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896. イーヴリン・ウォー ブライヅヘッド ふたたび (画家小説百選)

ブライヅヘッド


とびきりの小説というのが、たまにある。たまにはあってくれないと困ってしまうが、実際にはほんのたまにしかないのである。だからたまに出会うと率直によろこぶ。たのしくなって歌ったり踊ったり、はしないが祝杯をあげるくらいはやるかもしれない。いや確実にやる。 
    イーヴリン・ウォーの 「ブライヅヘッド ふたたび」(1945) というとびきりの作品の第一部は、「曾てアルカディアに」 と題されていて、主人公が果樹園のある屋敷ですごした或る年の美しい夏を回想する文章が綴られている。

若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか。又、何と瞬く間に失われて、二度と戻って来ないものだろうか。(中略)兎に角、その夏ブライヅヘッドで過ごした無為の日々は、わたしには天国に近いものに思われた。(中略)

私はその夏を一緒に過したようなセバスチアンとして彼を覚えていたい。私達は連れ立って魅せられた宮殿の中をさ迷って行き、刈り込んだ黄楊の生垣で区切られた果樹園を セバスチアンは車付きの椅子を進めながら冷たい苺や温かい無花果を探して廻り、或は温室から温室へ、一つの匂いから又別な匂いへ、一つの季節から違った季節へと、麝香葡萄の房を切ったり、私たちの上衣の襟に挿す蘭の花を選んだりして移って行き、又、わざとひどくまだ歩き難そうな振りをして階段を登って行って、昔の子供部屋の、擦り切れた花模様の絨毯の上に私と腰を降して、私たちの廻りには空になった玩具箱が並び、部屋の隅ではホーキンスばあやが縫いものを していて、「貴方達ってのは何てまあ、しようがない人達なんでしょう。子供と同じじゃありませんか。大学で一体、何をしているんです、」と言ったりするのだった。今は、セバスチアンは露台に向った列柱の間の安楽椅子に日光を浴びて嵌り込んでいて、わたしは彼の脇に固い椅子を引っ張って来て噴水を写生しようとしていた。
(吉田健一訳)


引用したのは、第一部・第四章、     ”若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか” というみごとな訳文で始まるこの章には、美しくてありきたりで儚くてとびきりの、チャールスとセバスチアンという二人の青年の物語の全てが詰まっているように思える。もちろん、ただのアルカディア(楽園)ではなくて、そこにはかなしみもはかなさも一杯につまっているのである。・・・あまりにみごとな物語であるので、その後、主人公のチャールスが画家になることなどふれないでもよいくらいである。

イギリスでは、2008年にマシュー・グッド(チャールズ)と、ベン・ウィショー(セバスチャン)の主演で映画化された。
日本では、未公開なのが残念。



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503. 森のなかのスープ

Georgia O’Keeffe, Pond in the Woods, 1922 (2)
(Georgia O’Keeffe「Pond in the Woods」(部分), 1922 )


毎日11時頃、少し早目の昼食といえばいいだろうか、アールズコートの駅前のパブに入る。
注文するのはいつも「今日のスープ」ってやつである。日替わりのスープにパンがついている。
このシンプルさがなにより。余分なものを望むとそこはイギリス料理である。叶えられることはない。

その日は深い緑色のスープだった。
スプーンを入れるとクリームが溶けて渦になった。
クレソンのスープがお気に入りだったというオキーフを思い出した。

彼女はキッチンに立つのがとても好きだったという。
口癖は "Soup is such a comfort" だったとかなかったとか。

その森に入っていくと小さな池があって、
水面にはあらゆる緑が溶け込んでいる。
ただし小説ではないのでいくら待っても緑の妖精は出てこない。
代りに、三日月のやつをつかまえて放りこんでやったとかなかったとか。



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502. 洗濯袋のなかのスープ

Queen,Headlong


毎日11時頃、少し早目の昼食といえばいいだろうか、アールズコートの駅前のパブに入る。
注文するのはいつも「今日のスープ」ってやつである。日替わりのスープにパンがついている。
このシンプルさがなにより。余分なものを望むとそこはイギリス料理である。叶えられることはない。

