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402. ユイスマンス 大伽藍 (フルーツ小説百選)

カミーユ・コローの「シャルトル大聖堂」(1830,1872)を見る限りでは、そこにひとりの男の狂おしいまでの傾倒を引き出すようなラディカルな美や神秘がいっぱいに詰まっているとは想像しにくい。落ちついた色彩と構図の中に聳えるこの大聖堂には、むしろおだやかで静かな時間が流れているように感じるのである。

ユイスマンスの長編小説「大伽藍」(1898)の第十章は、カトリックにおける”植物の象徴学”の解説に当てられている。「大伽藍」という作品は、シャルトル大聖堂の美の探求を通じて、中世のカトリックの神秘主義に迫ろうという試みであるのだが、この第十章もまた植物誌という形態を通じてカトリックの神秘主義と象徴学について語られていくことになる。

・・・植物の象徴学そのものへと話をすすめましょうか。
通常、花は善の紋章です。デュラン・ド・マンドによれば、花は樹木と同様、美徳を根に有する慈善を表します。オノレ・ル・ソリテールによれば、緑の草は賢者であり、花をつければ進歩する人のこと、果実をつければ完璧な魂のことになります。加えて、象徴学的神学の古い概論によれば、植物は復活を寓意とするとされており、永遠という概念が割り当てられているのは、なかんずく、ブドウ、ヒマラヤスギ、それからヤシですね・・・・・・。(中略)
・・・ブドウについて主は言われました。「我はブドウのつるなり」と。
(野村喜和夫訳)



引用したのは、主人公のデュルタルが、プロン神父に案内されて、司教館の庭園や果樹園をめぐり歩きながら、植物の象徴的意味について、はなしを聞く場面である。ここでは、植物は徹底した善悪の二元論によって選り分けられ、神と悪魔の象徴体系の中に組み入れられ、語られていくことになる。
・・・しかし、そうした衒学的で鹿爪らしい論議を横に置いておいたとしても、意外なことにこのカトリック的「植物誌」はとても面白い!のである。
たとえば「かわいそうなエジプトイチジク」のはなし。あるいは、「貧相な灌木、クロウメモドキ」のはなし。プリニウスの博物誌を持ちだすつもりはないが、かの名著「フローラ逍遥」に勝るとも劣らず、とくらいは書いておいても良いだろうと思うのである。



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