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928. ヴァージニア・ウルフ キュー植物園 (Studies in Green)


KewGardens.jpg KewGardens2.jpg


「キュー植物園」(1919) は、ヴァージニア・ウルフの初期の短篇。
幾つかの邦訳があるが、ここではみすず書房版の作品集『壁の沁み』、川本静子訳から引用した。

 長方形の花壇からおよそ百本ほどの茎が立ち上がり、丈の半ばあたりにハート型や舌型の葉を伸び広げ、先端には赤や青や黄色の花びらをつけていた。花びらの表面には点々と色が浮かび上がり、花喉の暗い赤や青や黄色の部分からまっすぐに伸び出たつるは、金色の花粉にまみれ、先が少し太くなっていた。大量の花びらが夏のそよ風に揺れると、赤や青や黄色の光が互いに重なり合い、足元の褐色の大地のそこここを、この上なく複雑な色に染め上げた。光は小石のなめらかな灰色の背や、茶色い環状の筋の入った蝸牛の殻の上に降り注いだり、水滴に溶け込んで、水の薄い壁を今にも破裂させんばかりに赤や青や黄色に濃く大きくふくらませたりした。だが、水滴は破裂しないで、一瞬のうちにふたたび銀灰色に戻り、光はいま葉肉の上に宿って、伸び広がる葉脈を浮かび上がらせたかと思うと、また動き進んで、ハート型や舌型の葉が形づくる円天井の下の広々とした緑の空間に降り注いだ。そのとき、頭上で爽快なそよ風が吹くと、こんどは頭上の大気や、七月のキュー植物園をそぞろ歩く人びとの眼が、きらきらと色づいた。
(川本静子訳)


    しかし、どうだろうか、この色彩豊かな冒頭部の文章は!
しかも、植物園の描写だというのに、一向に "緑" は出てこないのである。



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927. ルドゥーテの緑 (Studies in Green)


ルリスイレン
(ルドゥーテ、ルリスイレン(ルリヒツジグサ))


ルドゥーテ(1759-1840)は、ベルギー出身の画家。
バラの画家、花のラファエロと呼ばれた。
フランスの宮廷画家として活躍。マリー・アントワネットの専属画家でもあった。 



ヒヤシンス
(ヒヤシンス)


ルドゥーテが描いた花を見てわかるのは、   青い花こそ「緑色」を生かす   ということである。
彼が得意とした薔薇、赤やピンクや黄色の花と組み合わせられるとき、葉や茎の緑色は、確かに映えるのであるが、当然ながら脇役の範囲を越えることはない。しかし、青い花と組み合わせられとき"緑"は、とたんにあやしい輝きを放つのである。
ただし、リンドウやクレマチスのような濃い青とは相性が悪い。
緑が生きるのは、ヒヤシンスやスイレンやハギやギボウシなどの薄い青色の花と一緒に描かれたときだと思うのだが、どうだろうか。


  

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926. きゅうりさんあぶないよ (Studies in Green)


きゅうりさんあぶないよ


ちひろ美術館・東京へ「聖コージズキンの誘惑展」を見に行く。
スズキコージさんの絵は、色が強力だ。
原色というより、濃色が、これでもかとばかりに暴れまくる。
アンデルセンもグリムも賢治もマザー・グースもコージズキンにかかれば、とてもカラフルな話に生まれ変わる。

力強い!、それでいて色使いはきわめて巧みである。
青も赤も黄色も絶妙!
では緑は?というと、たとえばこの「きゅうりさん」だ。
物語とおなじように、緑色も、大暴れするのでご心配なく。
この緑、楽しいったらないのである。



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925. 犬の植木鉢 (Studies in Green)


犬の植木鉢


地下鉄の表参道を上がって南青山方面に向かって歩くと、突き当りが根津美術館である。
竹と玉砂利のアプローチ、大きな切妻屋根、いつ見ても美しい。
しかし、今日は、そこではない。
少し手前を右に入って、岡本太郎美術館へ来たのである。
庭をのぞいてみると、そこにはあの岡本太郎、独特のオブジェたちが顔を並べていたりする。
緑の中でこちらをのぞいているのは、植木鉢に化けた犬である。
赤塚不二夫のウナギイヌと並ぶ、世紀の傑作だと思う。