その日は珍しく透明なスープだった。
窓際に坐ると、外からの光がスープに反射していろんなものを映してくれる。
空と雲、道路を走る車、信号の赤と黄と緑、そして気がつくと女性の姿が映っていた。

なんとか頑張って声をかけた。といっても、挨拶のことばだけだ。
だから、調子はどう?と返してくれたのが嬉しかった。
でも、また会えるかなとは訊かなかった。
諦めてしまったのかもしれない、所詮はToday's Soupのことだからと。

彼女はもう行かなくちゃといって後ろを向いて、
真っ逆さまにスープ皿の深いところへ飛び込んでいった。
Hoop diddy diddy - Hoop diddy do
ぼくは残りのスープをランドリーバッグの中にぶちまけてアパートへ戻る。




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895. ジョナサン・キャロル 細部の悲しさ (画家小説百選)

The Panic Hand Jonathan Carroll


ジョナサン・キャロルの「細部の悲しさ」(1989)、
邦訳は創元社版の短編集『パニックの手』に所収。
原著の『The Panic Hand 』(1996)は、キャロル初の短編集であった。
だからどうだというわけではないし、あらためて言うまでもないのだが・・・、
キャロルは短編もいいのである。

<木曜日>は写真の山を、トランプを切るようにとりまとめた。「うちへ帰って、あの絵を探すんだね」

  昔は結構、上手だった。れっきとした奨学金をもらって美術学校に進学し、何人かの先生に、本物の画家になる素質があると言われた。でも、それを聞いてどう反応したかわかる? 怯えてしまった。あたしが絵を描いたのは好きだったから。人があたしの作品を、頬骨に手を当ててじっくり見るようになると、逃げ出して結婚した。(中略)
  ほんとについ最近、子供たちが自分でおやつを用意できる歳になったので、値段の張るイギリス製の油絵具とキャンバスを二枚、買いこんできた。けどそれすら持ち出すのが恥ずかしいくらいなもので、この何年か、あたしの描いてきた絵といったら、子供のためのふざけたスケッチか、親しい友達への手紙の末尾に殴り描きしたようなものだけ。(中略)

  欲しいという絵は見つからなかった。どこもかしこも捜してみた。屑籠、抽斗、子供たちの昔の宿題。必要なものが見つからない時、パニックというのはなんて無慈悲に募っていくことか!
(浅羽莢子訳)


キャロルは長編の作家だと思う。しかしこの短編集は読んでいて飽きない。飽きないどころか、何度も驚いたり打ちのめされたり頭をひねらされたりする。では、長編と同じじゃないかということになるが、それは違うのだ。短編独自の趣があり、短編独自の愉しみ方ができる。(短い作品を1分で読み終えて、そこからあふれてくる世界に60分も翻弄される) 例えば、この「細部の悲しさ (The Sadness of Detail) 」という短編だ。わけがわからないタイトルだが、読み終わるともっと頭をひねることになる。わけがわからない方がよい世界もあるのである。


PS. しかし、この原著のジャケットのデザインはひどいね。
これではスティーヴン・キングの本と間違われないか。



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894. マルセル・エイメ よい絵 (画家小説百選)

Ayme.jpg


エイメ (1902-67)は、モンマルトルに長く住み、モンマルトルを舞台に作品を描いた。
だから、作品のなかにはいつも売れない画家や貧乏な作家が登場してくる。
それが愉しみである。

早川書房版の作品集『壁抜け男』を読んでいると、ちょっと困ってしまう。
こちらにもあちらにも画家が登場してきて、どの作品を選べばいいのか迷ってしまうからである。
表題作の「壁抜け男」、そして「カード」、「パリ横断」、「サビーヌたち」、さらに下記に引用した「よい絵」(1947)、どれも味わい深い、というか不思議な味わいの作品ばかりで、登場する画家たちもみな奇妙な存在感を示してくれる。

  モンマルトルのサン・ヴァンサン街のあるアトリエに、ラフルールという名前の画家が住んでいた。彼は自分の仕事に愛情と熱意と誠実さを抱いていた。三十五歳の年齢に達したとき、彼の絵は極めて豊かで、敏感で、新鮮で、実質的なものになったので、文字どおり栄養物にふさわしくなった。それも単に精神にとってばかりでなく、肉体の栄養物になったのである。
(「よい絵」冒頭、中村真一郎訳)


