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☆ OUT TO LUNCH!


out to lunch,CIMG8642




只今、遠征中です。
4月13日に戻ります。
(jacksbeans)




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913. 美術館の緑、その❶ (Studies in Green)


西洋美術館2 (2)



913-❶  国立西洋美術館の緑

西洋美術館の本館の外壁は、小石を打ち込んだPC板(プレキャストコンクリート)が使われている。
当初は高知桂浜の青石が埋め込まれていたが、剥落が激しく、現在はフィリピン産の石を使用しているそうだ。しかし、色は青が基調になったままだ。

ところが、この壁の色は、ときどき変化する。
朝、日中、夕方、光の違いによって壁の色も微妙に変わる。
そして、見ものは、雨の日の壁の色だ。
とびきりに美しいみどりがかった色になるのである



西洋美術館

(補足)
新館の方の外壁は、元来、綠色である。
陶製の少し明るい綠に、釉薬の濃淡で陰影を付けている。
こちらも緑色研究者なら見逃せない。(lol)




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912. シュティフター 森の泉 (Studies in Green)


ブリギッタ・森の泉


アーダルベルト・シュティフターの短篇 「森の泉」(1866) は、"世にも美しい人"についての物語である。
そんなものが存在した時代もあったのである。

少女が言った。「あたし、まだ青い森を見たことがないんですもの」
「行ってみたら、あれだって緑だよ」と老人が言った。
「森ってみんな緑なんだぜ、カタリーナ」少年が言った。
「じゃ、ただ青く光って見えるだけなのね」と少女がたずねた。
(高安国世訳)


シュティフターは、主に短篇を書いた。
当時としても少し古めかしく静かでやすらぎにみちた小説を書いた。
当然ながら、今読むと、古色蒼然とした作品とみなされてしまうかもしれない。
しかし、その淡々とした文章の向うに、"世にも美しい物語"が広がっているのを見るとき、実際には古めかしさよりも清冽さを感じてしまうことになるのである。



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911. 緑色の怪物 (Studies in Green)


Le monstre vert  カリントン2


ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-55)は、後期ロマン派の詩人、小説家。没後、20世紀に入って、プルーストやシュルレアリスムの作家たちによって再評価が進んだ。「緑色の怪物」(1849)は、晩年に狂気の発作に悩まされながら書いた作品だという。狂気に怯えながら書かれた端正な幻想譚だと言えばいいだろうか。

 穴倉の床に達すると、この上もなく異様な光景が彼を待っていた。
 すべての酒瓶が狂ったように、サラバンド舞踏のような踊りを踊っており、見るからに優美な踊りの姿態を示していたのである。
 緑色の封印のある瓶は男の姿態を、赤い封印のある瓶は女の姿態を、それぞれ示していた。
 瓶で出来た舞台の上には、オーケストラさえ組織されていた。
 空っぽの瓶は管楽器のように、割れた瓶はシンバルやトライアングルのように鳴りひびいていたし、また罅のはいった瓶は、身に沁みるヴァイオリンのような調べをつくり出していた。
(澁澤龍彦訳)


邦訳は幾つかあるが、ここでは創元文庫版『怪奇小説傑作集4』から引用した。
怪奇小説集といいながら、ここには、美しい幻想譚がいくつも並んでいる。
ホラーが苦手というかたも、愉しめること間違いなしだと思うのである。



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910. 青緑、その② (Studies in Green)


萌葱

柳色


(承前)
青緑は、日本の伝統色のひとつでもあった。
四百とも五百とも言われる日本の伝統色が、いっきにその種類を増やしたのは王朝時代に入ってからであるらしい。染色技術の進歩と豊かな財力によってさまざまな染料が生み出されてきた。そしてそれは貴族や女房たちの豊かな色合いの装束に用いられていったのである。

