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758. 僕はこの話を誰にもしなかった (ぼくらの本が歌う時)


Susan Stambergs anthology The Wedding Cake in the Middle of the Road


スチュアート・ダイベックの短篇「僕はこの話を誰にもしなかった」は、アンソロジー『道のまん中のウェディングケーキ』(1992、スーザン・スタンバーグ、ジョージ・ギャレット編)に収録の一篇。
アンソロジーには、タイトル通り、"道のまん中に置かれたウェディングケーキ"が組み込まれていることをテーマにして書かれた、23の短篇小説が収録されている。
邦訳(1994、白水社)では、ダイベックの一篇が冒頭を飾る。
   編者によれば、ダイベックはこの掌編において、『3ページ半の中にまる一冊分の成長小説を盛り込んだ』と、紹介している。確かに、それくらいの魅力があふれているのである。

二人がはじめてやって来た夜のことを僕は思い出す。そして、そのあとに続いた祝宴の夜を。六月なのに、いつも大晦日みたいに華やかだった。僕の短波ラジオにはビッグバンドの音楽がかかっていて(その放送局はなぜかジェイとトリッシュが来ているときに限って聞こえてくるのだ) ピ! ピ! ピ! とミニチュアのシャンペン・ボトルが跳ねた。二人が「アウト・オブ・ノーホェア」に合わせて踊る姿は本当に素敵だった。(中略)
「実を言うとだね」とジェイはほとんどひそひそ声まで声を落として言った。「(中略)僕はこの話をまだ誰にもしてないけど、トリッシュと結婚したのはだね、何と言っても、彼女が僕の人生に魔法をもたらしてくれたからなんだ。彼女がラジオをつけると、この上なく美しい歌が流れてくるんだよ」
(柴田元幸訳)


この美しい引用部だけでは、作品全体のイメージはとらえられないだろうと思う。
短篇の主人公は、あくまで語り手の「僕」である。しかし、物語をリードしていくのは、間違いなく引用部に登場する不思議な花婿と花嫁なのである。・・・ダイベックが仕掛けたこの物語の構造の中に、身を任せていると、きっと"美しい歌"が本当に聞こえてくると思う。だから、読まないと損だと思うのである。



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939. f植物園の巣穴 (Studies in Green)


f植物園の巣穴


梨木香歩の「f植物園の巣穴」(朝日新聞出版、2009)、
表紙と扉絵の美しい花の図版は、小石川植物園植物図(加藤竹斎)から借りたものだと書いてある。
それで思い出したのだが、小石川植物園には、たしかに大きな洞を持つ巨木がいっぱいあって、いかにも何かが巣くっているかのように見えた。美しい緑や、花に酔いしれていると、そんな巣穴のひとつに落ちてしまって迷い込んで、どこか異界の方にワープしてしまうのかもしれない。

歯痛に悩む植物園の園丁がある日、巣穴に落ちると、そこは異界だった。前世は犬だった歯科医の家内、ナマズ神主、愛嬌のあるカエル小僧、漢籍を教える儒者、そしてアイルランドの治水神と大気都比売神……。人と動物が楽しく語りあい、植物が繁茂し、過去と現在が入り交じった世界で、私はゆっくり記憶を掘り起こしてゆく。怪しくものびやかな21世紀の異界譚。(朝日新聞出版、解説)


という出版社の解説とは異なり、これは異界譚ではない。と思う。
いかにも異界譚を繰り広げるようなふりをして、実は、単純な「私小説」のようなものでもあって、なんのことはない、いつかどこかで失ってしまった自分を、喪なわれてしまった自己を、苦心惨憺の上、異界を彷徨ったり、過去と現在をワープしたりした上で、どうにか取り戻すという物語なのである。
ありふれたテーマ、ありふれた自己再確認の物語も、梨木さんの手にかかると、こんなにもまわりくどく(失礼)、そして奇妙で不思議で、読み手の脳を特製の毒で痺れさせるような物語に仕上げられてしまう。まあいいさ、梨木ファンとしてはこんなものもあんなものも丸ごと引き受けて、充分に楽しめるくらいの度量があるってものさ。



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938. リビイが見た木の妖精 (Studies in Green)


Nothing said L.M.Boston 1971  リビイが見た木の妖精


「リビイが見た木の妖精」(1971)は、ルーシー・M・ボストンの晩年の作品。
とても瑞瑞しい話である。きっと読むたびにみずみずしい気持ちにさせてくれる話である。
クローディアやエーミールの話は、こんな楽しい本があるぞと大きい声で叫びたい気持ちにさせる本だ。
「リビイ」は、そうではなくて、自分だけの本として、とっておきたくなるような本なのである。

ジューリアの家といったら、とても古くて、ほうぼうに、余分なすみっことか、壁のへこみとかがあります。それに、いろいろな大きさのドアが、そこらじゅうにあります。ドアをあけてみなければ、つぎは、またへやなのか、戸だななのか、廊下なのか、階段なのか、さっぱりけんとうがつきません。絵や、本だなや、がらくたが、どこにもいっぱいあって、もうひとつ、なにかおこうと思っても、そのすきまがないほどです。
さて、犬はリビイを朝食の間につれていきました。このへやは、リビイひとりではとうてい、みつけられないところにありました。
(長沼登代子訳、岩波少年文庫)


ボストンの代表作 『グリーン・ノウシリーズ』 は、彼女が死ぬまで住んでいた英国のヘミングフォード・グレイのマナーハウスがモデルになっている。現在はボストン記念館になっている家である。
ボストンは、古くて静かな屋敷が隠し持つもの、そこに宿っているものに出会うところから、物語を始めるのが得意らしい。
リビイもまた、この田舎の古い家で、不思議なものたちに出会い不思議な経験をすることになるのである。
おっと書き忘れるところだったが、リビイが見た木の妖精は、緑の髪をしているのだった。



