Ken Takakura Film Festival in New York,1979


横尾忠則、1979年2月7日-4月16日、NY「高倉健映画祭」
(横尾忠則、「ニューヨーク・高倉健映画祭」のポスター、1979)


わたしにとっては、銀幕を通して見たというよりも、横尾忠則の絵を通して見た”高倉健”の印象が強く残っている。この「高倉健映画祭」のポスター以外にも、横尾さんの手によるものとして、映画「新網走番外地」のポスター、「高倉健デラックス」のレコード・ジャケットのイラスト等、すぐに目に浮かびあがる画像が幾つもある。



高倉健デラックス
(横尾忠則、「高倉健デラックス」のレコード・ジャケット、1969)


わたしにとっては、池部良さんとの昭和残侠伝、藤純子さん、鶴田浩二さんとの日本侠客伝に於ける"健さん"が最高である。
できれば、幸福の黄色いハンカチや鉄道員を代表作として挙げないでほしい。
できれば、武田鉄矢さんや板東英二さんに彼の思い出を語らせないでほしいと思う。



141119スポーツ紙一面、403


11月19日のスポーツ紙朝刊の第一面は揃って"健さん"の追悼記事だった。
デイリースポーツの大阪版くらいはいつもの阪神記事でもよかったとは思うが、こうして記事が揃ってみるととても有り難い。中身は各社とも似たようなものなのに、どれもそれなりに読ませるのである。中では、デイリーに載った「昭和残侠伝」の写真が一番、美しかったと思う。     合掌。





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★677. 青淵文庫 (ミュージアムの階段)

この時期、拙ブログにとって、記事を書くのは難しい。
だいたい、海外小説には、それがほとんど登場しないし、
ミュージアムにしても、都合よく階段とそれとを一緒に収めた画像なぞ、なかなかないってものだからである。


青淵文庫


青淵文庫は、飛鳥山の旧・渋沢庭園の中にあって、大正期(1925)に建てられた当時の姿を残している。
この建物の美しさは、まさに「筆舌に尽くし難い」級である。
殊に、外壁の月出石やすこし緑色を帯びたタイルとステンドグラスの美しさときたら! ちょっと、ル・コルビュジエの西洋美術館の建物を連想したりする。いやはや、機会があれば、こんな階段の画像ではなく、建物の全貌をぜひ鑑賞していただきたいと切に思う。
それはまあともかく、今日のところは、この"桜と洋館の図"を御笑覧ください。




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☆ペルガモン博物館 (ミュージアムの階段)

CIMG0518 (2)

世界遺産として登録されているベルリンの博物館島には、上の図のように五つのミュージアムが建ち並んでいる。①がボーデ博物館、②がペルガモン博物館、④が新博物館、⑤が旧・ナショナルギャラリー、⑥が旧博物館である。いずれも、1830年代から1930年代にかけて建てられた古典様式の重厚な建物で、外から眺めているだけでその背景にある歴史の重さが感じられて胸が騒ぐ。そして、各美術館それぞれに興味深い"階段"を有することはもちろんである。



Pergamonmuseum02.jpg
             (Photo;This is a file from the Wikimedia Commons.)

ペルガモン博物館では、まず、館名の由来にもなっている"ペルガモンの大祭壇"を見なければならない。


「ペルガモンの大祭壇(ゼウスの大祭壇)」(紀元前180年-160年頃)-紀元前2世紀、小アジアのペルガモン(現・トルコ)で建造された大祭壇が博物館内に再構築されている。全長100メートル以上に及ぶ浮き彫りはギリシャ神話の神々と巨人族との戦いを表したもので、ヘレニズム期の彫刻の代表的なものである。1864年、カール・フーマンらが発見し、ドイツに持ち帰ったものである。
(wikipedia)


印象としては、とにかく大きいのである。
大きすぎて、わたしのデジカメでは全容を写すことができない。
仕方がないので、画像をwikipediaから借りた。
こんな横長の画像でも、まだ祭壇の左右に広がるレリーフは入りきらないのである。