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924. Mucha in Green (Studies in Green)


mucha 1897 夢想
(Alfons Mucha, 夢想, 1897)


ミュシャは、沢山の植物の絵を描いた。
しかし、圧倒的に多いのは「女性と花」を主題にしたものである。
だから「緑色」は、脇役にとどまるケースが多い。
例えば、花冠をまとった女性を描く場合、緑は背景となって補色効果を担う。
または、ドレスの色となって花と女性を引き立てる。
悲しい役目、なのかもしれない。


mucha_lvy1901.jpg  mucha_laurel1901.jpg
( Alfons Mucha, 左 「Ivy」、右 「laurel」,1901)


そんな中で、数少ない "緑" が主役の作品を挙げてみた。
あらためてわかるのは、当たり前のことなのだが・・・、
ミュシャの緑がとても魅力的だということ。




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923. 紙の動物園 (Studies in Green)


紙の動物園2  紙の動物園


ケン・リュウの短篇 「紙の動物園」 (2011)、
邦訳は、同名の日本オリジナル短篇集 (2015,早川書房) に所収。
冒頭に置かれたこの作品を読むだけでも、この作品集と作家の魅力がいっぱいに伝わってくる。
とまあこんなことを書かずとも、この一作でネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞の各短編部門賞を勝ち取ったことを記しておけば充分だろうが。

父さんはカタログで母さんを選んだ。(中略)
その写真をぼくは一度も見たことがない。父さんはどんな写真だったのか説明してくれた   母さんは椅子に腰掛け、体を斜めにしてカメラに向けていた。タイトな緑色の、絹のチャイナドレスを着ていた。顔はカメラに向けられており、豊かな長い黒髪が肩から胸にかけて垂れていた。落ち着いた小どものような目で父さんを見つめていた。
「カタログの最後のページにその写真が載っていたんだ」父さんは言った。
(古沢嘉通訳)


どうだろうか。この一節だけでも読めば、わわわわあと驚くに違いない。
そしてそのうれしい驚きはほぼ最後まで続くのである。
ほぼ、と書いたのは、やや"若書き"のような雑な部分が感じられること。
そして、最後の"手紙"の部分が不要だとも思えるからである。
しかし、そんなことを含めてとらえても、これが素晴らしい短篇であることは揺るがない。
もちろん、次作が読みたくて仕方がないのである。



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922. クリムトの正方形の絵/美術館の緑、その➍  (Studies in Green)


klimt Avenue to Schloss Kammer, c. 1912
(Gustav Klimt, Avenue to Schloss Kammer, 110 x 110 cm,1912年)


美術館の緑、その➍ オーストリア・ギャラリー

オーストリア・ギャラリーは、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にある美術館である。
18世紀初に建てられたバロック様式の宮殿の中には、主に19世紀末のオーストリアの画家たちの作品が展覧されている。中心になるのは、クリムトとシーレのコレクションである。

クリムトは、世紀末ウィーンの喧騒の中で、華やかな女性の華やかな絵を描いた。
そして、その一方で、100x100cm ほどの大きさの正方形の風景画を幾つも描いている。
農家の庭、果樹園、野や林、緑にあふれたこの作品群がわたしは大好きである。




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921. 美しい水車小屋の娘 (Studies in Green)


美しき水車小屋の娘


ヴィルヘルム・ミュラーの詩をもとにしたシューベルトの歌曲集 『美しい水車小屋の娘』 (1823)の中に、「好きな色」、「邪悪な色」という曲がある。緑色について歌っているのである。

<第15曲、好きな色>
緑色で僕は着飾ろう、
緑のしだれ柳の葉で、
僕の恋人は綠色がとても好きなのだから。
僕は糸杉の森を探そう、
緑のマンネンロウの茂る荒野を探そう、
僕の恋人は緑色がとても好きなのだから。
(以下略)

<第16曲、邪悪な色>
僕は世界へ出て行きたい、
広い世界へ。
もし緑色でさえなかったなら、
あの外の森と野原が!
(中略)
おお、君の額に結んである
その緑の、緑のリボンを外しておくれ、
さよなら、さよなら!そして僕に
別れの握手をしておくれ!
(石井不二雄訳)



