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☆年間ベスト10 (2012年)

☆年間ベスト10; 
ちょっと息抜きに2012年のマイ・ベスト・ブックを選んでみようと思ったが、これがなかなか難しい。嬉しいことに昨年も愉しませてくれた本はいっぱいあったからである。
しかし、難しさの理由はそれだけではない。選ぶ範囲を"翻訳小説、新刊"と限定するとして、そもそもボラーニョとローレンス・ブロックとラファティを横並びにとらえようってのが乱暴であるし、さらに翻訳小説の場合"新刊"ってのが全く当てにならない指標なのだから困ったものだ。
例えば日本では2012年刊の「2666」は、2003年に亡くなったボラーニョの遺作であり、スペインでは2004年に出版されている。・・・これは紛れもない"新刊"だろうか?
とまれ、書きはじめた記事は書き上げなければならない。選択の基準は、ただただわたしを愉しませてくれた小説、ということにしておこうと思う。翻訳されるのが遅いとか、未訳の傑作がまだまだ残ってるぞだとか、ぐちゃぐちゃと言うまえに、まず、たのしませてくれた本と作家に感謝をささげなくちゃならない。これが読者の務めだと思うのである。どうもありがとう。


(A.翻訳小説、新刊)
ロベルト・ボラーニョ、2666
1. 南欧怪談三題(ランペドゥーザ、A・フランス、メリメ;西本晃二編訳)
2. ローレンス・ブロック、償いの報酬
3. ショーン・タン、アライバル
4. ル・カレ、われらが背きし者
5. マリオ・バルガス=リョサ、悪い娘の悪戯
6. ロバート・クーヴァー、老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る
7. トマス・ピンチョン、LAヴァイス
8. R・C・ウィルスン、連環宇宙(三部作、完結篇)
9. アントニオ・タブッキ、時は老いをいそぐ
10. ラファティ、昔には帰れない
(次点) チャイナ・ミエヴィル、都市と都市

(B.再刊等)
レーモン・クノー・コレクション (青い花/リモンの子供たち、他)
1. マチューリン、放浪者メルモス
2. コルタサル、遊戯の終り
3. オルハン・パムク、無垢の博物館
4. ギャリー・ソト、四月の野球
5. 山下明生・童話の島じま(1) 長新太の島



☆ベスト10についての感想は、次のとおり。
ベストブック3



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449.モーリス・ルブラン ルパン、最後の恋 (フルーツ小説百選)

“POMONA(ポモナ)”は、ローマ神話の果実の女神である。
しかしポモナの名は、神話自体よりも、ウィリアム・モリスのタペストリーや、ロセッティの絵や、ハリー・ポッターのスプラウト先生の方がおなじみかもしれない。もちろん、古今東西の小説世界にも時々登場する。引用するのは、ルブランの「ルパン、最後の恋」の一節である。

「大尉さん、どうしてわたしが王妃になるのか、こっちへきて話して欲しいわ。(中略)」
彼女はサヴリーを連れて、セーヌ川に沿った美しいシナノキの小道へ入った。静かで穏やかなひとときだった。中庭から百歩ほど歩いたところで、二人は花と果実を抱いた女神像が見おろす石のベンチに腰かけた。目の前にかかる大きな緑のアーチ越しに、川の流れが見える。
「ここはポモナ(ローマ神話に出てくる果実の女神)の広場って呼ばれているのよ。この城に来て以来、わたしのお気に入りの隠れ家よ」
ゆったりとくつろげる場所だった。寄せては返す小波が川岸の砂利を洗う音だけが、静寂のなかに響いている。そのせいだろうか。二人は肩を近づけ、普段なら話さないようなことまで、いつしか口にしていた。
「あなたはわたしが王妃になることを、心から願っているのですか?」とコラはたずねた。
(平岡敦訳)


「ルパン、最後の恋」は、2012年に出版された、ルパンものの70年ぶりの”新刊”である。
最終稿に至らないまま遺されていた未発表の原稿が、ようやく出版されることになったということらしい。しかしそんな事情は放っておいて、今頃になってルパンの新作が読めることを率直に喜びたい。しかも、それが微笑ましいくらいの恋愛譚で彩られているとしたら、多少、物語の展開が雑であったり、文章が味気ないというような欠点を感じることがあるにしても、文句をつけるなんてとんでもないではないか。

