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464. ウラジーミル・ナボコフ 暗号と象徴 (フルーツ小説百選)

暗号と象徴


「暗号と象徴」、短編集『ナボコフの一ダース』(1958)に所収。
わずか数ページのこの作品は、しかし、ナボコフの代表作の一つと目され、アメリカでは作品をめぐって三十余人の作家、批評家、学者たちが論考を寄せた研究書が発表されているという。或いは、ジョン・バンヴィルのこんな感想が参考になるかもしれない。曰く、『ナボコフがかつて書いた作品のなかでいちばん悲痛な物語である』

不治の精神錯乱で入院している息子のところへどんな誕生祝いを持って行くかという問題に彼らが直面したのは、四年間でこれが四度目だった。本人はなにもほしがっていない。人間がこしらえた物は、息子にしてみれば、自分だけにわかる悪だくらみでぶんぶん唸りをあげている悪の巣箱のようなものか、それとも彼の抽象的な世界ではまったく役に立たない下品な慰めでしかない。息子が腹をたてたり怖がったりしそうな物をあれこれと除外してから(たとえば、気の利いた製品みたいなものは厳禁だった)両親はあたりさわりのなさそうなに洒落た小物を選んだ。十個の小さな壺に入った、すべて種類の違うフルーツ・ゼリー十個の籠入りだ。
(若島正訳)


読んでみると、実際には、物語自体は、難解でも、悲痛でもなさそうなのである。
しかし、作中の青年が患っているという”言及強迫症”について考えだすと、これはたしかに怖ろしいのかもしれない。
・・・それでも、”身の回りに起こっていることすべてが自分個人の存在に対する暗号めいた言及だと思いこむ”、あるいは、”どこへ行っても自然が現象としてつきまとう。じっとこちらを見つめているような空の雲は、ゆっくりとした暗号で、彼に関する信じられないほど詳しい情報を互いにやりとりしている”、といった青年の症状は、(いったん人間と世界の関係から離れて)ようく考えてみると怖いものでも何でもなくて、例えばわれわれが物語を読むというときの基本認識のひとつであるような気がしてくるのは、脳天気だろうか。錯覚なのだろうか。フィクションと関わるというのは、そういう意識によるものであると、そんな気もするのである。 



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