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☆ IKEAで青いものを買う、①

愛用のマグカップが割れてしまった。毎朝、コーヒーを飲んでいたカップである。
なんてことはないものなのだが、なくなってしまうとどうも調子が狂う。
同じものがほしくなってしまうのは、どういうわけなんだろう。


ikea4540.jpg


ってことでIKEAまで買いに行くことにした。ついでだから、何か青いものを幾つか買って帰ろうと思ったのだが。ブログであの頃”青の記事”を書いていたなあと思い出すのにいいかもしれないと、こんなものを買ってみたのである。全10点、約4500円也。

上段左端が、買いなおしたマグ。続いて、マグカップをもうひとつ、グラスが2個、サラダサーバーが1組、皿が2枚、水差しがひとつ、取り分け用の皿が2枚、である。ぜーんぶターコイズカラーで揃えてみました、っていうつもりだったのだが、どうみても最初のマグだけが色調が違うのである。なんてことはない、出だしからまちがっていたわけである^^;



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☆ ガラスの檻(Glass Enclosure)

220px-TheAmazingBudPowellVol2_BLP5041.jpg


Blue Note Recordsから、もう一枚。
バド・パウエルの「The Amazing Bud Powell vol.2」(1953)である。このレコードを引っ張り出してきたのには訳がある。
このジャケットが大好きだ、というのがひとつ。そして、ジェフ・ダイヤーが書いた『バット・ビューティフル』(1991)という本を読んだからである。

ここはまるで降霊会のようだよ、バド。明かりはほの暗く、蝋燭の炎が燃えている。机のまわりには、あなたの写真がいくつも立てかけられ、ステレオは「ガラスの檻」を小音量で流している。僕はサード・ストリートのこのアパートメントに座り、バド、あなたの音楽を通してあなたに近づこうとしている。(中略)

あなたが演奏するすべての音楽が、あなたの人生という苦悶に満ちた小説から破り取られたページであることを、僕は求めている。「ガラスの檻」があなたにとっての『ブルーの中で目覚めて』(ロバート・ローウェルの詩)であることを求めている。しかし実際には、それはピアノの小曲というかたちの中に氷漬けにされた交響曲のように聞こえる。あなたが演奏するスタンダード曲だってそのような特質を持っている。あなたは「月光と水玉模様」のような曲を取り上げ、それを宮廷おかかえ作曲家の手になる作品のごとく響かせる・・・
(『バット・ビューティフル』、村上春樹訳)



「バット・ビューティフル」は、ジェフ・ダイヤーが<ジャズについて書いた本>である。ミュージシャンについての評伝というかたちをとりながら、実際は彼らについてのみごとな物語になっている。リング・ラードナーが書いた野球小説のように愉しくて、そして少し哀しい。

ここでは、バド・パウエルについての章の一部を引用した。「ガラスの檻(Glass Enclosure )」という曲は、アルバム「The Amazing Bud Powell vol.2」に入っている。シンプルで美しい曲である。

文中のロウエルの『ブルーの中で目覚めて(Waking in the Blue) 』は、"告白詩"と呼ばれることが多い作品らしい。とすれば、たしかにそんなものをバド・パウエルに求めてはいけないと思うのだが、どうだろうか。

『バット・ビューティフル』という本には、まるで連作短編集のように、バード、ミンガス、モンク、レスター・ヤング、ベン・ウェブスター、チェト・ベイカー、アート・ペパー、そしてバド・パウエルについての物語が、並んでいる。といっても一列に並んでいるのではない。それぞれの物語が、それぞれに奏でられているのである。



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☆ OUT TO LUNCH!

