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575. 記号の国のスープ (Today's Soup)


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ロラン・バルトの 『記号の国』 (1970、旧題「表徴の帝国」) は、一見、「日本論」のような体裁をしている。
しかし、彼自身は、これはエクリチュールについての本だと語っていたらしい。

〈ご飯とおなじように   正反対の物質ではあるが   〉日本のスープは (スープというこの言葉は、どろどろしたものという印象をあやまってフランス人にあたえるし、ポタージュという言葉では食事つき下宿を思わせてしまうのだが) 、食べるものの戯れのなかに明澄な筆致をくわえている。フランスでは、澄んだスープとはみすぼらしいスープである。だが日本では、汁ものは軽やかで水のようにさらさらとして、ごくわずかの大豆やいんげん豆がゆらめき、ほんの二つか三つの固形物 (少量の青菜、糸のように細い野菜、魚のきれはしなど)が浮かんで、その少量の汁を区切っているのだった。澄み切った濃密さ、脂肪のない栄養ゆたかさ、澄むほどに滋養に富む霊薬、という観念がうかんでくる。水にみちた(水分をふくんだ、という以上の) 何か、ほのかに海を思わせる何かが、源泉とか深い生命力といった考えをもたらす。このように、日本の食べものは、材料を本質的に還元していった体系 (明澄性から分離性にいたる) のなかで、つまりシニフィアンのふるえのなかで作りあげられている。それこそ、言語の揺らぎのようなものの上に築かれたエクリチュールの基本的な性質なのであり、日本の食べものもまさにそのようなものであると思われる。
(石川美子訳)


この本は、日本の言語や食べものや都市や文楽や俳句についての断章を連ねながら、意味から解放された日本独自の文化についての賛歌を唱えているように見える。しかし、彼自身は、日本で発見したさまざまな驚きを表現するための新たなエクリチュールを模索し且つ実践することを主眼とした本だと考えていたらしい。

さて、ではエクリチュールとは何かということになる。分りにくい言葉である。分りにくいのが当然のことばでもある。それは、バルト自身がようやくこの本の中で見つけたものであるからだとも言える。
もしもあなたがあらたに体験した驚きを表現するすべを知っているとすれば、それがあなたのエクリチュールになる。では拙いスープ記事を毎日毎日書き連ねていくこのブロガーの行為はエクリチュールと言えるのかどうか。



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