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☆672. Cat Museum/アーネスト・ヘミングウェイ博物館 (ミュージアムの階段)

Hemingway2.jpg
(Photo;This is a file from the Wikimedia Commons.)


先に、"犬博物館"の記事を書いた。(#658)
とすれば、"猫博物館" についても書かねばならないだろう。

そこで思い出したのが、このヘミングウェイ博物館である。
海峡からの光をいっぱいに浴びた南欧風の洋館の、階段の下のポーチの少し日陰になった場所に集まっていた猫たち! 猫好きで知られる作家がここに暮らしていた頃にも、こんなふうに、猫たちは闊歩し、逍遥し、また寝そべっていたのだろう。
今は、亡き作家の名を冠した博物館になっているこの場所こそ、"Cat Museum"の名にふさわしいのではないかと思う。

With the maid holding the umbrella over her, she walked along the gravel path until she was under their window. The table was there, washed bright green in the rain, but the cat was gone. She was suddenly disappointed. The maid looked up at her.

‘Ha perduto qualque cosa, Signora?’
‘There was a cat,’ said the American girl.
‘A cat?’
‘Si, il gatto.’
‘A cat?’ the maid laughed. ‘A cat in the rain?’
‘Yes, –’ she said, ‘under the table.’ Then, ‘Oh, I wanted it so much. I wanted a kitty.’

When she talked English the maid’s face tightened.
‘Come, Signora,’ she said. ‘We must get back inside. You will be wet.’
‘I suppose so,’ said the American girl.

(Ernest Hemingway – ‘Cat in the Rain’ 1925)


もちろん、作家の作品にも、猫たちは登場する。
中でも印象的なのは、上に引用した初期の短篇である。
アメリカ人の若い夫婦が、イタリア旅行に来たときの出来事を描いている。
妻が見つけて、そして見失った「雨のなかの猫」というのは、いったい何の象徴だったのだろうか?
いちど、それを、猫のほうに訊いてみたいと、わたしは思うのである。




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843. 夏目漱石 草枕 (画家小説百選)


「草枕」(1906)は、漱石流の芸術家小説である。
といっても、ヨーロッパ流の教養小説、成長小説とは違うものであるから、むしろ小説の形式を取った芸術論であると言っておいた方がいいのかもしれない。    しかし、わたしが好きなのは、その芸術論の部分ではなく、こんな個所である。

昨夕は妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔来た時とはまるで見当が違う。晩餐を済まして、湯に入って、室へ帰って茶を飲んでいると、小女が来て床を延べよかと云う。
 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多にきかぬ。と云うて、田舎染じみてもおらぬ。赤い帯を色気なく結んで、古風な紙燭をつけて、廊下のような、梯子段のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。(中略)
 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔房州を館山から向うへ突き抜けて、上総から銚子まで浜伝いに歩行た事がある。その時ある晩、ある所へ宿まった。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板庇の下に傾きかけていた一叢の修竹が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、すでにひやりとした。椽板はすでに朽ちかかっている。来年は筍が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 その晩は例の竹が、枕元で婆娑ついて、寝られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明きらかなるに、眼を走らせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤が人の世を威嚇しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛防しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。
 その後旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
(草枕、第三章、冒頭)


引用したのは、主人公の洋画家の男が、旅の途中、那古井の宿に泊まった夜の話である。
ここで妙な体験をすることになる。
これは、まるで、あの『夢十夜』(1908)の登場を予告するような書きっぷりではないか!
特に、”自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。”という個所では笑いました。そりゃあ画家だもの、と突っ込んでみたりして。



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842. ジャン・ロラン 画家の物語/腕輪の男 (画家小説百選)

Les Masques scandalisés
(James Ensor「Les Masques scandalisés」)


ジャン・ロランの 「画家の物語/腕輪の男」は、短編集『仮面物語集』(1900)に所収の一篇。
邦訳版のこの作品集には、口絵として一枚の絵が添えられている。
それが、上の画像の作品、ジェイムズ・アンソールの『スキャンダラスな仮面』(1883)である。
澁澤龍彦によれば、ロランの『仮面物語集』には、まるでアンソールの仮面の絵の解説のために書かれたのではないかと思われるほど、それにぴったりの文章があるのだという。