こんな人たちの中に混じって明石夫人は当然見劣りするはずであるが、そうとも思われぬだけの美容のある人で、聡明らしい品のよさが見えた。柳の色の厚織物の細長に下へ萌葱(もえぎ)かと思われる小袿(こうちぎ)を着て、薄物の簡単な裳(も)をつけて卑下した姿も感じがよくて侮(あな)ずらわしくは少しも見えなかった。青地の高麗錦(こまにしき)の縁(ふち)を取った敷き物の中央にもすわらずに琵琶を抱いて、きれいに持った撥の尖を絃の上に置いているのは、音を聞く以上に美しい感じの受けられることであって、五月の橘の花も実もついた折り枝が思われた。いずれもつつましくしているらしい内のものの気配に大将の心は惹かれるばかりであった。
(与謝野晶子訳源氏物語、若菜下)


さてここに登場するのが「萌葱(萌黄)」色である。
おなじ萌葱でも、黄みがかったもの、青みがかったものがあるが、画像の色見本などまさに"青緑"に近い。
そして、作中、明石の御方が着ているのが、柳色の細長に萌葱の小袿、なのである。
柳と萌葱、みどりいろどうしのコーディネイトというわけであるが、イメージが湧くだろうか?
そのつつまやしかな気配にこころ惹かれるだろうか。



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909. 青緑  (Studies in Green)


青緑


青緑(あおみどり)は、緑と青の間色。寒色のひとつ。青緑を示す単色光の波長は、およそ490~500nm付近であり、短波長になるほど青みがかった色に、長波長になるほど緑みがかった色になる。 (Wikipedia)




青緑は、ちゃんと自立した色である。日本の伝統色のひとつでもある。
しかし一方で、青と緑のあいだの宙ぶらりんの存在であるというような立場から遁れていない。
そんなことを思ったりしたのは、大原美術館で松本俊介の「都会」(1940)を久しぶりに見たからである。


松本竣介、都会1940


この時期の松本は、青を多用していた。
緑色を中心とした作品もいくつかあるが、圧倒的に青が主体になっていたと言えると思う。
この「都会」という作品も、画集や、WEBの画像を見ていると、明確に青を基調とした作品であるように見える。
しかし、

大原美術館で実際の作品を見ていると、この絵は、青と緑の中間のところで浮かんでいるのだと、そんなふうに思えてくる。あるいは、青く塗られた絵は(おそらく自らの意思で)時間とともに緑にかわってきているのだと、そんなふうに思えてくるのである。
(続く)



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756. ヒー・ヒズ・ヒム (ぼくらの本が歌う時)


四月怪談


大島弓子の短篇 「ヒー・ヒズ・ヒム」(1978) は、大島弓子選集第8巻に所収。
登場するのはひとりの男子高校生、彼がイギリスのロックシンガーにそっくりだというところから物語は始まっていく。引用するのは、その作中歌(?)である。

-ラッカー行進曲-

今日の苺はラッカのかおり
今日の苺はラッカのかおり
シェラック ラッカラッカ
シェラック ラッカラッカ
アーサーラッカムラッカはぬらぬ
苺にぬらぬ
だけど今日はラッカのかおり
いまやイチゴはすごいかがやき
ひとくちかじればWA・・・O・・・O・・・O・・・N
WAOOOON
WAOOOON
シェラックラッカラッカ
シェラックラッカラッカ
(くりかえし)


意味はよくわからぬが歌詞にはアーサー・ラッカムが登場する。
このことだけでも、この作品の価値を証明して余りあるのではないか。
そう思ったりするのである。
そして念のために書き添えれば、この「ヒー・ヒズ・ヒム」もなかなかの名作であると、そう思ってみたりするのである。



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755.花よりも花の如く (ぼくらの本が歌う時)


花よりも


「花よりも花の如く」は、成田美名子の長編コミックス。隔月刊『MELODY』、連載中。
能の世界をテーマにした作品である。
感想は・・・、少女漫画の王道のところできちんと愉しませてくれる。それに尽きるのである。

