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589. 月の中の人 (Today's Soup)


スズキコージ01
(『まざあ・ぐうす』、スズキコージの絵、2014、復刊ドットコム社)


長新太さんと佐野洋子さんがいなくなってしまったら、ぼくらはどんな絵本を読めばいいのだろう?
そんなことを訊かれてもわたしには答えようもないが、わたし自身のことだけならかろうじて言うことができる、いまのところスズキコージさんの絵本を読んでたのしんでいます。

「The man in the moon」

The man in the moon
Came down too soon,
And asked his way to Norwich;
He went by the south,
And burnt his mouth
With supping cold plum porridge.


「月の中の人」

月の中の人が、
ころがっておちて、
北へゆく道で、
南へいって、
凝(こご)えた 豌豆汁(えんどうじる)で
お舌をやいてこォがした。

(まざあ・ぐうす/月の中の人、北原白秋訳,1921)


2014年、復刊ドットコム社から出版された 『まざあ・ぐうす』 は、北原白秋・訳、スズキコージ絵の大型絵本 (B5サイズ、200頁) で、76年の角川書店版を復刊したものである。
マザー・グースの最初の邦訳はこの白秋によるものだそうだ。
ほぼ100年が経つにもかかわらず、その訳は軽妙で洒落ていてそして独特である。
そこにスズキコージの絵が加わるというのだから、これはもうたのしいことこの上ない。
まさに愛蔵版というのはこういうものを指すのだろう。




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588. 煮込んでしまえば形もなくなる (Today’s Soup)


新井素子、ひとめあなたに


新井素子の 「ひとめあなたに」(1981) を読んでいる。
これは、”長編SFロマン”、と呼べばいいのだろうか?
長編でも、SFでも、ロマンでもないように感じるのは気のせいか??

物語は、一週間後、地球に大隕石が衝突する見込みで、地球も人類もすべて余命いくばくもないという設定。そんな状況の中で、女たちがどんなふうに動いていくのかを描く。
折りしも物語は、ひとりの女性がスープを作っている場面にさしかかったところ。

かちっ。ガスの火をつける。おなべに水をいれて。
赤いおなべ。ステンレスの。一年半、使ってきたけど、まだ新品同様よ。きれいにしておきたかった。一度使うたびに、自分でも神経質だと思うほど、しつこくみがいた。
コンソメ、いれるべきかしら。
少し悩む。
骨からうまくスープをとれる自身、ない。でも、この骨を捨てる訳にはいかない。
・・・いいわ。コンソメ、一つだけいれよう。それから骨と。
腕をきれいに洗う。

(第二章、「由利子  あなたの為に チャイニーズスープ」)


この引用部には、バックグラウンドミュージックというか、テーマソングのようなものが付けられている。
それは、荒井由美の 「チャイニーズスープ」(1975) という曲である。(→ YouTube、音量注意)

由利子という女性が、この曲の 『煮込んでしまえば形もなくなる』 という歌詞(フレーズ) を口ずさむところで章が閉じる。ただし、彼女が、何を煮込んでいるのかについては、あえて書かないでおこうと思う。それにしても、・・・なんて悍ましいんだ!

この辺りの描写は、気の弱い読者なら、とても正視なんてできやしない。
わたしにしても、眼を隠した指の隙間からこっそり覗き見するのがやっと。二度と読み返さないとこころに誓って本を閉じた。
でもそれ以来、気がつくと、♪煮込んでしまえば形もなくなる、と口ずさんでいたりする。・・・なんて悍ましいんだ!