Blue Note Recordsから、どれか一枚、選ぶとすると、わたしが好きなのはこれだ。
エリック・ドルフィの「OUT TO LUNCH!」(1964)である。
もちろんLP版を持っているのだが。


228798.jpg


LP版を持っているのだが、肝心のレコード・プレーヤーが無い。
でも気にならない。カラ元気じゃない。ジャケットを見てるだけで、音が聞こえてくる気がするから。   エリックのバスクラがブヒブヒ鳴る音!
もちろんそんなことをぐだぐだ書いてたって、”帽子とヒゲ”の男は、なかなか帰ってこない。長い長いランチなのである。誰かが ”So Long Erick” なんて言うからだぞとヤツアタリしたくなる。

PS. 「OUT TO LUNCH!」という書置きは、日本ならさしづめ「下ノ畑ニ居リマス」ってところか。



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☆ サヴォア邸のブドワール

サヴォイ邸(1929)は、コルビュジエの最高傑作という人も多いらしい。
しかし、色彩という面では、”白い箱”の時代の作品であり、少なくとも外観はマルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952)のような華やかさはないのである。しかし心配は無用。建物の内部は、豊かに彩色されていて・・・、もちろんそこには、”青”もあった。


sコルビュジェ1

sコルビュジェ2

写真の上はブドワール(婦人室)、下は主寝室のバスルームである。
特に、この上の濃い青の壁の部屋!、ひとめで魅入られました。
画像の角度を変えてみますね。


フドワール1


ブドワール


しかしいまどき「ブドワール」なんてどちらさまの邸宅にもないだろうなんて思っていたら大間違い、京都に住む友人が見にいらっしゃいよなんていうものだから行ってみたら、 「ブドワール北山」って・・・学生マンションじゃないか!しかも、女子学生専用ですらない。



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☆ 飛燕草

ウィリアム・モリス(1834-96)にまつわる色としては、レッド・ハウス(結婚後の新居)とか、グリーン・ルーム(V&A美術館にあるモリス設計の部屋)とかが直ぐに頭に浮かぶのであるが、一方で彼が残した美しいテキスタイルの図案を見ると、「青」が重用されているのがわかる。「飛燕草(Larkspur)」も、そうした図案のひとつである。


williammorris-larkspur.jpg


もちろん、図案のなかの飛燕草は、この脇役のように控えめな小さな青い花の方である。ピンクの薔薇に主役を張らせておいて、密かに微笑んでいるという感じ。・・・ニクイやつなのである。




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☆ デルヴォー 受胎告知


さまざまな受胎告知の絵のなかで、わたしが格別だとおもうのは、この絵である。


the-annunciation-1955.jpg


ポール・デルヴォーの 「the annunciation」(1955)、である。
なによりも青が聖女の色であると教えてくれる。

しかしこれも雨上がりに描かれた絵なのだろうか。



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☆ 諸星大二郎 孔子暗黒伝

諸星


宇宙はビッグバンから始まり、現在も膨張し続けているという考え方(膨張宇宙論)は、現在多くの合意を得ている。しかし、永遠に膨張を続けるのか、いずれ収縮に転じ宇宙の終焉(ビッグクランチ)を迎えるのかについては、なお意見が分かれているらしい。

この論議の行方はともかく、『青方偏移』という言葉がSF小説のテーマとして多く取り上げられてきていることは確かである。拙ブログの中でも、プランク・ダイヴ(イーガン、№218)、シャンタラム(ロバーツ、№279)、そして孔子暗黒論(諸星)と、関連本は三作を数える。もちろん、この言葉が、<宇宙の縮小>と、<世界の終焉>を象徴するものとして最適だからなのだろう。

「インドの宇宙論で無量説というのをしってるか?
それによると 宇宙は、成劫、住劫、壊劫、空劫の四段階を、永遠にくりかえすというんだ。成劫はビッグバンだ。住劫は赤方偏移で象徴される今のおれたちの膨張宇宙・・・、それが青方偏移となると壊劫の収縮宇宙となり、最後は空劫・・・、宇宙の終焉のブラックホールの特異点だ。物理学の宇宙論とそっくりじゃないか!」
「 きみは疲れてる。後ろのシートで少し、休め」
「おれが宇宙病だと思ってるんだろ?まあきけよ!
現代の科学は宇宙の本質について、実は、まだほとんど何もわかっちゃいない。それでもどこかに真実はあるはずだ。そしてその”真実”を、各時代の最高の知識人たちが色いろな言葉で表現しようとする。
古代中国人は「易」や「老子」で・・・、インドのバラモンは「ヴェーダ」や「ウパニシャッド」で・・・、そして現代の科学者たちは、数学や物理学の言葉で・・・」
「群盲、象をなでる、というやつさ。どれも真実の一部を不完全にしかいえないんだ」
「おれには科学の言葉が、一番不完全に思えるがね・・・」
(諸星大二郎 孔子暗黒伝)