それでもしかし、この大祭壇だけで驚いていてはいけない。
博物館には、古代のギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品など、驚くべき収蔵物がいっぱいで、油断していると見学の時間切れということになりかねないのである。
例えば、バビロニアのイシュタール門、サラセン帝国のムシャッタ宮殿のファサード、古代都市ミレトスの市場門等々、大物がずらり! 眼を休める暇もない。


Pergamon Museum, Berlin

そしてそれからもうひとつ、美しい階段を忘れてはならない。
博物館の外側、外周道路からエントランスに繫がる、運河にかかった"階段橋"である。
この階段で運河を渡っていると、まるで博物館島自身が運河に浮かぶ大きな船のようであると、昇っているのは階段ではなくて船にかかるタラップなのかなと、そんな気持ちがしてくるのである。
以上、報告します。




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★499. シュトルム 広間にて (フルーツ小説百選)

theodor storm im saal


「広間にて」(1848)は、シュトルムの最も初期に書かれた短篇の一つ。
ドイツの田舎町の、ある家族の一日を描いたもの。
邦訳は、岩波文庫版の短編集『みずうみ』に所収。

女の子をのせたぶらんこは、きらきら陽に光りながら、あがったりさがったりする。明るい捲き毛がこめかみから離れてそよぐ。でも、その子には、どこまであがっても、もうこれでいいということがない! とうとうぶらんこが音を立てて、菩提樹の梢のなかへ飛びこんだものだから、小鳥が両側の果樹棚からぱっと飛び立って、そのはずみに、熟れきった杏が地面へころげ落ちたっけ。
『何だろう、あれは?』
と青年は言って、ぶらんこをとめた。
その問いがおかしくて、女の子は笑った。
『鳥のイリッチよ。いつもはあんなに臆病じゃないんだけど』
青年は女の子をぶらんこからおろし、それから二人は果樹棚の方へ歩いていった。そこの藪のなかに、暗黄色の実が落ちていた。
『君とお友だちのイリッチが、君にご馳走したんだよ!』と青年が言った。女の子はかぶりを振って、美しい杏の実を青年の手にのせ、低い声で言った。
『あなたにご馳走したのよ!』
(関泰祐訳)


シュトルムの短篇を読んだ後は、いつも言葉を失ってしまう。
こんなふうに美しい作品を読んだあとに、何か言うべきことがあるだろうか? という感じ。
美味しいフルーツを食べ終わったあとと同じである。小説の方は、口を拭う必要もない。



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★雨の神

①トラロック


DiegoRiveraTlaloc.jpg


「トラロック」は、テオティワカンやアステカ文明で信仰されていた雨の神である。
画像のトラロックの彫刻は、ディエゴ・リベラの作品(1950~1952)で、メキシコシティのチャプルテペック公園にある。・・・この彫刻は、とにかく大きい。あまりにも大きすぎて、近くで見てもよくわからない。見学者は、ちかくの小高い丘に登り、ようやく全体を鑑賞することができる。
感想は、もちろん、・・・”でっかいね”、である。



②チャック・モール


チャック・モール


チャック・モールは、マヤ文明の雨の神である。
しかし、トラロックとの違いは、実際にはそんなに簡単に説明できるものではないのかもしれない。だから、ここでは別のことを書いておこうと思う。

今日は日曜日なので、ラグニーリャへ出かけていった。ペペの言っていた店にチャック・モールが置いてあった。実物大のじつに見事なものだ。店の主人は正真正銘の本物ですよと太鼓判を押しているが、あやしいものだ。ありふれた石を使ってあるのだが、その優雅なポーズやずっしりとした質感は少しも損なわれていない。(中略)
彫像の代金よりも自宅までの輸送費の方が高くついた。が、いずれにしても彫像はここにある。そのうちトロフィーの飾ってある部屋を片付けてそこに置くつもりだが、ひとまず地下室に入れておくことにする。(中略)
夜が明けると、家中が水びたしになっていた。・・・
(木村榮一訳)


