44.ジョン・バンヴィル バーチウッド

「バーチウッド」(1973)、バンヴィルの第二長編。舞台は20世紀のアイルランド。ある素封家の一族と屋敷の盛衰の歴史を描く。途中でいつのまにか物語が転調し、19世紀央のアイルランドの史実が重ねられながら、なおも一族の没落が語られて行く。

ひとつ思い出話がある。わざわざ話すほどのことでもないだろうが、祖父は私に自転車の乗り方を教えてくれた。春の、もちろん四月の夕暮れのことで、まだ陽が残り、風が梢を揺らし、クロッカスが芽を出していた。(中略)祖父は私のサドルの後ろを掴んで一緒に走り、息を切らしながらも大声で私を励ました。私が心臓をどきどきさせながら、この信じられないほど華奢で安定の悪い機械に跨り、闇雲にペダルを踏んでいると、祖父は強くひと押しして手を放し、私を単独航海へと送り出した。ハンドルが震え、前輪が石を弾き飛ばし、私は恐怖で叫んだが、何かカチリという手応えがあって、うまく言えないが、その瞬間に自転車は素晴らしく精巧で空気のように軽やかな道具に変った。張り詰めたスポークが歌い出した。私は飛んでいた。夕暮れの空にふわりと浮かび上がり、青い空気のなかを滑らかに滑って行く---地面を這いずっていた生き物が飛び立つように。それも長くは続かず、私はぶざまに飛び降りて自転車のフレームに股をぶつけ、後輪に足を轢かれた。振り向くと、祖父がいつもの歩き方でやって来るところだった。こう言っていた。おめでとう。やったな。「腰が抜けるところだったよ」と彼は叫んだ。
祖父はその夜遅く、私が物音ではなく、静寂のなかのただならぬ気配に目が覚めるまでは、生きていた。(佐藤亜紀・岡崎淳子訳)


先に邦訳が出た『海に帰る日』(2005)がきわめて静かで暗いトーンで語られる物語であったことと比べると、こちらはずいぶん調子が異なる。なにやら執拗で饒舌で審美的である。幻惑的でもある。当時のバンヴィルの若さと野心の現われなのだろうか。作家、27歳の作品。

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