584. 彼女はスープに息を吹きかける、小熊のようにスープをすすりながら笑う (Today's Soup)


Julio Cortázar


フリオ・コルタサル (1914-1984) のこの短篇では、「温かい食べ物だけでこれだけ幸せになる」という文章とともにスープが登場する。いわば ”こころにもからだにも優しいスープ” というありふれた登場の仕方である。しかし、そこはそれコルタサルのこと、小説の方は決してありふれたものでは終わらない。   

小説の主人公は、マルセロと、リナの二人。雨の夜、男は、ヒッチハイカーの少女と出会い、小さな町まで車に乗せていく。ここから物語は始まり、翌日、二人が分かれていく場面で終わる。なんだか、よくある設定のような気もするが、そこはそれコルタサルのこと、決してありふれたかたちでは終わらない。とてもみごとに物語は閉じる。

名はキントベルク、直訳すれば子供の山、見方によっては親切な山、優しい山、それはともかく、夜降りしきる怒涛の雨に顔を洗われて町へ到着してみると、外では拳と爪が打ち続けていることもすっかり忘れる気になって、ようやく場所と呼べるところ、服を着替えられる、風雨を凌ぐことのできる場所に落ち着いた。銀のスープ鉢に入った温かいスープ、白ワイン、そしてパンを切って最初のひとかけらをリナに渡すと、オマージュでも捧げられたように、実際にオマージュなのだが、彼女はそれを受け取り、何のためなのか、上からスープに息を吹きかける、その時揺れながら少し舞い上がった彼女の前髪がなんとも美しく、手とパンに撥ね返された息がまるで小さな劇場の幕を吹き上げたよう、その瞬間からマルセロはほとんど、リナの考えていること、ずっと微笑を浮かべて息を吹きかけながらおいしいスープをすするリナの映像と記憶、そのすべてが舞台の上に現れるのを待ち受けたほどだった。
 もちろん、子供のように平らな額はそのまままったく動かず、最初は声だけがぽつぽつと彼女の人柄を滴らせ、マルセロはそれを手掛かりに少しずつリナに近づいていく。例えば、出身はチリ、アーチ―・シェップのメロディーを口ずさみ、ヒッチハイクと、干し草小屋や若者向けの安宿で寝泊まりを繰り返していたせいで薄汚れた服に、噛み痕が少し残ってはいるがこぎれいな爪を撫でつけている。青春時代なんて、リナは小熊のようにスープをすすりながら笑う、きっともう想像もつかないでしょう、化石、ねえ、ロメロのホラー映画に出てくるさまよえる死体みたい。
ロメロとは何者か、初めて聞く名前に、マルセロは声に出して質問しかけるが、このまま話させておいたほうがいいだろう、温かい食べ物だけでこれだけ幸せになる様子を見ているほうが楽しい、さっきだって、火が入るのを待ちかねた暖炉付きの部屋を見て、嬉しそうな顔をしていたじゃないか、・・・
(「キントベルクという名の町」、寺尾隆吉訳)


「キントベルクという名の町」(1971年頃) は、短編集 『八面体』(1974) に所収の一篇。
訳者によれば、この短編集は、”文学青年コルタサル” が残した最後の短編集であるとしている。最後、というのは、1970年代半ば以降、コルタサルは”政治的作家”へと大きく変貌していくことになったからである。



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おはようございます

はじめまして、

コメント、拝読しました。
率直に言って、わたしの手には余りそうなお言葉です。
申し訳ないのですがお断りさせていただきます。

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