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556. 黄金のブダペストを見たいですか (Today's Soup)

黄金のブダペスト


エステルハージ・ペーテルの短篇、「黄金のブダペストを見たいですか」(1991)は、次のような文章で始まる。

 猫のツェレスティンがコンソメ・スープの中に落下する、こんなふうにこの短篇は始まるはずだ。「ツェレスティン、このごくつぶし! 邪悪な非イスラム教徒め!」と、語り手=私の妻である主婦が唸り、頬のあたりがセロリのような緑色である猫がスープの中から笑いだすはずだ。イヒヒ!
(岩崎悦子訳)


この見事な書き出し、強烈な一節! 
こんなものを見てしまったからには、続きの部分を読まずにはいられない。どんな展開が待っているのか想像せずにはおられない。まさにこういうものが読書のたのしみだろうと思う。

だから、わたしも、これ以上この短篇の中身を紹介するような愚は避けようと思う。
関連情報として書き添えておいてもよさそうなのは、この程度か。   ハンガリーでは日本とおなじように 姓→名 の順に表記するらしい。すなわち、”エステルハージ”は苗字なのである。





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555. 海亀クン、コミカル・アイロニカル犯罪同盟がねらっているよ (Today's Soup)

>カレン・ラッセル


夜の海岸である。星が輝いている。数人の少年・少女たちが集まっている。
かれらは、「コミカル・アイロニカル犯罪同盟(the Comical Ironical Crime Ring)」と名乗っているらしい。そこに、ふらりと一人の少年が現れて、そんなつもりはなかったのだが、同盟にひきこまれてしまう。

「ところできみは?」ぼくは聞いた。「きみはだれ?」
ぼくは女の子に微笑みかける。彼女はかわいかった。そばかすの散った顔に、ピンク色のフレームの大きな丸めがねをかけている。ヴァニラ味のウエハースを食べたり、紙人形にイブニングドレスを貼りつけたりするのが似合う女の子だ。どう考えても、ラフィーみたいなやつと一緒にいるタイプじゃない。たぶん、ぼくみたいなやつとも。
「こいつがだれかだって?」ラフィーは女の子の頬をつねる。「こいつはおれのオンナ、マータだ」
「この人のオンナよ」彼女は幸せそうに繰り返した。
「ああ、そう」ぼくは言う。「ぼくはオリー。お会いできてうれしいです」
「で、オリー」ラフィーがもう一度聞く。「今夜のウミガメ泥棒に参加するか?」
「ええと・・・・・・うん、そうだね、たぶん。この窃盗団は具体的に何をするの?」
(中略)
「だから、そのカメをつかまえたあと、どうするつもりなの?」
ラフィーはぼくの質問を払いのけた。「その点については後回しだ。皆ペットにするかもな?それかスープにして食べるとか、なんかあるだろ?」
(カレン・ラッセル「星座観察者の夏休みの犯罪記録」、松田育子訳)


「星座観察者の夏休みの犯罪記録」は、ラッセルの第一短篇集『狼少女たちの聖ルーシー寮』(2006)に所収。この作品集を読み終わったときには、誰もが、あらたな時代の少年少女小説の登場であると言いたくなるだろうと思う。
哀しみと可笑しさにあふれた作品がいっぱいに並んでいる。




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554. 逆まわりのスープ (Today's Soup)

Counterclockworld.jpg


ディックの「逆まわりの世界」(1967)、
時間が逆流している世界をえがくという壮大なギミックからなる長篇である。
しかし、拙ブログでふれるのはこの壮大な作品の、ほんの瑣末な部分だけである。あしからず、と書いておくべきか。
引用するのは、そんな世界に於けるひとりの男の朝の情景。
目覚し時計が鳴り、起きあがり、パジャマを脱ぎ、着替え、そして・・・

