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715. 大晦日の夜、その梨からは甘美で人を奮い立たせる音楽が流れて来る  (ぼくらの本が歌う時)


不思議屋


オブライエンの 「不思議屋」、(南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
物語にまず登場するのは、背中の曲がった男(ソロン)と、大道芸人の少女(ゾネーラ)の二人。
少女は、男に物語を聞かせてくれとねだる。
それで疲れと不幸を吹き払うことができればと願っているのかもしれない。

“One day, when he was reading some book, that, small as it was, was big enough to shut the whole world out from him, he heard some music in the street. Looking up from his book, he saw a little girl, with large eyes, playing an organ, while a monkey begged for alms from a crowd of idlers who had nothing in their pockets but their hands. The girl was playing, but she was also weeping. The merry notes of the polka were ground out to a silent accompaniment of tears. She looked very sad, this organ-girl, and her monkey seemed to have caught the infection, for his large brown eyes were moist, as if he also wept. The poor hunchback was struck with pity, and called the little girl over to give her a penny — not, dear Zonela, because he wished to bestow alms, but because he wanted to speak with her. [...]."
“Why, Solon,” cried Zonela, “that’s the very way you and I met!”

 『ある日、彼が本を読んでいると    その本は小さいけれども、彼の心から全世界を閉め出すほど大きかった    通りから音楽が聞こえてきた。本から顔を上げると、大きな眼をした小さい女の子がオルガンを奏いていて、一匹の猿が集まった閑人たちに施しを乞うていたけれども、連中のポケットには手しか入っていないのだった。女の子はオルガンを奏きながら、泣いていた。陽気なポルカのメロディは、涙の無言の伴奏に合わせて、手回しオルガンから流れていたんだ。このオルガン奏きの女の子はとても悲しそうだった。猿にもその悲しみが伝染ってしまったようで、猿の大きな鳶色の目も、泣いたように濡れていたんだ。背中の曲がった男は可哀想に思って、小さい娘を呼び寄せると、一銭やった    それはね、ゾネーラ、施しがしたかかったからではなくて、その娘と話がしたかったからなんだ。(中略)』
 『まあ、ソロン』 とゾネーラは言った。『あなたとわたしが出会った時と同じじゃない!』

(オブライエン 「不思議屋」、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)



フリッツ=ジェイムズ・オブライエン(1828-62)は、幻想小説の傑作を幾つも遺した。
「不思議屋 (The Wandersmith)」1859 も、その一つである。
引用部のような優しいエピソードを交えながら語られる恐怖譚は、ポーやホフマンとはまた違った魅力にあふれている。

さて、恐怖譚であると種を明かしたからには、ソロンとゾネーラの運命や如何に、と胸を震わせる方もいらっしゃることだろう。それについては、ぜひ書いておかねばならない。思いがけないとびきりの結末が待っていると。    それを確かめるためにも、この短篇をぜひ読んでいただきたいと思う。

そうすれば、枝葉末節ではあるが、 この記事の標題に掲げた "梨" についての一節も、登場してくることになるので。(この一節を読めば、誰もが、大晦日の夜にはこんな梨が登場してきてほしいと願うことになるだろう)



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713. おめでとう  (ぼくらの本が歌う時)


おめでとう 1956 「キンダーブック」1957年1月号

(茂田井武「おめでとう」,1956;「キンダーブック」1957年1月号)


少し気が早いが、今日のタイトルは「おめでとう」である。
茂田井武 (1908-56) が、『キンダーブック』 のお正月号のために描いたこの絵は、
まさにそこから "歌がきこえてくる" というのにふさわしい絵だと思う。



こどものとも  (茂田井武の挿絵、福音館版「セロひきのゴーシュ」、1956)

(茂田井武「セロひきのゴーシュ」,1956;「こどものとも」1956年5月号)


もちろん音楽というテーマであれば、同じ年に 『こどものとも』 に描いたこの絵も見逃すわけにはいかない。
こちらも、今にもそこから音楽がながれでてくるような気がしないだろうか。
茂田井武の最晩年のこれらの作品は、まさに 歌う本/奏でる本、の代表選手だと思うのである。




