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481. 蜜柑/桜桃/檸檬 (フルーツ小説百選)

芥川龍之介の「蜜柑」(1919)、太宰治の「桜桃」(1948)、梶井基次郎の「檸檬」(1925)、各々の冒頭の部分を引用して並べてみた。ただそれだけのことであるが、当然のことながら面白さの質がずいぶん違うことに気がついて愉しくなる。そして、引用部だけではわからないが、"果物"の扱いも三者三様で、大きく異なるのである。


 或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗くと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
(「蜜柑」)


「蜜柑」は、三つの作品のなかでは、最も短篇らしい短篇である。
きっちりと構成されていて、破綻するところがない。"蜜柑と少女"のエピソードも効果的である。短篇小説を書くときの手本にしたいようなみごとさである。しかし、その分、驚かされるところはない。古めかしい感じもする。百年という時間のなかで、ちょっとだけ表面にほこりをかぶっただけなのかもしれないが。


 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しい虫のよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌ばかり伺っている。子供、といっても、私のところの子供たちは、皆まだひどく幼い。長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。
(「桜桃」)


これはもうまさに太宰風の私小説である。モノローグのようなものである。
ところが実は巧みに小説として構成されてもいて、最後に挿入される "桜桃を極めてまずそうに食べる"というシーンなど、みごとというしかない。現代小説のような鮮やかさも残していることにも驚いた。


 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
(「檸檬」)


小説というよりも、みじかく端正な散文詩を読んだような気分になった。
京都寺町の"果物店"の描写の美しいこと!
そしてその店で買った"檸檬"の使い道の激しくて哀しいこと!



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