・・・洗面器の水で顔を洗い、にかわを泡だて、包みの中の髯を、顎、顎下、首筋までべたべたと手ぎわよくはりつけていき、たちまちぜんぶつけおわった。(中略)ロスアンゼルス・タイムズのスポーツ欄をながめる。それからキッチンへいき、よごれた皿を並べはじめる。またたくうちにスープとラム・チョップとグリーンピースと火星の青苔のエッグ・ソースかけと熱いコーヒーが目の前にならぶ。
(小尾芙佐訳)


これだけの引用では、ちょっとわかりにくいだろうか。時間が逆流する世界の情景であることをもういちど念頭において読んでほしい。
すなわち、この世界の食事とは、こういう順序で進行するということだ。
よごれた皿を並べ、→ 口から吐き出した食べものを並べ、→ スープやラム・チョップを作る。

読後の感想は、こうだ。
逆まわりの世界のスープなんて食べたくない!



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553. 味噌汁が、食卓のうえに、まるで雲のようにかかっている (Today'sSoup)

日本SF展


海野十三の星の数ほどある傑作のひとつ、「大宇宙遠征隊」を読む。
この小説が書かれたのは1941年であることを覚えておいてほしい。
まだ海外でさえ、荒唐無稽なSF小説が跋扈していた時代である。

「人工重力て、なんですか」
「人工重力というのは、人間の手でこしらえたにせの重力のことさ。そうでもしないと、たとえばこの食卓のうえに味噌汁のはいった椀がおいてあったとして、お椀をこういう工合に、手にとって口のところへ持ってくるんだ。すると、お椀ばかりが口のところへ来て、味噌汁の方は、食卓のうえに、そのまま残っているようなことがおこるんだ」
「えっ、なんですって」
 三郎には、鳥原のいうことが、すぐにはのみこめなかった。なにしろ、あまり意外なことだったので、
「あまりへんな話だから、分らないのも無理はないよ。その話は、この前、僕が宇宙旅行をしたときに、実際あったことなのさ。そのとき僕はずいぶん面くらったよ。なにしろ、口のそばへもってきたお椀は空(から)なのさ。そして味噌汁が、食卓のうえに、まるで雲のようにかかっているのさ」
(「大宇宙遠征隊」1941、青空文庫から引用)


海野が書いているのは、もちろん無重力状態のことである。
まだボストークやフレンドシップなどの有人飛行はもちろん、ルナやサーベイヤーなどの無人探査機も生まれていない時代である。そんな時点で、彼が宇宙旅行についてどんなふうに想像をめぐらしたのかと考えると、すこぶる楽しくて仕方がない。人間の、あるいは作家の果てしない想像力について考えると、気が遠くなる思いがする。そして、こころが震えるような気がするのである。

折しも世田谷文学館で「日本SF展」(~9/28!)が開催中である。
海野十三についての展示も十分にあるようだ。必見!



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552. 龍の眼のスープ (Today's Soup)

Pork spareribs and longan soup


毎日11時頃、少し早目の昼食といえばいいだろうか、アールズコートの駅前のパブに入る。
注文するのはいつも「今日のスープ」ってやつである。日替わりのスープにパンがついている。
このシンプルさがなにより。余分なものを望むとそこはイギリス料理である。叶えられることはない。

今日は、「ロンガンとスペアリブのスープ」だという。
ロンガンって何?と、カウンターの女性に訊くと、“Dragon Eye"のことだと言う。
次の質問は、もちろん、こうだ。龍の眼のスープって何だ?