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600. ジョナサン・キャロル Glass Soup (Today's Soup)


glass soup


キャロルの長篇第13作の「Glass Soup」、
前作の「White Apples」に登場したヴィンセントとイザベルを再び描く。
すなわち、 ” Vincent Ettrich” シリーズの完結作という位置付けになる。

   物語は、要約すると ”キャロル版オルフェウス” である。
亡くなった夫を取り戻すために、妻は死者の国へ乗り込んでいく。オルフェウスとは男女の役割が逆転しているところが、キャロルらしさなのだろうか。ともかく、この長篇は、オルフェウスの "冥府くだり" の話や、キャロルの代表作ともいうべき ”Answered Prayers” シリーズ (Bones of the Moon, 等) の作品に匹敵するくらいの魅力にみちた物語だと思うのである。

Vincent Ettrich was thinking about food when the telephone rang. While he crossed the living room to answer it,a bowl of soup was in the middle of his thoughts. A large white bowl full of thick goulash soup and several pieces of fresh bread. Brown bread,brown soup,white bowl …
He picked up the phone and absentmindedly said “Hello?”
“Glass soup”
The wording was so close to what he’d been thinking that Ettrich had to pause a moment to separate the two. Then another moment to remember and realize the import of what he had just heard.
Glass soup.
“Who is this?”


ベルが鳴ったとき、ヴィンセントはスープについて考えていた。電話に出るためにリヴィングを横切っているときも、頭のなかはスープのことでいっぱいだった。濃厚なグラーシュが一杯にはいった大きな白いボウル、そして焼きたてのパン。
茶色のパン、茶色のスープ、白いボウル・・・
   彼がようやく電話に出ると、
   「Glass Soup」 という言葉が聞こえてきた。
   ヴィンセントは驚いた。今、自分が考えていたことを言いあてられたような気がしたからだ。
   「誰だ、なんのことだ?」

(ジョナサン・キャロル「Glass Soup」,第13章、抄訳)


偏愛するキャロル、翻訳長篇は2009年の「木でできた海」(原書,The Wodden Sea,2001) が最後だ。未訳の長篇が、「White Apples」 , 2002、「Glass Soup」 , 2005、「The Ghost in Love」 , 2008、「Bathing the Lion」 ,2014、と4冊にもなるが、邦訳版はちっとも出てくる気配がない。キャロルの人気がないのか、海外小説自体が売れないからなのか、どんな理由にしろ、見通しが立たないまま待ちつづけるのはとっても疲れる行為なのである。頼りの浅羽莢子さんが逝ってしまったことも哀しい。

おまけに未訳リストのなかに 「Glass Soup」 という作品が入っている。
わたしの ”Today’s Soup” というエントリ・シリーズは、この作品で掉尾を飾りたいというのが、最初からの願いであったにもかかわらず、である。
仕方がないので、貧しい語学力には目を瞑り、英語版を読むことにした。幸い、とあるWebサイトの洋書バーゲンで、ペーパーバック版を送料込み924円という破格の値段で買うことができたのだから幸先が良い。わくわくしながら読み進めたのでありました。



(Today's Soup、完)




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Today's Soup (記事索引⑧、501~600)

Today's Soup (Soup Goes to the fables.)

Mock Turtle Soup


501. Today's Soup (soup it up!) (14/7/1)
502. 洗濯袋のなかのスープ
503. 森のなかのスープ
504. クラムチャウダーにまみれた銀色のスプーン (8/2)
505. アヒルはカモじゃない 
506. 魔女のスープ
507. チキンスープの歌 ♪
508. 五杯のスープ、それだけではない
509. カフカのスープ・ランチ 
510. 「2杯目のスープ」 

511. The Lost Soup Scene
512. タマゴテングタケ 
513. 土のスープと草の列
514. キャベツの煮汁 
515. チキンスープがぼくらにとって必要な理由
516. パブリック・スープ・キッチン
517. スープ皿のある静物
518. スープポットのはなし
519. 世界は牡蠣スープのもの、あるいは牡蠣でいっぱいのスープ
520. 鉢かづきの少年

