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401. イーヴリン・ウォー ブライヅヘッドふたたび (フルーツ小説百選)

「果樹園」というのは、とても魅力的なイメージを秘めた言葉だと思う。
花が咲き誇り、瑞々しい果実が枝を圧するようにあふれている場所というのは、すなわちわれわれすべてにとっての楽園のようなものではないか。たとえばゴッホにとってアルルで”Vergers fleurissants”の作品群を描いたときがいちばん幸せな時期であった。悟空が遊んだ蟠桃園も然り。

若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか。又、何と瞬く間に失われて、二度と戻って来ないものだろうか。(中略)兎に角、その夏ブライヅヘッドで過ごした無為の日々は、わたしには天国に近いものに思われた。(中略)

私はその夏を一緒に過したようなセバスチアンとして彼を覚えていたい。私達は連れ立って魅せられた宮殿の中をさ迷って行き、刈り込んだ黄楊の生垣で区切られた果樹園を セバスチアンは車付きの椅子を進めながら冷たい苺や温かい無花果を探して廻り、或は温室から温室へ、一つの匂いから又別な匂いへ、一つの季節から違った季節へと、麝香葡萄の房を切ったり、私たちの上衣の襟に挿す蘭の花を選んだりして移って行き、又、わざとひどくまだ歩き難そうな振りをして階段を登って行って、昔の子供部屋の、擦り切れた花模様の絨毯の上に私と腰を降して、私たちの廻りには空になった玩具箱が並び、部屋の隅ではホーキンスばあやが縫いものを していて、「貴方達ってのは何てまあ、しようがない人達なんでしょう。子供と同じじゃありませんか。大学で一体、何をしているんです、」と言ったりするのだった。今は、セバスチアンは露台に向った列柱の間の安楽椅子に日光を浴びて嵌り込んでいて、わたしは彼の脇に固い椅子を引っ張って来て噴水を写生しようとしていた。
(吉田健一訳)



果樹園というのは、すなわちわれわれすべてにとっての楽園のようなものではないか。・・・と思ったら、イーヴリン・ウォーも書いていました。
「ブライヅヘッド ふたたび」(1945)というとびきりの作品の第一部は「曾てアルカディアに」と題されていて、主人公が果樹園のある屋敷ですごした或る年の美しい夏を回想する文章が綴られている。

引用したのは、第一部・第四章、
”若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか”という文章で始まるこの章には、美しくてありきたりで儚くてとびきりの、チャールスとセバスチアンという二人の青年の物語の全てが詰まっているように思える。もちろん、ただの楽園ではなくて、そこにはかなしみもはかなさも一杯につまっているのである。




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