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368. サマセット・モーム 秘密諜報部員

「秘密諜報部員」(1928)は、モームが書いたスパイ小説である。いや現在のスパイ小説の源のような作品であると言ったほうがいいのだろうか。第一次大戦下、実際に秘密諜報活動に従事したモームが、自身の体験を基に書いた作品である。
   連作短編のような趣のあるこの作品の、第四話・毛なしのメキシコ人、第五話・髪の黒い女、第六話・ギリシャ人は、ひとつのエピソードについて書かれたものである。ここで、主人公の作家アシェンデンは、情報局のR大佐から指令を受け、毛なしのメキシコ人と呼ばれる男と行動を共にすることになる。

メキシコ人は立ち上がって、いかにも自信ありげに、いちばん近くに坐っていた女を抱くと、踊りながら遠ざかって行った。アシェンデンはむすっとして彼を眺めていた。あの金髪のかつらをつけ、のっぺりした顔をした男は、なんとも異様な感じがするのだが、それでいてこの上なく優美にからだを動かすのだった。足は小さく、猫か虎の前足のように地を踏んでいた。彼のリズムはすばらしかったので、彼と踊っていた、けばけばしく飾り立てた女は、すっかりうっとりとしていた。彼の爪先にも、女をしっかり抱いている長い腕にも、リズムがあった。人相は悪く、グロテスクですらあったが、美しいともいえるほどの、猫のような優美さがあって、相手は恥ずかしく思いながらも、心の中でうっとりしてしまうのだった。アシェンデンは彼を見ているうち、メキシコ先住民のアズテック人の石工が刻んだ彫刻を思い出した。野蛮で、活力に溢れていて、恐ろしく残酷でありながらも、なにかこもった愛らしさがただよっているのだ。この汚いダンスホールで一晩じゅう踊りつづけるようにと彼を残して行っても、アシェンデンはいっこうかまわないのだったが、まだ仕事の話が済んでいなかったのだ。彼はそのことが気になっていた。マヌエル・カルモナに、書類と引換えに金を渡すように指令されていたのだが、書類は手にはいらなかったし、そのあとどうするか   彼にわからなかった。そこまでは彼の仕事ではないからだ。毛なしのメキシコ人は、彼の前を通り過ぎながら、楽しそうに手を振った。
「音楽がやんだらすぐに行きますからね。金を払っといてください。すぐ出られますから」
(瀧口直太郎訳)



このメキシコ人が、まさに秘密工作員にぴったりのキャラクターなのである。引用部における彼についてのみごとな描写を読んだだけで、このメキシコ人の姿が、時空を超えて、なまなましく、生き生きと、こちらに迫ってこないだろうか。
・・・ミステリやスパイ小説として読むと、物語の起伏が足りないなどと不満をもらす向きもあるかもしれないが、そんなものの代わりにここにはもっといいものがあるわけである。アシェンデンという男の眼を通して、戦時下に蠢く人間たちの姿がみごとに描かれていると思うのである。

PS. ヒッチコックの「シークレット・エージェント」(1936)は、モームのこの作品を原案とした。毛なしのメキシコ人には、ピーター・ローレが扮した。彼の演じたメキシコ人は、今、思い出しても可笑しい、大爆笑ものなのである。



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