521. ビールスープ
522. Soup Tureens Collection
523. 作家たちのスープ
524. 1937年、聖金曜日の料理
525. 食べる女たち
526. What's up ?
527. アルファベット・スープ展
528. 「ストリキニーネ入りのスープ」
529. 「できれば火星に埋葬してほしい」と彼は言った
530. ツヴェルガーのスープ  (9/3)

531. 山羊の頭のスープの写真家は、 
532. 魚のまわりをぐるぐると
533. ポリッジ
534. シュルレアリストたちのスープ❶ アイリーン・エイガーの帽子
535. リコリスのスープ、よりもリコリス酒?
536. コルフ島、伯爵夫人のスープ
537. あんまりおいしくもなさそうに、スナフキンは、そまつなスープをのみました
538. 誕生祝のボウル
539. コール・ポーターとシナトラで一曲
540. 明月椀

541. マダム、禿のスープを!
542. ベルリン名物を見に行く
543. バーナード・リーチと濱田庄司
544. シュルレアリストたちのスープ ❷  マルセル・ブロータス、「ダゲールのスープ」
545. ♪ I’m Free/笑えるスープ
546. ♪ 1985/太ったスープ
547. Google Logo – October 31, 2013
548. いまのうちに降参せんとおまえなんぞこのあついスープにつけて食ってしまうぞ!!
549. バーバラ・ピム、みごとな結末
550. 仮定では、濃厚なポタアジュに、もう一度その濃厚なポタアジュのお代りをする

551. ゴーシュさんはとてもいい人
552. 龍の眼のスープ
553. 味噌汁が、食卓のうえに、まるで雲のようにかかっている
554. 逆まわりのスープ
555. 海亀クン、コミカル・アイロニカル犯罪同盟がねらっているよ
556. 黄金のブダペストを見たいですか
557. 二人のモニカ (10/1)
558. 三人はスープとパンの夕食を始めました。すごく静かな食事となりました。
559. クヴィエタ・パツォウスカー/あらかじめ失はれた玉子のスープ
560. パズーのスープ

561. クリストファー・ドレッサーのスープ入れ
562. キャラメル・オニオン・スープ (グリコポーズを決めた綾瀬はるか)
563. 胸のあたりを汚してる、肉汁食ひの彼女等は、
564. 「マカロニスープなんて、わけないわ」
565. スープを作りたかったが、鍋がなかった
566. フジタの食卓
567. ボナールの食卓
568. 昼 鰹のさしみ 粥三椀 みそ汁 佃煮 梨二つ
569. アン・ビーティ、おいしそうなのに食べたくならないスープ
570. 子供のころ好きだった光景

571. 無作法とはなにか
572. スープと雲
573. 披露宴のメニュー
574. レゼルヴとしてのスープ
575. 記号の国のスープ
576. スープ皿を落としかけている場面で発するような声
577. 手押し車で運び込まれてきた海亀
578. スープでも飲みな
579. シャガールの祝宴
580. 「魔性の女」物語

581. 罰としてのスープ
582. 優しい友人アルフレード
583. 巨匠とマルガリータとスープと
584. 彼女はスープに息を吹きかける、小熊のようにスープをすすりながら笑う
585. 羊をめぐる冒険・ラファティ版 (11/1)
586. kae kae kae kae kae kae kae kaek quak quak quak.
587. 蟾蜍が出て来た、皆で寄つてたかつて胡椒をふりかけたり、スープを飲ませたりした 
588. 煮込んでしまえば形もなくなる
589. 月の中の人
590. Mrs.R あなたに祝福を

591. フクロウの絵皿
592. 燃やせ、猛毒、ぐつぐつぐつ
593. 聖人たちのスープ
594. スープ皿のような髪形
595. ブイヨンを運ぶ食堂車の給仕
596. ウミガメモドキのウミガメスープの唄
597. ウォーホルと記念写真
598. ヴィーナスとバルカンとマルス (12/1)
599. 柔かい月/原初の海
600. ジョナサン・キャロル、Glass Soup


( 「今日のスープ」、完 )


※数字をクリックすると、記事に飛びます。




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712. 歌う洋服


PS,Musical Note



2014,「Paul Smith」collections;生誕70周年を迎えたジム・モリソンへのオマージュを込め、THE DOORSのメンバーとして活動していた時期の着こなしに加え、ヒッピー&サイケデリックムーブメントを中心とした時代背景や、活動拠点としていたロサンゼルスからインスパイアされたコレクション。全面にMUSICAL NOTEパターンを散りばめている。
(http://www.paulsmith.co.jp)



