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421.フリオ・コルタサル 遊戯の終わり (フルーツ小説百選)

コルタサルの「遊戯の終わり」(1956)は、同名の短編集の標題作である。
ここには三人の少女が登場する。この作品の魅力は、それに拠っているのかもしれない。少女小説というのは、それ自体が魅力的なものであるから。いやしかし、これは少女小説ではないかもしれない。少女たちの目を借りた追憶の物語なのかもしれない。あるいは・・・。 おっと(堂々巡りに陥ってしまった)、これではすっかり、コルタサルの目眩ましの術にやられてしまったかもしれない。

暑くなると、アルゼンチン中央鉄道の線路がわたしたちの遊び場になった。(中略)
家の中がひっそり静まり、蜂が飛び交い、芳香の漂うレモンの木の下で猫が寝そべってお昼寝をはじめると、わたとたちはアルゼンチン中央鉄道の線路に出かけていった。白いドアをそっと開いて閉めると、あとは風のように自由になり、手足や全身が自然に前の方へ進んだ。勢いをつけて駆け出すと、線路の低い斜面を一気に駆け登り、そこから自分たちの王国を黙って眺めた。
大きくカーブした線路が家の裏手で直線に変わるそのあたりが、わたしたちの王国だった。
(木村榮一訳)


もちろん彼女たちの王国は、いつまでも静謐で安穏たるものではいられない。或る日、異質なものが登場し、王国に侵入してくる。勇敢な二人の少女は、それを見ようと出かけていくが、臆病なひとりの少女はレモンの木の下でじっと待っている。乱暴な要約をすれば、これはそんな物語である。
それだけの物語であるのに、驚くほどさまざまなイメージと感情が呼び起こされる。惑わされやすいこころの持ち主は注意しなければならない。わたしはたぶん平気。


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No title

こんばんは。
ぼくも最近、ようやく遊戯の終わりを読みました。
そして見事に惑わされました。笑
感情の底にある、人としての記憶をくすぶるような不思議な描写。
読み終わるのがもったいないくらいでした。

こんばんは

『遊戯の終わり』は、標題作だけではなく、どれも面白かったです。
たしかに、読み終わるのがもったいないくらい、でした。
どれか長編をじっくりと読みたくもなりました。

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