「今回 初めて能に行きましたけど なかなか大変なものですね」
「いかがでした?楽しめましたか?」
「あらすじは頭に入れて行ったのに聞き取るとなると もう至難の技で 
気持ちを切り替えて音楽として聴いてみたら すごく面白かったです
楽器の人も声を出すし 歌に和声がない」
(第12巻、「紐頓の林檎」)


引用したのは、主人公の憲人(能楽師)が、舞台を見にきてくれた武内望(知人、盲目である)と話す場面。
能にとって音楽がとても重要な要素になっていることに改めて気づかさせてくれる。

ところで、能や歌舞伎の「囃子方」が、わたしは大好きである。
引用部にあるように、あれに和声(ハーモニー)があったとしたら面白いだろうな。




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754. 最初の舞踏会 (ぼくらの本が歌う時)


カリントン  カリントン2


レオノラ・カリントン(レオノーラ・キャリントン 1917-2011)は、シュルレアリスムの画家であり、小説や詩も書いた。その才能とエネルギーは、羨むばかりである。この1930年代に書かれた 「最初の舞踏会」 という短篇にしても、とんでもない傑作だと思うのである。いや、傑作などというよりも、もっと凄いものと言っておいたほうがよさそうだ。

 かれこれするうちに時が経って階下から音楽が聞こえてくると、あたしは言いました、
「さあ、行ってらっしゃい。忘れてならないことは、お母さまのそばに決して寄ってはいけないということ。お母さまだけは、あたしでないことを必ず見破ってしまいますからね。でもほかのひとは、誰もあたしを知らないわ。うまくおやりなさい」
 別れるとき、接吻してやりましたが、ハイエナにはとても強い臭いがありました。
(澁澤龍彦訳)


邦訳は、創元文庫版『怪奇小説傑作集4 フランス編』に所収されている。
このアンソロジーはまた、自信を持ってお薦めできる一冊でもある。
でもまあ、他人のおすすめなんてちっとも当てにはならないわけであるが。



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753. 歌う声で歌の主がわかってたまるか (ぼくらの本が歌う時)


笑いの新大陸―アメリカ・ユーモア文学傑作選


「歌う声で歌の主がわかってたまるか」(1957)は、フィリップロスの短篇。
短い作品だが、高校生の少年を描いたとびきりの青春小説だと思う。

翌日体育の授業のあとでアルビーが、あの<職業>の先公のやつ、ただじゃおかんぞ、と宣言してもぼくは驚かなかった。(中略)「十時十五分がすぎてラッソーが黒板のほうを向いたら、すぐさまかがんで靴のひもを結ぶんだ」(中略)
十五分になった。ラッソーがうしろを向いてアルミニウム関連の労働者の賃金水準を黒板に書きつける。ぼくはかがみこんで靴のひもを結ぶ(中略)ラッソーの脚がこちらを向きなおるのが見えた。やつの眼にうつった光景ときたら    なにしろ、さっきまで二十五人の顔があったところになにもなくなっているのだから。あるのは生徒の机だけ。「おお、そうか」というラッソーの声がした。(中略)
 ラッソーはきちんと席につくようにいったが、ぼくらはかがんだ姿勢をくずさず、アルビーがいいというまでは席につかなかった。そして、やつの指示にしたがってこう歌った    

   りんごの樹の下にすわっちゃいけない
   すわるのならぼくとだけ
   ほかのやつとはすわらないで
   ほかのやつとはすわらないで
   いけないよ、りんごの樹の下にすわっては・・・・・・

それからぼくらは歌に合わせて手拍子をうった。そのやかましいことといったら!
(佐伯泰樹訳)


邦訳は、白水社版のアンソロジー『笑いの新大陸―アメリカ・ユーモア文学傑作選』に所収。
とここまで書いてあらためて気がついたのは、これは"ユーモア"文学に分類されるのだなぁ、ということ。
なるほど、文章の調子はユーモラスでありコミカルでもあるが、その向こうにはたしかな皮肉や晦渋の感覚が透けている。つまり、ユーモア文学というのは、元来そういうものなのだなあ、とあらためて気がつかされたのでありました。



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