スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

515. チキンスープがぼくらにとって必要な理由 (Today's Soup)

Franny and zooey


たしかにぼくたちは誰もが何年にもわたって「何か栄養になるものを身体に入れなくて、どうして力やなんかがつくものですかね。」と言われ続けてきたようなそんな存在である。そんなぼくたちをしても、チキンスープがぼくらにとって必要な理由については長い間、知ることがなかった。そう思うのである。

  これより一分半ぐらい前、フラニーは、「おいしいあったかいチキン・スープ」を持っていってやろうかという母親の、ここ十五分の間に四度も繰り返された申し出の言葉を、震えているのが゛はっきり分かる声で拒絶したばかりのところだった。(中略)
  グラース夫人は坐り直すと溜息をついた。どんな場合でも、彼女は、チキン・スープを拒絶されると必ず溜息をつくのである。しかし彼女は、長年にわたり、子供たちの病気の水路を巡邏船であちこち巡航し続けてきたようなものだから、この溜息も決して屈服のしるしではなかった。すぐさま彼女は口を開いてこう言った。「何か栄養になるものを身体に入れなくて、どうして力やなんかがつくものですかね。」(中略)

  「フラニー、きみに言うことが一つあるんだ。ぼくが本当に知ってることだ。逆上したりしちゃだめだぜ。べつに悪いことじゃないんだから。きみがもし信仰の生活を送りたいのならだな、きみは現にこの家で行われている宗教的な行為を、一つ残らず見すごしていることに今すぐ気づかなければだめだ。人が神に捧げられた一杯のチキン・スープを持っていってやっても、きみにはそれを飲むというだけの明すらない。この精神病院にいる誰彼のところへベシーが持ってゆくチキン・スープは、すべてそういうスープなんだぜ。だからぼくに知らせてくれ、ぼくに知らせてくれよ、きみ。(中略)神に捧げられた一杯のチキン・スープが鼻先に置かれてもそれと気がつかないというのに、本物の信心家をどうやって識別するつもりなんだ? それを知らせてもらえないかな?」
(J.D.サリンジャー、「ゾーイ」、野崎孝訳)


サリンジャーの『フラニーとゾーイ』は、『フラニー』(1955)という短篇と、『ゾーイ』(1957)という中篇が合わせられて一冊の本になっている。
『フラニー』はそれ自体が見事な作品であると同時に、『ゾーイ』という作品のための導入部のような役割を果たす。そして、『ゾーイ』は、そのほとんどが兄妹の会話で占められるという少し変わった構成になっている。   傷ついて帰って来たフラニーが部屋に閉じこもってしまう。そんな彼女にゾーイが話しかける。引用したのは、そんな場面のひとつである。




にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

ブログ村ランキング参加中、
クリックしていただけると幸いです



関連記事
スポンサーサイト

⇒comment

Secret

被災地の学生を応援しよう!
プロフィール

jacksbeans

Author:jacksbeans
ようこそ!
記事のカテゴリ区分は、
①自転車、②図書室、③青、④メキシコ、⑤フルーツ、⑥階段、⑦画家、⑧スープ、⑨音楽、⑩綠、です



にほんブログ村 本ブログへ

ブログ村ランキング参加中、
クリックしていただけると幸いです。

カテゴリ
月別アーカイブ
04  12  09  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04 
検索フォーム
最新記事
PVアクセスランキング/海外文学
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。