引用したのは、カルロス・フエンテスの短編「チャック・モール」(1954)の一節である。
この短篇(邦訳)が収録されている『フエンテス短篇集』は、岩波文庫の赤帯のなかでも大好きな一冊である。そしてこの「チャック・モール」という作品も、とても味わい深い。ちなみに、引用部の手記の書き手の男は、あわれ海で溺死している。



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★475. リルケ 果樹園

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『果樹園 』(1926)は、リルケの最晩年にフランス語で書かれた詩集である。
“借りものの国語で、なれない楽器を試みるように”これらの詩をかきつづったのには、明解な理由があった。それは “Verger (果樹園)” というフランス語の言葉に、魅せられたからだというのである。

果実のすべてに無数の面を立派に仕上げんものと
気負ひ立つ幸福な果樹園よ、
お前には出来るのだ自らの古き本能を
時の若さに服せしめるさへ。
・・・・・・
(堀口大學訳)


たった四行の引用でいったい何を伝えようというのかという問題はもちろん棚上げするとして、この1926年の暮れにリルケは死す。最後の地は、晩年の棲み家、フランスのヴァレ、アルプス山中の高原地帯であった。   ”いかに彼がこの風土の持つフランス的なものに心をひかれたか”
なんて問題はむずかしいから棚上げしておこうと思う。




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★ BUS STOP in Mexico-City


メキシコ・シティ、一日目。
朝、起きて、ホテルの前の通りを散歩する。
もちろん、『朝もやの中でバスを待っている/メキシコの娘』を探しているのである。

   
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カムチャッカの若者が
キリンの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
(谷川俊太郎、「朝のリレー」)



こんな日に限って、天気はピーカン。靄なんかかかっちゃいない。
そしてもちろん、休日で、バスを待っている娘なんかどこにもいないのである。





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★ ケストナー エーミールと探偵たち

アップルケーキ


さて物語は既に大団円を迎えるところ。
お客さんはみんな到着し、ココアが沸き、アップルケーキも焼き上がって・・

ハイムポルトさんの家は、ほんとうにたいへんなさわぎだった。みんな来ていた。グスタフ、教授、クルムビーゲル、ミッテンツヴァイ兄弟、ゲーロルト、フリードリヒ一世、トラウゴット、ちびのディーンスターク、それからそれから・・・・・・椅子が足りないほどだった。
ポニー・ヒュートヒェンは、大きなポットをもって、あちこちホットココアをついでまわった。マルタおばさんのアップルケーキは最高だった!
(池田香代子訳)


このティー・パーティの愉しさったら!
そう、あの帽子屋のパーティに匹敵するくらい!




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★416. 君にリンゴの果樹園を約束したおぼえはないね


SNOO.jpg


『I Never Promised You an Apple Orchard』(1976)、
・・・これはスヌーピーが書いた著作集である。
本のタイトルは、谷川俊太郎による秀逸な邦訳を借りると、『君にリンゴの果樹園を約束したおぼえはないね』、となる。
意味は、”ないものねだりをしてもしかたがないさ”、というような感じ。いつものスヌーピーの人生に対するシニカルな視点が込められている。
原文の一節を引用してみる。

“Our love will last forever,”he said.
“Oh,yes!yes!yes!”she cried.
“Forever being a relative term,however,”he said.
She hit him with a ski pole.
(Charles Monroe Schulz,The Collected Writings of Snoopy)


“永遠なんて、結局、相対的なものなんだけどね”と呟いたとたん、ひっぱたかれてしまう彼の姿はもの哀しい。しかし、人間たるもの、ひっぱたかれることを覚悟してでも言うべき時ってものはある。楽園なんて相対的なものでそんなものどこにもありはしないのさと。

このスヌーピーの真摯な態度をみるにつけ、   ともすると、果樹園に”楽園”のイメージを簡単に重ねてしまいがちなわたしの貧弱な想像力を、ただ恥じるばかりである。反省のために、スキー・ポールででも林檎の木の枝ででもひっぱたいてほしい。



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