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587. 蟾蜍が出て来た、皆で寄つてたかつて胡椒をふりかけたり、スープを飲ませたりした (Today’s Soup)


水葬物語


当たり前のことなのかもしれないが、短歌には ”スープ” という言葉はあまり登場しない。
それは何故か?などと訊くと妙なことを言うやつだと思われかねないので躊躇していたのだが、何にでも答えはあるものだ。 『岩波現代短歌辞典』 を見ると、飲食(おんじき) はプライベートな側面が強いので古典的和歌の世界ではあまり詠われることがなかったと書いてある。
では、現代短歌ではどうかとさらに訊いてみたいところだが、それはまあ自分で探してみればいいことだと思い直して今に至る。

短歌の魅力とは何か? などという今どき滅多に発せられないような質問にも答えはある、と思う。わたしなら、次のような文章を読み返すだけでユリイカ!と叫びだしかねないのだから簡単なものなのであるが。

 僕たちはかつて、素晴らしく明晰な窓と、爽快な線を有つ、ある殿堂の縮尺圖を設計した。それは屢々書き改められ、附加され、やうやく図の上に、不可視の映像が著著と組みたてられつつあった。その室・室の鏡には、過剰抒情の曇りも汚点もなく、それぞれの階段は正しく三十一で、然も各階は、韻律の陶醉から正しくめざめ、壁間の飾燈は、批評としての風刺、感情なき叡智にきらめき、流れてくる音樂は叙事性の蘇りとロマンへの誘ひとを、美しく語りかける筈であった。

(塚本邦雄 『水葬物語』の跋、1951)



さて、”スープ” についてである。
短歌にはあまり登場しないと書いたが、もちろん零ではない。
たぶん穂村弘にも俵万智にも一首くらいはあるはずだがそれは静置しておくものとして、まず次の歌を見てみることにしたい。

◇水原紫苑
はらからが春のスープにすくひたるかなしみの葉のかたかりしこと (『くわんおん』,1999)
一椀のスープのごとく注がるる神あれな冬、屈(かが)むけものに  (『びあんか』,1989)

◇葛原妙子 
ひとりなる食事をはじむすくひたるスープの中に鹿とゐる人  (『朱霊』,1970)
貝の汁に砂のこりしをこん日の憂鬱とせり雪ふれりけり  (『原牛』,1957)

◇塚本邦雄
はやき死を待たるることのさはやかに三月の芹スープにうかぶ  (『感幻楽』,1969)
百歳さして遙かならねば生姜湯を飲みさして讀むガルシア・マルケス(『詩魂玲瓏』,1998)


まさに、美しく語りかける三十一の階段がここにはあると思う。
塚本のこの二つの歌は魅力的ではあるが、この歌人の凄味あふれる作品群の中では、目立つものがない。“スープ”についていえば、二人の女性歌人の作品の方に、より魅かれるのである。


さて、最後に見てみたいのは、こんな作品である。
前述の歌と比べると、一世紀近く時代をさかのぼることになるが、決して古びていないと思う。
スープという言葉に連ねて、水原紫苑が「かなしみの葉のかたかりしこと」と詠ったこと、葛原妙子が「スープの中に鹿とゐる人」と詠ったことと同じように、至近距離から今に迫ってくるすごみがここにはあると思う。


しろがねの小さき匙もて蟾蜍スープ啜るもさみしきがため

北原白秋の 『桐の花』(1913)、第三章「庭園の食卓」に所収の一首である。
この歌には、まえがきとして、「蟾蜍 (ひきがへる) が出て来た、皆で寄つてたかつて胡椒をふりかけたり、スープを飲ませたりした」という文章が添えられている。




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586. kae kae kae kae kae kae kae kaek quak quak quak. (Today's Soup)


AConfederateGeneralFromBigSur,1964


ビッグ・サー、
太平洋岸のきり立つ崖の上のちいさな土地、
ここにリー・メロンとジェシー(わたし)は住みつき、そして相手のいない消耗戦をたたかう。
いや正確に言うと、相手はいた。
池の蛙である。
大群であった。
この蛙戦役がこの物語の重要な場面となる。
だから、作家は、この物語のことを「軍記」と呼んだそうだ。

