元から下へは、降りてゆけばゆくほど樹々が鬱蒼ともつれ合い、谷底の深い大穴のうえに両側から枝を差し交わしている。そしてその穴の中は、男の骸でいっぱいなのだ。
(南條竹則編・訳)


短い作品である。しかしなかなか読み進めることができない。雑念がいっぱいに広がるからである。作中で描かれる女、この林檎を差し出す女は、もちろん魔女(siren)である。あまり出会いたくはないが、さきほどからその姿が、目の先にちらちらするような気がして読書に集中できない。窓からのぞく庭先の樹の枝分かれのところが影になっていて、それが女の手のような形に見えてきて仕方がない。それから思い出すのは、ロセッティの絵だ。彼が絵の中で描いてきた女性はどれも、優しくて美しい。優しくて美しくてそして妖しい。たぶん魔女である。手には林檎を持っている。こちらを向いている。なにか歌っている。唇が光っている。林檎を受け取ってはだめだ。齧ると眩暈がしてそして・・・。そこで夢から覚めればいいのだがどうも自信がない。そんな心配ばかりで読書が進まないのである。



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421.フリオ・コルタサル 遊戯の終わり (フルーツ小説百選)

コルタサルの「遊戯の終わり」(1956)は、同名の短編集の標題作である。
ここには三人の少女が登場する。この作品の魅力は、それに拠っているのかもしれない。少女小説というのは、それ自体が魅力的なものであるから。いやしかし、これは少女小説ではないかもしれない。少女たちの目を借りた追憶の物語なのかもしれない。あるいは・・・。 おっと(堂々巡りに陥ってしまった)、これではすっかり、コルタサルの目眩ましの術にやられてしまったかもしれない。

暑くなると、アルゼンチン中央鉄道の線路がわたしたちの遊び場になった。(中略)
家の中がひっそり静まり、蜂が飛び交い、芳香の漂うレモンの木の下で猫が寝そべってお昼寝をはじめると、わたとたちはアルゼンチン中央鉄道の線路に出かけていった。白いドアをそっと開いて閉めると、あとは風のように自由になり、手足や全身が自然に前の方へ進んだ。勢いをつけて駆け出すと、線路の低い斜面を一気に駆け登り、そこから自分たちの王国を黙って眺めた。
大きくカーブした線路が家の裏手で直線に変わるそのあたりが、わたしたちの王国だった。
(木村榮一訳)


もちろん彼女たちの王国は、いつまでも静謐で安穏たるものではいられない。或る日、異質なものが登場し、王国に侵入してくる。勇敢な二人の少女は、それを見ようと出かけていくが、臆病なひとりの少女はレモンの木の下でじっと待っている。乱暴な要約をすれば、これはそんな物語である。
それだけの物語であるのに、驚くほどさまざまなイメージと感情が呼び起こされる。惑わされやすいこころの持ち主は注意しなければならない。わたしはたぶん平気。


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☆620.平塚市美術館 (美術館の階段)

○平塚P1200842


平塚市美術館といえば、わたしにとっては鳥海青児(1902-72)の美術館である。
平塚生まれ、大正・昭和を生きたこの洋画家が、後年にたどりついた独自の作風は、土壁のように分厚い絵肌、単調な色彩、単純化された構図・・・、それでいてなんでこんなに力強くこころを打つのだろうか。茶をベースとした単調な色彩は、旅のなかで見たメキシコやインドの土の色が、映されているのだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、この湘南の小さな町の小さな美術館の所蔵品展をながめている。


平塚、鳥海青児、石だたみ 1961 
(鳥海青児「石だたみ」1962)


鳥海には、どうやら「石だたみ」と名する作品が複数、あるようだ。
画像を借りたのは、国立近代美術館所蔵の1962年の作品。
一方、平塚美術館で見たのは、「石だたみ(印度ベナレス)」(1961)というタイトルの作品で、全体によく似ている。違うのは、右側に描かれている”階段”が、平塚の方は少し短いのである^^。




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☆619. 京都市美術館 (美術館の階段)

京都市美術館2


京都市美術館というと、なんといってもこの1933年に建った和洋折衷の”帝冠様式”の建物、
煉瓦造りの洋館の上の瓦屋根と千鳥破風、今となってはむしろクールでポップな印象も感じたりするが、当時としてはナショナリズムの発現であったのだろう。
ところで、わたしのお気に入りは、玄関口の蒔絵調の重厚なシャッターである。おっと階段の話だったか。



○京都市美術館CIMG3398


正面から入ると、吹き抜けのエントランスホールと大階段。これはほぼ東京国立博物館と同じ構造か。印象はあくまで重厚壮大。照明、窓、手摺、天井、細部の意匠もなかなか凝ったもので見ごたえがある。でも、わたしのお気に入りは、階段床面のグリーンである。ちょっと画像の角度を変えてみますね。



○京都市美術館CIMG3399


・・・この緑色は、やはり和名で、利休とか山鳩色とでも言えばいいのだろうか。なんとも魅力的な色調である。この色で床だけではなく、壁も天井も飾り、いっそヨーロッパの古い王宮にあるような”緑の部屋”にでもしてくれれば、どんなによかっただろうと思う。



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☆618. せんだいメディアテーク (美術館の階段)

仙台P1160520


「せんだいメディアテーク」は、仙台市の複合文化施設である。ギャラリー、図書館、ミニシアター、イベント・スペースなどが含まれる。といっても総花的なハコではなくて、ちゃあんと文化施設として機能しているというから、ほんとうだとしたらすごい。
そして何といってもこの美しい立ち姿だ。伊東豊雄さんが設計したこの建物には、ひとめで魅せられた。定禅寺通のケヤキ並木をとおして、この光り輝くビル(総ガラス張りのスケルトン構造である)をながめていると、なんだかドラえもん級のちっちゃなタイムマシンで、ほんの6~7年ばかしの未来をかいまみたような気になった。牛タン焼きと並んでまちがいなく仙台の誇るべき名物であると言ってよいと思う。



仙台P1160558


驚いたことに、この建物にはいわゆる”柱と梁”がない。
代わりに奇妙なスパイラル状のチューブが支柱として床と天井を貫いている。そしてそのチューブの中に階段やエレベーターが含まれている。



仙台P1160562


チューブの中を覗いていると、なんだか“隔離された階段”、というような気がしないでもないが、外から見ている限りこれもまたとびきり美しいのである。
だから、さあ、牛タン焼きでも食べに行こう。



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