物語には、一人の魅力的な女性(コラ・ド・レルヌ)が登場してきて、サブリー大尉ことルパンと恋におちる。引用したのは、二人が”難しい愛”について語り合う場面。ここで、なぜ”ポモナ”が登場するのか???
これを解くのは、なかなかむずかしい。たぶん、ローマ神話におけるポモナとウェルトゥムヌスの挿話を思い浮かべればいいのだろうが・・・。
実は、もう13時間くらい考えている。もう少し、あと14時間くらいは考えてみようと思う。そうすれば、きっと、たぶん、おそらく解けると思うのだけどなあ。



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448. ケイト・アトキンソン 時空の亀裂 (フルーツ小説百選)

2012年の翻訳小説ランキングをわたしが選ぶとしたら、ケイト・アトキンソンの短編集『世界が終わるわけではなく』は、確実に11位には入るだろう。
なんだベスト10のランク外かよ!、とおっしゃる向きにはこう答えたい。
ボラーニョ、ピンチョン、レーモン・クノーなどの大作や、ラファティ、ル・カレ、ローレンス・ブロックなど偏愛する作家の新刊がずらっと並ぶ中で、それらに伍して11位に入るのはとてもすばらしいことなのであると。

死の直前、マリアンヌの頭をよぎったのはレモンのことだった。より具体的に言うなら、何週間か前にイタリアのアマルフィ海岸から持ち帰り、いまも冷蔵庫の底でひっそりと腐りかけているレモン。この日は雨、それもスコットランド特有の激しい降りで、マリアンヌを含め誰もが制限速度をオーバーしていた。雨降りでしかも黄昏時とあれば、M9道路でぐずぐずしていたい者などひとりもいない。(中略)
と、そこに耳を聾さんばかりの轟音が湧き起こり、見ればすぐ横の追い越し車線を冥界の王ハデスの二輪馬車が、いまままさにマリアンヌの車を追い抜こうとしていた。馬の脇腹から吹き出す汗の饐えたにおいや、ハデスの腐ったキノコのような口臭までが嗅ぎ取れそうなほど、すぐそこに迫っている。そのときだった。ハデスが馬車から身を乗り出し、マリアンヌのアウディの窓ガラスをがつんと叩き割った。マリアンヌは「まずい」と思った。
(「時空の亀裂」、青木純子訳)


「時空の亀裂」も、この短編集に所収の一篇である。
奇想の作家の名を裏切らない、とびっきり不気味で、笑ってしまうしかないくらい奇妙な一篇なのである。・・・訳者あとがきによれば、アトキンソンは、ルイス・キャロルの作品を偏愛しているのだそうだ。そういえば、この短篇の、笑えないジョークと思わず笑ってしまうような悲劇がミックスされた味わいは、"アリス"に似ているという気がしないでもないのである。



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447. ランペドゥーザ 鮫女 (フルーツ小説百選)

ランペドゥーザの「鮫女(セイレン)」(1961)は、文字通り”セイレーン伝説”を基にした短編である。邦訳は、未来社・西本晃二編のアンソロジー、『南欧怪談三題』に所収。
ここには、なにやら作家本人を思わせる老年の大学教授と、同じシチリア出身の若い新聞記者の男が登場してきて、話を始める。さて、この話の中で、セイレーンはどんな姿で登場するのか?

われわれは永遠の島シチリアについて語り合った。島の自然、ネーブロディに満るローズマリーの芳香、メリルリで採れる蜂蜜の味、エンナの高みから、五月の風の日に、一面の穀物畑の穂がたわわに波打つ有様、シラクーザの近郊を領する静寂、六月のさる日暮れ時に、周囲の柑橘類の畑からパレルモの街に向かって、人呼んで「疾風」のごとくに吹きおろすオレンジの香りなどについて。
(西本晃二訳)


シチリア島で疾風のごとくに吹きおろすオレンジの香りの向こう側には、比類を絶した美しさをひめた海が横たわっていて、美しさと同時にある教訓を示してくれる。その教訓とは、『海のくれるものは、どれもみな「危ない」んだ!』、ということなのだそうだ。
・・・読み進めると、そこには、“怪談”というようなおどろおどろしさは無い。ランペドゥーザにかかるとギリシア神話もこんなふうな奇譚に変身するのかと、その手際と味わいに感嘆するのみである。



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☆630. レオポルト美術館 (美術館の階段)

■レオポルト5


ウィーンの街を歩きだして、すぐに目についたのがこのポスターだった。
記念すべき"エゴン・シーレ"とのファースト・コンタクトである。
しかし、それにしても!、である。
シーレの描く女性の姿ときたら!
この強烈な出会いに、なかば目を眩ませながら、ぼくたちはレオポルト美術館へ出かけて行ったのでした。