 黄昏になると蛙たちは鳴きはじめ、夜どおし鳴き続けた。あんちくしょうら。二十五セント硬貨ほどの大きさしかない蛙たちだ。あの小さな池にいた何百、何千、何万、何億という蛙たちの鳴き声は粗朶を折るみたいに簡単に人間の心を狂わせてしまうことだってできる。
 リー・メロンも立ちあがって、細道に立っていたわたしのところへきた。「もうすぐ日が暮れる」と彼はいった、じっと池を見下して。池は緑色で、これといって危険な感じはしない。「ダイナマイトがあったらな」と彼はいった。
(中略)
 リー・メロンは立ちあがって、池に大きな石を投げ、「キャンベルのスープ!」と叫んだ。たちまち、蛙の声がやんだ。それでしばらく静かになるのだが、また間もなく始まる。リー・メロンは部屋の中に石ころをいっぱい積み上げておいた。蛙たちはいつも、どれかが一声がーと鳴くと二匹目がそれに続き、それから七五四二匹が続くのだ。
 池の中にいろいなミサイルを投げこみながら、リー・メロンが蛙たちに「キャンベルのスープ!」と怒鳴るのはおかしかった。それまでに、まず彼は蛙たちにありとあらゆる猥褻なことばを浴びせたが、そのあとで、的をよく定めて意思を投げながら、意味もない言葉を叫んでみることにしたのだった。
 リー・メロンには好奇心があるし、試行錯誤をくりかえすうちに、「キャンベルのスープ!」が蛙たちをもっとも怖れさせる言葉だとわかったのである。
(藤本和子訳)


R・ブローティガンの「ビッグ・サーの南軍将軍」(1964)、
作家が29歳で書き、最初に出版された作品である。
幾つもの断章を寄せ集めたようで、掴みどころがなく、とりとめのない小説、
と言ってしまうと身も蓋もないが、決して貶しているわけではない、そうではなくまったくの逆、
だからこそ面白い! わたしはそう言いたいのである。
ブローティガンは、最初の作品で、いきなり傑作をものにしたわけである。




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585. 羊をめぐる冒険・ラファティ版 (Today’s Soup)


Lafferty chantey


宇宙級のホラ話なら、カルヴィーノとラファティのどちらが好きなんだい? 
といつものように軽い調子で男は訊ねかけた。それが恐ろしい踏絵のような意味を持つ質問であることを、ぼくたちは誰も知らなかった。

ポリュペモスはないよりもはるかに悪い場所だった。
 とは言っても近づいてくる星は素晴らしい場所に見えた。爽やかな緑の草原! たしかに素晴らしそうだった! そこは田園世界だ、と便覧には書いてあった。ポリュペモス人たちは素朴な羊飼い連中だった。便覧によれば、羊と山羊を育て、チーズと乳漿を作り、スウィート・ミルクを飲んで、上物の羊肉や子羊肉を食べ、おそらくは羊毛をつむぎ、毛織りかフリースのテントで暮らして、木製のフルートで牧歌を奏でているという。(中略)
羊飼いたちは船乗りを <ドロヴァーズ・コテージ> まで連れて行った。緑の草原と牧草地には羊の群れが遊んでいた。
 羊? 本当に羊なのか?
 宿は酷いものだった。<ドロヴァーズ・コテージ> は宮殿ではなかった。だが暖房の必要はなかったし、必要なときには獣脂の蝋燭が灯された。太陽はまだ空に高かったが、乏しい夕食をふるまわれた。羊肉のようでもあったが、それにしてはひどく奇妙な味だった。それから、ポリッジ らしきものが出たが、おそらくは虫入りだった。
(柳下毅一郎訳)


R・A・ラファティの長篇、「宇宙舟歌」(1968) は、宇宙版オデュッセイアだと思って読めばいいのだそうだ。ロードストラム船長とその仲間たちが、さまざまな怪物に遭遇しながら、故郷までの帰路において辿る放浪と冒険の航海の物語である。