まさかスープの中に鬼太郎のオヤジみたいなものが入ってたりしないだろうなとくだらないことを考えながら思い出したのは、以前、京都の相国寺で見た 「若冲の龍図」 のことだった。


若冲、雨龍図 1776     若冲、龍図、相国寺
(伊藤若冲「雨龍図」(左)、「龍図」(右))


龍の眼は八方を睨む、というらしい。
若冲の龍を見ていると、たしかにそんな気がしないでもない。
とある詩人に言わせると、龍の眼は、『八方を睨みながら、同時に、中正の一点を捉へる』のだという。
たしかにそんな気がしないでもない。
そんなことを考えながら、ロンガンのスープを食べた。
中には、ライチに似た甘い木の実が入っていた。



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ぼくらの本が歌う時 

次のエントリ・シリーズは、音楽がテーマである。単なる音楽小説選集ではなくて、読むと音楽が聴こえてくるような本、ページを開いているとそこから歌が流れてくるような本について書いてみたいと思う。というのも・・・、


音符01


ついこのあいだのことなのだが、夜中にふと目が覚めて本棚の方に眼をやるとなにやらゴソゴソと動いてるものがある。しばらくすると小さな声で歌のようなものが聴こえてきた。もちろんそれはわたしが寝ぼけていたからのはずで、そう信じてそのまま眠ってしまったのだが。
翌朝あらためて見てみると、本棚の下に八分音符がひとつ落ちていたのである。

片づけ忘れたのかな。
という感想はどうかと思うが、ともかく、歌う本の出現である。



(記事・予定 701~710)

701. リング・ラードナー ハーモニイ
702. デイモン・ラニアン ブロードウェイの天使
703. J・G・バラード プリマ・ベラドンナ/歌う彫刻
704. アーネスト・ヘミングウェイ ギャンブラーと尼僧とラジオ
705. E・T・A・ホフマン クレスペル顧問官
706. マルセル・シュウォッブ うたう吸血鬼
707. シオドア・スタージョン マエストロを殺せ
708. ジョナサン・レセム 孤独の要塞
709. フリオ・コルタサル 追い求める男
710. トルーマン・カポーティ 草の竪琴
 ・
 ・


おかしなネクタイ、おかしなやつら
兜をかぶって、大ぼらふいて。
ここを歩けよ、場所とっといた。
愛しているよ、あいしておくれ。

木の鼠はいいもの知ってる、
おがくずチーズと楓の薬味。


(ジョナサン・キャロル "木の鼠の歌"、浅羽莢子訳)




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551. ゴーシュさんはとてもいい人 (Today's Soup)

茂田井武の挿絵 (福音館、セロひきのゴーシュ)2
(茂田井武の挿絵、福音館版「セロひきのゴーシュ」、1956)


宮沢賢治の短篇を読んでいる。
賢治の作品で、「スープ」が登場してきてほしいと思うなら、銀河鉄道の夜かグスコーブドリの伝記を読んだほうがいいんじゃないのという気がしないでもない。ますむらひろし版のアニメでは、ジョバンニやブドリたちがトマトスープを飲む場面があったはずだから。いやでもしかし、(アニメとは違って、)賢治が書いた作品にはそんなシーンはなかったような気もするのだ。

ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。
けれどもあんまり上手でないという評判でした。
(「セロ弾きのゴーシュ」、冒頭)


それなら、ということで、このたのしそうな書き出しと美しい挿絵のついた『セロ弾きのゴーシュ』(1934、発表)の方を読み返している。すると、物語の中盤にお目当ての言葉を見つけるのである。

次の晩もゴーシュは夜中すぎまでセロを弾いてつかれて水を一杯のんでいますと、また扉をこつこつ叩くものがあります。
 今夜は何が来てもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかして追い払ってやろうと思ってコップをもったまま待ち構えて居りますと、扉がすこしあいて一疋の狸の子がはいってきました。ゴーシュはそこでその扉をもう少し広くひらいて置いてどんと足をふんで、
「こら、狸、おまえは狸汁ということを知っているかっ。」とどなりました。すると狸の子はぼんやりした顔をしてきちんと床へ座ったままどうもわからないというように首をまげて考えていましたが、しばらくたって
「狸汁ってぼく知らない。」と云いました。ゴーシュはその顔を見て思わず吹き出そうとしましたが、まだ無理に恐い顔をして、
「では教えてやろう。狸汁というのはな。おまえのような狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたと煮ておれさまの食うようにしたものだ。」と云いました。すると狸の子はまたふしぎそうに
「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと云ったよ。」と云いました。そこでゴーシュもとうとう笑い出してしまいました。
「何を習えと云ったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それに睡いんだよ。」
 狸の子は俄に勢がついたように一足前へ出ました。
「ぼくは小太鼓の係りでねえ。セロへ合わせてもらって来いと云われたんだ。」
(「セロ弾きのゴーシュ」、青空文庫から引用)