「よい絵」に登場する画家も、モンマルトルに住んでいる。
いつもと同じような設定である。
いつもと違うのは、彼が描く作品は後に"栄養絵画"と呼ばれるようになる代物であり、さらにパリで一世を風靡することになる"有効芸術"運動の先駆けとして位置付けられていくという点を指摘しておけばいいだろうか。



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ミュージアムの階段 (記事索引⑥、601~700)

(Stufen und Museum )

601. ヘルマン・ヘッセ記念館 (2012/08/10)
602. まつもと市民芸術館
603. テイト・ブリテン
604. 国立西洋美術館
605. ピカソ美術館(バルセロナ)
606. Arts Chiyoda
607. テイト・モダン (09/1)
608. 旧・サントリーミュージアム・天保山
609. オーストリア・ギャラリー
610. 細見美術館

611. 岩手県立美術館
612. 宮城県美術館
613. 横浜美術館
614. 神奈川県立近代美術館 鎌倉館
615. 京都国立近代美術館
616. 兵庫県立美術館
617. 横須賀美術館 (10/10)             
618. せんだいメディアテーク
619. 京都市美術館
620. 平塚市美術館

621. 秋野不矩美術館
622. E.T.A.ホフマン・ハウス
623. 一葉記念館 (11/1)
624. ゲーテ・ハウス
625. 伊豆の長八美術館
626. ロンドン・自然史博物館
627. 室生山上公園芸術の森
628. プラド美術館 (2012/12/23)
629. 駒井卓・静江記念館 (2013/01/6)
630. レオポルト美術館

631. 日比谷図書文化館 (02/9)
632. アルテ・ピナコテーク
633. ノイエ・ピナコテーク
634. ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム
635. 美術館「えき」KYOTO
636. 東京都美術館 (03/10)
637. 東京国立博物館
638. ウィーン美術史美術館
639. 国立科学博物館
640. チェコ、国立博物館 (04/12)

641. 京都国際マンガミュージアム (05/13)
642. 根津美術館
643. 「21_21 DESIGN SIGHT」
644. サントリー美術館
645. シャーロック・ホームズ博物館
646. ボドリアン図書館
647. 秩父宮記念スポーツ博物館
648. 墨田、小さな博物館 (06/01)
649. 五條文化博物館
650. クンストハウス・ウィーン

651. ウィーン、分離派会館
652. 奈良県の山
653. ケストナー博物館
654. ドレスデン、古典絵画館
655. ソフィア王妃芸術センター (07/10)
656. アルベルヒト・デューラー・ハウス
657. フランツ・カフカ博物館 (08/24)
658. 犬博物館 (09/07)
659. ディラン・トマス記念館
660. ビジネスホテル・ペインティング・ミュージアム

661 ミロ美術館 (10/12)
662 未来のミュージアム (11/25)
663. The New Yorker Covers
664. メトロポリタン美術館-①
665. WHITNEY MUSEUM & NEW MUSEUM (12/2)
666. シュテーデル美術館
667. Apple Store
668. ニューミュージアム (2014/1/18)
669. メトロポリタン美術館-② (2/1)
670. ピクトグラフ美術館

671. 青梅赤塚不二夫会館
672. Cat Museum
673. ポール・スミスの階段 (3/4)
674. ベルリン・絵画館
675. ベルリン・新ナショナルギャラリー
676. ペルガモン博物館
677. 青淵文庫 (4/7)
678. 向島百花園
679. 森鷗外記念館
680. 江戸東京博物館

681. クロイスターズ
682. フランスドーム/ユグノー博物館 (5/13)
683. アサヒビール 大山崎山荘美術館
684. 「駅ナカ」ミュージアム
685. 江戸東京たてもの園/前川國男邸
686. 国際子ども図書館 (6/1)
687. ニューヨーク近代美術館
688. ファーバーカステル・ミュージアム
689. ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
690. ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