ラファティによればオデュッセイアはなによりも滑稽詩であるという、そしてこの作品も同じである。
引用したのは、物語の第五章、旅の途中で立ち寄ったポリュペモス (羊飼いと羊たちの星) をめぐる物語である。要約すれば、この章は、さしずめラファティ版・羊をめぐる冒険、か。
さまざまな困難と危険がまちかまえているが、幸いなことにここで命を落とすことはない、まだ次に第六章が待っているから。




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547. 再掲  Google Logo – October 31, 2013 (Today's Soup)

googleLogo20131031a.jpg


ハロウィンの日のグーグル・ロゴである。
去年は、お待ちかねの 「魔女のスープ」 ヴァージョンであった。
今年も再び 「魔女のスープ」 が出てくるという可能性はあるだろうか?
10月31日がたのしみである。



PS.(2014/10/31)

Google Logo、
なんと嬉しいことに今年も「魔女のスープ」ヴァージョンが出てきました!

googlelogo.jpg


殆んど奇蹟の如き僥倖、というと大袈裟か^^
来年もたのしみですlol



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584. 彼女はスープに息を吹きかける、小熊のようにスープをすすりながら笑う (Today's Soup)


Julio Cortázar


フリオ・コルタサル (1914-1984) のこの短篇では、「温かい食べ物だけでこれだけ幸せになる」という文章とともにスープが登場する。いわば ”こころにもからだにも優しいスープ” というありふれた登場の仕方である。しかし、そこはそれコルタサルのこと、小説の方は決してありふれたものでは終わらない。   

小説の主人公は、マルセロと、リナの二人。雨の夜、男は、ヒッチハイカーの少女と出会い、小さな町まで車に乗せていく。ここから物語は始まり、翌日、二人が分かれていく場面で終わる。なんだか、よくある設定のような気もするが、そこはそれコルタサルのこと、決してありふれたかたちでは終わらない。とてもみごとに物語は閉じる。

名はキントベルク、直訳すれば子供の山、見方によっては親切な山、優しい山、それはともかく、夜降りしきる怒涛の雨に顔を洗われて町へ到着してみると、外では拳と爪が打ち続けていることもすっかり忘れる気になって、ようやく場所と呼べるところ、服を着替えられる、風雨を凌ぐことのできる場所に落ち着いた。銀のスープ鉢に入った温かいスープ、白ワイン、そしてパンを切って最初のひとかけらをリナに渡すと、オマージュでも捧げられたように、実際にオマージュなのだが、彼女はそれを受け取り、何のためなのか、上からスープに息を吹きかける、その時揺れながら少し舞い上がった彼女の前髪がなんとも美しく、手とパンに撥ね返された息がまるで小さな劇場の幕を吹き上げたよう、その瞬間からマルセロはほとんど、リナの考えていること、ずっと微笑を浮かべて息を吹きかけながらおいしいスープをすするリナの映像と記憶、そのすべてが舞台の上に現れるのを待ち受けたほどだった。
 もちろん、子供のように平らな額はそのまままったく動かず、最初は声だけがぽつぽつと彼女の人柄を滴らせ、マルセロはそれを手掛かりに少しずつリナに近づいていく。例えば、出身はチリ、アーチ―・シェップのメロディーを口ずさみ、ヒッチハイクと、干し草小屋や若者向けの安宿で寝泊まりを繰り返していたせいで薄汚れた服に、噛み痕が少し残ってはいるがこぎれいな爪を撫でつけている。青春時代なんて、リナは小熊のようにスープをすすりながら笑う、きっともう想像もつかないでしょう、化石、ねえ、ロメロのホラー映画に出てくるさまよえる死体みたい。
ロメロとは何者か、初めて聞く名前に、マルセロは声に出して質問しかけるが、このまま話させておいたほうがいいだろう、温かい食べ物だけでこれだけ幸せになる様子を見ているほうが楽しい、さっきだって、火が入るのを待ちかねた暖炉付きの部屋を見て、嬉しそうな顔をしていたじゃないか、・・・
(「キントベルクという名の町」、寺尾隆吉訳)


