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419. アン・モロウ・リンドバーグ 海からの贈物

アン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈物」(1955)は、ひとりの女性が一時的に仕事や家族から離れ、海辺の別荘で休暇を過ごした際に考えたことを綴った本である。
ただそれだけの本であるのに、なんでこんなに生き生きとしたみずみずしい言葉がそのまま50年余の時間を越えてわたしたちのこころに届くのか。響くのか。

我々は皆、自分一人だけ、愛されたい。「林檎の木の下で、私の他の誰とも一緒に座っちゃいや」という古い歌の文句の通りである。そしてこれは、W・H・オーデンが言っているように、人間というものが持っている一つの根本的な欠陥なのかもしれない。
  どの女も、男も、
  持って生まれた迷いから、
  適えられないことに心を焦がし、
  普遍的な愛だけではなくて、
  自分だけが愛されることを望む。
 しかしこれは、それほど罪なことだろうか。私はこの句について或るインド人の哲学者と話をしていて、非常にいいことを聞いた。「自分だけが愛されることを望むのは構わないのですよ」とその哲学者は言った。「二人のものが愛し合うというのが愛の本質で、その中に他のものが入ってくる余地はないのですから。ただ、それが間違っているのは時間的な立場から見た場合で、いつまでも自分だけが愛されることを望んではならないのです」というのは、我々は、「二つとないもの」  二つとない恋愛や、相手や、母親や、安定に執着するのみならず、その「二つとないもの」が恒久的で、いつもそこにあることを望むのである。つまり、自分だけが愛されることの継続を望むことが、私には人間の「持って生まれた迷い」に思える。なぜなら、或る友達が私と同じような話をしていた時に言った通り、「二つとないものなどはなくて、二つとない瞬間があるだけ」なのである。
二つとない瞬間は確かにある。そして一時的にせよ、そういう瞬間を取り戻すことも決して間違ってはいない。マフィンとマーマレードが出ているテーブルで向かい合うのも、子供に乳をやるのも、もっと後になって、子供と浜辺で駆けっこをするのも、一緒に貝殻を探すのも、栗の実を磨くのも、大事にしているものを分け合うのも、  そういう二人だけの瞬間には凡て意味があって、ただそれが恒久的なものではないだけなのである。
(吉田健一訳)


ほんとうならこれは言葉の力だ。文章の力だ。本の力だ。そう書きたいところなのであるが。
これに限ってはそうではないと思う。では何かといえば、思索の力だと思うのである。そのことを思い知らされる本。20世紀央に飛行家であり作家であったひとりの女性が、人間について生活について世界について、こんなにも静かに深く明晰に思いをめぐらせていたことに、瞠目させられてしまう本である。



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