941. 琳派展 (Studies in Green)


青楓朱楓図屏風(右隻)
(酒井抱一、『青楓朱楓図屏風(右隻)』、1818)


京都国立博物館で琳派展を見る。
江戸時代も19世紀にもなると、顔料の質が上がり、一気に色彩が鮮やかになる。
「緑色」もまた、然りである。
酒井抱一の『青楓朱楓図屏風(右隻)』の緑の鮮やかさときたら、筆舌に尽くしがたい。



白楽天図屛風 尾形光琳
(尾形光琳、『白楽天図屛風』、18世紀) 


百年ほど遡って尾形光琳の『白楽天図屏風』に目を移してみると、こちらの緑もまた魅力的なのである。
では、書き改めなくてはならない。…江戸時代も18世紀にもなると、顔料の質が上がり、一気に色彩が鮮やかになる。「緑色」もまた、然りである。


 飯を食ってしまったら、急に冷気を感じ出したのはさすがに海抜三千尺である。成程廬山はつまらないにもしろ、この五月の寒さだけは珍重に値するのに違いない。私は窓側の長椅子に岩山の松を眺めながら、兎に角廬山の避暑地的価値には敬意を表したいと考えた。
 其処へ姿を現したのは大元洋行の主人である。主人はもう五十を越しているのであろう。しかし赤みのさした顔はまだエネルギイに充ち満ちた、逞しい活動家を示している。我々はこの主人を相手にいろいろ廬山の話をした。主人は頗る雄弁である。或は雄弁過ぎるのかも知れない。何しろ一たび興到ると、白楽天と云う名前をハクラクと縮めてしまうのだから、それだけでも豪快や思うべしである。
「香炉峰と云うのも二つありますがね。こっちのは李白の香炉峰、あっちのは白楽天の香炉峰――このハクラクの香炉峰ってやつは松一本ない禿山でがす。……」
 大体こう云う調子である。が、それはまだしも好い。いや、香炉峰の二つあるのなどは寧ろ我々には便利である。一つしかないものを二つにするのは特許権を無視した罪悪かも知れない。しかし既に二つあるものは、たとい三つにしたにもせよ、不法行為にはならない筈である。だから私は向うに見える山を忽「私の香炉峰」にした。けれども主人は雄弁以外に、廬山を見ること恋人の如き、熱烈なる愛着を蓄えている。
「この廬山って山はですね。五老峰とか、三畳泉とか、古来名所の多い山でがす。まあ、御見物なさるんなら、いくら短くっても一週間、それから十日って所でがしょう。その先は一月でも半年でも、――尤も冬は虎も出ますが……」
(芥川龍之介「長江游記」)


こちらは、芥川が20世紀初に書いた「白楽天」のエピソードである。
源氏物語や枕草子、あるいは能や謡曲にも取り上げられているように「白楽天」というのは、これまでの日本では一番親しまれてきた詩人だったのだなあ、と取り留めない感想を述べて、この項を終わります。



にほんブログ村 本ブログへ


関連記事
スポンサーサイト

⇒comment

Secret

被災地の学生を応援しよう!
プロフィール

jacksbeans

Author:jacksbeans
ようこそ!
記事のカテゴリ区分は、
①自転車、②図書室、③青、④メキシコ、⑤フルーツ、⑥階段、⑦画家、⑧スープ、⑨音楽、⑩綠、です



にほんブログ村 本ブログへ

ブログ村ランキング参加中、
クリックしていただけると幸いです。

カテゴリ
月別アーカイブ
04  12  09  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04 
検索フォーム
最新コメント
最新記事
PVアクセスランキング/海外文学
リンク