730. シャーウッド・アンダスン ワインズバーグ・オハイオ  (ぼくらの本が歌う時)


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アンダスンの「ワインズバーグ・オハイオ」(1919)、
名作というのは、こういうものを指すのだろう。
当時としてはめずらしい連作短編という形式によって、ワインズバーグという田舎町をみごとに浮き彫りにしている。
同時に、これは青春小説であり、教養小説でもある。ハックからホールデンに至る正統なアメリカン成長小説のヒーローが、ここにも登場する。

 暖かい秋の晩、階段に立って、人の群れが大通りを流れて行くのを眺めていた時、ジョージは若いトウモロコシの畑のそばで喋った言葉を想い出し、あの時の自分のぶざまさが恥かしくなった。通りでは、群衆が囲いの中に閉じこめられた牛の群れのように、揺れ動いていた。四輪馬車や荷馬車が狭い大通りを殆ど埋め尽くしていた。楽隊が演奏し、小さな子供たちがおとなの脚のあいだをくぐって駆けて行った。若い女と腕を組んだ、つやつやしたあから顔の青年が、幾組もきまりわるそうに歩いていった。ダンス・パーティの会場になっている商店の一軒の二階の部屋では、ヴァイオリン弾きたちが楽器の調子を合わせていた。ちぎれちぎれな音響が、開け放した窓を抜け、雑然とした人声や楽隊のホーンの高らかな響きを横ぎって、漂ってきた。それらの雑多な音響が若いウィラードの神経を苛立たせた。四方八方から、いたる所から、群れ動く生命感がひしひしと彼のまわりに押し寄せてきた。
(「世間知」(第24章)、橋本福夫訳)


引用したのは、物語の終盤、ジョージ・ウィラード少年がワインズバーグの街を出ていくその”前夜”とでもいうべき日を描いている部分。少年が故郷の町を離れ都会へ出ていくときになると、思い残すことやケリをつけなくてはならないことが一杯で、そりゃあもうたいへんなのである。それが片付かないうちは、楽隊の演奏だろうが、ダンス・パーティの音楽だろうが、それから歌声や嬌声だろうが、なーんにも耳に入ってこない。あるいは、あらゆる音が耳に入って来て苛立ってしまう。それはもう、誰だって、ぼくたちだって、かつて少年だった者たちはみんなが記憶しているあわーい経験なのである。



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