☆ 露草
(画像;Robert Sweet、『The British Flower Garden』(1823-29)
然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優(ま)した美しい碧色を知らぬ。つゆ草、又の名はつき草、蛍草、鴨跖草なぞ云って、草姿は見るに足らず、唯二弁より成る花は、全き花と云うよりも、いたずら子に毟られたあまりの花の断片か、小さな小さな碧色の蝶の唯かりそめに草にとまったかとも思われる。寿命も短くて、本当に露の間である。然も金粉を浮べた花蕊の黄に映発して惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。
つゆ草を花と思うは誤りである。花では無い、あれは色に出た露の精である。姿脆く命短く色美しい其面影は、人の地に見る刹那の天の消息でなければならぬ。里のはずれ、耳無地蔵の足下などに、さまざまの他の無名草、醜草まじり朝露を浴びて眼がさむる様に咲いたつゆ草の花を見れば、竜胆を讃めた詩人の言を此にも仮りて、青空の気、滴り落ちて露となり露色に出てこゝに青空を地に甦らせるつゆ草よ、地に咲く天の花よと讃えずには居られぬ。「ガリラヤ人よ、何ぞ天を仰いで立つや。」吾等は兎角青空ばかり眺めて、足もとに咲くつゆ草をつい知らぬ間に蹂みにじる。碧色の草花として、つゆ草は粋である。
(徳富蘆花、碧色の花、1913)
けだし、名言であると思う。なんて言いながら、いつも歩く堤防の道で、わたしもどれだけの露草を知らぬまに蹂みにじってきたことか。ああ我らはとかく青空ばかり眺めたがる。
☆ アーノルド・ローベル いろいろへんないろのはじまり
ローベル(1933-1987)は、アメリカの絵本作家。70冊以上の作品がある巨匠である。邦訳は、詩人の三木卓が手がけた作品が多い。「いろいろへんないろのはじまり」(1968)は、こんな話である。・・・ずっと昔、色がなかったころ。ほとんどのものが灰色だったので、”はいいろのとき”と呼ばれていた。そんなとき、ひとりの魔法使いが「青い色」を発明した。近所の者にも分けてやったので、世界はあっというまに青色に。”あおいろのとき”の始まりである。
でも、あおいろは そんなに よくなかったのです。
やがて あおいろのために、
みんな、なんだか かなしいきもちに なりました。
(まきたまつこ訳)
んなことないよね!
そんなことはない筈だと、わたしは叫びたい。
”あおいろのとき”がむしろ待ち遠しいものだとわたしは思うのでした。
☆ヤン・ファーブル The Years of the Hour Blue
こんなふうな展示が行われた。なんとまあ、ここではまさに”青い時間”そのものを味わうことができる、というわけである。しかし、クラナッハもティントレットもカラヴァッジョもルーベンスも、どれもみんな見事に青まみれなのである。見事である。しかしひとつ言えることは、これが常設展になることはないだろうな。
☆舟越桂
気がつくと、木の色そのままではなく、また着色された衣服をきているのでもなく、裸像の肌そのものに青い色が化粧のように塗られている作品が多くなっていた。
下地には、アクリル絵の具の白を濁らせたものを塗っている。
それをサンドペーパーで削り落とす。木の色に助けられていると思う。
肌色は、油絵の具を使っている。頬に赤みがほしいときは、絵の具が乾かないうちにパステルの粉を飛ばしている。
胴体は、アクリル絵の具を使うことが多い。テカリを出したくないときは、石の粉を混ぜたりしている。伝統的な技法にはこだわりがないので、自由にやっている。
(舟越桂「彩色について」)
2010年の金沢21世紀美術展の『ヤン・ファーブル×舟越桂』展を見たときに気が付いたのは、ヤン・ファーブルが青を通りすぎてきたのに対し、舟越さんの方は青に向かってきているということ。しばらくは、この青の時代を眺めていたいものだと思う。
☆朝顔
(オキーフ、青い朝顔、1935)
方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて、
帰りにける翌朝、朝顔の花をやるとて
おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの空おぼれする朝顔の花
返し、手を見分けかぬにやありけむ
いずれぞと色分くほどに朝顔のあるかなきかになるぞわびしき
(紫式部集)
朝顔は古くから歌にも取り上げられてきた。
槿や桔梗と混同される場合もあるがなあに気にすることはない。サフランだと思ってたらクロッカスだったというようなものである。時代が変われば名前も変わる、ただそれだけである。
・・・引用は、「紫式部集」(11世紀)から。
先の歌が式部が贈った歌、後のはその返歌である。なかなか妖しくなかなかに雅びである。
この歌については、清水好子の『紫式部』(岩波新書)の解説が愉しい。
☆豆絞り
☆スライム
☆金剛蔵王権現
☆燕子花図
紙本金地着色 6曲1双、(各)縦150.9cm 横338.8cm。画像は、左隻部。
日本画の青、美しい絵が幾つもあるが、一番に挙げるとしたらやはりこれか。
総金地の六曲一双屏風に、濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花の群生。その背後には『伊勢物語』第9段の東下り、燕子花の名所・八つ橋で詠じられた和歌がある。左右隻の対照も計算しつつ、リズミカルに配置された燕子花は、一部に型紙が反復して利用されるなど、一見、意匠性が際立つが、顔料の特性をいかした花弁のふっくらとした表現もみごとである。筆者の尾形光琳(1658〜1716)は京都の高級呉服商に生まれ、俵屋宗達に私淑した。本作品は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品といって過言ではない。
(根津美術館)
表参道から根津美術館に向かって歩く。早く見たいので、急ぎ足になる。コムデギャルソンの青いビル、見ていたいが後回しだ。プラダとカルティエとクロエのビル、眩く輝いている、でも後でね。ちょっと回れば坂倉準三の岡本太郎記念館もある。でも見ている暇はない。今日は、燕子花図を見るのだから。ふうふうふう、やっと着いた。そんな日に限って、お目当ての絵が展示されていない。