691. San Marco Museum
692. 階段の間と緑の部屋
693. 緑の部屋、その2
694. ルートヴィヒ美術館(ケルン) (7/2)
695. 解剖劇場/階段教室(ブールハーフェ博物館・ライデン)
696. ダリュの階段/ルーブル美術館
697. ブラマンテの階段/バチカン美術館
698. 大英博物館
699. 無垢の博物館(イスタンブール)
700. バウハウスの階段/階段のジョーク
(ミュージアムの階段、完)


※数字をクリックすると、記事に飛びます。



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☆ 700. バウハウスの階段/階段のジョーク

①バウハウス資料館、ベルリン

001CIMG0404 (4)


"ミュージアムの階段" シリーズも最終回を迎えた。
掉尾を飾るのは「バウハウスの階段」である。しかし飾りものになるほどこの記事は立派なものではない。
だから副題を   バウハウスの巨匠、オスカー・シュレンマーに倣って    『階段のジョーク (Treppenwitz)』と付けておいた。最後まで読んでいただけると幸いである。



②バウハウス資料館の階段ならぬスロープ (クリックすると大きな画像が開きます)

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2005年の映画 「Æon Flux 」 (2005,MTV Films) は、バウハウスの建築が全編にわたって登場していたことで記憶すべき作品となった。シャーリーズ・セロン扮する反政府組織モニカンの女戦士が、この印象的なスロープ(傾斜路)にきりりと立つ姿、それは見事でありました。そしてもちろん、スロープとは階段の化身のことなのである。


③椅子の空中階段

007Part of the Bauhaus Archiv Berlins collection of Marcel Breuer and Cantilever chairs (2)

バウハウスの誇る歴史的な名作ともいうべき "椅子" が、空中階段を形づくるの図、である。
バウハウス資料館の展示、「Marcel Breuer and Cantilever chairs」 の一部である。
これもまたみごとだとしか言いようがない展示だと思う。似たようなものをIKEAでもという人がいればどうかしてるゼと思う。
(画像は、bauhaus.de より。クリックすると大きな画像が開きます)



④バウハウス、デッサウ校の階段

008Walter Gropius famous school building marks the starting point of the Bauhaus establishing in Dessau.  009,18730a75c52972af0660e4586024a907

ベルリンから離れて、デッサウ・バウハウスに行くと、そこにはヴァルター・グロピウスの設計による美しい階段が迎えてくれる。そのデザインは少しも古びることなく今も輝きを保っている。これぞモダン建築の見本のような作品である。
((画像は、bauhaus-dessau.de より。クリックすると大きな画像が開きます)



⑤オスカー・シュレンマー 「バウハウスの階段」

004Oskar Schlemmer,Bauhaus Stairway 1932,MOMA  005Roy Lichtenstein, ‘Bauhaus Stairway’, 1989

このデッサウ校の美しい階段を描いた作品として有名なのが、オスカー・シュレンマーの 「Bauhaus Stairway(バウハウスの階段)」(1932)である。 同じMoMAには、約60年後にリキテンシュタインが描いた「バウハウスの階段」(1989)が展示されている。こうして並べてみると、両者の魅力が一層はっきりと表れてくるように感じる。
(画像は、ニューヨーク近代美術館のサイトより)



⑥オスカー・シュレンマー 「階段のジョーク」

006Oskar Schlemmer--Stair Joke, a pantomime.

「Treppenwitz (階段のジョーク)」とは、オスカー・シュレンマーの企画による舞台芸術作品のひとつである。2008年の東京藝大の「バウハウス・デッサン展」では"バウハウス・ダンス"のひとつとしてこの作品の映像が流されていたように思う。パントマイムあるいはミュージカルのようなもの、というと大雑把すぎるだろうか。再見を願って、YouTubeを探してみたのだが見つからなかったのは残念。同じシュレンマーの「triadische Ballett」という作品のほうは、幾つか動画がアップされていたので関心のある方は、そちらを。
(画像は、The Hekman Digital Archiveより。クリックすると大きな画像が開きます)



⑦デッサウ・バウハウス、Masters' Housesの階段

010House Kandinsky detail 2  011House Kandinsky detail  012House Klee detail 1  013House Klee detail 2