CDからは、フィッシャー=ディースカウの美しいバリトンが流れている。
そして、緑のリボンを解いておくれという箇所にさしかかるたびに、そっと目を押さえることになるのである。



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1002. 北斎忌 ( bicycles in fiction Ⅱ)


     
  河べりに自轉車の空北齋忌   下村槐太




彼が仮に二百十歳まで生きていたら、あるいは槐太のこの句を絵で見せてくれたのではあるまいか。百号近い画布半分を錆色に塗り潰し、下半分は白のまま、左端に微かに石階が見え河岸を暗示する。中央に荒荒しい筆致で自転車一台、鑑賞者の胸のあたりに立ちはだかり、空は車輪の放射状のスポークの間からしか望めぬ。粗描と見える自転車も近づいてよく観ればギアの鋸状の歯から、チェーンの環の油垢、テールライトの硝子の亀裂まで実物さながらに描かれている。後キャリアからロープが一本垂れてその色がこの大幅中只一色暖色の朱、眺めているうちにそぞろ鳥肌立ってくるような凄まじい絵である。乗るべき人を自転車が拒み、曇天はその自転車と相容れず、画面全体が観る人を締め出して、ある瞬間くるりと向きを変えるような錯覚を覚える。人の心と辛うじて繫るのは一すぢの朱のロープであるが、それも地に届く以前に絶たれた。(中略)
その無念さを百年後に槐太がこのしたたかな俳諧によって晴らしたとは私の独合点だろうか。しかし「河べりに自轉車の空」と一時一音の無駄も含みも叙情もない惜辞に、私は俳諧師槐太の孤高狷介な風貌と魂を見る思いがする。(以下略)
(塚本邦雄「百句燦燦」)



槐太の句は、没後の句集『天涯』(1973年)に所収。
塚本の文章は、勝手ながら旧字、旧仮名遣いを新字、新仮名遣いに変えて引用した。
それにしても、この句のみごとなこと。「塚本による北斎の自転車の絵」を見てみたいというわたしの感慨など、言うまでもないが、この句の前ではまったくちっぽけなものにすぎないのである。なお、北斎忌は陰暦四月十八日、西暦では五月十日である。


  北齋忌自轉車でゆく橋めぐり  雀來豆




1001. 俺たちは自転車を殺す (bicycles in fiction Ⅱ)


月の部屋で Meet Me in the Moon Room  月の部屋で会いましょう


Ray Vukcevich/レイ・ヴクサヴィッチの初作品集、『Meet Me in the Moon Room /月の部屋で会いましょう』(1995)、
邦訳は、市田泉訳、東京創元社、2014年、創元海外SF叢書の一冊、
33の奇妙な掌編が並んでいる。
「We Kill a Bicycle/俺たちは自転車を殺す」も、邦訳でわずか6頁の短い物語である。

 俺たちは自転車道に沿って身を隠している。周囲の草木は青々として、湿っぽくて、やたらと揺れ動き、川からの風にざわざわと鳴っている。アリがしょっちゅう腕に這い登ってくるが、俺は指で弾き飛ばす。そのアリが空中を飛び、膝の周りのかび臭い落ち葉の中へ長い長い距離を落下していきながら、か細い悲鳴を上げるところを想像する。ローラがいるのはどこかあのへんだ。彼女の耳に舌をつっこみたい。そしてはっと息を呑む声を聞きたい。ローラをにっこりさせたい。彼女は最近何か思いつめてる。どことなくぼんやりしている。
(市田泉訳)


英語版の紹介記事には、グリム兄弟、ディケンズ、ルイス·キャロル、カフカ、O.ヘンリー、ダリ、アシモフがラジカル再結合したような作家だ、なんて書いてあったし、Wikipediaには、ラファティやバーセルミと比較するような一文もある。なるほどと書きながら私が思うのは、物語がとっても短いので読むのが楽だということ、3分で読めたらまだカップ麺もできてやしないということ、自転車をテーマにした物語を書いてくれてありがとうということ、でも自転車は殺さないでほしかった。




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