「キントベルクという名の町」(1971年頃) は、短編集 『八面体』(1974) に所収の一篇。
訳者によれば、この短編集は、”文学青年コルタサル” が残した最後の短編集であるとしている。最後、というのは、1970年代半ば以降、コルタサルは”政治的作家”へと大きく変貌していくことになったからである。



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583. 巨匠とマルガリータとスープと (Today's Soup)


ブルガーコフの 「巨匠とマルガリータ」 (草稿1928-36、出版1967)、
・・・モスクワの街を跋扈する悪魔のヴォランドと珍妙な手下たち、彼らに操られるモスクワ作家協会の会員たち、同じく翻弄される巨匠とマルガリータ、作中作の物語に現れるキリストとローマ総督ポンティウス・ピラトゥス、‥とこんなふうに登場人物を書き連ねていくだけでこころが踊る。傑作小説というのはそういうものではないだろうか。

しかしこの小説を読み進めるためには慎重な姿勢が必要である。
ストーリーの展開が読めないとか、わけのわからぬまに新たな登場人物が増えているとか、そんなことに愚痴をいうつもりはない。しかし、てんで見当もつかない暗喩や皮肉、見当どころか気がつきもしない裏の意味や風刺のことばが、たぶんそこいらじゅうに転がっているのだとしたら、ぼくらはそれをどう読めばいいのだろうか。     例えば、大好きな野外レストランの場面 (第五章) から幾つかの文章を引用してみる。

「今夜はどこで食事をするつもりだね、アムヴローシイ?」
「聞くだけ野暮だよ、もちろん、ここさ、フォーカ!」
(水野忠夫訳)


いったい誰が、いきなり登場した二人の男の名前について、 (伏線も無ければ訳注もないという条件で、) アムヴローシイとは不死を得られる神々の食べもののことであるとか、フォーカとはロシアの寓話 「デミアンの魚スープ」 の主人公の名前を模したものであるとか、そんなことが理解できるというのだろうか! いやまあこれがただのレトリックの問題であるならばそれはそれでいいのだが。


そして真夜中の十二時きっかりに、一号ホールで、なにやら大音響が轟き、金属製の音が響き、その音は跳びはねるようにひろがりはじめた。そしてすぐさま音楽に合わせて、甲高い男の声が 「ハレルヤ!」 と絶叫した。有名なグリボエードフのジャズ・バンドが演奏を開始したのだ。汗びっしょりの顔が急に輝きだし、天井に描かれた馬どもも活気づき、ランプの光もひときわ明るさをましたみたいに思われ、そして突然、つながれていた鎖が解き放たれたかのように二つのホールにいた人々が踊りはじめ、それにつづいて、テラスにいた人々も踊りはじめた。
(中略)
ウェイターたちは汗びっしょりになって、踊っている客たちの頭上高く、滴のたれるビールのジョッキをかかげて運び、しわがれた声で、「失礼します、お客 さま!」 と突っけんどんに叫んでいた。どこかで、両手を口もとに当ててメガフォンを作って、客が注文していた、「北極海スープをひとつ! ビーフを二つ、 王様風チキンをひとつ!」 と。 いまはもう、甲高い声は歌っているというのではなくて、「ハレルヤ!」 と吠えているみたいだった。ジャズ・バンドの金色に輝 くシンバルを打ち鳴らす音が、ときどき調理場の洗い場へと通ずる傾斜面に皿洗い女たちが乱暴に投げ入れる汚れた食器のぶつかる音でかき消されることもあった。要するに地獄である」
(水野忠夫訳)


場面は、いきなりの狂騒状態である。地獄の次には幻想がその出番を待っている。
こうなれば、登場人物の名前の謂れなどたいしたことではないということになり、わたしも背中の荷物をひとつ降ろしたようにほっとする。 もちろん、ここでは言葉もレトリックもまったく問題にならない。ただただ文体とストーリーの持つ力に引きずられながら物語を最後まで読み通すだけだ。 幸いなことがひとつ。この物語はみごとに完結する。




