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804. J・G・バラード 永遠の一日

「永遠の一日」(1966)、バラードの初期短編のひとつ。短編集「溺れた巨人」に所収。
ごつごつしていて、ざらざらしていて、しかし何かを見つけようとするとそこには空白がひろがっているだけ。そんな初期SFの魅力がいっぱいにつまった一篇だと思う。

・・・自転が止まった地球。時間が消失するとともに、さまざまなものが失われた。
主人公のハリデイは、それを捜し求めるように、今は、南半球のとある町にたどりついたところ。
彼は、それまで暮らしていた北半球の"昼間の町"を抜けだして、次は、暖かい夜の世界へ移ろうとする。そして、たどりついた午後七時の町=薄暮の時間でとまってしまった町で生きようとするのだが。

七時のコロンビーヌはいつも夕暮れだった。ハリデイの美しい隣人ガブリエル・ザボは、絹のローブの裾で細かな砂を桜桃色の雲のように舞い上げながら、たそがれの中を歩いていた。芸術家村に近い、からになったホテルのバルコニーから、いつもハリデイは砂漠に落ちた動かぬ影を、干上がった川ごしに眺めるのだった。アフリカのたそがれは果てしなくつづき、失われた夢を約束するように彼をさし招いていた。(中略)
七時のコロンビーヌ  レプティス・マグナ遺跡から八キロのところにある、涸れ川のほとりのこの町で、ハリデイは自分の夢から現れたような女性、ガブリエル・ザボにはじめて出会ったのだった。そして、奇怪な幻想画を描く、捨て鉢な明るさを持った女流画家レオノーラ・シュリーと、ハリデイを助けて彼の夢をとりもどさせようとしたリチャード・マロリー医師に出会ったのも、やはりこの町だった。(中略)
彼は、マロリーがどんな理由でコロンビーヌにいるにしろ、この薄暮線上のあいまいな世界に完全に自分を順応させていることを、感じとれた。マロリーにとって、七時のコロンビーヌと砂漠はすでに内的風景の一部になっているが、ハリデイとレオノーラ・シュリーはまだそれぞれの絵の中に、それを見つけねばならないのだった。
(大谷圭二訳)



0042.jpg

彼女も、ハリデイと同じように、失ったものを見つけ出そうとあがいている。
絵を描くことで取り戻そうともがいている。
そして遂に見つけることになる。
しかし、それは、絵を描くことによってではなく、ある日、砂漠を横切って"宝石の鳥"のように飛んできたのだという。

・・・バラードが付けたこの結末は、とんでもなくはないか?!
と、わたしは慄いて、ひとまず冷たいビールを飲んで落ちつこうとしてみるのである。

レオノーラ・シュリーという名前は、シュルレアリスムの女性画家であるレオノーラ・キャリントンやレオノール・フィニを思い起こさせるものであるが、そんなのんびりとした考察をするような余裕がなくなってしまった。ともかく、冷たいビールを飲んで落ちつかなければ。冷たいビールを飲んで落ちつかなければ。




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