デッサウ・バウハウスには、ヴァルター・グロピウスの設計による「Masters' Houses」と呼ばれる戸建住宅が幾つか遺っている。バウハウスのアーチストや教師たちの住居である。画像は、そのなかのカンディンスキーの住宅(左の二枚)と、ポール・クレーの住宅(右の二枚)の階段である。この色使いのみごとさ!少しだけため息がでてすぐには消えずに白く残った。
(画像は、bauhaus-dessau.deより)



⑧バウハウスの・・・

RETRO IMAGE Apparel BAU-LS Bauhaus Exhibition Long Sleeve (2)

"逆光の自転車屋"というブログタイトルをつけたのは、わたしも下手な自転車乗りのひとりだからである。
だから、ベルリンとデッサウ・バウハウスを見た記念として、あるいはヴァイマル・バウハウスを見られなかった記念として、このサイクル・ジャージを買い求めたのも当然の成り行きであった。バウハウスのポスターの図案を身にまとった姿は、友人たちに言わせるとイタイ/ニアワヌと意見が相半ばしている。

以上、報告します。



(ミュージアムの階段、完)




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☆ 699. 無垢の博物館 (ミュージアムの階段)

無垢の博物館


オルハン・パムクの長篇、「無垢の博物館」(2008)、小説の舞台は1970年代のトルコ、イスタンブール。
登場するのはケマル、三十代の男、これは彼の愛の物語である。
物語の途中で、彼が愛する女性の為に、映画製作に関わる場面がある。
その社名は「レモン映画製作社」。
いい名前だなぁ。レモンとは、彼女が飼っていたカナリアの名前なのだという。

トルコ初のフルーツ味サイダー、メルテム。その新聞広告やテレビコマーシャル、あるいはイチゴや桃、オレンジにサクランボといった味の実際の製品がわたしの博物館には展示してある。あのころの満ち足りていて愉快な、そして溌剌とした雰囲気や、脳天気さを思い出させてくれるからだ。
(宮下遼訳)


”博物館”とは、後に、彼が愛した女性の持物や思い出の品を展示するために作った私設博物館を指す。
”フルーツ味のサイダー”は、まさに恋愛が始まった頃の彼の気分を象徴するアイテムとして示されている。物語の最後にも、このサイダーにまつわる小さなエピソードが登場してくるのだが、それがすこし哀しい。

そして、驚くべきことに、2012年にこの博物館は実際のものとなった。
イスタンブールの新たな観光名所となっているという。
画像は、このミュージアムの階段である。

フィクションの中のものだった筈のミュージアムが、こうして現実のものになって現れてくる。
もちろんわたしはこれが前例になればよいと思っている。    キャロルの犬博物館、ミルハウザーのバーナム博物館、マンディアルグの黒い美術館、イーザウの盗まれた記憶の博物館、ディックの顔のない博物館等々、ぜーんぶ現実のものになってあらわれて一堂に会しちゃったりしてテーマパークみたいになってしまったとしたら・・・、ああどんなに愉しいだろうか。



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893. J.G.バラード コーラルDの雲の彫刻師/ヴァーミリオン・サンズ (画家小説百選)

Vermilion Sands


J・G・バラードの短篇「コーラルDの雲の彫刻師」(1967)は、架空のリゾート地である"ヴァーミリオン・サンズ"を舞台にしたシリーズの一篇である。連作小説のひとつだが、独立した作品としても読める。或は、独自の短篇として読むことで得られる味わいもある。とても完成度の高い小説だと思う。
訳者の浅倉久志は、 "バラードは、風景を人間の心理の表出と考える、きわめて視覚的な作家である" としたうえで、作家の次のような発言を紹介している。      『わたしは昔から画家になりたかった。絵画に対するわたしの趣味は、小説に対する趣味よりもずっと幅が広くて、ほとんどあらゆる時代の絵画に興味があるんだよ。 (中略) どこかで前にいったことがあるが、わたしの小説はみんな何枚かの絵でできている。ヴァーミリオン・サンズの物語も、一種の視覚的な経験だ」