賢治自身もチェロを弾いたそうだ。腕前は、もちろん、楽長に怒られていた頃のゴーシュ並だったという。
そういえば、花巻の賢治記念館に行ったとき、チェロが一挺展示されていた。あれがゴーシュのセロだったのだろうか。



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550. 仮定では、濃厚なポタアジュに、もう一度その濃厚なポタアジュのお代りをする  (Today's Soup)

饗宴


吉田健一は、”飲酒について書く名手であった。酒を飲むことのよろこびをあれほど繰り返し描きつづけた作家も珍しい”。(日本幻想文学集成、吉田健一集・解説、富士川義之)
付け加えれば、酒を飲むだけではなく、健啖家でもあった。彼の作品集を読みかえしていたのは、そんな作家が、”スープ”についてどんな文章を遺しているかが気になったからである。


水もなるたけ飲まないやうに、などといふ病気にはなりたくないものである。なつたら、腹が減つてたまらなくて、喉が渇き、煙草が欲しくても飲めず、映画の試写会の招待券が来ても出掛けて行けなくて、どうにも情けない感じがするだらうと思ふ。(中略)胃潰瘍といふ病気もやはりさうだといふ話を聞いた。先日、それに友人の一人がなつて、間もなく病院から出て来たが、病気中の苦労の話を聞いてゐると実際気の毒で、自分がそんなことになつたらどうすればいいかと、思はず各種の対策に就いて空想して見たのが、どこもどうもないのにさういふことを考へるのだから、却って無責任で楽しい夢の数々に耽ることになり、以下、そのことを少し書くことにする。(中略)

一日の食糧が牛乳五勺に麦湯一杯などといふのが十日も続いて、ゐても立つても、じつと寝てさへもゐられなくなつたら、日頃は当り前のことに思つて行つたり、行かなかつたりしてゐる飲み食ひの場所を、次々に半日かそこらで一廻りする所を想像して見ることにする。(中略)
小川軒でゆつくりとした食事をすることから大分遠ざかつたが、その食事ではやはりオォドブルなどといふものは省くことにする。仮定では、午前十一時頃に日本橋に行つて、これから昼飯になるのであり、空腹はまだ相当のものである筈だから、幾らゆつくりでも、茹で卵の半分をくり抜いた中にカヴィアを入れたりしたのを突つついてゐては間に合はない。濃厚なポタアジュに、もう一度その濃厚なポタアジュのお代りをする。ポタアジュの理想は、一匙口に入れる毎に、何かかう太陽が喉から食道を伝つて胃に流れ込むやうでなければならない。小川軒のはそれ程でもないが、決してまづくはなくて、お代りするのは、初めから二人前作らせて置いて、二杯目のを終わつた時に次の料理が出来上つて、待たずにすむのが狙ひである。
(「饗宴」,1954-55)


繰り返し書くが、これは”仮定”の食事の話である。もしも、飲み食いが自由にならないような病人になったらこんな食事をしてたみたいという空想のはなしをしているのである。スープから始まって、フランス風の洋食をフルコースでたいらげるのである。たいらげたその後は、近くの料理屋に移り茶漬けを食べる。それを三杯くらい食べたら、次はモロゾフへ行き菓子を食べコーヒーを飲む。その次は・・・、とこんな調子で文章は続いていく。仮定の食事の場面が、ざっと十ページくらいは続く。そして、最後は、『空想もここまで来たら、どんなに腹が減った快癒期の病人でも、すやすやと眠りに就くことが出来るのではないだらうか。』と結ぶのである。