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937. 雷鳴よ轟け、グリーンスリーブスの調べで (Studies in Green)


My Lady Greensleeves,Rossetti,1863
(My Lady Greensleeves,Dante Gabriel Rossetti,1863)


グリーンスリーブス(Greensleeves)は、伝統的なイングランドの民謡である。
作られたのは16世紀頃だという。以降、500年のあいだに、さまざまな形で歌われ、演奏され、引用され、あるいはオペラのような形で演じられてきた。


The Complete 1961 Village Vanguard Recordings
(John Coltrane,The Complete 1961 Village Vanguard Recordings)


そして、絵にもなっている。
トップの画像は、ロセッティの描いた「My Lady Greensleeves」という作品。
あの柔らかな曲調から、どうしてこんなに官能的な絵が生まれるのか ? などと思うのはありがちな誤りで、もともと原曲も激しい恋の歌なのだという。
そう思って聞くと、このコルトレーンの演奏の狂おしいような美しさにも納得がいくのである。
→ YouTube (音量注意)
John Coltrane - What Child Is This? (Greensleeves) Live @ Village Vanguard




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936. エメラルド・シティ (Studies in Green)


Emerald City
(Photographer Annie Leibovitz Series of photographs for Vogue magazine December 2005)


画像は、写真家のアニー・リーボヴィッツが、雑誌『ヴォーグ』の企画で撮った『オズの・魔法使い』(2005)、
ドロシーに扮する女優は、キーラ・ナイトレイである。
しかし、今日の記事のテーマは、美貌と貧乳についてではない。
写真の背景に姿を見せるエメラルド・シティの方について書こうと思う。
なぜ、緑は、魔女の色なのだろうか?


Best Elphaba in Wicked
(「The Top Ten Best Elphaba in Wicked」by www.culturalist.com)


イディナ・メンゼル (ミュージカル『Wicked』のオリジナル版で緑の魔女「エルファバ」役に扮した) のこの笑顔を見ていると、そんな疑問などどちらでもよくなってくるから不思議だ。
たぶん中世ヨーロッパの時代の緑色に関するイメージ=緑が悪魔や、醜さを表わす色であるというイメージが、その後も長く受け継がれてきているんだろうなと、そう書いておいて今日のスタディを終わろうと思うのである。


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1006. 自転車型タイムマシン (bicycles in fiction)


SF的世界で


チャールズ・ユウの「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」(2010)を読んでいる。
主人公の「僕」は、タイムマシンの修理とカスタマーサポートが仕事で、個人用タイムマシンに乗って生活している。小説はとても面白い。円城塔の翻訳(早川書房、2014)というのも、それ自体が楽しみってものである。
しかし、この小説を読んでいると、気になることがあった。
なんと、タイムマシンが、こんな「電話ボックス」型だったのである。
それはない! と世界中の自転車ファンは叫んだことだろう。


From the 1960 film The Time Machine based on the H.G. Wells
(From the 1960 film The Time Machine based on the H.G. Wells story)

HGウェルズ以来、タイムマシンの正当な姿とは、いつも"乗り物の形"をしていなければならないのである。


urban_time_machine_large.jpg
(2011 poster / marketing concept for Cycle Sheffield.)


そして、近未来のタイムマシンのあるべき姿というのは、この画像のような軽快でカジュアルなものがふさわしいのではないか。デロリアンのような自動車タイプは、重々しくてちっとも現代的ではない。
やはり、近未来には、自転車型タイムマシンこそが主流になっていくのではないだろうか。



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1005. 血液と石鹸 (bicycles in fiction)


血液と石鹸2  血液と石鹸


リン・ディンは1963年、サイゴンに生まれ、70年代央にアメリカに移住。
英語で詩と小説を書く。
『血液と石鹸』 (2004)、は彼の第2短篇集である。
37の掌編、特徴は、皮肉と笑いと自虐。短くて小さな物語が並んでいる。
邦訳は柴田元幸訳、早川書房(2008)。

本を持ち歩いている人間は、未開社会であれ先進社会であれ、畏怖の念とまでは行かずとも、それなりの敬意を寄せられるものである。この事実を知るがゆえ、メコンデルタのただなかのファットダット村に住む無学の自転車修理工ピエール・ブイは、どこへ行くにも本を一冊持ち歩くようになった。
その魔力はてきめんであった。乞食や娼婦がパタッと声をかけてこなくなり、強盗にも襲われなくなったし、子供たちは彼の前では静かになった。
はじめは一冊しか持ち歩かなかったが、そのうちに、もっとたくさん持てばさらによい印象を与えるはずだと思いあたった。というわけで、いつも最低三冊は持ち運ぶようになった。祭日で街なかに人があふれるときなど、十冊あまり抱えていった。
(「本を持ち歩くこと」、柴田元幸訳)


引用した「本を持ち歩くこと」も、わずか2頁の短い作品である。
70年代のベトナムを舞台にした掌編、皮肉と笑いと自虐が特徴、とこれだけ書けば、たぶんこの物語の結末、落ちの部分もわかるはずだ。だが、予想通りだとしても、物語はきちんとあるべきところに着地し、ぼくらにある種の感銘を与えるのである。それは、リン・ディンの書く言葉や文章やレトリック、それ自体に皮肉と笑いと自虐が練り込まれているからだと思う。いわば、麺自体に味がついているパスタのようなものである。ソースやトッピングがなくとも、充分に美味しい。それは、彼が、詩を書くこととも関係があるのだと思う。



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