職の無い下男や人殺しやひもたちの集会所であるワグラムのダンス・ホールのごく近く、パリで最も人出が多い通りのひとつで、約二十年も前から、単純でもあり複雑でもある手口で窓に絡んで行われる犯罪に、警察はとうとう目星をつけていた。つまり娘はどうしても窓には全身を現わさなかったが、冬の夕方四時とか夏の七時を過ぎると、裸の腕、それも真白で上品な恰好の片腕が、赤い絹のカーテンの後から突き出て、まるで白鳥の頸のように人の目を惹きつけていた。それから何時間も、腋の下の斑な生毛を見せる流儀で後ずさりするか、欲望めがけて投げつける肩掛けを、家の外の通りへだらりと物憂げに垂れ下らせる。腕だけでそれ以上は禁止なのだ。娘のほうは身体を隠していた。顔を見た者は決していなかった。不思議な手首に黄金の腕輪が巻きついており、通行人たちが立ち止まってこの冷静な腕を眺めていた。
(小浜俊郎訳)


引用文中に、"単純でもあり複雑でもある手口で"という表現があるが、これはまたロランの仮面物語集の作品の特徴でもある。
一見、その物語は、リズムセクションだけのジャズバンドが地味なメロディを奏でているかのように単調に感じられるものの、ようく聞いていると、実は複雑なコード進行と超絶技巧の限りを駆使した演奏が行われていることに気が付く。ロランの物語も、また、読み終わって少し時間が経ったあとで初めて、じんわりとした気味の悪さやもの悲しさを感じることになるのである。




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841. ジョン・スラデック ベストセラー (画家小説百選)

steamdrivenboy.jpg


ジョン・スラデックの「ベストセラー」(1966)、
邦訳は柳下毅一郎編の短編集『蒸気駆動の少年』に所収。
スラデックらしい軽妙な作品である。
この”軽さ”加減、好きだなあ。
スラデック・ファンには、たまらない一篇。

 力強い短い文章で、ビルは述べる。かれはエッタを愛している。ほかのだれでもない。ほかの連中は火遊びする暇があるかもしれない。だがビルにはない。一生かけて職から職へと転々とする人生を送りつつ、いまや自分が求めるものがわかった。絵を描きたいのだ。(中略)
 エッタのヌードを描きたい。フレスコ画で十階建てくらいのサイズで、自分の彼女に対する気持ちを。彼女の持つものに名前はいらない。
 だがエッタは南部娘ギルダに対するレスボス的な片思いを抱いていて、そのギルダは男役ドリーに夢中だ。ほんものの男なら吐き気がしそうな光景。
 ドリーはその間、自分自身のイカレた旦那、こずるきディッキーに別れを告げる。でもかれはいつもながら男ヴァン・クックに色目を使っている。もっとも、クックがエイドリアン・ワーナーにへつらう様子を見てまだかれを男扱いできればの話だが。
 少なくともエイドリアンは本物の根性を持っている。かれは目下の話者の細君テダに岡惚れしている。テダは根源的な去勢する女だ。ビルを去勢して絵描きをやめさせようとしている。そうすればヌードのエッタの絵が描けないからだ。テダはそこまでは認める。
 そしてビルを愛していることを認める。
(山形浩生訳)


SFでも、ミステリでもなく、あえて分類すれば、笑劇か、或はナンセンス・コメディと呼ぶべきか。
編者によれば、ダレルの「アレキサンドリア四重奏」のパロディでもあるというのだが・・・、ほとんど元ネタの面影はない。

以上、報告します。




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840. ミシェル・ビュトール ヴィーナスの夢/ポール・デルヴォーの絵の中の物語 (画家小説百選)

Tribute to Jules Verne
 (Paul Delvaux、「Tribute to Jules Verne」 ,1971)