ついこのあいだのことなのだが、夜中にふと目が覚めてクローゼットの方に眼をやるとなにやらゴソゴソと動いてるものがある。しばらくすると小さな声で歌のようなものが聴こえてきた。もちろんそれはわたしが寝ぼけていたからのはずで、そう信じてそのまま眠ってしまったのだが。
翌朝あらためて見てみると、クローゼットの下に八分音符がひとつ落ちていたのである。

片づけ忘れたのかな。
という感想はどうかと思うが、ともかく、「歌う本」に続いて、「歌う洋服」の出現である。
もしかして 『Light My Fire』 を、聴きそこねたか?




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599. 柔かい月/原初の海 (Today’s Soup)


Primordial Soup


"原初の海" は、スープに例えられてきた。
地球上の生命の起源を、この原初の海=有機物のスープにもとめる説 (「化学進化説」、または「スープ説」) は、現在も自然科学ではもっとも広く受け入れられている学説だそうだ。

幸いなことに、このブログでは、この説の真偽についても、さらに遡って生命の定義を論じることも、あるいは最新の非・スープ説を紹介することも必要ではない。ただ、小説の中で描かれている ”原初のスープ (primordial soup)” を探り出し、これを紹介するために、せいぜい数十行のエントリをまとめればいいのだからお気楽なものである。
しかし・・・、


カルヴィーノ


しかし、これが意外に難問だったのである。
幾つかSF小説をたどれば、”原初のスープ”というような大きなテーマのこと、SFの題材にぴったりで、これについてふれた作品などすぐに見つかるさ、とそんな気持ちでいたのであるが、これが大間違いだった。    ようく考えてみれば、それは当たり前のこと。”原初の海”なんて言葉のロマンチックな響きに惑わされていることに気がつけさえすればすぐにわかる。
そもそも、人間がまだ存在しない時代を背景にした小説なんてありえないのである。だって小説とは人間の物語なのであるから。そりゃあヴェルヌもウェルズもハインラインも手が出なくてもしかたがない。
となると・・・、

生命ガマダ大洋カラ発生シテイナカッタ頃ノ状態トイウモノハ、イマモ動脈の中ヲ流レ続ケル原始ノ波ニ浸サレテイル人体ノ細胞ニトッテハ、アマリ変化ハシテイナイ。事実ワレワレノ血ノ化学組成ハソノ起源タル海ノ化学組成ト類似シテイル。ソシテ最初ノ単細胞ヤ最初ノ多細胞生物ハ海カラ生命ニ不可欠ナ酸素ヤ他ノ元素ヲ得テイタノデアル。イロンナヨリ複雑ナ器官ノ進化ニトモナイ、大多数ノ細胞ガマワリノ液体トノ接触ヲ維持スルトイウ問題ハ単ニ外面ノ膨張ノミデハ解決不可能トナッタ。ソコデ中ニ海水ガ流レ込メルヨウナ凹状構造ノ器官ガ有利ニナッテイッタノデアル。シカシ酸素ノ供給ガ細胞ノ複合体全体ニ保証サレルノハコウシタ凹状構造ガ血液ノ循環しすてむヘト進展スルコトニヨッテハジメテ可能ニナッタノデアリ、ソコデハジメテ地上デノ生命ノ維持ガ出来ルヨウニナッタノデアル。カツテ生物ガソノ中ニ浸ッテイタ海ハ、今デハ彼ラノ体内ニ取リコマレテイルワケデアル。

  結局は大して変ってはいない、私は泳いでいる、同じ熱い海の中を泳ぎ続けている  クフクフクは言った  言いかえれば、内部は、つまりかつて私が陽光の下を泳いでいた、そして暗闇の中を現在泳いでいる、以前外部であったもの、そして今なお内部にあるものは、変ってはいないのだ。変ったのは外部、すなわち以前内部であったところの現在の外部だ、これはたしかに変った。

(イタロ・カルヴィーノ「柔かい月」,1967、脇功訳)


となると、頼みの綱はカルヴィーノかラファティくらいしかいない、
というのがわたしの意見である。
原始地球の原始海洋を小説の中で描ける作家なんてこの二人くらいではないか、というのは偏狭にすぎるだろうか?




