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808. ホルヘ・ルイス・ボルヘス 疲れた男のユートピア

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「疲れた男のユートピア」は、短編集『砂の本』(1975)に所収。
・・・作中、”わたし”が平原の道を進んで行くと、ひとりの男に出会った。

彼のあとについて、わたしは隣の部屋に行った。彼は、これも天井から下っているランプに火をともした。一隅に、わずかな絃を張った竪琴を見つけた。壁には、黄色のトーンの勝った、いくつかの四角いキャンバスがあった。それらは、同じ手になる制作とは見えなかった。
「これがわたしの作品です」と彼が言った。
わたしはそれらのキャンバスを注視し、一番小さいもののまえで、立ちどまった。それは、落日を表現、いや、暗示しており、なにか無限のものを包蔵していた。
「もしお気に召したら、未来の友人の記念に持って行ってもいいですよ」と、彼はごく当り前の口調で言った。
わたしは礼をのべた。しかし、別のキャンバスが心にひっかかった。空白とはいえないが空白に近いものだった。
「あなたの昔の目には見えない色で描いた画ですよ。」
(篠田一士訳)


はたして、この男が”画家”であるかどうか?
そんなことは小説のタイトルから推して、たぶん問題にもならないことなのだろう。
仕方がないので僕は、1951年にラウシェンバーグが描いた「White Paintings」という作品を思い浮かべてみる。あるいは、僕の小さな娘がなにも描かずに放ってある白いお絵かき帳のことを思い出して、そこにはもしや僕の目には見えない色でなにかが描かれているのだろうか?などと想像してみる。 ちなみに、僕に小さな娘はいません。



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807. モーパッサン 悲恋

Miss Harriet


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「悲恋」(原題、Miss Harriet)は、短編集『Miss Harriet』(1884)に所収。
邦訳は、新潮文庫版『モーパッサン短編集Ⅰ』に収録。
作家の故郷であるノルマンディ地方に題材を取った”田園もの”の一篇である。
この鮮やかで悲しくてやや古めかしい物語の語り手は、老画家のシュナル。ただし、悲恋の主人公は彼ではない。

それは、わたしの二十五歳のころで、ノルマンディの海岸ぞいに、画工修業をしていた時分でした。
わたしが「画工修業」と申すのは、自然をモデルにして、習作をしたり、風景を描いたりするのを口実に、リュックを背負って、宿屋から宿屋へとわたり歩く、あの放浪の旅のことなのです。行きあたりばったりの、あの放浪生活ほど楽しいものはありませんからね。なにしろ自由です。なんの束縛もない。心配もなければ、屈託もない。明日という日を考える必要さえない。
(中略)
そのとき、とつぜん、道路に面した木戸があいたと思うと、一風かわった女がこちらにやってきました。非常にやせている、非常に背の高い女で、それが、赤い格子縞の、スコットランド風の肩かけにかたくつつまっている格好は、もし、旅行用白い日傘を持っている長い手が、ぴょこんと腰のところにあらわれているのを見なかったとしたら、両腕のない女だと思われてもしかたなかったでしょう。(中略)これこそ、まぎれもなくわたしの隣り客、宿のばあさんの言う、年増のイギリス人に相違ありません。
(青柳瑞穂訳)


この短篇は、2007年には、フランスでTVドラマ化され、日本でも放映された。
キャストは、画家がジェレミー・レニエ、英国女性はロール・キリング。
・・・ノルマンディの美しい農村風景に魅せられた。もちろん、その物語にも。



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806. P・G・ウドハウス 上の部屋の男

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ウドハウスの「上の部屋の男」(1936)、岩波文庫版『20世紀イギリス短篇選(上)』に所収。
物語に登場するのは、芸術家が多いので知られるチェルシー地区のアパートに住む音楽家のアネットと、その上の部屋に住む青年である。アネットが、男の部屋を訪ねると、彼は絵を描いていた。

「ちょっと拝見」
アネットはイーゼルに近寄った。(中略)
練達の批評家ならば、まちがいなくその絵は下手だと思ったにちがいない。それは黒い瞳の子供が大きな黒猫を抱いている絵だった。統計学者によれば、どの一日をとっても、この地球上のどこかで、猫を抱いた子供の絵を誰かが描いていない瞬間はないという。
「『子供と猫』という題にします」と青年は言った。「なかなかすっきりした題でしょう。主題がすぐわかる。これが」と青年はわざわざパイプの柄で指して教えた。「猫です」
アネットは、描いてあるものが好きか嫌いかで絵の好き嫌いがきまるという、一般大衆の一人だった。いま百万の猫と子供の絵を見せられても、嫌いなものは一つもなかっただろう。それに、青年は彼女の音楽についてとてもやさしいことを言ってくれたのだ。
「すばらしいと思うわ」と彼女は言った。
青年は嬉しいというより驚いた顔をした。
(小野寺健訳)


”ジーヴス”シリーズでおなじみのウドハウスの短篇。
同じアパートに住む二人のラヴ・ストーリーを描く。
いつものようにコミカルで、そしてたあいない。
(もちろん、褒めているのである)