ヴェルヌの「地底旅行」(1864) の主たる登場人物は、リーデンブロック教授、物語の語り手である”ぼく” (アクセル=教授の甥)、寡黙でスーパーなアイスランド人ガイドのハンス、の3人である。上の画像のデルヴォーの絵の左端の眼鏡をかけた紳士が、リーデンブロック教授である。
これを見ると、デルヴォーもヴェルヌが好きだったんだなぁと何故かうれしくなってしまう。教授の姿は、デルヴォーの作品に何度も何度も登場するのである。

ミシェル・ビュトールの書いた中編小説「ヴィーナスの夢 (旧題、ポール・デルヴォーの絵の中の物語)」(1976)は、「地底旅行」のアクセル君を(借りてきて)語り手とした作品である。デルヴォーの描いた18枚の絵を基に、それと呼応する形で文章を綴っている。

 駅。私が生まれた家、その中庭と鉄格子。屋根の上には二本の煙突。天窓も敷石もカーテンも木々もそのままだ。ガラス窓も。火事で焼けてしまった父の生家。伯母さんたちの家とも呼んでいた  エルネスティーヌ、ローランス、マリ、それからアデール。そのひさし、からまる木蔦。ランプ。おばあさんの台所、天井から吊り下げられたハムとベーコン。大時計は二時半を指し示している。(中略)
そこは千九百年当時の姿の婦人たちが歩くベルギーの町、あるいはアイスランドの町か。ただ、その胸元を支えるような壁は取り払われてしまった。細い吊り紐が残っているだけだ。教授よ、教授よ、ついにまたあなたを見つけました。
(内山憲一訳)


デルヴォーの絵を見ていると、誰もがその絵によって呼び起されたイメージを文章にしてみたくなるだろう。でも、ビュトールがやったのは、もちろん、そんなことではない。

それはたぶん、デルヴォーの絵の向う側にある何かを(誰かを)探してまわる行為に似ているだろう。
ようやく見つけたと思ったら、リーデンブロック教授ではなくて、ロゼット博士だったりするというような。
我らがアクセル君は、いつだって大変なのである。



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832改. くらもちふさこ 銀の糸 金の針

別冊マーガレット1981,9


(承前)

先の記事(#832)で書いたように、美大を舞台にした漫画はいろいろあるが、わたしの一番のお気に入りは、くらもちふさこさんの比較的初期の短編、「銀の糸 金の針」(1981)である。(題名は、カントリー・ミュージックの曲名に依る)

初期といっても、すでに「おしゃべり階段」を書き、「いつもポケットにショパン」の連載を終えていた時期である。また、この短篇のあとには、「ハリウッドゲーム」、「いろはにこんぺいと」、「東京のカサノバ」と怒涛のように傑作をものにしていくことになる。つまり「銀の糸金の針」は、まさに、作家としてのピークを極めようとしていた時期に書かれた短篇ということになる。小品ではあるけれども、くらもちさんの魅力が、ちゃあんと一杯につまった作品だと思うのである。


「古そうな曲、なんて曲だろう」
「銀の糸と金の針」
「へえっ、ステキ、どんな内容?」
「・・・・」
「どんな内容?」
「・・・・」
「ケチ!!」
「銀の糸と金の針でも、あたしの心をつくろえない」
「それ・・・、それだけ救いようのない失恋をしたってこと?」
「いや、この曲はそーいう意味じゃないね」


テーマは、いつものくらもちさんと同じ。「女の子の気持ち」である。
とてもとても大昔の話になるが、わたしは、そもそも女子というものがどういうものであるのかを、くらもちさんの漫画で学んだ。それが正しいことであったのかどうかはわからないが、萩尾さんや竹宮さんではなかったことがポイントである。おかげで率直な気持ちの男子に育ったと思う(W)

以上、報告します。




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839. ウィルキー・コリンズ ならず者の一生(画家小説百選)