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711. 六ペンスの歌をうたおう

Randolph Caldecott sing a song of sixpence1880
(Randolph Caldecott 「sing a song of sixpence」,1880)


ランドルフ・コールデコット(1846-86)、
絵を思い浮かべるまでもなく、その名前を聞くだけで魅せられたようにためいきが出る。

上の画像の絵は、イギリスの童謡 『Sing a Song of Sixpence(6ペンスの歌をうたおう)』 を絵本にしたときのもの。ウォルター・クレインも、ケイト・グリナーウェイも同じテーマの絵を描いているが、比較するとコールデコットの絵のたのしさがよくわかる。もちろん、どれもそれぞれにすばらしいわけであるが。

  「sing a song of sixpence」

Sing a song of sixpence,
A pocket full of rye;
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie.

When the pie was opened,
The birds began to sing;
Was not that a dainty dish,
To set before the king ?

The king was in his counting-house,
Counting out his money;
The queen was in the parlour,
Eating bread and honey.

The maid was in the garden,
Hanging out the clothes,
There came a little blackbird,
And snapped off her nose.


「6ペンスの歌をうたおう」は、マザーグースの中でももっとも愛唱されてきた歌のひとつだそうだ。
そういえば『大草原のちいさな町』でもローラたちがこの歌をうたっていた。
2行目の"A pocket full of rye"は、ミステリ・ファンならクリスティの小説(「ポケットにライ麦を」)が思い浮かぶだろう。    童謡の中身に合わせて見立て殺人事件が起こるというわけである。
それから、この歌の主役(?)の黒ツグミは、ジャズ・ナンバーでおなじみの「Bye, Bye, Blackbird」のブラックバードである。思わず、マイルスを聴きながらクリスティを読むという至福の時を想像してしまった。が、正月休みはまだ程遠い。


ちなみに、この歌の訳詩は、こんな調子。

6ペンスの うたをうたおう
 ポケットは むぎでいっぱい
24わのくろつぐみ
 パイにやかれて

パイをあけたら
 うたいだす ことりたち
おうさまに さしあげる
 しゃれた おりょうり?

おうさま おくらで
 おかねかんじょう
おきさき おへやで
 はちみつパンを もぐもぐ

じょちゅうは にわで
 ほしもの ほしてる
そこへつぐみが やってきて
 はなをぱちんと ついばんだ

(谷川俊太郎訳、草思社版「マザー・グースのうた」)


でも、ローラたちが唄っていたのは、もっとたのしい感じ^^

♪パイをあけたら
ブラックバードがうたいだした
こりゃまた なんておいしそう
王さまの ごちそうだ
(谷口由美子訳、岩波少年文庫)



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710. Pied Piper 


The pied Piper of Hamlin by Robert Browning illustrated by Kate Greenaway
(Illustrated by Kate Greenaway;The Pied Piper of Hamelin by Robert Browning ,1888)


ケイト・グリーナウェイ (1846-1901) 、
彼女の描いた”古風な服装でぎこちない動きかたをする子どもたち”の絵がわたしは大好きである。
画像は、グリーナウェイによる「Pied Piper(ハーメルンの笛吹き)」の挿絵。
なんだかわたしまで笛の音にさそわれて踊りだしてしまうような気がしたりして。


私は人によく知られた歌い手だ
旅回りの経験豊かなねずみ捕り
古く名高いこの町は
勿論 特に私を必要とするのさ
どんなにたくさんねずみがいても
それにイタチが一枚かんだとしても
この土地をすっかりきれいにかたづける
彼らは皆一緒にいなくなるしかないのだ

それにこの機嫌のよい歌い手は
時として子供さらいにもなるのだ
手におえない暴れん坊でさえ
すてきなおとぎ話をうたえばいいなりだ
男の子達がどんなに反抗的でも
娘達がどんなにとまどっても
私がギターを掻きならせば
みんな後をついてくる

(ゲーテ「ねずみ捕り」、抄訳、淵脇良子訳)



「ハーメルンの笛吹き」は、ゲーテの詩を基にして、シューベルトやヴォルフが歌曲をつくっている。
Webで、ヴォルフの曲をフィッシャー=ディースカウが歌っているのを見つけたので聴いてみることにした。 
(→YouTube 、音量注意)
     歌は素晴らしい。 絵がグリナーウェイではないことが残念!