■レオポルト


レオポルト美術館は、ウィーンの旧市街、ミュージアムクォーターの一角にある。
ここでは、なんといってもシーレとクリムトのコレクションが見逃せない。
"階段"は、せいぜいその次の、三番手である。



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446. ショーン・タン アライバル (フルーツ小説百選)

アライバル


ショーン・タンの「アライバル」(2006)は、"グラフィック・ノヴェル"と呼ばれるのだそうだ。
たしかに、文字などなくても、充分に物語として完成されている。
しかも、ここで描かれている不思議なフルーツの姿ときたら!
 
「アライバル」には、どんなファンタジーも、誰のSF譚もかなわないような奇妙な世界が内包されている。海外の書評では、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」と対比されたりしたらしい。しかし、わたしが思い浮かべたのは、ポール・ゴーギャンの静物画である。ショーン・タンの不思議な果実と対抗できるのは、ゴーギャンの描いた”妖しい果物”しかない、と思うのだがどうだろうか。



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445. チェスタートン 青玉の十字架 (フルーツ小説百選)

菜蟲譜2
(伊藤若冲「菜蟲譜(部分)」、1790)

・・・なぜ"若冲"か? というと、チェスタートンの作品のなかに"青物屋"が登場するのを発見したからである。ご存じのように、若冲は京都の青物問屋の主人であった。「菜蟲譜」のような、フルーツ満載の作品があってしかるべきというところか。

探偵は立ち上って、帽子をかぶり、ステッキを握りしめた。(中略)
その店は繁昌しているらしい八百屋兼果物屋で、大道に並べられた品物の上には、果物の名と売値を記した札とがたくさん立ててあった。その中で、密柑(みかん)と栗の二つの山が一番人目につきやすかったが、その栗の山には、青いチョークで達筆に『最良タンジールス産密柑二個一ペニイ』という札がさしてあった。密柑の方には『最上ブラジル産栗一合四ペンス』と書いてあった。ヴァランタン氏はこの二つの札をじっと見据えた。そして、さっきも可笑しなことに出合ったばかりだのに、またすぐここでこんなことに出合ったことを意味ありげに考えた。彼は仏頂面をして表の往還をながめている赤ら顔の主人公に、そのことを注意した。が、亭主は一言も言わずに、ぶっきらぼうにその札を置きかえた。探偵はステッキに倚りかかりながら、しきりに品物を見廻していたが、最後にこう言った。
「もしもし、まったく失礼な申し分ですが、実験心理学上観念の聯合という事から、ちょっとお訊ねしたいことがあるんです」
赤ら顔の亭主は、恐い顔をしてヴァランタンを見つめた。が彼はステッキを振り廻しながら愉快げにつづけた。
「ところで、御主人、日曜にロンドン見物に来た田舎者の帽子じゃああるまいし、青物屋の正札が入れ違ってるなあ、一体どうした訳なんです? でなけりゃ、私にもはっきりしている訳ではないが、この密柑と栗の関係は、何か二人連れの坊さん、大坊主に小坊主の関係と神秘的な関係でもあるんですかな?」
商人の眼玉は、蝸牛(なめくじ)の眼玉のように飛び出した。彼はまったく、この見知らぬ男に今にも飛びかかりそうに見えた。が、遂に怒りながら吃り出した。「お前がどんな関係があるのか知らないが、もし知り合いの間なら、言ってくれ、うちの林檎をもう一ぺんひっくりかえすような事があれば、坊主であろうと何であろうと、あたまをたたき割ってやるからって」
(直木三十五訳)


「青玉の十字架」(1910)は、ブラウン神父シリーズの記念すべき第一作である。
物語には、神父はもちろん、ヴァランタンもフランボーもちゃあんと登場し、各々の役割をきちんと果たしてくれる。すなわち、警部は追いかけ、怪盗は盗み、神父は美味しい所をいただく、というわけである。第一作にして、既に、お愉しみの原型がすっかり出来上がっていたというわけだ。
ところが!、である。まさか、このすぐあとの作品で、三人の登場人物の役割分担が根底から覆されることになるとは、誰も予想していなかったと思うのだが、どうだろうか。驚くべきかな、である。そんなバカな、である。



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444. タゴール カブールからきたくだもの売り (フルーツ小説百選)

藤田、果物売り2 
(レオナール・フジタ、「果物売り」)