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582. 優しい友人アルフレード (Today's Soup)


Menudo,a traditional Mexican soup


小説の登場人物について言うと、こんな人物ならぜひとも友人になってほしいと思うことがある。
いわば理想の"友人像"である。
すぐに思い浮かぶ人物をひとり挙げるとすれば、まずは『ワトソン君』ということになるだろうか。
・・・ジョン・H・ワトスン、医者であり、シャーロック・ホームズの友人であり、伝記作家の彼である。優しく、愛情が深く、誠実で、正義感にあふれ、純粋で、勇敢で、そして気のいい酒飲みである。

 アルフレードがやってきて、椅子を引いてテーブルの僕の隣に座った。彼はその大き絵描きの手を僕の肩に置いた。僕はまだ震えつづけていた。彼の手は僕の体の震えを感じ取ることができた。
「おいおいどうしたっていうんだよ?お前もいろいろと大変だとは思うよ。まあ相当にきついわな、それは」それから、よしひとつメヌードを作ってやろう、と彼は言った。「神経が休まるよ」と彼は言った。「気分がすっと収まるからさ」メヌードを作るための材料はばっちり揃ってるんだ、と彼は言った。それに俺どうせそろそろ作らなくちゃなって思っていたところなんだ。
(「メヌード」、村上春樹訳)


レイモンド・カーヴァーの短篇「メヌード」(1987)、に登場する画家のアルフレード君もまた、理想的な友人像のひとりとして挙げることができるだろうと思う。
物語の中で、中年男の"僕"が、妻の入院やらなにやらで、すっかり自分のバランスを失ってしまい、どうしようもなくおかしくなっていたときに、このアルフレード君は"僕"の神経を休めようと、真夜中であるにもかかわらず台所に立ってメヌード(メキシコ風の牛の内臓のスープ)を作ってくれるのである。

ね、ワトソン君に負けず劣らずイイヤツだなって思うのも当然でしょう?
以上、報告します。




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581. 罰としてのスープ (Today's Soup)


筒井全集13


さすがは筒井康隆さんの作品!
古今東西、 ”罰としてのスープ” を描いた小説は唯一無二、
だろうか?

・・・男は、ちょっと電車を途中下車したばかりに、無賃乗車などと謂れのない中傷を受け、さらに不当な罰を受けなければならないという破目に陥る、これはそんな物語である。

若い駅員が、仰向けに横たわっている私の両腕を、しっかりと押さえつけた。母が私の右足を、弟が私の左足を押さえつけた。中年の駅員は鍋を電気焜炉からおろし、ゆっくりと持ちあげた。そして立ちあがった。
「さあ、小説屋の先生。口を大きく開きなさいよ。さもなきゃあスープが顔にとび散って大火傷、ふた眼と見られぬ顔になるよ。それじゃ商売にさしつかえるだろ」中年の駅員は念仏を唱えているような口調で私にそういった。「さあ口を大きく開いて」
私は口を大きく開いた。
(筒井康隆「乗越駅の刑罰」,1972)


70年代当時、どこかの小劇団が不条理劇として取り上げていたかもしれない、そんな作品だなという気がした。(調べてみたら、90年代になってから映像化されていました)

おっと書くのを忘れてました。この短篇は、新潮社版・筒井康隆全集 第13巻、及び新潮文庫版・筒井康隆・自選ホラー傑作集 『懲戒の部屋』 に所収されている。    ホラー傑作集、ということは、これはホラーだったのか! などと今さら驚くのもおかしいが、そういえば、このスープの中身は・・・、
いや、わたしには、恐ろしくて悍ましくてスープの中身のことなんてとても書けない!!!!!  
  

PS. この小説は、1994年に和田誠監督で、オムニバス映画の一篇として映像化されている。
(→映画 『怖がる人々』 、第3話 「乗越駅の刑罰」 : YouTube、 Part1, Part2、 音量注意)





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