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805. シオドア・スタージョン ここに、そしてイーゼルに

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スタージョンの中篇「ここに、そしてイーゼルに」(1954)には、絵を描けなくなった画家が登場する。
しかし、ありふれた芸術家小説ではない。
そこは、スタージョンのこと、立派なファンタジー、奇妙なSF小説に仕立てている。
作家自身が、これはすこぶるお気に入りの作品である、と表明したというだけのことはあるのである。
邦訳は創元文庫版の短編集『時間のかかる彫刻』に、所収。

困ったことに、ぼくはどうやら絵描きじゃないらしい。かつては絵描きだったし、いつかは絵描きになるとしても、今の今は絵描きじゃない。「一日おきにジャムをあげよう」と鏡のなかにふらりとはいりこんだアリスが言われたように、「昨日のジャムと明日のジャムはあるけれど、今日のジャムはないのが決まり」なんだ。(中略)
絵描きだったよ、絵描きになるさ、絵描きじゃないね。ジャイルズ、こいつをひとつ、唄にでもすれば、ほぐせ(ラヴェル)、ほぐせ(アンラヴェル)、とボレロを唱えるラヴェルもどきに、わめきながら狂い死にができるぞ。ジャイルズ最後の詠唱さ。
絵描きじゃないったら絵描きじゃないたら絵描きじゃない、そう! 絵描きじゃないったら絵描きじゃないったら絵描きじゃない。もう!
ジャイルズ、いい加減にしないと、例の空想のもう一人のやつが現われるぞ。
(大村美根子訳)


絵を描けなくなった画家とは、もちろん書けなくなってしまった作家の暗喩でもある。
60年代のある時期には、「週に一編」のペースで作品を書き上げたというスタージョンをしても、そんな時があったのだろうかと、ついそんな余分な想像をめぐらせてしまったのでありました。

ところで、アメリカでは、全13巻のスタージョン短編全集(全200編超を収録)が刊行されているとのこと。「週に一編」のペースで読めば、4~5年は楽しめるんだものなあ。羨ましいかぎりである。欲しいかぎりである。




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804. J・G・バラード 永遠の一日

「永遠の一日」(1966)、バラードの初期短編のひとつ。短編集「溺れた巨人」に所収。
ごつごつしていて、ざらざらしていて、しかし何かを見つけようとするとそこには空白がひろがっているだけ。そんな初期SFの魅力がいっぱいにつまった一篇だと思う。

・・・自転が止まった地球。時間が消失するとともに、さまざまなものが失われた。
主人公のハリデイは、それを捜し求めるように、今は、南半球のとある町にたどりついたところ。
彼は、それまで暮らしていた北半球の"昼間の町"を抜けだして、次は、暖かい夜の世界へ移ろうとする。そして、たどりついた午後七時の町=薄暮の時間でとまってしまった町で生きようとするのだが。

七時のコロンビーヌはいつも夕暮れだった。ハリデイの美しい隣人ガブリエル・ザボは、絹のローブの裾で細かな砂を桜桃色の雲のように舞い上げながら、たそがれの中を歩いていた。芸術家村に近い、からになったホテルのバルコニーから、いつもハリデイは砂漠に落ちた動かぬ影を、干上がった川ごしに眺めるのだった。アフリカのたそがれは果てしなくつづき、失われた夢を約束するように彼をさし招いていた。(中略)
七時のコロンビーヌ  レプティス・マグナ遺跡から八キロのところにある、涸れ川のほとりのこの町で、ハリデイは自分の夢から現れたような女性、ガブリエル・ザボにはじめて出会ったのだった。そして、奇怪な幻想画を描く、捨て鉢な明るさを持った女流画家レオノーラ・シュリーと、ハリデイを助けて彼の夢をとりもどさせようとしたリチャード・マロリー医師に出会ったのも、やはりこの町だった。(中略)
彼は、マロリーがどんな理由でコロンビーヌにいるにしろ、この薄暮線上のあいまいな世界に完全に自分を順応させていることを、感じとれた。マロリーにとって、七時のコロンビーヌと砂漠はすでに内的風景の一部になっているが、ハリデイとレオノーラ・シュリーはまだそれぞれの絵の中に、それを見つけねばならないのだった。
(大谷圭二訳)



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彼女も、ハリデイと同じように、失ったものを見つけ出そうとあがいている。
絵を描くことで取り戻そうともがいている。
そして遂に見つけることになる。
しかし、それは、絵を描くことによってではなく、ある日、砂漠を横切って"宝石の鳥"のように飛んできたのだという。

・・・バラードが付けたこの結末は、とんでもなくはないか?!
と、わたしは慄いて、ひとまず冷たいビールを飲んで落ちつこうとしてみるのである。

レオノーラ・シュリーという名前は、シュルレアリスムの女性画家であるレオノーラ・キャリントンやレオノール・フィニを思い起こさせるものであるが、そんなのんびりとした考察をするような余裕がなくなってしまった。ともかく、冷たいビールを飲んで落ちつかなければ。冷たいビールを飲んで落ちつかなければ。