“果物売り”とくれば、フジタの「小さな職人たち」シリーズ(1958-1959)の一枚を思い出す。
その頃のパリの街には、こんな物売りの少年少女があふれていたのだろうか。
それより200年ほど時間を遡ると、そこにも果物売りはいた。パリの地下牢でマリ・アントワネットは新鮮な果物がほしいと願い、頼まれた看守は果物売りからメロンを買ってやろうとしたという。当時のセーヌ河岸では、果物売りがこんな車をひいていたのだろうか。


ベンチにこしかけたミニーは、そのまえにすわったくだもの売りの、山のように大きなからだを見おろしながら、その小さいからだにありったけのいげんをこめ、顔じゅうをわらいでほころばせながら、こんなふうにはじめます。
「くだもの売りさん、くだもの売りさん、そのふくろの中には、なにがはいってるの。」
すると、くだもの売りは、山地の人らしい、鼻にかかった声でこたえます。
「ぞう ですよ。」
(山室静訳)


場所は変わって、こちらはカルカッタの果物売りである。
「カブールからきたくだもの売り」(1916年頃)は、タゴール(1861-1941)が書いたジュヴナイルである。物語には、タゴール自身を思わせる作家の父親と小さな女の子が登場する。

CIMG4437.jpg

邦訳には、山野辺進さんの挿絵が添えられている。
こんな魅力的な絵があるのなら、なにもフジタの絵は必要なかったなぁ、というのが今日の結論である。 



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☆629.駒井卓・静江記念館 (美術館の階段)

△ヴォーリズ0810、近江八幡吉田氏邸


ヴォーリズが遺してくれた建築作品の中では、”神戸女学院”の美しさが際立っていると思う。
それと比べると、今日の記事でふれるのは個人住宅であり、小さな作品である。その美しさも、どこか控えめである。しかし、この小さな建物の玄関と、そこに付けられたちいさな”階段”のたたずまいには、あっというまに魅せられた。そこに住み、そこに暮らし、そこで生きていく場所としての家。住宅の玄関というものは、かくあるべしと思うのだが、どうだろうか。



駒井家住宅7


上の画像は、滋賀近江八幡の「吉田氏邸」(1913)、
下の画像は、京都北白川の「駒井卓・静江記念館」(旧、駒井家住宅、1927)、
共に大正~昭和にかけての作品である。



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443. レイ・ブラッドベリ いちご色の窓 (フルーツ小説百選)

「いちご色の窓」(1954)は、短編集『メランコリーの妙薬』(1959)に収録の一篇。
火星に入植したとある家族の物語である。父親は、強烈なホームシックにとらわれる家族たちを懸命に引き留めようとするのだが、彼自身もまた幸福だった地球時代の記憶を夢のなかでたどっている。オハイオに残してきた”古き良き我が家”を思い出している。

夢のなかで、彼はドアを閉めていた  いちご色の窓と、レモン色の窓と、白い雪の色をした窓と、田舎の流れの澄んだ水のような色をした窓のはまった玄関扉を。フルーツ・ワインとゼラチンと冷たい氷の色をした大きな一枚のガラスのまわりに、四角く二ダースほどのガラスがならんでいた。子供の彼を、父親が抱き上げているのだった。 「見てごらん!」緑色のガラスを通して見ると、世界はエメラルド色、苔の色、真夏の薄荷の葉の色。 「見てごらん!」薄紫色のガラスは、通行人をみんな葡萄の色に見せていた。そして、いちご色のガラスは、いつも町をバラ色の暖かさで包み、世界を朝焼けのピンクに染め、芝生をペルシャ絨緞市のように見せていた。最もすてきないちご色の窓は、人々の蒼白い顔に紅をさし、冷たい雨を暖め、吹きすさぶ二月の雪に火をつけた。
(吉田誠一訳)


引用したのは冒頭部の一節である。
これだけを読むと、あまりにロマンティックで感傷的にすぎると、そんなふうに感じてしまうかもしれない。たぶんその通りだと思う。しかし、若きブラッドベリの極めてエモーショナルな書きっぷりは手に負えないようで、実はそうでもない。すぐに癖になって、なくてはならぬものになる。カナダ土産のメープルシロップクッキーの味わいと同じようなもので、とんでもない甘さに驚いてしまうが、すぐにやみつきになって食べつづけずにはいられなくなる。正月くらいいいよねえ、甘いものを食べるのも。そんなふうに思ってしまうのである。



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