諸星大二郎の伝奇コミックは、どれも濃密で読み応え十分である。というより濃密すぎるのが唯一の欠点であるなんて言いたくなるほど。『孔子暗黒論』(1977-78)もそういう一冊である。読後の満足と疲労感が比例する感じ。ぷふぁあ。



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☆ 桂離宮 茶室

桂離宮は、17世紀初、江戸時代初期の造営当時の庭園と建築物を遺している。
わたしが気に懸かるのは、この茶室である。青と白の市松模様の襖である。見学ツアーに混じり込んで、じっと眺めてきた。


桂離宮



美しすぎるのも居心地がわるいものである。向こうの縁側まで駆け抜けることはできないし、ふすまを外して相撲を取ることもできない。もちろん障子に指で穴を開けると弁償である。和室の楽しみってそういうものじゃなかったんだなあ。王朝文化の粋と優美を鑑賞するのは難しい。雅(みやび)ってなんだろう。



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☆ 青い温泉、その1

青い温泉



友人が土産にくれた温泉煎餅である。
それでふと思いついた。
<青い温泉>に入りたい!


青い温泉①blumau2


まず行ってみたいのは、
フンデルトヴァッサーの設計によるブルマウ温泉村である。
しかしこの青は。
照明効果によるものなのかもしれない。


青い温泉⑦pamukkale-2(1)


ではこれは正真正銘の青い湯!
トルコのパムッカレの温泉である。
しかしこれだけではなんだか淋しい。


青い温泉⑥icelandbluelagoon01


そう、やっぱりこれでないとね。こんな光景。
アイスランドの名高いブルー・ラグーンである。
いちどは行ってみたいものである。

☆青牛に乗った老子

laizi.jpg


〈青牛にのって西の彼方へ消えていく老子〉、というイメージは、確かにわたしの頭のなかにもある。しかし果してそれがどこから来たイメージなのか?史記も、老子伝も、もちろんまともに読んだことはない。とすれば、手塚治虫か諸星大二郎あたりか・・・。そんなことから、ひとつ、老子入門書でも読んでみるかと手をのばしてみたのだが。新井満、「自由訳 老子」(2007)、である。

何かまとまったものを書きのこしておくのも、悪くないかもしれない。関所の長官がそこまで熱心に言うならば、ひとつ誘いに乗ってみるか。どうせ、急ぐ旅でもないし・・・。老子は頷くと、青牛の背中から地面におりた。それから、案内されて関所に隣接する長官の客室に向かったのだった。
十日ほどが過ぎた。
老子は筆を置いた。机上には、上下篇五千余文字の書きおろし原稿がのせられていた。題名もなければ著者名もない、不思議な原稿であった。いよいよ旅立ちの時である。再び青牛の背中にまたがった老子に向かって、尹喜は深々と頭を下げた。(中略)
老子をのせた青牛は、のそりと動き出した。西に向かってゆっくり遠ざかり、小さくなり、やがて地平線の彼方に消えた。(中略)
尹喜が老子の姿を見たのは、それが最後であった。老子は、どこへ行ったのか。その後の消息を知る者は一人もいない。だがしばらくすると、あちらこちらでこんな噂がまことしやかにささやかれるようになった。
「西に向かった老子様はなあ、あれからインドに渡り、ブッダという聖人におなりになったんだそうだ…」
(新井満、「自由訳 老子」(2007))



引用は、史記の老子伝をもとに、新井満が脚色し書き写したというもの。『自由訳老子』の末尾に、<「あとがき」に代える八つの断章>として付された文章の一部である。

ところでこの青牛は、後に天上から追放され青牛怪になる。(太上老君(老子)の目を盗んで下界に逃げてきたという説もある) すなわち、西遊記の獨角兕大王である。もうひとつわたしの疑問は、これって水牛?


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