A Rogues Life


「ならず者の一生」(1856)は、ウィルキー・コリンズ(1824-1889)の書いた中篇小説。
イギリス流のユーモアをふんだんに散らしたピカレスク小説である。 
この作品は、作家自身によれば、少なくとも二つの長所を持っているという。
曰く、『彼(主人公の画家の青年)は、深刻になってもすぐに軽薄さを取り戻す。そして、「読むのに時間がかからない」。』


先に、パブリックスクールで得た学識の一つとして、私にありがたくも教育を施して下さった先生方の似顔絵を描くことを学んだと申し上げた。私にはこの有益な芸術の一分野に天賦の才があった。学校を出た後も隠れて修練を積み、この能力にかなり磨きをかけた。そして医者を目指していたときには、それが私の小遣稼ぎのタネになった。(中略)
私は英国似顔絵界の若き海賊の一人となり、暇さえあれば題材となり得る獲物を求めてあちこち巡航した。店のウィンドーに並んで、著名人たちの公私に渡る行状を茶化している色付き版画の中で、「テルシテス・ジュニア」という古典から取った名で署名を付した商品見本が、実は勤勉に医学を志す我が息子の手による作品である、などとは育ちのよい母には考えもつかなかった。
(甲斐清高訳)


実際にに読んでみるとこの主人公は、悪漢というよりもただのよくいる軽薄な若者で、ただし奇妙なエネルギーを備えていることで何とかハッピーエンドにまで漕ぎつけるという、まことに幸せな青年なのである。
ああそうだそれからなんといっても他愛のない物語であるので、たしかに、「読むのに時間がかからない」。

ところで、ウィルキー・コリンズといえば、やはり「月長石」(1868)という作品にふれておかなければならない。
この分厚くて重い文庫本は、なるほどその厚みと重量だけのことはある。今も古びずに推理小説としての面白さを湛えているのである。ただし、最初の、最長の、最上の、且つ、最大にして最良の探偵小説であるかどうかは、わからない。

以上、報告します。



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838. ウディ・アレン もし印象派画家が歯科医であったなら (画家小説百選)

Without Feathers


「もし印象派画家が歯科医であったなら」は、ウディ・アレンの第二短篇集『羽根むしられて(原題、Without Feathers』(1975)に所収の一篇。   念のため書き添えておくが、彼がいったいどんな小説を書くのだろうかと、そんな疑問や心配や期待はまったく無用である。ここには、ウディ・アレンの映画とまったく同じ調子の作品が並べられているからである。独特の洗練された(w)ギャグと皮肉が満載されている。

愛するテオ
 人生はぼくを人並みに遇してくれないのだろうか。ぼくは絶望に打ちひしがれている。頭痛はやまない。ソル・シュウィンマー婦人はぼくを裁判所に訴えている。ぼくが自分の好みで彼女の橋義歯(ブリッジ)をつくったため、彼女のばかげた口にそいつが収まらないというのが訴えの理由だ(中略)
テオ、このままではぼくは耐えられそうもない。
(伊藤典夫訳)


訳者の伊藤典夫さんによれば、この短篇集が発表されたのは、映画でいえば『スリーパー」(73)や『ウディ・アレンの愛と死』(75)と、『アニー・ホール』(77)の中間の時期だということであり、笑いの質もちょうどそのあたりのものに近いと、そんなふうにとらえられるのだそうだ。

ところで、「もし印象派画家が歯科医であったなら 」は、残念ながらこの短篇集の中のベストの作品というわけではない。わたしがどれか一篇を選ぶとしたら迷わず「コールガール組織を追え」という、擬・探偵小説の方を挙げるだろう。これなら、彼の映画で笑えなかったような方も、きっと爆笑できると思うのである。
以上、報告します。




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837. ウラジーミル・ソローキン  ロマン (画家小説百選)

ソローキンの長編、「ロマン」(1994)は、三部構成の形を取っている。
第一部と二部では、弁護士を辞め、画家として第二の人生を歩むために故郷の村へ戻った青年の物語が描かれる。まるで、19世紀のロシア文学の黄金時代の大家たちの作品を模したような大長編小説が綴られていく。
そして、第三部では、その物語がすべて壊されてしまう。