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709. THE BABY'S OPERA 

baa_closeUp.jpg


ウォルター・クレイン(1845-1915) の 『THE BABY'S OPERA(幼な子のオペラ)』(1877) は、オペラ仕立てでマザーグースの歌やイギリスの童謡を紹介した絵本である。
上の画像は、その中の「Baa, baa, black sheep (めえ めえ 黒ひつじ)」のページの挿画。
いちどに魅せられてしまった。


  「Baa, baa, black sheep」

Baa, baa, black sheep,
Have you any wool?
Yes sir, yes sir,
Three bags full.

One for the master,
One for the dame,
And one for the little boy
Who lives down the lane*.

Baa, baa, black sheep,
Have you any wool?
Yes sir, yes sir,
Three bags full.

(歌を聴きたい方はこちら→「Baa, baa, black sheep」 )



クレインは、モリスの盟友としてアーツ・アンド・クラフツ運動にも深く関わり、レリーフ、タイル、ステンドグラス、陶器、壁紙、織物など数多くの分野のデザインを手がけた。
しかし、なんといっても一番の魅力は、かれが描いたさまざまな本の挿画である。
マザーグースやグリム、イソップ、ペロー等の絵本に加えて、ホーソーンやワイルド等の作家と組んで作り上げた児童本の挿絵も見逃せないと思う。



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708. 音符は六つだけ 


IMG_0924.jpg
(S・R・ディレイニー 「エンパイア・スター」、ジョン・ジュード・パレンカーによる挿絵,1966)


ディレイニーの名作 「エンパイア・スター」(1966)、
引用部に登場するのは、主人公の少年コメット・ジョー、悪魔猫のディク、帝国の王女と思われる少女、そして謎の存在であるルル、    宇宙船の中で出会った少年と少女は、それぞれが奏でるオカリナとギターの音色をとおして意識を通い合わせる。

彼女は降下和音を爪弾き、口を開けて、ゆるやかで、しかも不意に音程のあがるメロディを歌った。それは、ジョーがルルに歌ってやった時以来感じたことのなかった、満足や郷愁や喜びの琴線に触れた。
彼女が歌いやめた。「ルルの作った歌よ、あたしの大好きな曲の一つなの」
「美しい」ジョーが眼をしばたたきながらいった。「続けてくれ、最後まで歌ってくれ」
「これだけなの」と彼女。「ひどく短いのよ。音符は六つだけ。それだけで必要なことはすべて行ない、そして終わるの。ルルの作るものはみんなひどく倹約的なのよ」
「おお」とジョー。そのメロディは虹のように彼の心を和ませ、静説にし、広がって
いった。
「別のを歌いま――」
「いや」とジョー。「今のやつをもう少し考えてみたい」
彼女はほほえみ、手をそっと弦に置いた。
ジョーの手がディクの腹の上をあてもなく動いた。悪魔猫は和やかに鼻を鳴らしている。「教えてくれ」ジョーがいった。「どうしてナクター王子はエンパイア・スターできみを殺したがっているんだい?」
(米村秀雄訳)


「エンパイア・スター」という作品については、ここで書くようなことはあまりない。
これは、百人百様とまではいかないが、幾つもの読み取り方がある小説だと思うからである。同じ”本好き”に向かってそれはそのとおりとか誤読だとか言って何がたのしいだろう。
だから、わたしがここで書いておきたいのは、この引用部のところだけである。
    「音符は六つだけ。それだけで必要なことはすべて行ない、そして終わるの。」    こんな音楽を聴いてみたい気がするということだけである。

エリック・ドルフィ―の有名な言葉、「“When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again.”」が、もちろん大いなる反語であると信じたいものにとっては、たった音符六つの音楽でさえもぼくらを覚醒させたり打ちのめしたりすることがあると、ぼくらのこころの中で静まりながら拡がっていく音楽があると、そう思ってみたいのである。



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