  見物中の一台の車から嘆声が上がった。ノーランはまるで自分の作品の除幕をするように、翼を横滑りさせて雲から離れた。午後の太陽に照らし出されたのは、あどけない三歳の幼児の顔だった。まるまるとした頬が、穏やかな唇とぽっちゃりしたあごを縁どっている。一人ふたりが拍手するのといっしょに、ノーランは雲の上へと舞いあがり、その頂をさざ波立たせて、リボンと巻き毛を作りあげた。
  けれども、ほんとうのクライマックスがまだこの先にあるのを、わたしは知っていた。なにか悪性のウィルスのたたりなのか、ノーランは自分の作品を認めることができないらしく、いつもおなじ冷ややかなユーモアでそれを破壊するならわしなのだ。(中略)
  ノーランは、闘牛士が獲物にとどめを刺す瞬間をまちうけるに、幼児の顔のあとを追ってその上を飛びつづけた。彼が雲を刻みはじめるとしばらく静寂がおりたが、やがてだれかがうんざりしたように車のドアをばたんと閉めた。
  わたしの真上にうかんでいるのは、白い髑髏のイメージだった。
(浅倉久志訳)


ここには、雲の彫刻師たち(Cloud-Sculptors)が登場してきて、グライダーで空を飛び、ヨウ化銀で雲を刻み風景や肖像を描く。彫刻師のグループは、男ばかり四人。そして、美しい富豪の女性が一人。   ここまで設定を書いておけば、物語の行く末がわかるような気がするかい??
仮にそれが当たっていたとしても、全く問題ではない。問題にもなりゃしない。これは、ヴァーミリオン・サンズという場所の雰囲気を味あわなくてはならない小説であるし、バラードが描いた物語を視覚的に経験しなくてはならないからである。ぼくらのちっぽけな想像力なんてなんの役にも立ちゃしないというわけなのである。



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892. マルセル・シュオブ リリス (画家小説百選)

ロセッティ、レディ・リリス、1867,MET
(Dante Gabriel Rossetti, 「Lady Lilith」, 1867:The Metropolitan Museum of Art)


シュオブの短篇 「リリス」、作家が二十四歳で書いた最初の作品集 『二重の心』 (1891) に所収。
幻想小説というよりは、美しい散文詩のような作品である。
ただし、作品には "恐怖と憐憫" が重要だとした作家のこと、美しいだけで終わるはずもないということは書いておくべきか。さらに、作中のエピソードをして"ネクロフィリア"を思わせると評した文学者がいたことも書き添えておいたほうがよいだろうか。

  ・・彼はリリスを愛した。これはアダムの最初の妻で、男から造られた女ではなかった。エヴァのように赤い土ではなく、非人間的な物質でこしらえられていた。蛇に似ていて、他のものたちを誘惑するようにと蛇を誘惑したのは実はこの女なのである。彼には、彼女こそ何者にもまさる真の女、最初の女であると思われた。そこでこの世で最後に愛し、結婚したこの北国の娘に、リリスという名を与えた。
  とはいえこれは芸術家の純粋な気紛れにすぎなかった。彼女は彼がカンバスに甦らせたラファエル前派のあの画像に似ていたのである。空いろの眼をして、長い金髪は、神々に捧げて以来天空に広がったペレニケの髪のように輝いていた。その声は今にもこわれそうな物の立てるやさしい響きを帯び、そのしぐさは嘴で羽を整える鳥のようにものやわらかであった。この現し世とは異る世界に属しているという雰囲気がしばしば感じられたので、彼はこの女を幻とみなしていた。
(多田智満子訳)


この作品は、詩人であり画家でもあったロセッティと彼の早世した妻のエリザベスをモデルにしたと言われている。しかし、物語のなかの女性は、実在のエリザベスというよりも、ロセッティの描いた"レディ・リリス"をそのままモデルにしたかのような雰囲気で描かれている。
    この絵を見ると、思わず、"物語の主人公は画家ではなくこちらか" と、呟きたくなるような魅力を秘めている。『宿命の女』がここにもいると、恐る恐るつぶやいてみたりする。


P.S. ロセッティの「レディ・リリス」には、同名の作品が幾つかある。
ここでは、メトロポリタン美術館所蔵の作品を引用した。
この絵は助手の Henry Treffry Dunnが描き、ロセッティが仕上げをしたと伝えられているようだ。METの展示にも、それらしき表示がなされていた。WIKIPEDIAで引用されているデラウェア美術館蔵の絵と比べると、リリスの表情が大きく異なるのが面白い。




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