それはもう、乱暴狼藉のし放題!
物語も登場人物もテクストもエクリチュールもシニフィアンもシニフィエも皆殺しの憂き目にあう。さすがは、小説の破壊者であるとか、ロシア文学最悪の作家というような呼び名が冠されるだけのことはある。どこかの翻訳家のように、「『青い脂』で飛び出た目玉を拾って入れて、また目ん玉飛び出るがよい!」などと叫びたくなる気持ちもわかるような気がしたりするのである。

もう一年以上も前にロマンはそれまで勤めていた弁護士の職を去り、絵を始めていた。(中略)
「ロームシカ、またどうして絵を始めたの」
「うまく言えませんが・・・・・・」ロマンは肩をすくめた。「僕はまだ子供の頃からずっと、画家がうらやましいと思っていたのです」
「ほほぉ、そいつはいい!」叔父は大音声をあげる。「うらやましいときたか!それなら、成功間違いなしだ。もし仮にお前が、画家を崇拝していたとか、好きだったとか尊敬していたとかいう言い方をしていたら、わしはお前を信用しなかっただろう。ところがうらやましいときた!そいつはたいしたもんだ」
(望月哲男訳)


しかし、物語が壊され、登場人物が死滅してしまったあとで、ふと気がついたことがある。
この物語の主人公は、なぜ画家であったのかということである。
たぶん、画家でなくてもよかったのだろうとか、ゴーゴリやツルゲーネフの画家小説を軽く捩ったのかもしれないなとか、そんなふうに考えるのは容易い。
でも、たぶん、そうではないのだろうなぁ。
或は、なにも意味は無いと。

そうだ、それなら、むしろ、こちらの方について考えてみるのが面白いかもしれない。
なぜ、この主人公の名前は「ロマン(ROMAN)」というのか?
ロマンが死ねば、小説も死ぬのか? なんてね。




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836. ミシェル・ウェルベック 地図と領土 (画家小説百選)

La Carte et le Territoire The Map and the Territory 地図と領土


画家小説について記事を書くとして、そのスタート地点はたぶん19世紀のフランス文学だということになるのだとしても、では同時代の画家小説というのはいったいどこにあるのか、実はそれがよくわからないまま、このシリーズを書き始めてしまっていた。
しかし、今なら、それがわかるような気がする。


はるか後年、有名に  実際のところ、とてつもなく有名に  なったとき、ジェドは幾度も、あなたにとって<アーティスト>であるとは何を意味しますかと聞かれることになった。格別面白い答えも、独創的な答えも思いつかなかったが、彼にいえることがひとつだけあり、従ってインタビューを受けるたびにそれをくり返すこととなった  アーティストであるとは、彼にとっては何よりも、〈従順な〉何者かであるということだった。それは神秘的な、予見できない、それゆえいかなる宗教的信仰も抜きで〈直観〉としか呼びようのない種類のメッセージに対する従順さなのだが、とはいえ、そのメッセージは有無をいわさぬ、絶対的なやり方で命令を下し、それを逃れる術をまったく与えない  さもなければ、完全さの概念も自尊心も、そっくり失われてしまうのである。このメッセージはひとつの作品の破壊、さらには一連の作品群すべての破壊を命じることもありえた。それは根源的に新たな方向に向かうためだったが、しばしば、何の方向も、いささかの計画も、継続への少しの希望もなしの破壊でもあった。この点で、そしてこの点においてのみ、アーティストであることは時に、〈困難〉と形容されうるのだった。そしてまたこの点で、そしてこの点においてのみ、アーティストであることは他の職種や〈職業〉と異なっていた。
(野崎歓訳)


それは、ミシェル・ウェルベックの「地図と領土」(2010)を読んだからである。
同時代の「画家小説」が、ここにあったのだなぁと、読みながらたまらなくうれしくなってしまったりした。
そうなればもうこっちのものだ。批評家たちがこの作家の特性だという、世界に対する侮蔑も傲慢も孤独も絶望も、そんなに気にならなくなってしまうのである。
以上、報告します。



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