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☆656. アルベルヒト・デューラー・ハウス

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ニュルンベルクにあるデューラー・ハウスは、15世紀に建てられた古い木と砂と石の家で、デューラー(1471-1528)が最後の約20年間を暮らした場所である。



Albrecht Dürers House20


現在は、ミュージアムとして使われている。
ここでは、作品の展示よりも、実際に彼が暮らしていた部屋や住居を見せるという趣向になっている。
・・・彼のアトリエや居間や台所や、そして階段を見て回って楽しんできたのである。


アトリエ

Albrecht Dürers House


そして、ニュルンベルクはファーバー・カステル社創業の地でもある(と思う)。
ということで、「A.Dürer 印」の色鉛筆を土産に買い求めたのでありました。



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☆655. ソフィア王妃芸術センター

ソフィア王妃芸術センター


マドリードの“ソフィア王妃芸術センターの階段”については、語り尽くし難い。
新館と旧館の階段、建物の外部と内部の階段、旧館の正面に外付けされたエレベーターと階段の関係、或いはピカソが繰り返し書いた「梯子階段の上の母子像」について。興味深い問題が幾つもあるのである。


ソフィア新館02


ソフィア12


画像は、上から、①旧館正面の階段とガラス張りのエレベーター、②旧館と新館の間にある広場と彫刻、③新館の階段、である。
ジャン・ヌーヴェル設計の新館は2005年に完成した。赤い大屋根が美しいこの建物は、一番端のところに斜めに何層も重なった階段が設けられていて、そこで唐突に終わっている。それが妙に印象的なのである。



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☆654. ドレスデン、古典絵画館

天使2


ドレスデンの古典絵画館は、ツヴィンガー宮殿内にある。
コレクションは、15~18世紀のヨーロッパ絵画が中心である。
ラファエロの、"あの"天使の絵は、あまりにも有名である。
他にも、ジョルジョーネ、ティツィアーノ等の16世紀イタリア絵画、レンブラント、フェルメール、ヴァン・ダイク等の17世紀オランダ・フランドル絵画、そしてクラナッハ、ホルスバイン、デューラー等のルネッサンス期のドイツ絵画は名品が揃っている。その質と量に圧倒される。油断していると、見ているだけでエネルギーを使い果たし、へとへとになること間違いなし。
さらに、ツヴィンガー宮殿の周りには、ドレスデン城、フラウエン教会、アルベルティヌム美術館(近代絵画館)等々、他にも見どころがいっぱいであるので、途中棄権などとならないように注意が必要である。おまけに、ドレスデン城には、階段ファンなら必見の”イギリス式階段(The Englische Treppe)”なるものまである!


○ドレスデン0262(Bitte aus dem Weg gehen)


○◇ドレスデン0267(Können Sie bald gehen?)


Englische_Treppe.jpg


画像は、上から、①ツヴィンガー宮殿/絵画館の正面入口、②宮殿の中庭の階段、③ドレスデン城の”イギリス式階段”、である。(クリックすると、大きなサイズの画像が開きます)
折しもドレスデン音楽祭の頃、どちらも観光客が多く、カメラを構えてもいろんな人がファインダーの画面を横切っていく。ちょっとそこどいてくれへんかなぁ、と思わず言いたくなるような写真が多くなったのは、わたしのせいではないと、それだけはぜひ書き添えておきたい。



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803. マルセル・エイメ 絵具箱

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エイメの『おにごっこ物語』シリーズ(1934)の一篇、「絵具箱」に登場するのは二人の小さな姉妹である。
妹の七つのお祝いに伯父さんからもらった絵具箱を持って、裏の牧場に絵を描きに出かけていくところから物語は始まる。・・・はじめて絵を描くときには注意しなければいけないよ、というエイメらしい教訓にならないような奇妙な教訓が含まれている。

「わたしたちが留守の間に、何があったんだい?」(中略)
「ろばが二本脚になるし、牡牛はいなくなるし、うちの立派な大きい馬は、生まれて三カ月の兎ぐらいになっちまったというのは、と゜うしてなんだよ?」
「そうとも。どうしてだか、さあ、すぐに白状おし」
子供たちはこの恐ろしいニュースをまだ知らなかったのでとてもびっくりしましたけれど、起こったことはよくわかりすぎるほどでした。今朝二人は、あまり熱心に描いたものですから、自分たちに見えた通りのものを、モデルに強く押しつけてしまったのです。はじめて絵を描く時には、こういうことがよく起るものなのです。小舎へ戻って行く動物たちの方は、絵のことをひどく気にして、自尊心を傷つけられながら、牧場での出来事を何度も反すうしたものですから、その新しい姿が本物の体の上に、こんなに早く刻まれてしまったに違いありません。
(岸田今日子訳)



エーメ

さて今日は、デルフィーヌとマリネットと合わせて、もうひとりの画家を紹介したい。
この邦訳(大和書房版、ちくま文庫版)の表紙カバーと挿絵を描いた佐野洋子さんである。
あの快作『おれはねこだぜ』で魅せてくれた彼女の猫の絵が、ここにも登場してきて愉しませてくれる。
これを見るだけでもう満足!と書くと、エイメに叱られるだろうか。



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