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549. バーバラ・ピム、みごとな結末   (Today's Soup)

BarbaraPym_QuartetInAutumn.jpg


「秋の四重奏」(1977)は、バーバラ・ピムの第七長編。作品の舞台はロンドン、全員ひとり暮らしの男女が四人。共に、同じ会社に勤め、定年間近の年齢である。四人それぞれの平凡な日常を淡々と描く。あまり起伏のない物語である、なのに深くこころにしみる。

心にしみるのは、ここで描かれている人と人の関係ってやつだ。小説の中の四人の関係、あるいは、四人それぞれと、まわりの人との関係、幾つ年齢を重ねても定まらない宙ぶらりんなままのこころってやつが、人と人との関係を動かしたり壊したりする。それが、ちょっと気になったり、こころにしみたりするのである。

三人がマーシャの家で、彼女の持ち物を整理しながら過ごした午後はおもしろかった。レティがいちばん驚いたのはマーシャの衣類で、三十年代やもっと前の、中にはあきらかに彼女の母親のものだと分かる、そして今また同じ流行が復活してきたドレスが、ワードローブや引き出しにつめこまれていたのだった。(中略)
彼らは二階から作業にかかったのだが、一階のキッチンへ降りてきて食料品庫を開け、ずらりと並んでいる缶詰と対面したときには、さらに驚いた。
「何のために、こんなに缶詰を買い込んだんだろう」と、エドウィンは声を上げた。(中略)
「ほんとにきれいに並べて、整理してあるわ」というレティの声には、賛嘆の響きがあった。「肉と魚と果物。こっちはスープ、マカロニ、チーズ、ラヴィオリ・・・・・・」(中略)
マーシャの食糧庫をこんな風に勝手に荒らすのにはひどい罪悪感があったので、三人は躊躇はしていたけれども、それぞれに自分の欲しい缶詰を選びはじめた。その選び方には、それぞれの異なる個性が微妙に反映していた。エドウィンはスパムとビーフシチューを取り、レティは車海老とハーフカットの桃、ノーマンはサーディンにスープにバタービンズとマカロニ・チーズを取ったのだ。
(小野寺健訳)


引用したのは物語の末尾、四人の内のひとりで先に退職していたマーサが亡くなったので、三人が彼女の家や持ち物を整理しに訪れた場面である。 誰にでもある経験、どこにでもある光景、ありふれた会話、そんなものが重ねられながらみごとに物語が閉じられていく。小説技術というものがあるとすれば、まさにこういうものを指すのだろう。小説に技術などあるものかと考えるとしたら、たぶんこれは作家を作家たらしめている何かなのだろう。そんなふうに思うのである。



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548. いまのうちに降参せんとおまえなんぞこのあついスープにつけて食ってしまうぞ!! (Today's Soup)

ウーロン5



記念すべき 『ドラゴンボール』 の第1巻 (1985) 、我らがウーロンが颯爽と登場してくる。
そして、悟空にあびせるのがタイトルに揚げた台詞である。ラーメン鉢に入ったアツアツのスープである。さすがの悟空も、これにはたまらず退散するかと思いきや・・・。


ところで、わたしには不満がある。どうしてもおかしい。間違いだとしか思えない。
ウーロンがそんな下位になるはずがない。ベスト3とはいわないが、少なくともクリリンよりは上だろう。
・・・なんのことかって? それはもうドラゴンボール・人気キャラ・ランキングのはなしである。まさか、ヤジロベーよりりも下だなんて。おかしい、おかしすぎる・・・
(参考:「Dragonball forever ドラゴンボール完全版公式ガイド」,2004、集英社)




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